「カリフォルニアから来た娘症候群」とモニュメント騒動

第35話 モニュメント騒動

 人間は普段は何とも思っていない店や商品でも「閉店」「販売中止」となると急に価値があるように思えてくる。


 こういう心理の応用で、一昔前に閉店セール商法というものがあったそうだ。「閉店セール!」「本日で閉店しますので在庫整理のため値引きします」という看板を店が出すのだが、実際には翌日以降も店は営業している。しかし「閉店してしまう」と聞くと「ここのお店の商品はもう買えなくなってしまうのか」「普段よりも値引きしているだろうし得だろう」と信じ込んだ客が購入するのだ。


 ある客は「閉店セール」と聞いて品物を買い込んだのに次の日も営業していると知って店に問い詰めたところ「うちは毎日十九時に『閉店』しているので嘘はついていません」と言い訳したとかしなかったとか。


 閑話休題。それくらい人は身のまわりのものが無くなることに喪失感を覚えて、失われると知った瞬間から惜しく思えてくるということだろう。地方にある過疎化した鉄道も採算が取れずに廃線になると決まると「もう乗れないのか」「それなら今のうちに」と鉄道ファンが押し寄せてくるなんて話もある。


 他の例を挙げるならば、あるいは。


「あのお菓子。やっぱりもう売っていなかったなあ」


 隣を歩く明彦は残念そうにぼやいていた。僕は軽く肩をすくめてみせる。


「そりゃあ、先月には製造中止が発表されていたんだろう? お店でも在庫が無くなったら置かなくなるだろうさ」


 四月も下旬にさしかかったある日の放課後。僕はお調子者だが憎めない我が悪友たる明彦と掃除当番を済ませて実習棟から本校舎の教室に戻ろうとしていた。


 彼が話題にしていたのは、先日ニュースで報道された製造中止になったスナック菓子の事だ。僕らが子供のころから売られていた長年人気を博していたお菓子だったのだが、ここ数年売れ行き不振のために今後は作られないことがメーカーから発表されたのだった。その話を聞いた明彦は「そういえばしばらく食べていなかった」「小学生の頃は好きで毎日食べていたのに」と残念がって何とか手に入れようとしたのだが、すでにコンビニやスーパーでも手に入りにくい状態になっていたらしい。


「そもそも、いきなり製造中止にすることもないと思うんだよな。アレ、結構美味しかったしスナック菓子としてはメジャーなほうだったはずなのに」

「『メジャーなほうだった』というわりに明彦は何年も買っていなかったんだろう? つまり他の商品に押されて買う人が少なくなっていたってことなんだから仕方ないんじゃあないか?」

「でも、もう食べられないとわかると余計に食べてみたくなるんだよな。……真守だってあのお菓子好きだっただろう?」

「確かに好きだったけどさ。……でもだからって、そういう品薄のものを欲しがる発想が買占めや転売を助長するんじゃあないかな」


 僕が安易に目先の情報に飛びついて、注目された品物を欲しがる風潮に異を唱えたところで彼はまじめな表情を作って頷いて見せる。


「なるほど。つまり、次に販売が中止になりそうなものを見つけて買い占めろというアドバイスか」

「人の話を聞けよ」


 僕の言葉をどう解釈しているんだと言い返しそうになった、ちょうどその時だった。


「やあ。しばらくだね。月ノ下くん」


 本校舎の入り口からメタルフレームの眼鏡をかけたキャリアウーマンと言った風情の少女が僕の前に現れる。同じ学年で清瀬くるみという新聞部の生徒だ。


「清瀬。……珍しいな。そちらから声をかけるなんて」


 彼女と僕ははっきり言って考え方が合わず、過去に何度か気まずい空気になったことがある。しかし、ある事件のトラブル解決で情報提供してもらったこともあるので「お互いに距離を置いてなるべく貸し借りを作りたくない間柄」といったところだろうか。


 隣の明彦は美人とみるとテンションが上がるのかヒュウと小さく口笛を吹いていた。一方、校舎入り口の壁にもたれていた清瀬は軽く眉をしかめながら僕に足を踏み出す。


「実はだね。君に頼みがあってきたんだ」

「清瀬先輩。……その人がモニュメントの件を何とかしてくれるんですか?」


 彼女の横に立っていた男子生徒が胡乱な表情で僕らを見ていた。ネクタイの色からして二年生だろう。髪をスポーツ選手のように軽く刈り込んでいて、気さくそうな造作である。クラスの中ではそれなりに目立つポジションというイメージだ。


「ああ、両国くん。彼はこういう面倒な案件を何度か解決していてね。私も一度、関わったことがある」

「へえ。それじゃあ石像を壊した犯人も見つけてくれるんですね?」


 モニュメント? 石像? 両国と呼ばれた少年が口にした単語に僕は思わず目を見開く。


「ちょっと待ってくれ。もしかして、清瀬が相談しようとしているのは例の『モニュメント騒動』のことなのか?」


 彼女は軽く肩をすくめて「いかにも。一週間前に起こった『石像破壊事件』だよ」と答えたのだった。






 うちの学校の本校舎の裏手には小さな緑地地域があるのだが、その片隅に小さな石像が何十年も前から設置されていた。


 それは「薄手の服を纏った少年」をかたどったもので、台座を含めて高さ二メートル程度のモニュメントである。ただ、一部が破損しているらしく台座の左隣が少し空いている状態だった。


 そして緑地地域とこの石像を手入れしていたのが一人の用務員だったのだが、彼は最近体調を崩していたらしく、学校側に「老齢により業務が負担になったため辞職を考えている」と申し出た。そして、これを受けた職員会議で「元々一部破損しているようだし、いっそ撤去したほうが良いのではないか」という提案が提出されたのだそうだ。


 ここまでは、さして注目を浴びることのない話である。だが状況が変わったのは、数日後のある雨の日だった。


 校内の実習棟横で老朽化した倉庫を解体する工事が行われていたのだが、「郷土研究部」という地元の史跡や文化を研究する部活の生徒たちが、偶然にあるものを雨で休止中の工事現場で見つけたのだ。


 それは石像の破損していた部分である「小鳥」をかたどったものだった。


 さらに彼らが調べたところでは、件の石像は地元出身の芸術家が学校創立時に寄贈した「記念碑的な芸術作品」であるらしい。その芸術家は童話をモチーフとした像を作成するのが代表的な作風で、石像も何かの物語で「小鳥とたわむれる少年」のシーンを描いたものだったのだそうだ。


 郷土研究部員たちは「破損した部分も合わせて修復すれば、かつての芸術作品がよみがえる。緑地地域も含め、後輩に引きついていくべき財産であるはずだ」と主張して、石像の撤去に反対する運動を始める。


 彼らはビラ配り、署名集めなどで一般生徒にも自分たちの主張を訴え続けた。一部の生徒たちからも興味本位か賛同する者がいたらしく、その運動は一定の成果を上げて署名もある程度集まっていたようだ。


 だが、郷土研究部は数日前に何故か唐突にその運動を停止した。


 噂では「部室に置いてあったはずの『小鳥の石像』が誰かに壊された」のだということだった。真相ははっきりしないが、事件があったらしい先週の水曜日以降に郷土研究部員たちが「怪しい人間を見なかったか」と同じクラスの人間に尋ねて回る様子は校内でも目撃されていた。

 

 だが事実はどうあれ、僕個人には関係のない話だろうと考えていたのだが……。







「つまり、その郷土研究部で石像が壊されたっていう話は本当だったのか」


 僕の呟きに目の前の二年生男子は仏頂面で頷いて口を開く。


「聞いているのなら話が早い。改めまして郷土研究部の両国和弘りょうごくかずひろです」


 彼は自分の主張を改めて表明するかのように、続けて訴える。


「俺たちが学校の大事な財産を発見したというのに、先生たちはあのモニュメントを撤去してついでにあの一体の緑地地域もつぶして空き地にしようとしているんですよ。だから何とか残そうとしていたのに。先週の水曜日、部室に置いておいた鳥の石像が壊されたんです。……つまり誰かが俺たちの活動を妨害したわけですよ。これは問題として提起するべきだろうと新聞部に話を持ち込んだのですが、『事実がはっきりしないうちに記事にすることはできない』と言われまして」


 ここで清瀬が眉をしかめつつ口をはさむ。


「『それじゃあ、誰か調べてその事実をはっきりさせてくれる人間はいないのか』と重ねて私のところに持ちかけてきたのでね。そこで、君のことを思い出したわけだ」


 隣の明彦がニヤリと笑って僕を小突いた。


「新聞部の才女に当てにされるとはやるじゃん」

「本気でそう見えるのか?」


 どう見ても面倒ごとを押し付けられている有様だろう。


「正直言って、あまり頼りになるようには見えないですが。学校の財産を後世に残せるかどうかが懸かっていますので。よろしくお願いします」

「いや、ちょっと?」


 両国くんの一方的な言葉に思わず困惑してしまう。僕はまだ引き受けるなんて言っていないのだが。


「俺たちは本校舎裏のプレハブ小屋を部室にしていますので。何かわかったら報告お願いします。それでは」


 彼は言いたいことだけ告げると、くるりと背を向けて去って行ってしまった。残された僕は清瀬に「おい」と不満を込めて一歩前に踏み出す。


「いくら何でも、今の流れで僕にこの問題を押し付けようというのは……」

「まあ。待ちたまえ」


 文句を投げかけようとした僕を押しとどめるように、清瀬は両手のひらを見せて宥める様な仕草をしてみせた。


「確かにこの一件を調べてほしいというのは、両国くんの意向だがね。私としても引っかかっていることがあるんだ」

「引っかかっている?」

「あの石像なんだが、地元出身の芸術家の作品だというのは本当らしい。ただあくまで私的な好意で寄贈したもので作品目録には載っていない」

「じゃあ、まさか本当はその人の作品じゃないとか?」

「いやモニュメントに作者名が書いてあるから、その作家さんの作品なのは本当かもしれない。だが設置当時の写真が探しても見つからなかったんだ。だから彼らが発見したというモニュメントの一部が本物なのか、わからない。まあ先生に聞いた話では確かに鳥と少年が寄り添っているようなデザインだったらしいが」

「つまりあれか。両国くんの要求するような『貴重な作品の破損部分が発見された』『取り壊しの反対運動をしていたが、それを妨害するかのように石像の欠落部分が壊された』というセンセーショナルな記事を書こうにも、前提となる事実が本当なのかどうかがはっきりしなくて書けないと」


 清瀬は「いかにも」と大げさに肩をすくめる。


「情報元が自分の都合のいいことを主張するために事実を捻じ曲げたタレコミをする、なんて実際の新聞社でもある話さ。もしかすると石像を保存するという目的を達成するために事実を誇張しているんじゃないかとね。だから『記事にする前に裏が取りたい』と考えていたんだ」

「……いや、もっともらしいことを言うが要は清瀬も僕に火中の栗を拾わせて、美味しいところだけ持っていきたいってことじゃないのか?」

「そう言うな。私だって君に協力して情報提供したことはあるだろう」

「だとしてもただで動く義務はないね」


 僕が不機嫌さを隠そうともせずに立ち去ろうとすると、清瀬は「わかったわかった」と制服のポケットから紙切れを取り出して僕に差し出した。


「これは?」

「今度、近隣のイベント会場で開かれるフードフェスティバルのチケットだ。この間、一緒にいた星原さんだったかな。彼女と行ってくればいい。前払いの報酬だ」


 まあ確かにこの先も何かの件で清瀬に協力を頼む可能性はあるし、報酬も渡すと言っているのにむげに断るのは良くないかもしれない。


「……何もわからなくても文句は言わないでくれよ」


 僕はため息をついてチケットを受け取った。横で傍観していた明彦が「ほう」と鼻を鳴らして笑う。


「面白そうな話になったな。俺も手伝うぜ」

「明彦は単純に野次馬根性を出しているだけだろう」


 僕は呆れた顔で彼を振り返る。清瀬がそんな僕らを横目に「じゃあ頼んだよ」と踵を返し、その場はお開きになったのだった。

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