第34話 スポットライト症候群と青梅ほのかの過去

「それはスポットライト症候群というものだったのかもしれないわね」


 数日後、いつもの放課後の勉強会のときに僕は星原に事の顛末を説明すると彼女はそんな風に呟いた。


「スポットライト症候群?」

「ええ。正式な心理学用語ではなくていわゆる俗語らしいけれど。要は一度周りの注目を集めた人間がそのときの快感を忘れられなくて、もう一度注目されたいという欲望にとりつかれる状態のことなの」

「そういうことか。……しかし、あれだな。石神くんの場合、その自分が目立つ機会というのが土砂崩れで園芸部員たちが温室に行けなくて困っている状況のことだった。自分がもう一度脚光を浴びるための舞台が『人が災難にあっている状態』っていうのが問題だったんだな」


 だから彼は自分にスポットが当たるステージをつくるために、自分の手で災難を作らなくてはいけなかった。


「災難が来ないと活躍できないというわけね。実際、世の中には消防士とか救急救命士みたいに『絶対に必要な存在だけれど、活躍する機会が来ることを期待してはいけない職業の人』っていると思うわ」

「そういう人たちが活躍する状況っていうのは『誰かが命の危機に瀕している』状況だからなあ。……平時は立場を軽んじられることもあるかもしれないな。消防士なんて普段訓練をしていたら『掛け声がうるさくて近所迷惑だ』ってクレームが来ることもあるくらいみたいだし」


 彼らは万が一の災害が起こったときに誰かを助けるために訓練を積んでいる。しかし何も起きない日々が続いたからといって『訓練の成果が発揮できない。事件が起こってほしい』なんて思ったりはしないだろう。自分たちの訓練した成果を発揮するような状況にならないことを本来は願っているんじゃないだろうか。


「石神くんは自分の活躍する機会が欲しくて間違いを犯したみたいだけどね。結局園芸部の人たちは『土砂で通れなくなって温室に水やりができない状況を解決した』石神くんのほうが、『土砂崩れが起きないようにしていた』青梅さんよりも立派に見えていたってことなのよね。……青梅さんが黙っていたからわからなかったのもあったけれど。」

「ああ。よく問題が起こってから後手で対応する手際の悪さを『泥棒を見つけてから捕まえる縄をなうようなことだ』とかいうけど。でも泥棒が現れてもいないうちに縄をなう行為は傍目に見たら無駄で愚かしい行為に見えてしまうのかなあ。後から対応しているほうが有能に見えたりして」

「そういえば、青梅さんはあれから園芸部とどんな雰囲気なの? クラスは同じだけれど部活関係の話はあまり耳に入らないのよ」

「結局あれから書道部としてのんびり活動しているみたいだ。園芸部の人たちも一度は青梅さんのことを『人知れず、土砂崩れが起きないように一人で頑張っていてくれていた』って評価はしたけど、もう半分忘れかけている感じだな」

「ふうん。でも私が見る限りでは特に暗い様子もないし、あまり本人は気にしてなさそうね」


 そう。彼女は石神くんとは違っていた。自分が注目されなくなっても特に気にする様子もなく普段通りの彼女に戻っていたのだ。その態度をどこか好ましく思う一方、僕はそんな風にふるまえる姿勢はどこから来るのか少し不思議にも思っていた。






 暖かい春の陽光が本校舎の廊下を照らしだしている。僕は掃除当番を終えて渡り廊下から教室に戻ろうとしていた。すると、見覚えのある女子生徒が階段を下りてくる。


「ああ、青梅さん」

「月ノ下くん。……この前はありがとう」


 彼女は少し驚いて目を見開きながらも、僕に頭を下げた。


「いや。結局最後の手掛かりを見出したのは青梅さん自身だよ。青梅さんが制服についた匂いに気づかなかったらどうしようもなかった」

「それでも、月ノ下くんと雲仙くんが一生懸命調べてくれたから汚名を返上できたことに変わりはないもの」

「そうか。……あのさ、一つ聞きたいことがあったんだけど」

「何?」


 彼女は僕の言葉に小首をかしげてじっと見つめ返す。


「この間の園芸部員たちが石神くんを追い詰めたときのことなんだ。日野崎から聞いたんだけど『君が彼女に鉢植えを土手の岩場に置いてもらうように事前に頼んだ』って本当なのか?」

「ああ。そうか。日野崎さん話しちゃったんだ」


 青梅さんは頭を掻きながら困ったような顔で答えた。そう。日野崎は青梅さんから頼まれて、僕らと園芸部員たちが石神くんのことで揉めている隙に鉢植えをあの土手の中腹に置いておいたのだ。


 思えば、あの時に真っ先に鉢植えがあの場所にあることに気が付いて指摘したのも青梅さんだった。そして石神くんに何とかするよう促して、その後で彼を責めないように園芸部員たちに訴えかけたのも彼女である。


「いや、別に責めているわけじゃあないんだ。確かに鉢植えが何かの間違いで転がり落ちて壊れるリスクはあったけど、おかげで石神くんを必要以上に糾弾する雰囲気をいさめることができた。でもどうしてそんな『石神くんのために見せ場を作ってあげる』ようなことをしたのかと思ってさ。青梅さんからしたら彼は加害者じゃないか」

「ああ。あの、ね。……ちょっとした昔ばなしなんだけどさ」


 青梅さんはほんの一瞬沈黙してから、どこか遠い目で語り始めた。


「私、子供のころから体が弱くて、どんくさくて。周りの子たちにどうにか相手にしてもらっている、みたいなポジションだったの。でもそんな私にも得意なことが一つだけあったんだ。それがトランプの神経衰弱だったの」


 僕は小さく頷いて彼女の話に聞き入る。


「ある時、たまたま友達の家に遊びに行ったときに友達のお母さんが出してくれたケーキが一つ余ったんだ。それで誰が食べるかって話になったときに『トランプの神経衰弱で決めよう』って話になったの。私はそれで『これは自分が得意な分野だ。友達の前ですごいところを見せるチャンスだ』と思ったわ」

「それで、どうなったんだ?」

「私は他の子を圧倒する勢いで、半分以上のカードを取ったの。でもね。途中で友達の一人が『やっぱり神経衰弱で決めるのはやめようよ。こんなので決めてもつまらないし』って言いだしたんだ」

「えっ?」

「それを言い出したのはクラスでも立場の強い女の子だった。他の友達も普段目立たない私が自分たちを負かしているのが気に入らなかったのかもしれないね。『そうだね』って賛成したんだ」


 彼女はその時のことを思い出したのだろうか、悲しそうな目で歯を食いしばるように小さく口を歪めていた。


「別に私、ケーキが食べたかったわけじゃないよ。ただ、当時の私にとってはそれだけが他人に勝てる唯一のことだったの。『最後の砦』だったの。……でもそれをあっさりなかったことにされた。もちろん勝負には実質勝ったことに変わりはない。でも『お前が御大層にこだわっていることなんて周りからしたら取るに足らないつまらないことなんだ』って一蹴された気持ちになった。信じていたものが足元から崩された気分になったの」


 僕が前に星原に話したゲームが得意な少年の話とは似て非なる展開だ。


「じゃあ、つまり」

「うん。私は良かれと思って、大雨が降っても園芸部の温室に行けるようにって排水溝を作った。だけれど、石神くんは雨が降って階段道が通れなくなったら自分でも活躍できるって、ずっと心待ちにしていたんだよね。私は彼が活躍する唯一の機会を、『最後の砦』を気づかずに踏みにじってしまったんじゃないかって。私がされてものすごく苦しかったことを、彼にしてしまったんじゃないかと思って、ね」


 彼女は石神くんの過去の話を聞いて、そんな風に感じていたのか。


「だけど、それを言ったら青梅さんだって。僕はもう少し報われていいと思うんだけどなあ。だって、去年からの数か月間に泥が階段道に流れ込まなかったのは青梅さんが一人で頑張っていたからなんだろ。でもそのことをもう園芸部員たちも半分忘れかけている」

「別にそんなこと、もう良いよ。……私ね。今回のことで自分にできることがあるって気が付いたんだ」


 青梅さんは打って変わって明るく笑って見せた。


「できること?」

「うん。ほら、私の鼻が敏感だったことが少しは役に立てたから。今まで匂いに敏感で辛いことばかりって思っていたけれど、これを生かして調香師になろうかと思うの。今からでも化学系か薬学系の学部を目指そうかと思って」


 つまり、彼女は周りに評価されなくとも「自分にできることを発揮する場所がある」というそのこと自体に希望を見出していたのだ。


 僕はそこに石神くんと彼女の違いを見つけた気がした。石神くんは少なくとも小学校時代には賞賛された経験があった。だからこそもう一度注目されたいという欲望にとらわれていた。


 だが、青梅さんはそうではない。唯一自信があった神経衰弱でも、周りから褒めてもらえなかった。だから心のどこかで「周りの物差し」に見切りをつけていて、「誰かに見てもらえなくとも、自分だけは自分の価値をわかっている、そう思えることを見つけ出すべきなのだ」という気高さが心の中で知らず知らずのうちに育っていたのかもしれない。


「青梅さんは、すごいな」

「月ノ下くんのおかげだよ。……ううん。月ノ下くんだって、凄いと思う」


 彼女は少し顔を赤らめながら、僕に一歩踏み出した。


「何の得もないのに私のことを助けようとして、いろいろ聞いて調べてくれたり、園芸部の皆に反論してくれたり。本当に嬉しかったんだ」

「そ、そう?」


 元々は日野崎の曲がったことは許せない気質に巻き込まれたようなものだったのだが。


「こんな素敵な人が身の回りにいるのなら、もっと早く親しくなりたかったと思って……」


 青梅さんは僕のすぐ間近まで顔を近づけたところで、不意に無表情になった。


「……? どうかした?」

「あの、月ノ下くん」

「何?」

「私、クラスで星原さんと席がすぐ隣なんだけど」


 そういえば星原もそんなことを言っていたな。


「月ノ下くんから、星原さんと同じ匂いがしていて……」

「えっ。ああ、そうか。……いや、実は僕は彼女と時々放課後に勉強会をしているんだ」


 僕は「それで、この間たまたま制汗スプレーを借りたからその匂いだ」と説明しようと思ったのだが、青梅さんが「あ、そうなんだ」と最後まで僕の言葉を聞かずに明らかに気まずい表情になる。


「うん。まあ、そのことは黙っておくから」

「……? そうか。ありがとう」


 確かに星原と二人きりで勉強会をしているのを必要以上に知られるのもあまり良くはないかもしれない。そのまま青梅さんはいそいそと速足で歩き去って行ってしまった。


 なんだか、急に変な雰囲気になったな。どういうことだろう?


 僕が何とはなしに首をひねっていると「……何かあったの?」と急に背後から声をかけられる。振り返ると立っていたのは黒髪で色白の少女、星原だった。


「ああ。星原か」

「青梅さんと話し込んでいたみたいだったけど」

「うん。実は……」


 僕は「青梅さんが石神くんの見せ場を作るために、鉢植えを日野崎に頼んで土手に置いてもらったこと」や「彼女が過去の経験から石神くんに同情していたこと」などを簡潔に説明した。


「ふうん。青梅さんにそんな事情があったのね」と星原も相槌を打ちながら僕の話に耳を傾ける。しかし最後のほうの青梅さんが「僕から星原と同じ匂いがすることに気が付いた」くだりのところで星原は唐突に顔を真っ赤にして、僕をにらんだ。


「つ、月ノ下くん」

「何だよ」


 声まで上ずっている。


「それ。多分、彼女は私たちが放課後に勉強会と称して日頃『体の匂いが移るような行為』をしていると勘違いしているんじゃないの?」


 体の匂いが移るような行為? 数秒間考えて「あっ」と僕も彼女の言うニュアンスに気が付いた。星原は眉をしかめて僕の顔を覗き込む。


「私、彼女と同じクラスなわけだけれど」

「……はい」

「明日からどんな顔で会えばいいのかわからないわ。この責任の一端はあなたにあるのではないかしら」

「え、ええ?」


 制汗スプレーを使ってみるかと勧めたのは星原だったような気がするが。


「ついては、この精神的負担を軽減することと今後の方針を話し合うことを目的としてあなたの財布でもって、帰りにケーキ屋さんにでも寄るべきではないかと進言したいと思って……ちょっと月ノ下くん、どこに行くの?」


 僕は彼女の声から逃げるようにその場を離れる。


 彼女がストレス解消もかねてケーキ屋によるとなれば僕の財政にどれほどの負担がかかるかわかったものではない。


「待ちなさい」と背中に追いすがる恐ろしげな声を聴きながら、どんな特技や才能よりも今この危機をどうにかできる特技が欲しいと心の中で僕は願ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る