第18話 冒険者⑤

 街を守るようにそびえ立つ黒壁を越え、メルとココノアは平原へやってきた。トルンデインの北側には平地となだらかな丘陵が広がっており、その中央をリギセン地方へ続く街道――白い敷石と砂で固められた路面が一直線に貫く。彼女達がギルドを出発した時点で夕方に差し掛かっていたため、空は夕暮れに染まりつつあった。


「うわっ、ウジャウジャいるじゃない……」


 大量の生ける屍達が徘徊する光景に、ココノアは顔をしかめる。街道の周辺は聞き及んでいたよりも酷い状況だった。最初に目撃されたであろう魔物に喰われ、新しく不死者となった犠牲者が集団に加わったことで、群れの総数は500体に迫る勢いだ。城壁があるとはいえ、このまま放置しておくとトルンデインに多くの実害をもたらす事は明らかである。


「あっちに見えるのは、街道を通ろうとした馬車でしょうか?」


 メルが指さした先には横倒しにされた馬車があった。比較的新しい木箱が散乱していることから、積荷と一緒に人も乗っていた可能性は高い。だが周囲には血塗れの衣服が落ちており、食屍鬼の餌食になったであろう事を生々しく物語る。

 作物が育てられていた耕作地も魔物に踏み荒らされ、無惨な状態だ。漂う腐臭を出来るだけ吸わないように鼻を押さえながら、猫耳少女は討伐対象を視界に捉える。


「向こう側に見えるのが食屍鬼グールさんですね……!」


 生者の魔力を求め、平原をアテなく彷徨う屍達。その多くは肉体の腐敗が進み、剥がれ落ちた皮膚や肉片を引きずるようにして歩いている。筋肉が朽ちても自重を支えられるのは、不死の魔物が有する特性なのかもしれない。


「そこそこ離れてるのに、刺激臭が届いてくるなんて……獣人族の嗅覚だと辛くない? 大丈夫?」


「はい、なんとか。フィクションだとゾンビってよく登場しますけど、実際に見ると結構なインパクトがあります」


 初めて見たのアンデッドモンスターに、メルは息を呑んだ。ゲームやアニメで描写されるゾンビは同じような見た目で統一され、さらにある程度デフォルメされているため、さほど嫌悪感を抱かない。しかし眼前の魔物達は違った。生身の人間と変わらない状態で内臓だけが飛び出た体を持つ個体もいれば、目玉が抜け落ちて眼窩がんかに闇を宿した骨に近い個体もいる。中には血で赤黒く染まったヌイグルミを持った子供の屍もあった。それぞれに本来あるべき人生の歩みがあった事を感じ取り、猫耳少女は悲しそうな表情を浮かべる。


「……メル、アンデッド系のモンスターは状態異常を解除しても元には戻らないわよ。ケントが言ってたでしょ。今は倒すことだけに集中して」


 心優しい友人の性格をよく知るココノアは、迷いを持たないようにと戒めた。ギルドを出発する直前、少女達はケントから不死者に関する情報をいくつか取得している。その中には、"不死の呪い”に関する内容もあった。

 過去の検証にて、呪い自体は解除できると判明済みであるものの、魔物化した者が生前の姿を取り戻す事はないそうだ。残されるのは朽ちた死体だけである。さらに魂を伴わない肉体は不死の呪いを受けやすいため、再び魔物化する恐れがあった。つまり食屍鬼の群れを殲滅する場合、1体も残さず徹底的に駆逐するしかないのだ。


「……もちろん、分かってます。せめて苦しまないように、してあげるのが私の役目! それではを撃ってきますね!」


 そう言うなり、メルは草原へ駆け出した。そして一番近い食屍鬼に狙いを定め、魔法を唱える。


身体治癒ヒール!」


 回復魔法は正しく作用し、対象を淡い光が包み込んだ。しかし魔物の肉体が癒えることはない。それどころか、全身から煙を放出しながらその場に崩れ落ちる。

 剥き出しになっていた臓器を含め、あっという間に食屍鬼は白く変色した。だが、不思議とその表情は穏やかだ。辛うじて残っていた唇で『ありがとう』と感謝を示すと、彼は灰になって自然へと還った。最後にその場に残ったのは、身に付けていた衣服の切れ端だけである。もう二度と魔力の飢えに苦しむ事は無いだろう。


「安らかに眠ってください。他の人達も私が救いますから!」


 メルは力強く地面を蹴って、数百の屍が待ち構える戦場へ単身で突っ込む。対する食屍鬼も生者の気配に反応し、見た目以上に機敏な動きで獲物へ襲いかかった。

 呪われた魔力によって強化された亡者は、生前を遥かに上回る力を持つ。フィクションで描かれるゾンビの緩慢な所作は、あくまでもイメージの産物だ。筋肉や関節の可動限界を超えたトリッキーな動きで惑わせてくるため、ベテランの冒険者でも苦戦する事が多い。

 しかし規格外と評された猫耳少女相手では、どのような攻撃も意味を為さなかった。食屍鬼は柔らかそうな血肉を求めて次々に飛び掛かるが、いずれも指1本触れることができず、ヒール砲で昇天する。


身体治癒ヒール身体治癒ヒール……さらにダメ押しの身体治癒ヒール!」


 世にも珍しい回復魔法の乱れ打ち――獅子奮迅の活躍を見せるメルによって、不死者の魂が立て続けに浄化されていく。ココノアはその様子を遠巻きに眺めながら、この世界における回復魔法の効果について思慮を巡らせた。


(アンデッド相手だとヒールが攻撃手段になる……NeCOの仕様通りね。原理まで同じなのかは分かんないけど、これなら街道を壊さずに済みそうかも)


 回復魔法であるヒールが、不死者アンデッドに対しては攻撃手段になる――これはNeCOに限らず、様々なMMORPGで見られる一般的な仕様である。アンデッド系モンスターは身体が朽ちようとも、呪いを受けているために死ぬ事が許されない。しかし、回復魔法を受けて肉体が正常な状態に戻されると、本来の姿……つまり"正常な死"を迎える事ができるのだ。故にヒール砲を使ったアンデッド討伐は、『浄化』と称される。


「ウガァァァ!」


 突如、平原に響く唸り声。その刹那、2メートルを超える大型の食屍鬼がメルに突進した。渾身の一撃を察知した彼女は並外れた跳躍力で攻撃を華麗に避け、さらに宙で体を捻って反撃態勢をとる。小さな手が輝き、連続ヒールが放たれた。


――シュゥゥ……――


 魔物は白煙と共に消滅したが、周囲にはまだまだ大量の屍がうごめいている。魔法に関係するステータスが低い殴りヒーラーにとって魔法の連射は辛い。戦況を好転させるには一工夫ひとくふう必要だ。メルは後方で待機していたココノアを振り返る。


「これから範囲指定型の回復魔法を使います。フルパワーでやるので、しばらくフォローお願いします、ココノアちゃん!」


「オッケー! うちに任せておきなさい!」


 前線から下がったメルの代わりに、ココノアが草原へ飛び出した。高い魔力を持つエルフ族は魔物にしてみれば極上の獲物だ。転移魔法で上空を移動するだけで囮の役割を果たす事ができる。ココノアが群れの注意を引き付けている今、メルの周囲は安全と言って良い。


「さすがココノアちゃん、食屍鬼グールさんを翻弄してますね! 今のうちに準備を済ませちゃいましょう!」


 風に桃色の髪を靡かせ、大技の発動準備を進めるメル。上級魔法はどうしても詠唱が長くなるが、この状況なら隙が出来ても問題はない。

 彼女は胸に両手を当てて、意識を体の内側へと集中させた。続けて、息をゆっくりと深く吸い込み、身体の隅々へ魔力を張り巡らせる。これはリエーレ直伝の"大きな力を扱う時に心を落ち着かせる儀式"だ。そうして力が全身に満ちたタイミングを見計らい、慈悲深き枢機卿カーディナルの能力を解き放つ。


「"カーディナル"、発動!」


 少女が自らのジョブと同じ名を持つスキルを発動させた瞬間、背から2枚の光り輝く翼が伸びた。さらに宙を舞う純白の羽が銀色の渦を形成し、彼女の周囲を取り囲む。女神の降臨を思わせる神秘的な光景を見て、ココノアは感嘆のため息を吐き出した。


「なるほど、異世界コッチでは本物の翼が出てくるわけですね。今なら翔ぶことだって出来るかもしれません!」


 翼が生えた経験など勿論ない。それでもメルはごく自然にその扱い方が理解できた。羽ばたきと共に空高く舞い上がり、ココノアと肩を並べる。


「えっ、ちょっと待って!? そのスキルって飛ぶ効果なんて無かったと思うんだけど!」


「えへへ、何故か飛べちゃいました♪ でも効果時間は長くないはずなので、このまま一気に決めます。ココノアちゃんは安全なところまで下がっててくださいな」


 ココノアと位置をスイッチしたメルは、恨めしそうな視線を向ける食屍鬼の群れを見下ろす。職業名を冠している事からも分かる通り、彼女が発動した"カーディナル"というスキルはジョブ固有の専用技だ。短時間ではあるものの、回復効果を大きく増幅できるため、魔力に乏しい殴りヒーラーでも桁違いの回復量を得られる。

 なおNeCOにおいてカーディナルの翼は、として見えるだけに留まっていた。だがこの異世界では使用者が自在に飛べる程の実体を持ったようだ。


「今、安らかに眠らせてあげますからね……!」


 怨嗟と悲哀が入り混じった呻き声をあげる亡者達――彼らに両手を向けたメルは、最上級回復魔法の詠唱を開始する。少女の想いに呼応するかのように、"カーディナル"で生じた翼が一際眩い光を放った。


「救いの天光をもって、あらゆる者に神の慈悲を与えん。聖なる女神の抱擁セイクリッド・エンブレイス!」


 スキル名が叫ばれたのと時を同じくして、天から巨大な光の柱が降り注ぐ。眩い輝きは周囲一帯を飲み込み、薄暗かった夕空を昼間のように明るく照らした。極光の奔流と表現して差し支えない凄まじいエネルギーを受ければ、不死の呪いなど瞬く間に無にす。あらゆる食屍鬼が魂ごと浄化されていく。


「うっそぉ……!?」


 ココノアは開いた口が塞がらなかった。レーザービームの如き閃光が大地を穿つ様相は、もはや回復魔法と呼べる代物ではない。天変地異も同然だ。

 回復魔法の効果が消えて光が収まった後、翼の生えた少女がココノアの隣へ降り立った。ひと仕事終えた風に額を拭う。


「ふぅ、何とかなって良かったです。これで依頼は達成ですね♪」


「そりゃ魔物を全滅させたのは良いけど、あんな事になるなんて全然聞いてないっての! 滅茶苦茶びっくりしたじゃない。あんなのヒール砲じゃなくてビーム砲よ」


「え、えっと……実は私も回復魔法があれほどパワーアップするなんて思ってなかったんです。驚かせちゃってごめんなさい。あっ、でも私達の予想通り、街道も耕作地も全部無事ですよ、ほら!」


 メルが右手で示した場所にココノアは目を向けた。北平原はすっかり平穏を取り戻しており、食屍鬼の姿は全く見当たらない。それどころか、飛び散っていたグールの体液や肉片すらも綺麗に消え去った。踏み荒らされた耕作地には作物の新芽が生えており、守らなければならない街道も全て無事である。


「目が眩むほどの閃光だったのに……本当に何ともないのね」


「はいっ! なんたって回復魔法ですから♪」


 猫耳少女は満面の笑みを咲かせて頷いた。ココノアが操る魔法でも不死者を消し去る事は可能だが、新生魔法は威力が高すぎるため、地面ごと粉々にしてしまう。

 一方、回復魔法ならばその心配はない。物質を破壊するような効果を持たないからだ。ヒール砲で不死者だけを浄化する――これが"規格外"の冒険者が編み出した攻略法だった。副次効果として植物が元気になった模様だが、報酬の減額には繋がらないだろう。


「はぁ、心配して損しちゃった。それじゃ帰って結果を報告しよっか」


 ほっと胸を撫で下ろしながらココノアが相方を振り返ると、メルの背中にあった翼が光の粒子となって消えていく最中であった。カーディナルの効果が切れたようだ。


「あらら……? やっぱりNeCOと同じで、ジョブ専用スキルには厳しい時間制限があるみたいです。再発動まで時間が掛かるので、ずっと使い続けるのは無理ですね」


「あー、そのジョブ専用スキルなんだけど、普段は使用禁止にしておかない? 流石に目立ちすぎるでしょ。うちも"フォースマスター"はここぞって時にしか使わないようにするから」


「むむ……お空を飛ぶのは楽しかったんですけど、ココノアちゃんがそう言うなら控えておきます……」


 メルはしょんぼりした様子で承諾した。NeCOでは平時でも使用されるジョブ専用スキルだが、異世界人にしてみれば未知の能力でしかない。恐怖や不安といった感情を煽ってしまう懸念があった。2人は専用スキルを封印することに決め、トルンデインへの帰り路を歩み始める。


「体を動かしたせいか、お腹が空いちゃいました。もう夕ご飯のお時間ですし、何帰ったらお食事にしませんか?」


「いいわね、それ。金貨10枚分の仕事をしたんだから、今日は奮発して美味しいものを食べるわよ。でもその前にまずはお風呂に入りましょ。臭いが服とか髪に付いちゃってるし……って、メルに言っておきたい事があったんだったわ」


 ココノアはメルの腰へ視線を落とした。紫色のドレススカートが脚の動きに合わせてひらひらと揺れている。丈が短いので、太腿が動く度に内側が見えてしまいそうだ。


「ちょっと言い難いんだけど、戦ってる間ずっとパンツが見えっぱなしだったのを教えてあげようと思って。そのスカート、やっぱり短すぎじゃない?」


「うーん、そうですかね……? 個人的にはこれくらいの方が動き易いんです。それに、私みたいなお子様の下着を見て喜ぶような人はいないと思いますから、多分大丈夫ですよ♪」


 八重歯を見せてニッコリ笑うメル。そんな彼女に対し、ココノアはもう少し慎みを持つようにと諭しながらギルドまで帰るのであった。



§



 2人が冒険者ギルドに入るなり、ケントが駆け寄ってきた。ただしその表情は明るく、心配するような素振りではない。既に結果を知っている顔だ。


「おかえり2人共! さっき現地の状況を監視していた門兵から連絡を受けたよ。食屍鬼グールの群れを1時間も掛けずに制圧したばかりか、街道への被害も皆無だったなんて……驚くばかりさ!」


「ふぅん、連絡が入ってるなら詳細は報告しなくてもいいわね? 早く宿を見つけてお風呂に入りたいし、報酬は今すぐ貰いたいんだけど」


「そう言わないでくれ。宿に関してはギルドで最高級の部屋を手配済みだから、ぜひ詳細を教えてほしいんだ。なんせ歴史に残る記録だからね!」


「まぁ、それならいっか……」


 面倒に思いつつも、ココノアは要望に応じることにした。とはいえ回復魔法の存在を正直に話すのははばかられる。アイリス聖教の耳に入ってしまうと、余計な騒動になりかねない。不死者にだけ効果がある特殊な魔法、という内容でお茶を濁した。


「……そうか。食屍鬼グールにだけ効く魔法が存在するなら、この成果も頷けるよ。僕には想像も出来ない術式だけど、君達ほどの実力者であれば使いこなせるんだろうな」


「まあね。とにかく、それを使って魔物を殲滅できたってわけ。依頼の話はこんなものでいい?」


「ああ、十分だ。詳しい報告書は僕の方で作成しておく。それと報酬は文句なしの満額だから、金貨10枚を渡すよ。ところで、この件は領主様の耳にも入っててね。今夜にでも功労者と話をしたいと仰っているんだ。だから今すぐ領主様の館へ向かって欲しい。冒険者にとっては喜ばしい話だし、君達も顔を売っておきたいだろ?」


「ダメよ。これからお風呂に入って、ご馳走を食べるんだから」


「えへへ、楽しみですね晩ごはん♪」


 想定外の返答にケントは衝撃を受ける。支部に所属する冒険者でも、トルンデイン領主から謁見に呼ばれた者は皆無だ。栄誉と名声を手にする絶好のチャンスと言えよう。しかし少女達は興味無いとばかりに踵を返す。


「それじゃあね。また明日来るから、仕事を用意しておいてよ」


「ま、待ってくれ!? 領主様は国王様とも親密な関係を持つおかたなんだ。彼と親しくなれば、爵位を貰って貴族になれる機会だって――」


「なんか寝惚けた事を言ってるわね。助けを求めてる人に手を差し伸べるのが冒険者でしょ。身分とか立場なんて関係ないじゃない」


「はい♪ 困ってる人を助けることができたなら、私達はそれで十分です!」


 領主との謁見を強く勧めたケントであったが、相手がそれを受け入れることはなかった。2人が立ち去った後、若きギルド職員はメルの言葉を想い起こす。


「……はは、僕は何をしてるんだろうな」


 苦笑するしかなかった。幼い子供の方が、彼よりも冒険者の務めを正しく理解していたからだ。類稀たぐいまれなる能力を持っているにも関わらず、他者を救う事に余念がない少女達――そんな小さな英雄との出会いを通して、ケントの意識は徐々に変化し始める。

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