第52話 隠されていた真実(前編)

「それで、『二つ目の顔』がどこに隠されていたのかはわかったんですか?」


 竹ノ塚さんは機材室に入ると僕にそう問いかけた。


 部屋の壁には本棚が並び、廊下側には衣装やら大道具が詰め込まれたキャビネット。中央にはテーブルと椅子。そして窓の前には着替え室と小道具が並んだ作業台がある。


 一緒に入ってきた梅島さんが「二つ目の顔? どういう意味です?」と首をかしげた。彼女たち他の部員はこの部屋にまつわるジンクスの件について聞いたことがなかったらしい。僕は蒲生先生から聞いた話を改めて説明する。


「なんでもこの機材室には代々ジンクスが伝わっているらしい。この部屋の中に『二つの顔』が隠されていてそれを見つけたものは良い映画が作れるようになるんだそうだ」


 僕の言葉に下級生部員たちは「へえ?」「知らなかった」とそれぞれに反応した。一方、小菅と青井は無表情でそんな僕らの様子を窺っている。驚いた様子も見せないあたり、やはり彼らはそのことを知っていたのだろう。


 部屋を改めて見まわしていた日野崎が「でもその話って結局迷信なのかなあ?」と首をひねってみせる。そんな彼女に「いや、必ずしもそうとは限らない」と僕は答えた。


「え? そうなの?」

「竹ノ塚さんから聞いたんだけど、この映画研究部では二年生以上になったら『脚本・撮影』と『衣装・俳優』の二つの班をどちらか選んで担当することになっているんだ。……そして多分、二つの顔もこれに対応しているんだと思う」


 頭を掻きながら明彦が「いや、どういうことだよ?」と疑問を口にする。僕はまず本棚に近づいて劇や脚本術についての専門書が並んでいる一角から本を取り出した。


「星原。……済まないが電灯を消してみてくれ」


 僕のやろうとしていることを察したのか彼女は「わかったわ」と即座に頷いて部屋の蛍光灯のスイッチを切る。すると先日と同様に髪をショートカットにした世界的な名女優の顔が投射された。


「このオードリー・ヘップバーンの顔はピンホールカメラの原理で隣の上映室の壁に汚れに見せかけて描写されたものだ。本棚の奥に開けられた穴から向こう側の情景が反転して映るようになっている。……穴の場所はちょうど脚本や作劇関係の書籍が並んでいる段だな。つまり部屋が暗い状態でその場所にある本を手に取らないとこの顔は見ることができない」


 明彦が僕の言葉を受けて、得心したように「ほう」と鼻を鳴らす。


「つまり、この部屋が暗くなるくらいの時間まで残って作劇の本を読んで勉強するような部員でなければ、この顔には気が付かないということか。『脚本家』や『監督』を目指すのならそれくらいの熱心さが必要だ、と」

「うん。……若干穿ちすぎかもしれないけれど。少なくともジンクスのことを聞いた人間が隠された顔を見つけるには『作劇の本を手に取ること』が必要なのは確かだ」


 つまり脚本などの勉強をしろと言って聞かせても、実感としては伝わらなかったり、素直に受けとめる気持ちにならないかもしれない。だから隠された顔を見つけられたら良い映画が作れるという方便で気を引いて「自然と興味を持つことができるように」あるいは「勉強のきっかけが作れるように」という意図でかつての映画研究部の先輩はジンクスを残したんじゃないだろうか。


 僕の説明に腕組みをした日野崎が感心したように頷く。


「そういえばサッカー部でも『練習しろ』といっても聞く耳を持たない一年生はたまにいたっけ。……この部活の先輩たちも昔、後輩の指導に苦労したのかもねえ。あれ、それじゃあもう一つの顔は結局どこにあるの。この分だと衣装とか俳優に関係するところにあるんだよね」

「そうなんだ。二つ目の顔なんだけど実は僕は一度調べていながら気が付かなかった。……あの着替え室にあったんだ」


 僕は先日この部屋に入ったときに自身が調べた場所、窓際の横に設置された着替え室を指し示した。そこはハーフミラーで区切られた小部屋と黒いパネルがはめ込まれた衝立ついたてがある。


「このハーフミラーの壁は明るい外側からは鏡に見えるが、内側からは普通に見通せる。ただし『内側の電気スタンドをつけて明るくすると中の様子も見える』仕組みなんだ」


 言いながら僕は着替え室に入って、準備しておいた白熱電球を電気スタンドに取り付けて点灯した。着替え室の内壁が明るくなり、向こう側に立っている部員や明彦たちの目線がガラス越しにこちらへに向けられる。


「でも、顔なんてどこにも描かれていないじゃない?」


 首をかしげた日野崎の質問に僕は口を開く。


「思い出してくれ。顔が映ったのは映画を撮影していたときだ。そう、『デジタルカメラのレンズ越し』でないと見えなかったんだよ」


 僕は着替え室の前に再び出てくると、カメラ機能を起動させた携帯電話を着替え室に向けた。日野崎たちもそれに倣って、首をかしげながらも各々の携帯電話のカメラ機能を起動させる。


 そして「液晶画面越し」に映された着替え室の一角、「黒いパネルがはめ込まれた衝立」にぼんやりと不気味な丸い老人の顔が浮かび上がった。


「あ。……顔だ」

「これだよ。あの時、映っていたのは」


 下級生部員たちは写し出された「顔」をみてどよめいていた。一方で小菅は茫然とした表情で立ち尽くし、青井はどういう心境なのか苦笑いしながら肩をすくめている。


「本当だ。顔が出てきたよ」と日野崎も感嘆の声を漏らした。


 横で同じように携帯電話を構えた明彦は「顔が見えるのはわかったが、どういう原理なんだ? これ」と首を傾げる。


「ほら。この間、竹ノ塚さんが教えてくれたことさ」


「私ですか?」と彼女は僕の言葉にきょとんとする。


「上映室でデジタルカメラは『肉眼では見えない赤外線』をとらえることができると言っていたよね。それで気になって調べたんだけど『蛍光灯』や『LED』の光には赤外線が含まれてないが、『太陽光』や『白熱電球』は可視光線だけでなく赤外線も発しているんだ。そしてポイントはこの衝立に使われている黒いパネルだ」

「パネル?」


 僕は先日、機材室を調べたときに見つけた部屋の隅の照明用の三色の透明パネルを指さしてみせる。


「最初に見たときに『衝立をつくるためにわざわざ黒いパネルを買ったのか』と思ったけど、そうじゃなかった。これは照明用の『赤・青・緑のパネルを流用して重ね合わせて』作られたんだ。赤のパネルは赤い色の光しか通さない。青も青色、緑も緑色しか通さない。じゃあ全部重ねたらどうなると思う?」

「それって三原色ってやつでしょう。全部遮断されるんだからそのパネルみたいに真っ黒になりますよね」


 丸顔の一年生部員、梅島さんがすました顔で答えた。


「そうなんだ。三枚のパネルはそれぞれ他の二原色を通さない。だから重ねると光が遮断されて黒く見える。だけどその他のスペクトル、例えば『赤外線』は通るんだよ。もちろん肉眼では赤外線は見えないが、『デジタルカメラの感度なら赤外線も映すことができる』」


 明彦がここで納得したように呟く。


「つまりその白熱電球で裏側から照らすことで、赤外線が黒いパネルに挟みこまれたこの顔の切り絵を浮かび上がらせる。そして肉眼では見えないがデジタルカメラでならそれを見ることができるってわけか」


 彼の言葉に僕は「そういうことだよ」と頷いた。


 ちなみに僕がこの二つ目の顔を浮かび上がらせる仕掛けに気が付いたのは、竹ノ塚さんから教わった件もあったが、昨日星原に貸してもらった単語帳がヒントになったからだ。


 その星原はといえば携帯電話を覗き込みながら「ふうん」と小さく唸っている。


「つまり周りに見られることも気にせず、電気スタンドを点灯してこの着替え室の中で衣装を着た自分の姿を『カメラ』に映して俳優としての演技づくりに向き合う。そういう心構えの人間がこの顔を見つけられるようにしたということなのかしら」

「ああ。役に向き合うために自意識を克服させようとしたのかもしれないな。この場所で『電気スタンドを点けて、三脚を使って自分の姿を撮れば』パネルの向こうの鏡に隠された顔が映るわけだ」


 僕は着替え室に先日入ったときのことを思い出す。


 映画撮影に参加した僕は画面の中の自分を見て自意識に耐えられず、恥ずかしくも感じた。しかし、この着替え室に入った時に見た小道具や衣装を見たときには思わず身に着けてみたくなったのだ。


 あの時は既に壊されていたが、もし着替え室内の電気スタンドを点灯していれば周りの人間にも衣装を着けてポーズを取っているところを見られたことだろう。しかし、それでも自分の姿をカメラに収めて客観的に見つめなおそうとする人間が役者になれるのだ。


 僕と星原はこの部屋の「隠された顔」を探すことで、結果的に「映画作りに必要な姿勢」を途中まで実践していたともいえる。


 星原は隣に近づいて、改めて浮かび上がった顔を観察する。パネルに描かれていたのは髪とひげを伸ばしたおどろおどろしい老人の顔である。


「それにしても、この顔って……ひょっとしてローマの観光名所、『真実の口』を模したものじゃあないの」

「そういえばヘップバーンが演じた『ローマの休日』に出てくる有名なシーンに『真実の口』が出てきたっけ」


 つまり、あのモノクロ映画のファンだった過去の映画研究部員がこの仕掛けを作ったのだろうか。僕らが感心したように顔を見合わせたところで、明彦が「どれどれ」と割り込んで「おお、これは確かに真実の口だな」と言いながら口元に手を突っ込む真似をした。


「うわああ! 抜けない?」

「何やっているんだよ。唐突に」


 呆れ顔でにらむ僕を彼はにやりと笑ってみせる。


「ほら、知っているだろ? 真実の口と言えばウソをつく人間が手を差し込むと抜けなくなるという逸話があってだな。映画の中でも新聞記者が王女をこうやってからかうシーンがあったんだ。……ありゃ?」

「どうかしたのか?」


 明彦が唐突に戸惑うような顔になったので、僕は思わず問いただした。彼は不思議そうにパネルの感触を確かめている。


「いや、このパネル。変な隙間があるっぽいぞ。それにこの下の部分、外れるようになっているみたいだ」

「何だって?」


 僕は竹ノ塚さんの方を振り返るが、彼女は「いや、知らないです」と首を振る。


「パネルの枠に何かあるのかな。……調べてみるか」

「よし、やってみよう」


 僕と明彦は協力して三色のパネルを重ねて固定していた木枠の下を外してみる。


「そういえば最初にここを調べたときに、少し厚めだなとは感じていたんだ。パネルを挟み込む構造にしたからかと思ったけど、他にも何か仕掛けがあるのかな」

「じゃあ大道具を担当していた奴が暇つぶしにでも作ったってことかもしれねえな。……何か隠してあるのか?」


 明彦は怪訝そうな顔で木枠をずらした。下級生部員たちや日野崎もどういうことなのかと固唾を飲んで状況を見守っている。その中は小さな空洞になっていて薄い板のような物が十数枚ほど入っているようだ。彼は手を伸ばして入っていたものの一つを取り出した。


「……DVDディスクだ。『天道館高校映画研究部 作品番号十五番』? それに二年前の日付だ。なんだこれ」

「あーあ。見つかっちゃったか」


 ため息交じりにそう呟いたのは青井だった。「おい。青井?」と咎めるように小菅がにらみつける。だが彼は悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「いや、仕方がないよね? 僕だって協力して見つからないようにできる範囲のことはやってきたんだから」

「その様子だと、青井はこれが何なのか知っているみたいだな」


 明彦の言葉に彼は「まあね」と口の端を持ち上げた。


「うちの部活じゃあ、一年の時に雑用をこなす。そして二年生で『撮影』か『俳優』の役割を選んで実際に映画製作をするっていう話は聞いているだろ?」

「ああ。今、竹ノ塚たちが作っているのがまさにそれなんだろ? 今回は人数が足りないから一年や三年も俳優や撮影を担当しているみたいだが」

「代々そのときに作った作品をこの中に保管しているんだ」


 横で聞いていて「何でそんな隠すような保管の仕方をしているのか」と僕は少し疑問に思ったが、とりあえず青井の話を黙って聞くことにする。


「ただ僕らが一年生の時にはこの部には二年生がいなかった。当時の三年生の先輩と僕らの代だけだったんだよ。だから僕らは一年生の時に映画製作をすることになったんだ。次の年に一年が入ってこなかったら指導する先輩も人手もない状態で作ることになるってんでね」

「それじゃあ、このDVDはお前と小菅の時に作ったものだったのか」

「そういうことだよ。小菅ちゃんに頼まれて隠すのに協力していたってわけさ」


 そんな風に説明する青井を小菅が恨みがましい表情で責める。


「てめえ、青井。ペラペラしゃべりやがって。……どっちの味方だ」

「君に頼まれたことはちゃんとこなしたし、後は僕の責任じゃあないだろう?」と青井は相変わらずのにやついた顔で肩をすくめた。


 先ほどは白を切っていたが、やはり小菅は電気スタンドを壊してこの顔を隠し通そうとしていたらしい。青井も頼まれてそれに協力していたのだろう。そのうち取り出して別の場所に隠すことも考えていたのかもしれないが、それよりも早く僕らが数日で顔の正体に気が付いてしまったわけだ。


 いさかいをおこす彼らをよそに僕はどうしたものかと考えこむ。当初の目的はあの撮影の時に見えた顔の正体をはっきりさせて竹ノ塚さんたちの不安を解消することで、それはもう果たしたのだ。ただ小菅があの顔の正体を知られまいとあれこれ邪魔をしていたのは、どうやらあのDVDの存在を知られたくなかったからのようである。あれの内容がどんなものなのかはわからないが人が隠しておきたがっているものを無理やり見ようとするのは正しいのだろうか。


 だがそんな葛藤とは関係なく、事態は僕を置いていくかのように勝手に進行していく。


「ほほう。じゃあつまり小菅はこれを見られるのを気にしていたわけだ」と明彦がにんまり笑うと「この動画の内容が見たいやつ、手を挙げて! はーい」と掛け声を響かせる。


 彼の呼びかけに「あ、私も見たいです」「気になる」「僕も」と竹ノ塚さんたちをはじめとするその場にいた下級生部員たちのほとんどが賛同の意を表明した。


「いや待て、お前ら。今日は残りの映画撮影を終わらせるんじゃなかったのか?」とどうにか話題をそらそうとする小菅に竹ノ塚さんがもっともらしい顔で首を振る。


「でも、部長? もう日が暮れかかっています。今から撮影したら編集したときに急に空の色が変わっておかしなことになってしまいますよ。それだったら上映室で部長の作品を鑑賞して勉強したほうが有意義に過ごせるかと」


 下級生部員たちにも小菅が見られるのを嫌がっているのは雰囲気で伝わっていると思うが、やはりここまでくると何を隠そうとしていたのか気になるらしい。どんだけ人望が無かったんだ、小菅。


 一方、星原と日野崎は戸惑ったように顔を見合わせている。僕は思わず明彦に「おい。良いのか? 何か小菅は嫌がっているみたいだけど」と問いただした。しかし彼は僕の問いに意地の悪い笑みを満面に浮かべる。


「知らなかったのか? 俺は人の嫌がることを進んでやる男だ」

「状況が違えば模範的なモットーだな」


 だが、この場合ただの嫌な人のような気がする。


「そんなこと言ったってお前だって気になっているんだろ? この中身が」

「……まあ、気にならなくはないが」


 下級生部員たちの雰囲気からしてもどうやらこの流れを止めることはできないようだ。かくして僕らは上映室に移動してDVDの内容を確認するなりゆきとなったのだった。




(※)参考サイト

【赤外線】隠した文字が読めるかな? NGKサイエンスサイト

https://site.ngk.co.jp/lab/no219/

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