第30話 犯人の本当の動機

 窓の外に見える空は薄紫色に染まりはじめ、どこか物寂しい空気が漂っている。


「それはまた、ややこしい状況ね」 


 目の前のブレザー制服を着こんだ黒髪の少女は僕を見つめ返しながらそう呟いた。御嶽さんから得た手掛かりをもとに三人の男子生徒から話を聞いた翌日の夕方である。


 僕は図書室の隣の空き部屋でソファーに腰掛けつつ「ああ。どうしたものかと思ってさ」と頭を軽く掻きながら彼女に応えた。


 数日ぶりに放課後の勉強会に参加したところ、勉強が一段落したところで星原から「ここ数日、忙しそうだったけれど何かあったの?」と心配そうに訊かれたので、僕は彼女にここまでの経緯を簡単に説明したのだった。 


「園芸部の温室のことを知っている部外者はそんなにいないと思うんだけど、鉢植えを持ち出した時間帯は三日前の十九時以降。でもその時には雨が止んでいたから『行き来したのなら往復した跡が残るはず』なんだよ。それなのにそんなものはなかった。一体どういうことなのかと思ってね」


 星原は僕の言葉を聞きながら、静かに考えこむように指を額にあてている。小説家志望の彼女はさまざまな知識に通じていて、今までも不可解な出来事が起きたときに独自の目線で状況を分析して、解決の糸口を見出してきた。


 僕はそんな彼女の思考に何度も助けられている。


「……率直に言って、不自然なことがあるのよね」


 数秒間の沈黙を破って星原は話を切り出した。


「不自然なこと?」

「タイミングよ。そのバラの鉢植えを持ち出した誰かさん、仮にAくんとするけれど。他の日を選べばいいのに『わざわざ雨が降った日に』足跡が残る土の上を歩いて温室に行ったということよね」

「そうだな。……実際にはなぜか足跡は残っていないが」


 星原の言うとおり、晴天の日を選べば乾いた土の上を歩くことができるのだ。それなのにわざわざ雨の日を選んだ。


「それでAくんは『雨が降っている十九時以前』に温室に行けば足跡だって雨で消えるのに、地面がぬかるんでいる『雨が止んだ後』に実行したということなのよね」

「……そうだな」


 雨が降っている間に土手まで行き来したほうがより証拠を残さずに済むはずだ。しかしどういうわけか、犯人はわざわざ雨が止んだ後で温室に向かっている。


「しかも『Aくんが土手から鉢植えを持って戻った後で、偶然にも土砂崩れが起こったために』誰も通れなくなったのね」

「…………そうなるな」


 犯人は少なくとも十九時以降に鉢植えを持ち出した。その時点では土砂崩れが起きていない。だがもしも土砂崩れがもっと早く起こっていたら、犯人も温室に行き来することはできなかったのである。まるで「自然の産物である土砂崩れが温室に行って戻るのを待ってくれた」ような状況なのだ。


「つまり星原はこう言いたいのか。『雨の日』に事件が起きたことも、『雨が止んだ後』に犯人が温室に行ったことも『犯人が去った後に土砂崩れが起きた』こともすべて何かの必然だと」

「ええ」


 僕が「何を根拠に?」と尋ねると星原は艶やかな黒髪をかきあげながら答える。


「まず、三日前の状況については『雨が止んでしばらく経ってから泥が階段道に流れ込んだ』ということだった」

「ああ。そのとおりだが……何かおかしいのか?」


 彼女は少し眉をしかめた難しそうな表情で答えた。


「確かに『雨が降ってしばらくたってから地滑りを起こす』という事例はあるわ。でも、そういう現象は『豪雨が短時間続くようなとき』ではなく『長雨で土の保水力が飽和状態になって、斜面を維持できなくなってしまったとき』に起きるものらしいの」

「じゃあ今回みたいな数時間程度の激しい雨が降った後に、時間差で土が流れ込むようなことは考えにくいってことか」


 まとめると彼女は今回の土砂崩れ自体が「自然なものではない」と言いたいのだ。 

 ということは、まさか?


「じゃあ……あの土砂崩れは犯人が狙って引き起こしたっていうのか?」

「正しくは犯人は『自分が起こした土砂崩れを自然に発生したように見せかけたかった』のではないかしら」


 思わず彼女の回答に言葉を失う。だが、それであれば彼女の指摘した不自然な点がすべて説明できてしまうのだ。


 なぜ、雨の日を選んだ? 雨で土砂崩れが起きたように見せたかったからだ。


 なぜ、雨が止んだ後に犯人は行動したのか? 豪雨で地滑りが発生することを期待したが、それが起こらないまま止んでしまったからだ。


 なぜ、犯人が行動した直後に見計らったかのように土砂崩れが起きたのか? 犯人が引き起こしたからだ。


「でもバラの鉢植えを持ち出して壊すために、そんな手の込んだことをしたのは何故だろう。自分に疑いがかかりにくくするため、かな」

「いや、私は鉢植えが壊れたのはただの事故だったんじゃあないかと思う。本当の目的は『泥で階段を通れなくすること』の方だった」


 確かにバラの鉢植えを持ち出すことだけが目的なら、もっといいタイミングがいくらでもあるだろう。わざわざ豪雨で階段道が通れなくなるような日に事件を起こしたのではなく、そういう状況を作ることの方が目的だったというわけか。


「だけど、まだいくつか疑問があるな。まず土砂崩れを狙って引き起こすことは可能なのか?」

「『土砂崩れ』といっても別に大規模なものではなくて、小さな階段道を通れなくする程度のものでいいということでしょう。要は水分と高低差さえあれば良い。何か方法はあるんじゃあない?」


 僕は階段を登ろうとして泥のぬかるみに片足を突っ込んでしまったときの、御嶽さんの言葉を思い出す。


『靴、汚れちゃいましたね。野球場の横に水道がありますから洗ってきますか?』


「そうだな。土手の近くにある野球場の入り口横には水道とホースがあった。……土手の上から放水し続ければ泥を階段に流し込むことは可能かもしれない」

「ええ。あるいは階段道を通れなくするのが目的なら、直接に泥を上から落として水をかけてもいいと思うわ」


 ふむ、と僕は納得して頷いてから口を開く。


「じゃあ、二つ目の疑問だ。動機は何なのか。泥を流して温室に行けなくすることに何の意味があるのか、ってことだ。園芸部に対する嫌がらせか?」

「確かに一見すると、その可能性が高い。でも園芸部全体を困らせるような動機を持っている人間はあなたの知る限りいないのよね?」

「ああ」

「だとしたら嫌がらせではなく、他の目的があったことになる」

「階段道を通れなくすることで何か犯人にメリットがあったっていうのか?」

「……ええと、ほら。さっきあなたが話していた『ロボットアニメ』の話があったでしょう」

「牛浜くんがしてくれた話か」


 巨大ロボットという非現実的な存在が運用されている世界観を現実的に描写するためには、「巨大ロボットが活躍できる状況」を作り上げないといけない。そのために現実には存在しないレーダーを無効化する粒子が散布されたという設定を作り上げた。結果、世界観のほうがかえって僕らの現実と離れていくという皮肉だ。


「その話を聞いて思いついたのだけれど、犯人も同じことをしたのかもしれない。自分が活躍できる状況を作りたかったんじゃないかしら」

「しかし自分が活躍できる状況を作ることと、階段道を通れなくすることがどうつながるんだ?」

「例えば、ちょっとした昔ばなしをしましょうか」


 彼女はコホンと咳払いをして語り始めた。


「古代中国に扁鵲へんじゃくという有名な医者がいたんですって。彼には二人のお兄さんがいてその二人も医者だった」

「うん」

「あるとき、魏の王様に『三人で医術が最も優れているのは誰なのか』と聞かれる。彼は『上の兄が優れ、下の兄が次です。私は最も劣っています』と答えるの。続けて王様は『それではなぜおまえが一番有名なのか?』と尋ねる」

「……それで?」

「彼はこう答える。『上の兄は『症状がまだ現れない時』にそれを治してしまいます。患者は彼が先に病気の原因を取り除いた事に気づきません。下の兄は『病気の初期』で治します。だから患者は大した病気ではなかったと思いこみます」

「……」

「しかし私の治療は『病状が深刻になってから』治します。針を打ち瀉血をし、薬を使い肉を割いたりしますが、その作業が大きいため、患者は私の医術が優れていると誤解します』と」

「ええと、つまりあれだな。問題が起きないように回避する人間よりも、問題が起こってから解決する人間のほうが感謝されるっていうことか。じゃあ今回の犯人も『自分が問題を解決して活躍できる場面を作りたかった』『そのために土砂崩れを意図的に引き起こした』と言いたいんだな」

「私はそう考えているのだけれど」


 確かにそういう意図があって泥を流し込んだのだとすれば、園芸部員を困らせることで外部の人間が得をすることもあり得る。だが……。 


「でも、その推理にはどう考えても穴があるよな」

「あら、わかっちゃった?」


 いたずらを指摘された子供のように星原はおどけて見せた。どうやら彼女自身も気づいたうえで黙っていたらしい。


「まず足跡の問題が解決していない。犯人が土砂崩れを引き起こすために土手に登ったにしろ、雨が降った後なんだから『往復した足跡』があるはずなのに、校舎から土手に向かう足跡が半端に残っていただけだ」


 そして、その土手から校舎に戻るときの問題がもう一つある。


「そもそも『土手の上に登って泥を階段の上から流し込んで通れなくしたら自分が下りられない』じゃないか」

「ええ。だから何らかの方法で土手から校舎のほうに戻ったということになる。地面を歩く以外の方法で」

「問題はその肝心の土手から校舎に戻る方法がわからないということか……」


 ため息交じりの僕の言葉に彼女も悩まし気に肩をすくめてみせる。


「そこなのよね。それこそ何らかの方法で自分に都合のいい状況を作り上げたとか、自分の特技を生かしたとか」

「この間言っていたセルフステージみたいな話だな」


 どんな人間でも自分が活躍できる、「この分野でなら自分は主役になれる」というようなステージを求めている。けれども、足跡を残さずにその場を立ち去るような特技なんてあるのだろうか。


「……ただここまで状況が限定されていて、鉢植えを持ち出すことが難しい状況なのだったら、園芸部の人たちに『青梅さんにだって無理なんだ』ってわかってもらえないのかしら」

「どうかなあ。そもそもその限定された状況の根拠の一つが青梅さん自身の『十九時に帰るときには鉢植えはなかった』っていう証言だ。青梅さんが嘘をついていて、雨が降っていて足跡が残らないうちに鉢植えを持ち出すこともできると主張されるかもしれない」

「なるほど、一筋縄ではいかないのね」


 星原は眉をしかめながら、ソファーにもたれかかった。僕もそのつぶやきに何か応えようとしたその時、おもむろに彼女が立ち上がる。


「どうかしたか?」


 星原はソファーの横に置かれていた彼女のカバンから何やら小さな小瓶を取り出した。ラベルからして制汗スプレーのようだ。


「いや、ほらさっき聞いた話の中で青梅さんって臭いに敏感だとか言っていたでしょう」

「ああ。嗅覚過敏なんだとか」

「なんだか急に私も気になってしまって。体育の時と代わりと汗をかくほうだから。……私、青梅さんと席が近いの」


 そういえば、星原も青梅さんと同じ三年A組だったか。僕は星原の傍につかつかと近づいて彼女の首筋に顔を近づけてみる。


「心配しなくてもいいと思うけど。良い匂いしかしないし」


 言い終わったとたんに顔を赤くした星原から肘で小突かれた。


「……何か僕、まずいこと言ったか?」

「あなたって時々無自覚に大胆なことするのよね」


 言われてみればキスでもしようとするかのような距離感だったかもしれない。


「悪かったよ。でもそういわれると僕も気になってきたな。自分のにおいなんて自覚できないし」

「そう? それなら試しに私のを使ってみる? 柑橘系の香料だけれど気に入ったなら自分で買ってみればいいし」


 言いながら彼女がスプレーを差し出したので「それじゃあ、折角だから少し使わせてくれ」と僕は受け取って制服の上から手首や肩に軽くかけてみる。蓋についた小さい穴から霧状の香料がシュッと撒かれて、微かにさわやかな香りが広がった。


「ああ。こういう感じか。……悪くはないかな。ちょっと香りが強い気もするけど」

「それくらいで良いのよ。あなたは使い慣れないから知らないかもしれないけれど。こういうものは元々の体のにおいと混ざり合って程よい香りになるように計算されて調合されているの」

「へえ。つまり香料自体の匂いと体の匂いが混ざり合って、最終的に別のものになることで商品として本来の香りになるっていうことか」


 元々の匂いを別の匂いと混ぜ合わせることで、存在しないように見せてしまうというわけだ。


「……そうか」

「どうかしたの?」

「いや、もしかしたら土手から校舎に戻る方法も同じことだったのかもしれない」

「え? どういうこと?」

「つまり実は校舎に戻るための方法は目の前に存在していたのに他のものに紛れて気が付かなかったんじゃないかってこと」


 星原は僕の発言をかみしめるように一瞬黙り込んでから言葉を紡ぐ。


「要は犯人はその場にあったものを使って、自分が特技を発揮するためのステージを作り上げたということなの?」

「ああ。ちょっと突飛な発想かもしれないけど、でも多分可能なはずだ。……よし、花壇のところに行って確認してみるかな」


 彼女はふむと頷いてから「それはよかったけれど、確認するのは明日にしたら? 今は勉強会の途中だってこと忘れているんじゃない?」と肩をすくめながら答えた。


「そうだったな。……あーあ。僕も何かの特技や才能があれば、勉強なんてしなくてもいいかもしれないのになあ」


 僕は思わずため息交じりに呟いた。星原がそんな僕に芝居がかかった調子で応える。


「でも、もしあなたに特技や才能があったら、ここで一緒に勉強会なんてしていないってことになるわ。それって寂しいことなんじゃない?」

「それは星原も同じように思ってくれているってことで良いのか?」と僕は尋ねる。


 しかし彼女はその疑問に「その答えがわかるようになるためにも、あなたはいろいろ勉強するべきね」と微笑みながら返して、やりかけの問題集を開いたのだった。

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