第48話 機材室の探索

 地面には夕暮れの校舎の影が長く伸びている。白線が引かれたトラックの上を運動部員たちが掛け声をあげながらランニングしていた。


 そんな情景を横目に僕の前を歩いていた明彦が大げさに肩をすくめながら声を漏らす。


「ほほう。『二つの顔』ねえ。あの機材室にそんな逸話があったのか」

「うん。だから単純に昔の映画研究部員たちが残した悪戯みたいなものだったようなんだ。なんでも『見つけられたら良い作品を作れるジンクス』なんだとか」


 授業が終わった僕らはさっそくグラウンドの脇を歩きながら作業教室棟の映画研究部室へ向かっていた。一緒に歩いていた星原と日野崎も僕の言葉にそれぞれ感想を応える。


「そうだとすると、祟りというより肯定的なおまじないみたいなイメージになってくるわね」

「でも『顔が隠されている』ってどういう意味なんだろうね。機材室には映画の資料やポスターとかもあったからその中には俳優の顔を映したものもあると思うよ? でもそれって『隠されている』っていうのかなあ?」


 前を案内していた竹ノ塚さんがすこし困ったような顔で僕らを振り返る。


「あのう、確かに今日は部活はありませんし、機材室に入る許可はもらいましたが。あまり大人数で目立つのはまずいんですけど」

「でも、部屋を調べるなら人手はあった方が良いだろう。なるべく静かに見て回るようにするから」

「……はい」


 問題の機材室を調べることについて、授業の合間に僕は明彦と星原にも声をかけたのだった。明彦は一度は引き下がったものの正体不明の顔の件が気になっていたらしく「小菅のやつと顔を会わせないで済むのなら、俺も付き合う」と話に乗ってきた。星原にも協力を頼んでみたところ「面白そうね」と手伝ってくれることになったわけである。


 竹ノ塚さんは薄暗い作業教室棟の入り口に足を踏み入れると「他の部員は来ないとは言っても、長時間居れば周りの目につきますし、騒いで目立つのもまずいです。静かにお願いしますね」と改めて僕らに警告する。


 僕は「わかった」と頷き「気を付けるわ」と星原が答える。


 一方「任せろ。俺は常に物静かでクールな男だ」と明彦が気取った調子で呟き、日野崎も「あたしだって目立たずに行動することくらいできるよ」と自信満々で言ってのけた。


 二名ほど心配なのがいる気がするが、短時間で調べればどうということはないだろう。そんなやり取りをしているうちに僕らは映画研究部の部室の前に到着していた。竹ノ塚さんが「開けますよ」と開錠して扉を開き、僕らは順々に足を踏み入れる。


「なるほど。……こういう部屋なのね」と星原が興味深そうに室内を睥睨する。


 中の様子は先日と大きく変わったところは見受けられない。


 編集に使うのであろうパソコンとその周辺機械。そして撮影用の機材がその周りの壁に立てかけられている。中央に大きめのテーブルがあり、上に脚本や雑誌、筆記用具類などが雑多に置かれていた。


 窓側には小道具が並べられた作業台と着替え用の小部屋。また上映室がある側の壁に置かれていたのは映画関係の書籍が詰め込まれた本棚である。さらに廊下側にも大きめのキャビネットがあって、映画に使用する大道具やらが窮屈そうに収納されている。


 その雑然とした風情に日野崎が眉をしかめつつ唸った。


「なんていうかあれだねえ。物が多すぎて何かが隠されていても見つけ出すのに苦労しそうだよ」

「確かになあ。これだけの備品があったら、調べた後で元に戻すのも大変そうなんだが。……これ、全部場所を覚えておいて、触ったことをバレないようにしないとまずいのか?」


 明彦の心配そうな質問に竹ノ塚さんが首を振った。


「いえ。一応、私が部室で小道具と書類の整理をする名目で入ったことにしますので。むしろ調べるために室内を片付けてもらった方が良いくらいです」

「そりゃあ良かった」と安心したように彼はため息をつく。

「それじゃあ、早速調べてみようか」

「そうね。じゃあ私は本棚を調べてみるから。月ノ下くんは小道具置き場と着替え室。日野崎さんと雲仙くんで大道具棚の方を見てみるってことでどう?」


 僕の言葉に続いて星原が提案し、明彦たちも「了解」と同意して動き始めた。


 小道具置き場、か。あそこは例の顔が映っていた窓に一番近い。念入りに調べてみるべきだろう。僕はまず窓側の机の上を観察した。兜やモデルガンなどのほか、ウィッグとファンデーションやメイクブラシなどが並べられている。どうやら顔に見えそうなものはないようだ。また机の横には赤、青、緑の透明なカラーパネルが立てかけられている。照明の演出に使うのだろう。


「どうですか?」


 ふと気が付くと竹ノ塚さんが横に立って僕の様子を窺っている。


「今のところ何も見つからないね。……ちなみに役者をする部員は『あそこ』で着替えをするのかな?」


 僕は窓の横にある壁で区切られた小部屋のようなものを指さした。


「え? ああ。確かにあれはそのための場所です。それがどうかしました?」

「画面に映っていた窓から見えそうな場所は、この大机を除くとあの場所が一番近いと思ったんだ。調べても良いかな」

「はい。……どうぞ」


 着替え室は前面は鏡張りになっていて、完全に区切られているのではなく壁がコの字型に並んでいて左側の入り口を大きなパーティションというか衝立で半分ほど遮って見えないようにしている。


 僕は入り口を遮る衝立を回り込むように着替え室の内部を覗き込んだ。そこには三脚や電気スタンドが奥に設置され、横のハンガーラックに衣装が並んでいるだけで怪しいところはない。また入り口側を振り返ると衝立の後ろに大きめの鏡が立てられていたが、これもごく普通の代物だ。


 ただ衝立の造りは少し変わっていて、「黒い大きなアクリルパネル」を木の枠で挟み込むような形で作られていた。ちょっと厚めの構造だ。


「竹ノ塚さん。これって昔の部員が作ったのかな?」

「ええ。昔の大道具係の人が作ったんだと思いますよ」


 こんな大きな黒パネルをわざわざこのために買ったのだろうか? いや待てよ、さっき照明用のカラーパネルがあったな。あるいはあれと一緒に備品として注文したのかもしれない。


 続けて室内に足を踏み入れる。薄暗いので電気スタンドのスイッチを入れたが反応しなかった。よく見ると電球が設置されていない。普段使われていないのだろうか。


 衣装が並べられたラックや棚を見ると、豪華な意匠の剣が目に留まった。作り物だろうが竜の頭をかたどった柄と美しい刀身がゲームに登場する「伝説の勇者の剣」のような風情だ。またその隣には革張りのマントまである。興味深く見入っていると「着てみますか?」と竹ノ塚さんが申し出てくる。


「え? 良いの?」

「はい。……初めてここに入る男子は大体同じ反応になるんです。やっぱり男の子は剣とマントに憧れるんですかね」


 僕は少し心躍らせながら、マントを身に着けて剣を掴んで構えて見せる。しかしそこで透き通った着替え室の壁の向こうに星原や明彦たちが見えるのに気が付いて硬直した。


 馬鹿なことをしているのを見られたか? いや待てよ。この壁は外から見たときは確か鏡張りだったはずだ。


「そうそう、そんな風に外から見られたんじゃないかと思って焦るところまでセットなんですよねえ。……大丈夫です。この壁はハーフミラーです」


 クスクスと竹ノ塚さんが口元を抑えて笑うのをよそに僕は急いで剣と衣装を元に戻した。


「ハーフミラー? ああ。コンビニの窓ガラスでたまに見かけるな。『外が明るいときは鏡みたいに反射するけど、内側からは普通に見える』というやつだっけ」

「ええ。ただ電気スタンドをつけて中も明るくすると、外側からも見えちゃいますが」

「そ、そうなのか」


 電気スタンドに電球がついてなくてよかった。もし点けていたらちょっと恥ずかしい思いをしたかもしれない。


「そういえばこの電気スタンドって使っていないの?」

「いえ、出入りするときは使っていますよ。よく消し忘れて一年生が注意されることも多いくらいです。……ただ、先日電球が壊れてしまって」

「へえ。じゃあ、普段はここでみんな着替えているんだ?」

「いや、その……。昔は衣装も凝っていて、役者が着替えるのにも使っていたようです。そこの三脚にカメラをつけて衣装を着た姿を自撮りしていたんでしょうね。……ですが、ここ数年は衣装に着替えなくてもいいような学園ドラマ的なものばかりだったので半分荷物置き場になっていますね」

「ふうん。ちなみに役者をする人は決まっていたりする?」

「そうですね、うちの部活は一年生のうちは大道具や照明とかの雑用で映画撮影の流れを覚えるんです。そして二年生以上になったら『脚本・撮影』『衣装・俳優』の二つの班のどれかを選んで担当することになっています」

「なるほどね。『全体のストーリーを作って撮影する人間』『衣装を着て演じる人間』。どちらが欠けても映画は作れないものな」

「まあ、みんな自分の得意分野をやりたがるんですよ。一応、両方の役割を経験したほうが勉強になるとわかってはいるんですけどねえ」


 少しきまりの悪い顔で竹ノ塚さんが僕に応えたところで着替え室を出ると、星原が「どう? 何か見つかったの?」と近づいてきた。


「いいや。そっちは?」

「一応、本棚の中を一通り調べてみたけれど。特に何も出てこなかったわ」

「……そうか」


 そうなると明彦たちの方に収穫がないか、期待するしかなさそうだ。僕は振り返って彼らの方に声をかけてみる。


「そっちの方はどうだ? 何か見つかった?」

「……残念ながら何もないよ」と日野崎が顔をしかめて答えた。


「カメラ用のレールやら背景用の壁板とか重いものがあるから調べづらかったぜ。一応可能な範囲で確認したが顔に見えるようなものは無かったな」


 明彦が疲れた表情でこっちを見る。何か隠されていそうな場所はほとんど調べたはずなのだがどうしたことだろう。


「一応何か隠されていないか、小物や書類も整理したんだけどねえ」


 ぼやきながら日野崎はぐるりと部屋を見渡す。確かにいろいろ雑多なものが積み上げられていた中央机も物品が綺麗に片付けられていた。


「わあ、ここまで丁寧にしていただいて。すみません。……あ、折角なので机を拭いてしまいますね」


 言いながら竹ノ塚さんは部屋を出て行った。隣の上映室に掃除用具入れがあったはずなので、そこから雑巾を取ってくるのだろう。その後ろ姿を見送っていると、日野崎が彼女らしくもない肩を落とした様子を見せる。


「これだけ探し回ったのに見つからないなんて。本当に顔なんて隠されているのかなあ」


 明彦も頭を掻きながらため息をついていた。二人とも時間をかけた探索が徒労に終わったことに疲弊しているようだ。一方、星原はというと何故か興味深そうに本棚を眺めていた。


 そこに竹ノ塚さんが戻ってきて机を拭き始める。僕は時間を作ってくれた彼女に申し訳なく思いながらも、この場をお開きにすることを切り出すことにした。


「ええと。竹ノ塚さん。……今日はもうこれ以上探しても収穫はないみたいだから。一度、出直そうかと思うんだ」


 その言葉に竹ノ塚さんが「そうですね。本当なら正体をはっきりさせて部の皆を安心させたいところですが」と残念そうな顔をしながら呟く。


 明彦が「まあ、また機会を見つけて調べに来ればいいさ」と肩をすくめたところで、星原が「あ、待って」と声をかけた。


「どうかしたのか?」

「いや、あのう。竹ノ塚さん。そこにある本棚にあった作劇法についての解説本が面白そうだから読んでみたいのだけれど。借りてもいい?」


 どうやら彼女は本棚を調べていた時に気になる本があったらしい。小説を書く趣味があるので参考にしたいのだろう。


「恥ずかしながら、うちの部員たちはそういう本を読むのを面倒くさがっていて。多分普段から誰も手に取っていないので、持ち出したところで気づかないでしょうね。大丈夫ですよ。読み終わったら私に返してくれるのであれば」


 竹ノ塚さんは雑巾を片手に苦笑いしてみせる。星原は彼女の言葉を受けて本棚に手を伸ばした。


「ありがとう。二日くらいで返すから」

「それじゃあ早く出ないと。電気消すよ」と日野崎が星原を待たずに部屋の電灯のスイッチを切る。明彦や竹ノ塚さんも廊下に足を踏み出そうとしていた。


「……それじゃあ行きましょうか、月ノ下くん」


 彼女も部屋の外に出ようと声をかける。だが、僕は他のことに気を取られて立ちつくしていた。


「何だ、あれ?」

「え?」


 僕の指さす先にあるものをみて、星原は「あ」と驚いた顔になる。電気を消して薄闇が広がっている部屋の壁に突如として顔が映っていたのだ。艶やかな髪をショートカットにした目鼻立ちのくっきりした美女の顔である。


「まさか、あれが隠された顔の一つなのか?」と明彦が部屋の中に戻ってくると顔は見えなくなってしまった。


「あれ? 消えた」と彼が一歩下がると再び「顔」が姿を現す。どうやらどこかから顔を投影しているようだ。僕は背後を振り返って暗闇の壁に顔を映し出している光源を探そうとした。そしてそれはすぐに見つかる。


「本棚だ。本棚の奥に小さな穴が開いていてそこから『顔』が映し出されているんだ」

 星原が調べていた本棚はこの機材室と上映室を区分している壁、つまり間仕切りに接するように置かれている。そして、その間仕切りにわずかな光線が差し込む隙間が存在しているのだ。もっともその隙間もほとんどポスターなどで反対側が塞がれているようなのだが、たまたま「星原が本を取り出した場所」の裏に極小の穴が開いていて、そこから顔が投射されていたのである。


 撮影の時に見えた顔とは位置も形も全然違うが、おそらくはこれが「隠された顔」の一つ目で間違いないだろう。薄暗がりの中、星原が考え込むような表情で竹ノ塚さんに向きなおる。


「竹ノ塚さん。さっき雑巾を取りに行ったとき、上映室に入ったのよね?」

「え? ……はい。あ、そういえばその時に電気を消し忘れていました」

「なるほど。そしてこの本棚の向こうは『上映室』。つまりカメラ・オブスキュラの原理だわ」

「カメラ・オブスキュラ?」

「世界最古のカメラの仕組み。ピンホールカメラと言った方がわかりやすい?」


 ピンホールカメラ。そういえば子供の頃に何かの実験で作ったような気がする。のぞき窓を上面に作った四角い箱の側面に小さな穴を開けると「上下左右が逆転した穴の向こう側の景色」が投射されるというやつだ。そのとき僕は不意に思い出した。


「そういえば、上映室の壁には変わった染みがあったな。単なる経年によるものかと思っていたが、逆さまになった女性の顔が描かれていたのか」


「ああ、なるほど。あの汚れがそうだったんだ」と日野崎が感心したように呟いてから「それで、この女性って誰なの?」と首をひねる。


「おいおい。知らないのか?」と明彦が呆れたように額に手を当てた。


「オードリー・ヘップバーンだぞ。確かに半世紀以上前の女優だが世界的に有名だろうが」


 ああ。よく見ればそのとおりだ。僕もさすがに「マイフェアレディ」などで知っている。ただ、元々が壁の汚れに見せかけて描写されていたので、輪郭が弱くてわかりづらく気づくのが遅れた。明彦は壁に映し出された顔を見ながら更に続ける。


「この髪型は多分『ローマの休日』で王女を演じたときのヘアスタイルだな。あの新聞記者とのたった一日の切ない恋愛に感動したもんだ」


 明彦と僕らの話を聞いていた星原が記憶を探るように額に手を当てる。


「そういえば、蒲生先生の話だと『昔の映画研究部員たちはモノクロ時代の映画も鑑賞して勉強していた』のよね。確かに『ローマの休日』はその頃の映画の名作ではあるけれど。……そうだとすると、もう一つの顔もそれに関係するものなのかしら」

「でも片方がカメラ・オブスキュラとかっていう反転画像のトリックで見えるようになっていた。これって『もう一つ何かの仕掛けがある』ってことだよね」


 日野崎が考え込みながら呟く。確かに彼女の言うとおり、この流れからすると何か仕掛けを解かなければ隠された顔を見つけることはできないのだろう。だが、二日前に外で撮影したときには見ることができたはずなのだ。それがなぜ見つからないのか。


「映画を撮影していた二日前の夕方と今で何かの条件が変わっているのかな。例えばだけど。誰かが顔を見るための仕組みをいじっていたとか」


「あっ! そういえば……」と竹ノ塚さんが僕の疑問に何か言いかける。


「何か、心当たりでもあるのか?」

「昨日、部活をしていた時に不自然なことがあったんですよ」

「不自然なこと?」

「はい。最後の撮影をしていた時のことなんです」


 彼女は首をかしげながら前日の部活であった出来事について語り始めた。

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