第3章
第19話 トルンデイン防衛戦①
城塞都市トルンデインにおいて最高級店を謳うホテル・ブルワール。その中でも街並みを一望できる特等室は、他の宿と比べ物にならない料金が設定されている。そのため、これまでは財力のある貴族や豪商といった有力者しか利用していなかった。幼い少女が2名だけで貸し切ったのは、今回が初めてだろう。
「セロの所で使わせて貰った部屋も豪華だったけど、こっちはそれ以上ね。貴族御用達って看板はダテじゃなかったみたい」
「こんなに素敵なホテル、日本じゃ絶対に泊まれないですよ……! 今のうちに満喫しておかないと!」
気持ちよさそうにベッドで寝転がるココノアとメル。入浴と食事を終えた彼女達は、肌触りの良い子供用ネグリジェに着替え、すっかりリラックスモードである。
「食事も美味しかったし、しばらくはここで泊まろっか。このベッドの感触を知ったら、もう他じゃ過ごせないでしょ?」
エルフ少女は純白の枕に顔を
つい先程、少女達に振舞われた夕食も豪勢だった。シェフの腕が良い上に、新鮮かつ上等な食材が使われたのもあって、文句の付けようなど一切無かった。腹部がぽっこり出るまでディナーを堪能したメルは、部屋に戻ってからもずっと頬を緩ませている。
「はいっ、ココノアちゃんの案に大賛成です! あんなに美味しいご飯が毎日食べられるなら、お仕事もきっと頑張れますよ! 今から明日の朝ごはんが楽しみですね♪」
「さっき食べたばっかりだってのに、その台詞が出てくるのってどうなのよ。ま、気持ちは分からなくもないけど」
「えへへ♪」
よほど上機嫌なのか、桃色の尻尾がピョコピョコと大きく振れる。それを横目に、ココノアは北平原で彼女が見せた異能について考察を始めた。ジョブ専用スキル、"カーディナル"によって実体化した白い翼、そして範囲と効果が大幅にアップした回復魔法――いずれもNeCOの仕様とは大きく乖離する。さらにメルは本物の女神に匹敵しかねない凄まじい力を操って見せたのだ。唯一考えられるとすれば"想いの力"が作用したという可能性だが、確証はまだない。
「ねえメル、そのキャラって魔力のステータスが低めで、代わりに筋力とか素早さが高いのよね?」
「ええ、そうですよ。NeCOではヒール砲を撃つよりも、聖属性を素手に付与して殴るほうが早かったくらいでした。対アンデッド用のパッシブスキルも取得してましたし」
「うーん……ますます謎が深まったわ。強化バフがあったところで、回復魔法が極太ビームみたいになるはずが無いのに」
「あの時どうしてあんなに凄い威力が出たのかは私もさっぱり分からなくて……ただ、なんとなく今なら何でも出来るかも、ってくらいに力が湧いてきました」
そう話すメルの表情は晴れやかだ。体調もすこぶる良さそうなので、普段以上の力を発揮した反動はなさそうである。いくら考えたところで結論がでる話でもなかったので、本人が無事なら別にいいか、とココノアは考えるのを止めた。
胃が満たされたおかげもあり、心地よい眠気がエルフ少女を誘う。セロの館を出てからトルンデインまで遠出し、さらに数々の依頼をこなした疲れが出ているのかもしれない。いつもより瞼が重く感じられる。
「あら、ココノアちゃんは疲れちゃってるみたいですね。少しお話したい事があったんですけど、もう寝ましょうか」
「んー……まだ大丈夫。何、話したい事って?」
ココノアは目を擦りつつ、起き上がって相方へ顔を向けた。メルも彼女と話しやすいようにと、ベッドに腰かける。こうして少女達のささやかな夜更かしが始まった。
「北方にあるっていうリギセン地方の話を覚えてます? 山の上にあって、鉱業や林業が盛んな地域だそうです」
「勿論よ、トルンデイン領の北端にあたる地域でしょ。ケントも話してたから記憶に残ってるけど、それがどうかしたの?」
「最近になって農作物の取引が急拡大してる、ってところが少し気になってて……」
「そんな事も言ってたわね」
メルが引用したフレーズはココノアもはっきりと覚えている。それに街中でもリギセン産の野菜や果物を目にする機会は多かった。しかし、鉱床がある土地は本来、農業に向かない。砂や岩の割合が多く、植物にとって育ち易い環境ではないからだ。また植生が偏るために野生の獣も少なくなる。有機的な栄養分を運ぶ獣がいないと土も痩せてしまうので、メルが疑問に感じるのも頷けた。
そんな場所で作物の生産性が急激に上がったのだとすれば、何らかの外的要因が加わったと見るのが普通だろう。ココノアにはその心当たりがあった。
「悪条件を無視した大規模な農地開拓……普通は無理だろうけど、うちらの知ってる園芸系スキルなら何とかなりそう」
「はいっ、NeCOで"農家"と呼ばれていたあのジョブなら出来るはずです!」
"農家"とは農業によって生計を立てる者を意味する単語だ。しかしNeCOプレイヤー同士にとっては、職業の1つを表す慣用語でもあった。正確には
自由自在に植物を操る異能を有するハーヴェストなら、枯れ果てた大地に一瞬で緑を茂らせる事も不可能ではない。土壌改良スキルもあるため、1人で農園を開拓するといった芸当までこなせた。さらに料理や裁縫、薬調合に鑑定といった幅広い生産系スキルが扱えるので、パーティーに1人いると冒険が楽になる。ジョブ専用衣装のデザインが可愛いかったのも手伝い、根強い人気があったジョブだ。
また、NeCOの生産職は工夫次第で戦闘職に劣らない活躍が可能な仕様となっており、ハーヴェストもその例に漏れない。植物を使って繰り出される多彩な攻撃手段に加え、回復や防御に使えるスキルや弱体技なども豊富で、ダンジョン攻略や対人戦で起用される事が多かった。流石にダメージ値や回復量だけで見ると専門職に劣るものの、万能さにおいて右に出る職業はないだろう。メルとココノアにはそんなハーヴェストを使いこなす、親しい友人が居た。
「ココノアちゃんと私がここにいるんですから、レモティーちゃんだって来てるかもしれません!」
「そりゃ、レモティーがこっちの世界にいる可能性は否定しないけど……だからって、リギセンにいるとは限らないじゃない」
「でもでも、確かめてみる価値はあると思うんです! 今度そのリギセンって所に行ってみませんか? もしレモティーちゃんだったなら、私達と一緒に冒険してくれるかも♪」
そう言ってメルは無邪気な笑顔を浮かべる。彼女にとってレモティーはNeCOのサービス終了まで一緒に遊んだ親友の1人だ。ゲーム中のアバターは
一方、エルフ少女の顔には否定の色が浮かぶ。首を左右に振りながら、トゲのある口調で懸念事項を告げた。
「うちらはレモティーとは長い付き合いだし、よく知ってるつもりでいるけど、それはあくまでNeCOでの話でしょ。本当にどんな人物なのかなんて、会ってみるまで分からないの。信頼しすぎると足元を掬われるわよ」
「えっ、でも毎日一緒に遊んでたお友達じゃないですか!? 何も心配する必要なんて……!」
思いもよらぬ指摘を受けてメルは眉を八の字に曲げた。しかし、ココノアは構わず話を続ける。
「メルは能天気すぎるってば。昼間のレベル測定でも分かったけど、この世界じゃNeCOのアバターはかなり優れた能力を持ってる事になる。だからこそ、元プレイヤーがうちらに立ちはだかる状況も想定して動くべきよ」
「そんな……レモティーちゃんが敵になっちゃうなんて……」
ココノアに正論を突き付けられ、メルはシュンと猫耳を垂れた。タイニーキャットから異世界を託されたプレイヤーと言えど、全員が善人とは限らない。中には強大な力を振りかざし、欲望のままに振舞う者も居るだろう。元プレイヤー同士が対峙する未来が無いと言い切る事はできないのだ。
「あくまでも可能性の話だけどね。とりあえずリギセンの事は一旦忘れて。さてと、今日は疲れちゃったし、もう寝るわ」
「そうですね……明日もお仕事ですし。おやすみなさい、ココノアちゃん」
その会話を最後に、少女達はそれぞれのベッドへ潜った。魔道具の照明が消され、部屋は真っ暗になる。元気そうに振舞っていたメルも疲れていたのか、すぐにスゥスゥと寝息が響き始めた。
(もう寝ちゃったのね。こっちは逆に眠気が消えたかも)
ひんやりとしたブランケットに包まりながら、長耳の少女は先程の会話を振り返る。
(ちょっと嫌な言い方しちゃった。レモティーがメルに敵対するわけないのに。どうしたんだろ、うち……)
辛辣な反応をしてしまったと、自責の念を抱くココノア。何故あんな事を口走ったのか、彼女自身も理解できなかった。2人旅を邪魔されるのが嫌だったのか、それとも自分以外に興味を示す相方を見たくなかったのか――いずれにしろ、原因はメルとの関係にある事は確かだ。ただそれが嫉妬心によるものとは、まだ自覚していない。
(ああもう、わかんない! ねよねよ!)
ブランケットを頭の上まで被ると、ココノアはモヤモヤした気持ちを振り払うかのように瞼を強く閉じた。メルに心を動かされた時から、その存在は見知らぬ"誰か"ではなくなっていたのだ。一緒に過ごす内にどんどん強くなる特別な感情が、小さな胸をドキドキと高鳴らせるのだった。
§
満月が雲に隠れ、トルンデインに夜の
深夜の
「なんだァ? オレの
手駒の行方を求めてギョロギョロと蠢く眼球は、目元の深いクマのせいで浮き出て見える。道行く人が見たら野党どころか、魔物と間違えてもおかしくない。
「……クソがッ! まさか、やられたってのか?」
いくら探せども目的のものは見当たらず、男の苛立ちはピークを迎えた。忌々しそうな表情で、悪態をつく。
「どこのどいつか知らねェが、帝国最恐の
トルンデイン付近に突如として現れた不死者は、この青年が差し向けたものだった。デクシア帝国辺境に伝わる闇魔法――その中でも禁忌とされる"不死化の術式"を行使すれば、
不死化以外にも闇魔法は強力な効果を持つが、特殊な魔力を要するが故に限られた血脈の一族にしか扱えない。また魔力消費も膨大なため、人の身で扱うには過ぎた代物とされる。故に食屍鬼が不自然な形で発生したとしても、それが故意的に引き起こされた事象だと認識できる者はごく少数だろう。現にトルンデイン領主は今回の件を魔物の自然発生によるものと断定し、原因調査すら実施していない。
「……あのような有象無象に頼らずとも、計画に支障はないだろう。お前にはアレがあるのだから」
不意に後方から声が響く。しかしそこに人物らしき姿はなく、得体の知れない
「必要なものは全て用意してやったのだ。我が期待に応えてみせろ」
「うるせェ……黙ってオレに全部任せてりゃいいんだ。テメェこそ王国を攻め落とした時の報酬、忘れてないだろうなァ?」
「無論だ。望むだけの魔力を授けてやろう。その力を以て、お前は
「ケヒヒッ、冥府の王と来たか。悪くねェ、
血色の悪い唇を吊り上げ、黒装束の男はトルンデインの平穏を嘲笑う。その奇声に呼び寄せられたのか、灰色の暗雲が空を覆い隠そうとしていた。
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