第15話 冒険者②

「へぇ、あの無骨な壁の中にこんな街が作られてるなんてね」


「すごい人の数です……! 迷子にならないように気を付けないと!」


 整然と並ぶ石畳の上で、キョロキョロと周囲を見渡すココノアとメル。彼女達は森を抜け、無事に目的地へ到着した。異世界で初めて訪れる大都市は、見るもの全てが珍しい。予想以上の雑踏に翻弄されそうになりながらも、2人は森の館で教わった街の成り立ちを振り返った。

 エリクシル王国東部に位置する城塞都市トルンデイン――その歴史は数百年前にまで遡る。戦乱の時代に他国からの侵略を食い止めるため、防衛拠点として作られた小さな前哨基地が起源だ。

 当時は侵略主義を掲げたデクシア帝国が勢力を伸ばし始めた頃だった。力を持たない小国が次々と潰えた事で、多くの戦争難民が発生してしまう。住処を失った彼らを受け入れたのが、王国東部の統括を任された名門貴族トルンデイン家である。

 他国から流民を迎え入れたトルンデイン伯爵は、安住の地を与える代わりに労働力を提供して欲しいと訴えた。帝国の脅威に対抗できる要塞を築くには、膨大な人手と資材を要するためだ。一方、難民も生きていく上で仕事が必要になる。両者のニーズが合致したことで、街は大きな発展を遂げた。外敵を防ぐ城塞もこの時に作られており、帝国の侵略を退ける事にも成功している。街の名に伯爵の家名がそのまま与えられたのは、これらの功績によるところが大きい。

 それから時が経ち、デクシア帝国とエリクシル王国の間に不可侵条約が結ばれたが、その後も難民達はトルンデインに残った。故郷は既に帝国の属国となっており、戻れないと判断したのだろう。もしくは、交易の要所として栄え始めたトルンデインで生きる方が得策だと感じたのかもしれない。帝国やその属国との交易を再開された事に加え、商業の活発化を図った王家からの支援もあり、今やトルンデインはエリクシル王国においても有数の人口を誇る都となった。

 帝国との不可侵条約がある限り、巨大な城壁が本来の役目を果たす事は無い。それでも部分補修を繰り返して維持し続けているのは、獣や魔物の侵入を防ぐことができるからだ。壁の中にいる限り、身の安全は約束される。

 ただ、増え続ける人口に伴って計画性の無い家屋の建築を重ねたため、居住区は非常に密集していた。トルンデインでは2階、3階建ての住居が一般的であり、日本にあったアパートのような集合住宅も多い。壁によって制限された土地を少しでも有効活用する苦肉の策だった。

 また、道路事情もかんばしくない。街の中央から東西南北に走る大通りは概ね整備されているが、それ以外の細道は入り組んでおり土地勘があってもなお迷う。さらに高い城壁が影を落とすため、壁近傍は昼でも薄暗かった。そのため明るくて広い主要路に人が集中し、いつも大混雑する。道中で人混みに揉まれた幼い少女達は、すっかり疲弊してしまった。


「色んな匂いが混じってて、少し気持ち悪くなってきました……」


「こっちも耳が音に敏感すぎて、酔ってきたわ……」


 亜人特有の優れた感覚器官が仇になったようだ。静かな森で生活していた頃は何とも無かったが、人や物が多い場所では知覚情報が洪水のように押し寄せ、処理が追いつかなくなる。

 少し休憩しようと互いに頷き合った2人は、往来から離れた位置で座り込んだ。行き交う人々を何気なく眺めながら街の感想を述べる。


「こんなに人が多いとは思ってなかったわ。密度だけなら渋谷のスクランブル交差点といい勝負するんじゃないのこれ?」


「道幅はそんなに狭くないはずなんですけど、とにかく人が集中してる感じですよね。視点が低いせいで、歩くのにも苦労しちゃいます」


 子供の身体では街中を歩くのも一苦労だった。通りにいるのは大人ばかりであり、彼女達よりも背が高いので、どうしても視界が狭くなる。大通りの脇に並ぶ建物の屋根を飛び越えていく方が、よほど快適に進めるだろう。しかし当然の如くそんな行動をとる者は一切見当たらない。悪目立ちしてしまう可能性が高いので、大人しく徒歩で冒険者ギルトへ向かっている。


「そういえばさっきから感じてたんだけど、亜人って珍しいのね。セロが言ってた通り、この世界は人間族の方が多いみたい」


「確かにエルフさんや獣人さんっぽい人はあまり見かけないです。私達が通って来た南門の衛兵さんも人間族でしたし」


 メルは先ほど親切に案内してくれた鎧姿の青年を思い出した。人間族は獣耳や長耳といった特殊な身体的特徴を持たないため、見た目で簡単に判断できる。街を守る衛兵としての責務を担う者達も人間族ばかりだった。

 勿論、亜人がいないわけではない。商店を利用する大柄の獣人族男性や、優雅に通りを歩く高貴なエルフ族女性の姿もあった。亜人であるメルやココノアに奇異の目を向ける者はいないはずだ。


「さてと、落ち着いてきたからそろそろ行こっか」


「はい、少し慣れてきた気がします!!」


 喧騒に適応した2人は再び歩み始める。今度は周囲の風景を楽しむ余裕ができた。日本と違う特徴を持つ建物へ意識を向ける。


「なんだか赤っぽい壁の建物が多いですね。何となくレンガっぽく見えます」


「レンガっぽいというか、そのまんまレンガじゃない? 燃えない素材だから、火竜なんてのがいるこの世界には適してるのかも」


「建物の材質は土地によるところが多いって聞きますから、このあたりはレンガの材料になる粘土が採れやすいというのも理由の1つかもしれません。ただ、地震に弱そうなのが気になるかもです。接着して積み重ねただけに見えますし」


 メルは地震大国と呼ばれた故郷との違いを口にした。もし大規模な地震が起きようものならトルンデインは壊滅しかねない。建物同士の間隔が狭い上に、耐震性があるとも思えない造りだからだ。


「メルの言う通り、地震が無いことを前提にした構造よね。でもこういう街並みは味があって好きよ。カメラがあれば資料用に撮影しておきたいところだわ」


「NeCOみたいにスクリーンショット機能があれば便利なんですけども……撮影できる魔道具ってどこかに無いんでしょうか?」


「ドライヤーがあるくらいなんだから、カメラだってあるんじゃないの。ま、存在したとしても高そうだし、それなら紙と鉛筆を買って絵に描く方がずっと安上がりかもね」


 そう言うとココノアは空に向けて両手をかざし、指で四角い窓を形作った。出来上がった小さなキャンバスの先に映るのは、風化により味のある色合いを醸し出したレンガ造りの建物群だ。青い空と白い雲、そして赤いレンガによって生み出された3色のコントラスト――鮮やかで趣のある景色がクリエイターとしての感性を強く刺激する。

 だが今は趣味よりも仕事探しを優先しなければならない。エルフ少女は物憂げな溜息を吐き出すと、相方を振り返った。


「まずは安定した収入源を確保するのが先決よ! 中央にある広場を経由して北側通りにいけばすぐ冒険者ギルドの看板が見えるらしいから、寄り道せずに行きましょ」


「大きな教会が目印になる、とも言ってくれてましたね門兵さん。親切に教えてもらって助かりました♪」


「親切って……メルは油断しすぎだっての。あの男、絶対ロリコンなんだから。だってその猫耳をいやらしい手付きで撫でてたじゃない。いくら子供相手でも、普通あんなのしないってば」


「そ、そんな事はないと思いますけど……?」


 メルは困ったような表情で呟く。ココノアが過剰に反応しているだけで、衛兵の振る舞いは適切なものだった。トルンデインに出入りする者をチェックし、不審者や指名手配犯の侵入を防ぐのが彼らの仕事だ。引率者を伴わずに街を訪れた幼い少女を見て、事件に巻き込まれたのではないかと心配したのかもしれない。

 威圧感のある城塞が印象的な都市ではあるが、現在は交易都市としての側面が強く出ており、街を治める領主の意向もあって人の出入りは原則自由とされている。メルが冒険者ギルドの場所を尋ねた際も、衛兵は快く説明してくれた。2人は教えて貰った道筋に従い、北区画へ向かう。

 大通りに面した商店はどこも繁盛しており、出入りする者が絶えなかった。特に混雑が見られるのが食料品や魔道具を取り扱う店舗だ。頭上を飛び交う賑やかな宣伝の言葉に、メルとココノアは耳を傾ける。


「今日は大好評のリギセン産野菜と果物を特別販売だ! デカい上に、味もいい! おまけに種もなくて食べやすい特優品ときた! 最近品薄だから今が買い時だぞ!」


「魔法の武具なら当店にお任せあれ! エリクシル王室に納入実績がある名品も多数取り揃えております! また冒険者殿ご用達の杖や剣などもございますよ。もちろん3年間の保証書もつくので、ご安心して購入いただけます!」


 どこかで聞いたような売り文句ばかりだったので、思わず微笑む少女達。異世界でもこういう部分は同じなのだと、ある意味安堵したようだ。それからしばらく進むと、今度は円形の広場が見えてきた。ここは東西南北の大通りが交差するトルンデイン最大の十字路でもある。

 そんな重要な要所にもかかわらず、街の中心地は何の変哲もない石畳だけの場所だった。人通りこそ多いが、様々な露店が立ち並んでいた道中に比べると密度も低く感じる。目印となる教会を探すのも容易だろう。


「えっと教会は……もしかしてアレでしょうか?」


「形はそれっぽいけど、やけに大きすぎるような気もするわね。セロの館といい勝負するんじゃないのアレ」


 広場に面した一角に、他の建物に比べて数倍はあろうかという白亜の教会がそびえていた。壁や窓には様々な豪華な装飾が施されており、明らかに回りの建物と建築様式が違う。尖塔のような形状を持つ屋根の頂上部では、"翼の生えた女神"を象った黄金のモニュメントがまばゆい光を放つ。


「うわっ……あの女神像、アイリス聖教のシンボルに似てない? というか、絶対そうだって! 扉が閉まってる間に、とっとと通り過ぎるわよ」


「え、ココノアちゃん!? そんな急いで行かなくても……!」


 ココノアはメルの手を強引に引っ張って、教会を素通りしようとした。セロやリエーレが話した通りの組織ならば、関わり合いにならないのが最善だと判断したのだ。

 しかし運悪く、教会の前を通り掛かったタイミングで扉が開いてしまう。さらにその直後、見すぼらしい格好の女性と小さな子供が広場へ向かって放り出された。親子と思しき2人は固い路面で身体を打ち付け、苦痛の声を漏らす。


「うぅ……どうか、どうか御許しを! 私どもは女神様のご慈悲をいただきたいのです! もう三日三晩、高い熱を出したまま意識も戻りません……このままではきっとこの子は……!」


「対価も捧げずにアイリス様の奇跡を賜ろうとは、恥知らずにも程がある! これ以上その汚らわしい恰好で教会を穢すというのなら、我々も容赦せんぞ」


 教会の中から罵声と共に姿を現したのは、聖職者らしき中年男性だった。広袖ひろそでのチュニックと金色のサークレットを身に着けた装いは立派だが、腹が醜く出っ張っているせいで威厳に乏しい。さらに薄毛の頭頂部は脂でテカテカと輝いており、清潔感の欠片もない。

 男は地面へ伏した母親を見下すように睨みつけると、その背を容赦なく足蹴にした。それでも彼女は抵抗せず、地面に這いつくばりながら頭を下げて懇願する。病に冒された幼い息子を助けて欲しいと何度も石畳に額を擦り付けるが、聖職者がその願いを聞き入れる事は無かった。あまりの酷い仕打ちに、メルの表情が曇っていく。


「助けを求めてる人にあの仕打ち……許せません!」


「気持ちはわかるけど、少し抑えてて。あの光景も、ここじゃなのよ。下手に騒ぐと、うちらが変な目で見られるかも」


 ココノアが注意を促した通り、親子を気遣う素振りを見せる者は一切いなかった。歩行者は皆、何も見えてないとばかりに白々しく素通りする。NeCOで人助けを日課にしていたメルにとっては信じられない光景だ。

 2人が怒りを滾らせつつ成り行きを見守っていると、男は時間の無駄だとばかりに踵を返した。そして教会へ戻る寸前、親子へ脅し文句を吐き捨てる。


「フン、そこに居られても迷惑だ。これ以上アイリス様を愚弄するつもりならば、街の衛兵を呼び集めてガキ共々牢獄送りにしてやるからな!」


 それはアイリス聖教が持つ影響力の大きさが垣間見える台詞だった。街の衛兵を自由に呼べるという事は、公的な機関として認められている証である。

 母親はよろよろと立ち上がると、熱にうなされる幼い息子を抱きかかえたまま、教会に背を向けた。悲しみと苦痛に歪んだ彼女の表情を見て、メルの足は自然と動き出す。親子を救いたいという想いに駆られたのだ。辻ヒール禁止令を出していたココノアも今回は同情の余地ありと判断し、相方のを許した。


「……ま、言っても聞かないだろうから止めはしないけど、せめて連中に見られないようにしてよ? 下手したらあの人だってアイリス聖教に目を付けられるかもしれないし」


「もちろんです!」


 自身が異端者扱いされるだけならまだしも、親子に害があってはいけない。メルがチラリと教会の方を確認した直後、偶然にも聖職者と目が合った。辻ヒールを試みようとしたのを気取られたのかも、と少女達に緊張感が走る。


「薄汚い獣人風情がアイリス様の髪色を真似るなどと……不遜だな」


 男は鮮やかなピンク色を一瞥するなり、そう言い残して扉を閉めた。どうやらメルの髪が物珍しかっただけのようだ。猫耳少女は胸を撫でおろすと、ゆっくりと親子に近づいた。すれ違う一瞬のタイミングで回復魔法を施すためである。


(何が原因で熱が出てるのか分からないけど、NeCOにはあらゆる状態異常を解除する魔法があるので、それでいけるはず!)


 メルは頭に思い浮かべたスキルの効果を具現化させるべく、雑踏でかき消されるほどの小さな声で魔法を唱えた。聖なる魔力がその小さな身体を巡り、万病を癒す奇跡として昇華する。


全状態異常解除キュア・コンディション


 回復魔法が発動した瞬間、親子2人を優しい緑色のオーラが包んだ。キュアコンディションの魔法は名前が示す通り、状態異常を全て解除する効果を持つ。NeCOでは毒や火傷、凍結などのバッドステータスを取り除くためのスキルだったが、キュアコンディションの本質は対象者を本来あるべき姿に戻すという作用にあるため、たとえ原因不明の難病であろうとも問答無用で消し去る。事実、男児の血色は目に見えて良くなった。苦しそうな息遣いも落ち着きを取り戻し、正常な呼吸となっている。


「えっ、坊や……熱が下がったの……!?」


 母親は息子の変化にすぐ気付いたようだ。先程までの高熱が嘘のように穏やかな表情を浮かべる我が子を抱きしめ、大粒の涙をポロポロと流した。広場を通りすぎる人々も驚いたり、疑問の表情を浮かべたりと様々な反応を示す。まさか教会に見捨てられた貧しい親子が奇跡で救われるとは、誰も思っていなかっただろう。


(上手くいってよかったぁ! お次はヒールも掛けておいて……っと!)


 メルは追加で肉体を治癒する魔法も使った。失われた体力を元に戻すには、回復魔法が一番手っ取り早い。後は食事と睡眠をとって気力を養えば、明日は元気に外を走り回れるはずだ。他人に悟られる事なく目的を遂行した少女は、満足げな表情で友人の元へ駆け寄った。


「お待たせしました! もう大丈夫だと思います♪」


「流石、辻ヒールを趣味にしてただけあって鮮やかな手並みじゃない。誰も気付いてないし、余計な騒動は起こさずに済みそうね」


「えへへ、相手に気遣いさせないのは辻ヒールの基本なので!」


 そう言って笑顔を咲かせるメル。困っている人を助ける事ができたという歓びが、尻尾と猫耳の動きにも表れていた。愛らしい友人の姿を見て、ココノアも自然と頬が綻ぶ。


「それじゃ、冒険者ギルドに行くわよ」


「はいっ!」


 はぐれないように手を繋ぎ、2人はトルンデイン北側の大通りへ入った。それから間もなくして、"冒険者ギルド"という看板が掛けられた建物に辿り着く。セロが言っていた、トルンデイン支部である。

 ギルド本館は2階構造となっており、外からでも1階に受付カウンターらしきものが並んでいる様子が良く見えた。体格の良い獣人族に対応するためか、入口の間取りは広く、天井も高い。冒険者が集う場所と聞いて、騒々しい酒場のような場所を想像していた少女達だったが、その予想は良い方向に裏切られたようだ。室内は広々としており、雰囲気も悪くない。


「これ、異世界版ハローワークって感じがするかも」


「言い得て妙ですね、それ……」


「まずはどこに行けばいいんだろ。手前の受付テーブルかな」


 ココノアとメルは窓から中の様子を伺った。剣を携えた皮鎧の若者や、狩人のような装いの獣人族女性、鋼鉄のフルメイルを着込んだ精悍な戦士――まさに冒険者という装いの面々が、ギルドの職員らしき人物達と会話をしている。彼らが仕事を斡旋して貰うためにここを訪れたと考えれば、ココノアの比喩もあながち間違ってはいないだろう。


「とりあえず入ってみるわよ。冒険者になりたいって言えば、後は流れで登録してくれるんじゃない?」


「うんうん、気楽に行きましょう! NeCOでも冒険者として登録する時は、クリック3回くらいでイベントが終わってましたから!」


 そんな会話を交わしつつ、風変わりな見た目の少女達は冒険者ギルドへ踏み入ったのであった。

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