第51話 合図と脚本

 作業教室棟の廊下で竹ノ塚さんは不安そうにこちらを振り返る。


「月ノ下さん。本当に隠された顔の場所がわかったんですか?」

「ああ。まだ推測だけどおそらく間違いないと思う。ついでに言うと、撮影の時には見えていた顔を見つからないようにした犯人もね」


 僕の答えに少し前を歩く日野崎が「じゃあ、やっぱり誰かが仕掛けをいじって見えないように隠していたんだ」と反応した。


 あれから週が明けた月曜日。僕は竹ノ塚さんと日野崎たちに「消えた顔がどこに描かれていたのか見当がついた」と連絡して放課後に作業教室棟へ集まってもらったところである。


 映画研究部室に足を向けながら、明彦が不思議そうに首をかしげる。


「しかし、その誰かが顔を見えないように隠したのだとしてなんでわざわざそんなことをしたんだろうな?」

「そこまではわからない。例の顔が見つかれば事情もわかるかもしれないけど」


 僕が眉をひそめたところで隣の星原がすました顔で呟く。


「それにしても小菅くんは機材室をすんなり調べさせてくれるのかしら」

「どうにか断れないように話をもっていってみるさ」


「何か妙案でもあるのか?」と目を見開く明彦に「うん」と僕は頷き返した。

「多分だけど、機材室の窓に見えた顔が見えなくなった件について小菅も無関係じゃない。そこを突いてみる」


「え? それってつまり……」と日野崎が何か言いかけたところで僕らは部室の前にたどり着き「すみません、入ります」と竹ノ塚さんが扉に手をかけた。


 上映室の中にはすでに他の映画研究部員たちが集まっていた。腕組みをした小菅がじろりとこちらを見る。


「竹ノ塚。何をしていたんだ。……少し遅いぞ」

「あのう、それがですね。ちょっと例の顔の件で話がありまして」

「例の顔?」

「はい。あの映りこんでいた顔について月ノ下さんたちに相談していたんですが、どうやら正体がわかったみたいなんです」


 そこで梅島さんが「え? 本当ですか?」と驚いて声を漏らした。他の部員たちにも「正体がわかった?」「やっぱり何かの影とかじゃなかったんだ」とざわめきが広がっていく。


「それで一緒に協力してくれた日野崎さんや雲仙さんにも来てもらったんですが」


 彼女の言葉に続いてぞろぞろと僕らは部屋の中に足を踏み入れた。


 だが小菅は唐突な展開に困惑したようで「待て待て」と押しとどめるように手を上げて僕らを制する。


「何なんだ。そいつらは。部長の俺に何の相談もせずに勝手に調べさせたのか? それに今日は最後の撮影をして編集作業に入るって知っていたはずだろうが。……邪魔になるから部外者は出て行ってくれ」


「その言い分はどうなんだ?」と明彦がここで一歩前に進み出る。


「俺はともかく日野崎や真守は映画に出演したんだろ。無関係じゃない。それに聞いた話じゃ覚えのない顔が映ってみんな気味悪がっていたらしいじゃあないか。それだったら正体をはっきりさせて不安を取り払ってやった方が撮影作業にも集中できる。違うか?」


 だが小菅は彼の発言にふんと鼻を鳴らして「あれはもう見えなくなったんだ。だったら気にする必要はないだろう」と苦々しい顔で答えた。僕はそんな彼に反論する。


「それは間違っている。見えなくなったんじゃない。誰かがあの顔を映し出す仕掛けをいじって見えなくしたんだ」

「何を言うかと思えば。……一体、何の根拠があるんだ」

「あの顔は着替え室にあった電気スタンドの光で映し出されていたんだ。おそらく、僕らが撮影に参加したとき誰かが点けたままにしていたんだろうね。竹ノ塚さんの話では『消し忘れて一年生が注意されることも多い』という話だったから。……だけど、顔のことを調べられたくなかった誰かが事故に見せかけて、あの電気スタンドを壊した。だからあの顔が見えなくなったんだ」

「馬鹿らしい。事故に見せかけて電気スタンドを壊した? 誰がどうやってそんなことができたっていうんだ」


 小菅は語気を強くして迫る。だがその一見すると強気な態度は後ろめたさを隠そうとしているようにも僕には見えた。僕は部員たち全員に呼びかけるように語る。


「先週のクライマックスシーンの撮影のときに殺人鬼役の谷塚くんは窓のカーテンに映った主人公の影に襲い掛かることになっていた。ところが何故か彼は隣の窓に飛び込んだためにその部分のセットを倒してしまった。結果、電気スタンドが壊れた。そうだったよね?」

「ああ、そうだ。だから何だというんだ?」


 苛立たしそうに答える小菅を無視して僕は「谷塚くん」と名を呼んだ。体格が大きい髪を刈りこんだ一年生が「はい?」と返事をする。


「聞いていいかな。君はあの時どうして主人公の、つまり青井がいる窓じゃなくて隣の窓に飛び込んだんだ?」

「ええと。カメラから自分が窓に入るところが見えやすいように壁のセットに向かって斜めに進入しなくちゃいけなかったから。どの窓に青井先輩がいるか見えづらかったんです。でも撮影の時に『奥の窓に入るように指示』があったから……」


 その言葉に竹ノ塚さんが「指示?」と疑問の表情を浮かべた。だがその反応が僕の推測を確信に変える。


「谷塚くん。その指示というのは『例の合図』のことだよね?」

「はい」


「何のこと?」と出入り口の前で話を聞いていた日野崎が首を傾げた。彼女には僕らのやり取りの意味が解らなかったらしい。


「ほら。思い出してくれ。僕と日野崎が撮影に参加したときだ。ゾンビのマスクを被った部員が壁を壊しながら横から現れて、驚かせただろう」

「ああ、あったね。そんなこと」

「あのとき、壁が壊れる仕掛けをしたところに『照明を当てて点滅させる合図』を送っていたんだ。……そう。映画研究部では『仕掛けをしたセットを間違えないようにシーンの直前に合図を送る内部ルール』があった」


 僕はここで竹ノ塚さんに向きなおって確認する。


「竹ノ塚さん。君の話だと電気スタンドが壊れたときのシーンの撮影では、確かこんな演出が入っていたんだよね。『主人公が懐中電灯をつけようとするが明滅して壊れてしまう』とかいう」


 言いながら、準備しておいた白熱電球の懐中電灯を僕がポケットから取り出してチカチカと明滅させると、竹ノ塚さんは「は、はい」と頷いた。


 しかし谷塚くんの方はその話を聞いて「えっ? そうだったんですか?」と驚愕する。やはり「彼にだけ」はそのことが知らされていなかったのだ。


「谷塚くん。『君にあのとき配られた脚本』には今の演出のことが書かれていなかったんだね?」

「は、はい。……今、初めて聞きました」


 竹ノ塚さんが谷塚くんの反応を見てハッとした表情になる。


「えっ、それじゃあもしかして」

「ああ。君たちは『廃屋のセットに逃げ込んだ主人公が追い詰められるシーンの演出』のつもりだった。でもそれを知らなかった谷塚くんからしたら、あの『懐中電灯が明滅する演出』は『奥のセットに仕掛けがしてあるから飛び込め』という指示をされたのと同じだろう」


 文化や知識が未成熟な段階にある相手を教え導くために、方便で行動を誘導するというメソッドは時に有効だ。

 しかしその一つの行動に二つの意図を持たせる手法は、使い方によっては相手に自分の都合のいい行動をとらせることもできる。

 今回の場合は部員たちと谷塚くんに一部異なる脚本を渡して「演出を追加する」ことで、「仕掛けがあるセットについての指示」をそれと気づかずに出させていたのだ。


 それまで無言で立っていた隣の星原が「ふうん」と鼻を鳴らす。


「ということは撮影前に『シーンを変更することを持ち掛けて、脚本をみんなに配った人間』が谷塚くんにだけ『別の脚本』を配って彼の行動を誘導したことになるわ」

「ああ。その人物が電気スタンドを壊れるように仕向けたんだ。そして、確かそのとき脚本を準備して配ったのは君だったんだよな? 小菅?」


 僕の質問に彼は息を詰まらせて、数秒ほど沈黙してから首を振った。


「た、たまたまだ。俺が脚本の変更案を配るときに、あの演出を追加する前のバージョンが紛れていて、それを間違って谷塚に配ってしまったんだ」


 あくまでも白を切るつもりらしい。それならば他の方面から攻めさせてもらう。僕はもう一人の協力者と思しき人間に水を向けることにする。


「じゃあ、青井にも聞きたいことがある。今、聞いた通り谷塚くんは『青井が奥の窓に向かって懐中電灯を明滅させた』のを見て仕掛けのセットの合図だと思ったために飛び込んでしまった。君はわざと奥の窓に向けて懐中電灯を当てたんじゃないか」


 急に名前を出された青井は「はあ?」と困惑した顔になる。


「何を根拠にそんなことを言うんだ?」

「電気スタンドを事故に見せかけて壊すためには、まず奥のセットの裏に配置して、そのセットの窓に合図に見せかけた懐中電灯の光を当てないといけない。……だが何も知らない主人公役がそこまで細かい行動をとってくれるとは限らない。つまり主人公を演じる青井も小菅の協力者だったと考えた方が納得がいく」

「……いやいや。確かに電気スタンドの配置も僕が調整したし、その結果壊れたわけだけど、それは邪推が過ぎるなあ」


 彼は不機嫌そうに鼻白む。そんな彼に僕は続けて問いかける。


「その、『壊れた』というのは本当かな」

「何だって?」

「仮に電気スタンドの電球を壊すことを目的としていたのなら、『谷塚くんをセットに飛び込ませるだけ』じゃあ不確実だ。でも彼がセットを壊すときに一緒に『君が電球を割れば』音がしてもバレにくい。あとは折れた凶器の小道具を一番現場の近くにいた青井がさりげなく電気スタンドの横に置いておけば『谷塚くんが事故で電気スタンドを壊した』ようにしか見えない」

「……」

「『実際には因果関係のない出来事を組み合わせて、関係性を演出するのは撮影テクニックの基本』なんだろう?」


 話に聞き入っていた明彦が「ふふん」と小さく笑った。


「つまり、こういうことか。映画研究部室には卒業した部員たちが残した顔が隠されていたが、そのことを知られたくない人間がいた。だが、たまたま映画撮影の時にそれが映りこんで調べようとした人間、つまり俺たちが現れた。そのことを知って、顔が見つからないように仕掛けに関係している電気スタンドを事故に見せかけて壊したかった。そのために映画の演出をわざと自分の意向で変更させた。そうだろう、小菅」


 名前を呼ばれた小菅は「し、知らん。何の話だ」と即座に否定した。だが、ここで梅島さんがおずおず「そういえば」と口を開く。


「……撮影の前に小道具の凶器の鉈を小菅部長が手直ししたいからといじっていました。例えば何かにぶつけたと見せかけるためにすぐ折れるように仕込むこともできたかもしれません」

「でたらめだ」


 小菅は梅島さんの証言にも頑として首を振り続けた。彼は僕をじろりと睨み返す。


「確かにたまたま谷塚の脚本だけ内容が違っていたし、そのために谷塚は飛び込むセットを間違えた。だが、それだけだろう。お前の言っていることには何の証拠もない」

「じゃあ小菅はあくまでも『自分はわざと電気スタンドを壊させるようなことはしていない、あの映っていた顔を隠してなんかいない』というんだね」

「そうだ」

「自分は例の顔を隠すようなことはしていない。そんなことをする必要はないということで良いんだよね?」


 改めて念を押す僕の言葉に彼は一瞬怪訝そうな顔になるが「……そうだ」と改めて頷いた。そして僕としてはその言質さえ取れれば十分だった。


「それじゃあ、僕らが機材室に入ってあの顔の正体を調べても問題はないね。だって小菅はあの顔の正体を隠す必要はなかったんだろ? なら僕たちのことを止める理由はないはずだ」


 そう。確かに小菅と青井が例の顔を隠そうとしていた明確な証拠はなかった。しかし別に小菅たちがそれを認めまいと大した問題ではない。僕らの目的はあの正体不明の顔を確認して竹ノ塚さんたちの不安を取り除くことなのだ。そのための邪魔をさせない布石として彼らの主張をあえて確認しただけのことである。


「な、いや待て。……部外者のお前らに勝手に部屋に立ち入る権利はないだろうが」

「でも拒む理由もないはずだろう? 権利がどうのということだったら竹ノ塚さんたちここにいる部員に立ち会ってもらえばいい。もちろん物品を壊したりしないように細心の注意を払うし、ものの数分で済む話だ。それでもダメなのかな?」


「ぐ。……勝手にしろ」と彼は不承不承という態度を隠しもせずに絞り出すような声で返事をする。その表情は「お前に見つけられるはずはない」と言っているようにも見えた。


「ありがとう。そうさせてもらうよ。……それじゃあ、竹ノ塚さん。機材室に行こうか。今度こそあの顔の正体をはっきりさせるから」


 そう告げると彼女は「はい」と答えて、僕らはようやく機材室へ移動することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る