第13話 異世界研修⑦
晩餐会が終わる頃にはすっかり夜も更け、森一帯は静寂に包まれていた。館の窓は真っ暗だが、目を凝らすと見えてくる景色には昼と違う趣がある。淡い月明かりが照らす木々や草花は、儚くも美しい。深夜ですら煌々と輝く現代日本の都心では見られない光景だ。
セロとの会食を終えた後、メルとココノアは自室へと戻って寝支度を
「美味しかったですね、リエーレさんのお料理。美味しいデザートまで頂いちゃいました♪」
「明日出発だってのに食べ過ぎよ。胃もたれしても知らないからね?」
「大丈夫です! 今の私は若いので!」
肌触りの良いシーツに
「灯り、消すけどいい?」
「はい、お願いします」
ココノアが枕元に置いてあった水晶球に触れると、天井から吊り下げられた照明が消えた。自分達の身体より遥かに大きいベッドで仰向けになった少女達は、心地よい草葉のさざめきを子守歌代わりにして瞼を閉じる。
しかし、メルにはどうしても友人へ伝えたい事があった。眠りを妨げるのは申し訳ないと思いつつも、言葉を紡ぐ。
「ココノアちゃん、ありがとうございます。私と一緒に居てくれて」
「……何よ、急に?」
尖ったエルフ耳がピクリと動いた。ココノアは閉じたばかりの瞼を開き、隣のベッドへ顔を向ける。メルも彼女の方を見ていたので、図らずも2人の視線は交差した。
「ええと、一度しっかりとお礼を言っておきたくてですね……実は異世界へやってきた時、これからどうなっちゃうんだろって凄く心細かったんです。でもココノアちゃんが私を見つけてくれてからは、不安なんてすっかり消えました。今は一緒に冒険できる事が嬉しくて、ワクワクしちゃってます♪」
「そんなの気にしなくていいってば。礼を言われる程の事なんてしてないし……」
前髪を指で弄りながら、ココノアは照れ臭そうに頬を染める。見慣れた顔を異世界で発見した時、安堵と喜びを得たのは彼女も同じである。ただ、他人に弱みを見せまいとする勝気な性分が邪魔して、素直になれなかった。
そんな友人の心を知ってか知らずか、メルは2人が出会った時の思い出を振り返る。
「そういえば最初にパーティを組んだ時のこと、覚えてます? 私に初めて声を掛けてくれたのがココノアちゃんでした!」
「……さぁ、どうだったかしらね」
はぐらかしたココノアだが、メルとの
§
ストレス発散目的でNeCOを始めたココノアは、ジョブに
ただし、フォースマスターは典型的な大器晩成タイプだった。ある程度まで育つと強い一方、低レベル帯のモンスター狩りでは、どうしても苦労する事になる。手っ取り早くレベルを上げたかったココノアは、適正帯より難易度が高い洞窟ダンジョンに通い詰めたが、無謀なプレイが押し通せるほどNeCOの戦闘バランスは緩くない。
ある日、ココノアはダンジョンの奥で行き詰ってしまった。回復薬のストックが切れた上、身に着けた魔法使い用のローブや三角帽子の耐久力もゼロに近い。戦闘不能になれば街に戻れるが、蓄えた経験値の一部をロストしてしまうため、出来る限り死にたくはなかった。
『初心者さんですね! 頑張ってください!』
そんな時に回復魔法を掛けて応援してくれたのが、通り掛かった聖職者風の少女だ。緑色のエフェクトが発生し、HPの表示バーが安全域まで戻る。何とか危機は脱した。
(これが辻ヒールって奴? 随分と趣味に走ったプレイね)
メルという名前が頭上に表示されたプレイヤーは、レベルこそココノアを上回っているものの、装備が貧弱で見た目も初心者と変わらない。それなのに苦戦している他の冒険者を見つけるなり、ヒールを掛けて応援していた。
回復するだけでは経験値やドロップ品――モンスターから得られる報酬が手に入らないので、完全に時間の無駄である。だからこそヒーラーのような支援役は複数人でパーティーを組み、分け前を貰うのが当たり前だ。どうせ暇を持て余したネトゲ廃人の遊びだろうと決めつけ、ココノアはお礼のエモートも使わずその場を後にした。
それから数カ月が経ち、レベルを上げて力を付けたココノアは再び洞窟ダンジョンを訪れた。今回の目的はモンスター狩りではなく、ダンジョンを経由した先にある新マップである。高価な報酬が貰えるクエストがあるため、金策に最適だった。他のプレイヤーより早く辿り着いてクエストをクリアするべく、洞窟の中を急いで進んでいく。
(……えっ、あの人まだここにいるの!?)
道中で見掛けた少女に、ココノアは驚きを禁じ得なかった。以前、辻ヒールを掛けてくれたプレイヤーが、雑魚モンスターをちまちまと殴っていたからだ。装備は多少良くなっているものの、肝心のレベルが殆ど上がっていない。
この時になってようやくココノアは気付いた。"メル"は廃人プレイヤーが趣味で動かしているキャラではなかったのである。適正レベルより低いモンスターをいくら狩ったところで、得られる経験値は雀の涙ほどしかない。苦行にも等しい雑魚狩りを延々とやってたであろうソロヒーラーに薄気味悪さすら感じつつ、彼女はダンジョンの奥へ向かった。
『クシャァァァ!!』
だが出口の直前でボスモンスターである超大型サソリ――"
(なんでこんなところにボスがいるのよ! 誰かが引っ張ってきたとか!?)
本来ならば、ボスモンスターはダンジョン最深部にあるボス専用の広間にのみ出現する仕様である。だが一部の悪意あるプレイヤーが、わざとボスを出入口付近へ誘導することがあった。彼らにとっては遊びの一環なのかもしれないが、他のプレイヤーにとってはハラスメント行為に等しいものだ。
通常のモンスター相手に敗北しても、他のプレイヤーから蘇生を受ける事でデスペナルティから逃れる事ができる。しかしボス戦だけは例外だ。死亡前提で強敵へ挑み、何度も蘇って強引に攻略する
(なかなか諦めてくれないわね、あのクソ
素早い動きで執拗に追ってくるデス・スティンガーに苛立つココノア。ボスモンスターは総じて好戦的であるため、ダンジョン内にいる他のプレイヤーキャラへ擦り付ける事もできたが、彼女はMPK(Monster Player Kill:モンスターを使った他プレイヤー妨害行為)を良しとしなかった。故に、ボスが諦めるまで逃げ続けてやると覚悟を決める。
しかし他プレイヤーの往来がある地点を避けると、移動可能な場所はどうしても絞られてしまう。熾烈な逃走劇の末、ココノアは岩壁で閉ざされた袋小路へ追い詰められた。レベル20~30台向けのダンジョンであるにも関わらず、デス・スティンガーのレベルは80を超える。後衛職のココノアにとってはボスの一撃一撃が即死級のダメージだ。逃げる間に受けた雑魚モンスターの攻撃でHPは半分程度まで削られており、次で死亡が確定する。
(これで数週間分の経験値がパーじゃない! ほんとマゾゲーだわ……どうして遊びでストレスを感じないといけないのよ!)
面倒なレベル上げを再びやる気になれず、引退の2文字が脳裏を
一方、ターゲットに対する回復魔法を検知した事で、デス・スティンガーの挙動が変化した。ココノアには興味ないとばかりにソッポを向く。
『キシャァァァッ!!』
尾の毒針を持ち上げた巨大サソリが次に目を付けたのは、近くにいたメルだった。NeCOではモンスターに回復役を優先的に狙うAIが搭載されているため、ターゲットした対象に回復や支援を行ったキャラクターを率先して襲う傾向がある。
『嘘でしょ、なんでヒールしてんの!? そっちが狙われるってのに!』
『ここは私に任せて脱出してください! こっちの事は心配してもらわなくても大丈夫ですから!』
そんな吹き出しが表示された直後、メルの体を赤黒い毒針が貫いた。ココノアよりレベルの低い後衛キャラなら即死してもおかしく無かったが、体力のステータスに多くパラメータを振り分けた構成らしく、耐えて踏ん張っている。
少女は自分にヒールを連打して回復するものの、表示される効果量は
『アンタこそ早く逃げなって! ここでやられてレベルが下がったら、この洞窟からずっと出られなくなるじゃない!』
『えへへ、お気遣いありがとうございます。でも新人さんこそ、新マップにいけるくらい強くなってるんですから、こんなところで死んじゃったら勿体ないですよ! それに私、こういうのは慣れてるので!』
『新人さんって……うちの事、覚えてたの?』
相手が自分を覚えていた事に、ココノアは少なからず衝撃を受ける。薄暗くて何の面白みもないダンジョンでレベル上げをしながら、一体どれほどの新人プレイヤー達へ無償の支援を施し、見送ってきたのだろうか――そんな想いが胸に渦巻き、彼女はメルを見捨てる事ができなくなった。
『ああもうっ! こうなったらこのサソリ野郎をぶっ飛ばすしかないわね! 他のプレイヤーを呼んでみるから、もうちょっと耐えてて!』
ココノアは自身のアイテム欄から"信号弾"のアイコンを選択し、すぐさまクリックする。その直後、洞窟付近にいる全プレイヤーにデス・スティンガーの名前と現在位置が表示された。
この信号弾というアイテムは、パーティープレイ時などでボス位置を共有するために使われる課金アイテムだ。いずれレアドロップ目当てのボス狩りパーティーへ参加することもあるかもしれないと、密かに持ち歩いていた。
(頼むから来てよ、ボス狩りしてる高レベル廃人共……!)
いるかどうかも分からない上級プレイヤーへ運命を託すココノア。分の悪い賭けではあったが、幸いにもダンジョン近辺や新マップでボス狩りに勤しむグループが複数存在した。1分も経たないうちに、強そうな装備で身を包んだキャラクター達が続々と集まってくる。
ただ、彼らの目的はメルの救援ではない。デス・スティンガーはごく低確率で有用な装備品をドロップするため、それが狙いだ。アイテムの
『待って! 先にボスから攻撃されてる人を助け――』
メルを救いたい一心で他のプレイヤーを頼ったココノアであったが、その願いは裏目に出る。全員が他人より多くのダメージを叩き出す事にしか興味なかったからだ。そもそもメルがボスの足止めをしている状況の方が、攻撃に専念できるので都合が良い。
『てめぇ、横殴りするなよ! ルートは俺のモンだからな!』
『後から来たくせに、出しゃばりやがって!』
『雑魚共は引っ込んでなさい! 私の魔法で最大ダメージを叩き出してあげるわ!』
高レベルプレイヤー達は互いに罵り合いながら、デス・スティンガーに過剰なまでの集中砲火を浴びせる。大量の矢が降り注いだと思ったら、今度は三日月のような飛翔する斬撃が直撃し、最後はトドメとばかりに爆炎の魔法や吹雪の魔法が炸裂した。人数が多いのもあり、一方的な
あっという間にボスのHPバーは消滅し、その場にさまざまな希少アイテムを落として消えた。ルート権を取得したグループはその上に陣取って、勝ち誇った様子で自慢している。ボスの攻撃を一身に受け、命を散らした少女を気にも留めずに。
『そんなっ……!』
うっすらと消えていくメルの姿を見て、ココノアは酷く後悔した。誰か1人でもメルを回復していれば、膨大なペナルティを負わなくても済んだはずだ。だが不特定多数のプレイヤーによって成り立つMMORPGは、自分の利益を追求する側面が強いゲームでもある。ボスのルート権争いという競争要素が加われば尚更だろう。ココノアに他人を責める権利はない。
(うちのことを見捨てれば、苦労を水の泡にする事も無かったのに……)
洞窟の端で横たわったまま復活地点へ送還された低レベルキャラ――その存在を気に掛ける者は居なかった。たった1人、彼女によって救われたプレイヤーを除いては。
(なんでだろ……たかがネトゲで、こんな気分になるなんて)
底抜けにお人好しで呆れるほどに要領が悪い、ポンコツヒーラー。大半の者がバカな奴だと
(……ああいう人と遊んでみるのも、面白いかもね)
生まれて初めて抱いた他者への強い興味に従い、ココノアは翌日も同じ洞窟へ足を踏み入れる。そして誰にもパーティを組んで貰えず1人でモンスターを狩るメルを見つけ出すと、意を決して声を掛けた。
『ねえ、うちとパーティーを組んでくれない? 格上のボスモンスターに自分から挑むようなガッツのあるヒーラーって、他にいないんだよね』
『わ、わわわ私なんかで良いんですかっ!? あの、えっと、その……
この一連の出来事が、彼女達によって綴られる冒険譚の始まりとなる。以降、ココノアとメルはどんな時も行動を共にしてきた。NeCOがサービスの終わりを迎えた、最後の日まで。
§
追憶から意識を戻したココノアの顔には、優しい笑みが浮かんでいた。相方の方もNeCOで過ごした日々に想いを馳せたらしく、ニッコリと八重歯を覗かせる。
「あの日から、私とココノアちゃんは色々な場所へ行きましたよね。海底にあったお魚いっぱいの洞窟や、冷たい氷で閉ざされた地下都市、お空に浮かぶ浮遊大陸……どれも初めて見る景色ばかりで、すごく楽しかったです!」
窓から入る月光に照らされた愛らしい笑顔を目の当たりにし、思わずココノアはドキリとしてしまった。心に秘めた感情が溢れ出し、言葉となって口を
「それなら、
「ココノアちゃん……!! 不束者ですが、明日からもよろしくお願いします♪」
「なんか10年前にも同じ台詞を聞いた気がするんだけど……ま、いっか。さてと、いい加減寝ないと朝起きれなくなるから、今日はこれでおしまいね」
「はいっ、おやすみなさい!」
明日から始まる冒険に期待を膨らませる少女達――その健やかな息遣いは、希望に満ちた朝日が登るまでの間、2人だけの音色を奏でた。
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