キドアイラクラ

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話




 私の名前は、木戸愛だ。


「お前の人生、楽がねぇな」と、私の名前をゲラゲラ笑うバッキャローが居る。

 楽しくねぇのはテメェのせいでもあるんだわ、とはらわたがグツグツ闇鍋を煮込んでいるけれど、私はいつもハハッと笑ってスルーしてる。

 笑っている方が楽しそうだから。楽がなくても、楽しそうにしてたら『楽』の方から私に近づいてきてくれると思ったから。


 お母さんに「なんで私の名前は『愛』になったの?」と訊いたことがある。

 その時、「え、産婦人科の先生、性別を教えてくれなかったからさ、つわりの感じからして念願の男の子だって信じきってて。男の子の名前しか考えてなかったんだよね。出生届って2週間以内に出さないといけないんだけど、ギリギリになっても全然名前が決まらなくて、もう『愛でいっか!』って」と言われて顎が外れそうだった。


 名前は親から子への愛情込めたプレゼントではないのか。

 そんなに軽いものなのか。

 おいおい、愛という名前に愛がないじゃないか。


 日本全国、愛という名を授かった人はたくさんいると思う。大半は、その名に意味があると思う。別に大層な意味でなくてもいい。「愛される子に育ってほしい」とか、そんなテンプレ回答だっていい。


 私だって、意味が欲しかった。

 愛でいっか、じゃ嫌だった。


 ――楽がないなら喜も取っちゃえ。

 ある日、やはりゲラゲラ笑いながらそう言う野郎がいて、私のあだ名は「怒哀」になった。

 キがなくなると不思議なもので、本名よりも、私はあだ名が好きって思った。


「おい、怒哀!」


 と怒鳴りつけてくる野郎もいるが、


「ねぇ、怒哀ちゃん」


 とドキンちゃんを呼ぶように声をかけてくる人もいた。


 たったの一文字、キがなくなっただけで、私は可愛い女の子の親戚になれた気がした。


 ウキウキしていると、野郎が言った。


「怒哀は黴菌の親戚なのか」


 お察しの通りゲラゲラ付きだ。

 しかし、私はドキンちゃんが黴菌とは知らなかったので、コイツは意外と色々な知識を持っているのだな、と感心した。


 怒哀のダメージ度合いが気に食わなかったらしい野郎は、名前イジリをパワーアップさせた。


「怒哀は今日から喜哀な!」


 野郎の一声で、私のあだ名は喜哀になった。

 ド、が無くなると寂しい。というか、怒哀の時からうっすらと思ってはいたけど、なんとかアイってモアイっぽいよね。

 いつか私はモアイになるな。そんな気がする。根拠なんてないけど。


「おい、喜哀!」

「ねぇ、喜哀ちゃん」


 喜哀と呼ばれるのに慣れた頃、「おい、気合い入れろよ」という運動部の叫びに「え、なんの話?」なんてガチレスしてしまって恥ずかしかった。

 そうだよね、やる気の方だよね。あぁ紛らわしいあだ名。早よ変えてくれよ、バッキャロー!


 マジでモアイになったある日、野郎が言った。


「お前、なんで変なあだ名にされてもフツーなの?」

「んー? なんか、親より愛があるから?」

「ハァ?」

「名前考えるの放棄されたの。『愛でいっか〜』で愛なの。変なあだ名の方が、親よりずぅっと考えてくれてる気がするから、かな?」

「お前、本当に楽がないのな……」


 捨てられた犬だか猫を見るように、哀れみいっぱいの眼。

 なんかムカつく。なんでこの野郎に哀れまれないといけないのさ。


 あれ、いつもだったら楽しいフリができるのに、今日はできない。

 グツグツ闇鍋がどんどん煮こぼれてく。


「うっせぇな! あたしゃこれから自分の手で楽を掴み取るんだよ!」


 気づけば怒鳴りつけていた。


「ごめん。モアイやめよう。今からお前は、愛情たっぷり、アイアイだ」

「ハァ⁉︎」


 なんで普通に呼んでくれないんだろ。普通に呼んでくれたら、もっと普通に話せるのに。

 だいたい、なんで愛がない『愛』の方を選ぶんだよ。キドキドと呼べよ、この――バッキャロー雅紀!


 雅紀が「アイアイ」と呼ぶから、私はアイアイになった。ふざけてバナナをくれる親切な飼育員がいるけれど、そういう時は雅紀がすっ飛んできて、バナナをかっさらってウキキウキキと食べた。


 そんな日々を過ごすうち、雅紀のあだ名が「ウキキ」になった。「ウキキとアイアイでお似合いじゃん」なんて茶化しに「ハァ⁉︎」と不満を表明したら、ウキキとアイアイの「ハァ⁉︎」が揃ったと大盛り上がり。


 ふたりして意地張って「好きじゃない」「大嫌い」を言い合った帰り道、ウキキが私に言った。


「ごめん。振り向いて欲しくて色々言った。本当ごめん。俺さ、お前といると楽しいんだ。だから――」


 ――楽をプレゼントさせてくれないかなぁ。


 愛に楽をつけて、苦しみを取り除く。

 新しいあだ名は、アイラだった。

 ヘンテコあだ名に慣れていたから、すごーくむず痒かったけど、多分初めて、愛って名前で良かったと思った。


「くらーい、くらーい」


 バッキャローが笑う。


「テメェのせいだ!」

「じゃあ木戸雅紀になればいい?」


 微笑み言われて、私は心を決めた。


「ううん。私――楽をプレゼントしてもらうんだもん」



 今、私の名前は、久楽愛だ。

 


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キドアイラクラ 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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