第49話 撮影時の事故

「それでは、最後の撮影を始めます。皆さん、脚本の確認は大丈夫ですね?」


 一日前の放課後のこと。竹ノ塚さんは作業教室棟の裏手にある林で映画研究部の部員たちに撮影の準備をするために呼びかけた。しかし、ここで小菅が「待った、竹ノ塚」と声を上げたのだという。


「な、何ですか?」 

「この怯えて逃げ回る主人公が殺人鬼に殺されるシーンなんだが」

「はい。ホラーマスクを被った殺人鬼に手に持った鉈で体を裂かれて主人公が倒れるところですね?」

「ここは、敢えて撮影しない方が良いな」

「えっ? 何故です?」


 彼はやれやれと頭を掻きながら「折角だから教えてやる。……お前らもちょっと来い、演出のテクニックを知るいい機会だ」と他の部員たちにも集まるように告げた。


 下級生たちが小菅の周りに集まったところで、彼は咳払いをして話し始める。


「良いか? 仮に主人公が殺されるシーンをまともに撮影したとするぞ。しかし当然、本当に刃物で人を切りつけるわけにはいかない。だから偽物にしか見えないアルミ箔を貼った刃物で斬る真似をして、血のりが派手に飛び散るだけの安っぽい映像になるのが関の山だ。……観る側だって本当に殺人をしているわけじゃないとわかっているから猶更だな」

「はあ。……それならどうすればいいんです?」

「だから、敢えて映さないんだ。『殺人鬼が刃物を振り上げる』『二人の人影が一瞬重なって片方が倒れる』『ショッキングな音響と血しぶきが飛び散る地面』。これだけで十分だ。肝心の殺人鬼が刃物を切り裂く場面を直接的に描いたところで、嘘くさくなる。だから、不吉な出来事があったことを音響や主人公の所持品が地面に落ちるシーンで暗示的に描写するんだ。それで観客には何が起こったのか伝わるからな」


 竹ノ塚さんは感心したように頷いた。


「つまり視聴者の想像力を掻き立てて、何が起こったのかを脳内で補完させることで効果的な演出になるということですか」

「そうだ。これはプロの映画でも使われている技術だし、色々なところで応用できる。……例えばこれを見ろ」


 小菅は携帯電話を取り出して、ある動画サイトの映像を再生して見せた。


「これは古い西部劇映画のシーンだ。主人公が悪役の撃ってきた弾丸を避けているシーンだな」


 彼の言うとおり、テンガロンハットをかぶった二枚目の俳優がならず者のピストルから発射された弾丸を華麗に避けているシーンが映っていた。


「これはどうやって撮影したかわかるか?」


 一年生部員たちは顔を見合わせる。


「え? スタントマンが当たらないように撃っているとか」

「いや、撮影で本物の銃を人に向けて撃つわけがないだろ。合成じゃないのか」


 後輩たちの見当違いの答えに小菅は呆れたように首を振った。


「どちらも間違いだ。このピストルは『空砲』なんだ。音だけが鳴っているんだ」

「あ。じゃあ、もしかして主人公の後ろで破裂しているのは」

「事前に背後の壁に仕掛けた火薬を音に合わせて破裂させているだけだ。こうすれば主人公が適当に動きまわるだけで、観ている者は弾丸を避けているように錯覚してくれるんだ」


 梅島さんも納得したように呟く。


「へえ。つまり直前と事後の描写だけを撮影して、観客に因果関係を想像させるわけなんですかあ」

「そうだ。実際には因果関係のない場面や出来事を組み合わせて、関係性を演出するのは映画撮影テクニックの基本だ。覚えておくんだな」

「はい」


 この人もためになることを教えてくれることがあるんだなあと、と竹ノ塚さんが感慨にふけっていたところで青井が「でも、ちょっと待ってよ」と手を挙げた。


「『人影が重なったところを映す』と言っても今日の曇り空だと難しいんじゃないかな。照明だと光が強すぎて『夕暮れ』という設定なのに不自然になるし」


 青井の指摘に小菅は言い聞かせるように、ゆっくり言葉をつづけた。


「ああ。だから、『主人公の影が映った窓に殺人鬼が襲いかかるシーン』にしたらどうかと考えている。廃屋に逃げ込んだことにしてな。……壁と窓だけのセットがあるだろう。照明だと不自然なら着替え室の電気スタンドを使えばいい」

「なるほど、あれなら白熱電球だからまだ夕暮れらしいかもしれないね」

「一応、今回のシーンの脚本の変更案も準備しておいた。みんな読んでくれ」


 言いながら小菅は部員たち全員に紙を配る。その内容は主人公が廃屋に逃げ込み、懐中電灯をつけようとするが壊れてしまう。最後は窓がある部屋から逃げ出そうとするが、殺人鬼に追いつかれて殺されるという本来の大筋を変えずに場面をアレンジした内容だった。


 竹ノ塚さんを含む下級生たちは一読してこれならやれそうだと納得し、早速準備を始めた。一年生たちが廃屋のセットを調整し、着替え室から電気スタンドを持ってくる。電源は延長コードで窓から確保して作業は完了した。


「それじゃあ青井先輩、谷塚くん。お願い」


 竹ノ塚さんは主人公役の青井と殺人鬼役の谷塚という大柄な一年生男子に声をかける。


 青井は山道を逃げ回った設定の少し汚れた制服を纏い、ホラーマスクを被った谷塚くんは作り物の鉈を持って「はいはーい」「……大丈夫です」とそれぞれ返事をした。


 そしてカメラの準備もできたところで竹ノ塚さんは「それじゃあ始めます。三、二、一、スタート!」と声をかけたのだった。


 彼女が号令を出すと、すぐに息を荒くした青井が林の中を駆けてくる。その場面を固定カメラで追いながら廃屋の入り口に逃げ込むところまで撮影した。


 続けて、彼に迫るように不気味なムードで殺人鬼が林の中から姿を現したところを別のカットで映す。


 そしていよいよクライマックス。竹ノ塚さんは「畜生! 誰なんだお前! ……何でこんなことするんだよおっ!」と叫びながら逃げる青井を窓が付いた廃屋のセット越しにカメラのファインダーで追いかけた。


 あとは殺人鬼役の谷塚くんが窓に映った彼のシルエットに襲いかかる場面を撮影して終了である。


 しかし異変が起こったのはその直後だった。「くそ! つかない、壊れちまった!」と青井が懐中電灯を明滅させたあとで谷塚くんは何故かカーテンに青井の影が映った窓を通り過ぎてしまったのだ。


 思わず「え?」と声を漏らす竹ノ塚さんの目の前で彼はその隣の窓に飛び込んでいく。そして「ガシャン!」と轟音が林の中に響き渡った。彼は窓に設置していた木枠に衝突し、セットごと倒してしまったのだ。


「……え。カ、カット! 大丈夫!?」


 彼女と他の部員たちは一度機材をその場に置いて、すぐに駆け寄る。


「いてて、大丈夫です。……あれ、おかしいな」


 谷塚くんは困惑したように立ちあがろうとした。しかしそこで「あっ、気を付けて!」と青井が注意をする。見ると足元に破片が散らばっていた。


「……あー、割れちゃってる」と近くに立っていた梅島さんが呟く。


 そう。電気スタンドの電球が壊れてしまったのだ。すぐそばに折れた模造品の鉈が落ちていたところからして、おそらく谷塚くんがぶつけてしまったのだろう。


 それを見て谷塚くんは顔を青くした。部長の小菅は普段から失敗に厳しい。大事な備品を壊したとなれば何を言われるかわからないのだ。


「す、すすす、すみません!」


 とっさに平謝りする谷塚くんに小菅が何か言いそうになるが、その前に「まあ、まあ」と青井がなだめるように両手のひらを向けて割って入る。


「照明の位置を最後に調整したのは僕だ。僕が電気スタンドをもう少し離しておけばこうはならなかった。だからここは壊したのは僕ってことにしてくれ。他の誰も悪くなかった。ね?」


 小菅も「お前がそこまでいうんなら今日はそうしておこう」と彼には珍しく何も言わずに引き下がった。谷塚くんはそのやり取りに「すみませんでした。じゃあ、このスタンドはひとまず部室に戻しておきます」と申し出たのだそうだ。


 こうしてその日の撮影は最後のシーンを別の日に取り直すことを決めて終了したのだった。





 ひととおり竹ノ塚さんの話を聞いた僕は「だから着替え室の電気スタンドの電球が無かったのか」と内心で納得した。


「それで、どこが不自然だったんだ?」と壁に寄り掛かった明彦が首をかしげる。

僕ら四人は一度機材室から出て作業教室棟の廊下で竹ノ塚さんと顔を突き合わせていた。明彦が投げかけた質問に竹ノ塚さんは「うーん」と悩ましげな表情で答える。


「いや、だって。いくら直前に変わったとは言っても脚本で窓に映った主人公の影に襲い掛かるようにかいてあるのに、谷塚くんは何で別の窓にぶつかっていったのかと」


 隣の星原が「もしかして、間違えたんじゃあなくわざとやったんじゃないかと言いたいの?」と彼女の顔を覗き込む。


 竹ノ塚さんは「……はい」と硬い口調で応えた。その言葉に日野崎が目を丸くする。


「ええ? でも何のために?」

「あの電気スタンドを壊して、元の場所に戻したのは彼なんです。つまり団体行動が続いていた中で、谷塚くんだけはあの時一人で部室に入り込むことができたんです」

「つまり谷塚が機材室に入り込んで何かをしたから、『隠された顔』が見つからないんじゃないかって言いたいのか」


 明彦は彼女の推論に難しい顔になる。僕も彼と同じような気分だった。


 仮に彼が隠された顔を見るための仕掛けをいじるために入り込んだとして、なぜそんなことをする必要があるのだろうか。しかし顔が見えなくなった昨日から、部室に単独で入り込んだのが彼だけなのも事実だ。


 今一つ、状況が飲み込めず困惑する中で星原が静かに呟く。


「でも隠された顔が見つからないことに今の話が関係しているのだとしたら、この部屋の仕掛けについてのヒントがその中にあるということにはなるわね」

「……そうだな。とりあえず今日は一度帰ろう。それで情報を整理してからあの顔がどうして見えなくなったのかもう一度考えてみようか」


 僕の提案に他の皆も賛同して、その場は解散になったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る