第11話 異世界研修⑤
「困らせるつもりは無いのだが……」
「そうであれば、ココノア様とメル様を引き留めるべきではありません。お二人がここへお越しになられた時の事を、もう忘れてしまったのですか?」
「ううむ……」
侍女の指摘を受け、セロは低い声で唸る。彼はココノアとメルを館へ迎えた初日、リエーレも交えて彼女達の将来について協議を実施した。諸外国に比べると治安が良いとされるエリクシル王国と言えど、頼れる親類がいない子供が苦労せずに生きていけるほど甘くはない。そのためセロは当初、館に住み込みで働く侍女見習いになるか、もしくは国営の孤児院を利用してはどうかと提案している。しかし少女達はその両方を拒んだ。自分達だけでやっていけると判断したタイミングで旅に出るから――それが返事の理由だった。
「ココノア、あの時の考えは変わっていないのか?」
「もちろんよ。うちらは自分の事についてまだ何も分かってないの。だから世界を見て回って、もっと色々知りたいって思ってる。それにセロに頼りっぱなしなのも、どうかと思うし」
「俺は別に構わんが……お前達の意思を尊重すべきだろうな。しかし、この森には獣だけでなく魔物も住み着いている。せめてメルがリエーレの修練を終えるまでは滞在した方がいいだろう」
高い塀と魔法による結界で守られた館の敷地内は安全だが、そこから1歩でも外に出れば様々な危険が襲い来る。故にセロはメルの成長を待つように諭した。しかしココノアの相方であるメルも規格外の存在だ。元筆頭冒険者の協力を得て経験を積んだ彼女は、セロと戦いを繰り広げた時よりも遥かに強くなっている。
「ご主人様、その点ならご心配無用です。メル様はご立派に全ての過程を修了しました。冒険者として十二分にご活躍されると思います」
そう言うなり、書斎の中央まで足を踏み入れるリエーレ。彼女はテーブルの上に鈍く銀色に光る破片を置いた。メルが砕いた模造剣の先端である。セロは綺麗に割れた断面を見て、極めて異質な力が加えられた事をすぐに察した。
「……どんな戦い方をすれば、訓練用の剣がこんな状態になる? 遠くの鍛冶工房まで行かなくて済むようにと、これには破壊防止の硬化魔法を何重にも付与していたはずだが」
「私が放った渾身の一撃を、メル様が素手でお受け止めになられた結果がこれです。硬化魔法の上から氷結魔法で補強してもこの有様なので、たとえ本物の剣であっても結果は同じだったかと」
「……驚かされる事ばかりだな。ココノアと言い、最近の子供はどうなっている? 天変地異の前触れか?」
幼い子供達が見せる末恐ろしい才能に、セロは苦笑を浮かべるしかなかった。実績が示された以上、その実力を疑う余地はない。午後の陽射しに照らされた森の景色を一瞥した後、彼は巣立ちの許可を
「最近の森は随分と穏やかに見える。旅に出るなら良い時期かもしれない。ココノア、いつ出発するつもりだ?」
「んー……そうね、こういうのは勢いが大事だから明日の朝にするわ。メルにはうちから伝えておくから」
「ふむ、ならば俺達も送り出しの準備に取り掛かろう。リエーレ、頼めるか?」
「ええ、分かっております。ココノア様は一旦お部屋へお戻りください。その後、メル様と浴場までお越しいただけますか?」
リエーレの口から飛び出した"浴場"という単語に、ココノアはキョトンとした。館の1階には複数人で利用できる大きなバスルームがあり、彼女も毎日利用している。ただし、湯浴みのタイミングは基本的に日暮れ以降だ。まだ日が高いうちから浴室へ入った事は1回も無かった。
そんなココノアの疑問を表情から感じ取ったのか、リエーレは微笑みながら説明を加える。
「出発の前にココノア様の髪を整えさせていただきたく思いまして、ご足労をお願いしました。ご許可いただけるのであれば、ですが……」
「あっ、そういう事!? 許可も何も、こちらからお願いしたいところよ。1カ月で結構伸びちゃったし」
「ふふっ、それではメル様にもお声掛けをお願い致します。すぐに私も浴場へ向かいますので」
丁寧に一礼し、リエーレは書斎から立ち去った。再び室内はセロとココノアだけになる。
「なんか申し訳ないわね。最後まで世話になりっぱなしで」
「ククッ、気にしなくて良い。リエーレの出身地でもあるダークエルフの集落では、成人を迎えた子の髪を親が整えてから送り出す風習があってな。彼女からの旅立ち祝いとして、受けてやってくれ」
「へぇ、そうなんだ? それなら遠慮せずに甘えさせて貰おうかな」
ココノアは魔導書を手に取って椅子から降りた。頭の中でメルと一緒にバスルームへ向かうスケジュールを立てながら、セロの方を振り返る。
「この魔導書、ありがとね。大事な旅の仲間として連れていくから」
「ああ、そうしてくれ。窮屈な本棚に押し込まれるより、お前と共に世界を見て回れる方がそいつも嬉しいだろう」
「それじゃ、失礼するわ」
身体のサイズに合わない分厚い本を携え、ふわりとスカートを靡かせる小さな魔法使い――その後姿を静かに見送った館の主は、鞄も用意してやった方が良いかもしれないなと思案を巡らせるのであった。
§
「ココノア様、メル様、お待ちしておりました」
浴場の脱衣所に到着した2人の少女を、リエーレは朗らかな笑みで迎える。彼女の両手には形状が異なる2種類のハサミが握られており、まさに準備万端といった様子だった。
「僭越ながら私が髪をお整え致します。まずはお召し物をお脱ぎいただけますでしょうか?」
「えっ、ヘアカットでしょ? 別にこのままでもよくない!?」
てっきり美容院のように服を着たままカットするのだと思っていたココノアに、大きな衝撃が走る。髪を洗う可能性を考慮して着替えは用意して来たが、最初に脱げと言われるのは想定外だ。
(そりゃ、子供の頃にお風呂で髪の毛を切ってもらった時は裸になったけど……!)
良い歳の大人である彼女は
「あら、ココノアちゃんはまだ髪型に悩んでたりします? リエーレさんをお待たせするのも申し訳ないですし、私から先に切って貰いますね♪」
「ではメル様から、あちらへどうぞ」
「はーい!」
一糸
(いやいやいや、思い切り良すぎでしょ!! 普通はちょっとくらい気にするもんじゃないの!? まさか、獣人族は羞恥心がなかったりとか……?)
彼女がカルチャーショックを受けている間にも、メルのヘアカットは始まる。間もなくして、シャキシャキと小気味よい音が響いた。浴室の壁には鏡があるので、カットされている本人も仕上がり状況を確認することが可能だ。
「えっと、後ろ髪の長さは背中の真ん中くらいまででお願いします。あと結えるようにしたいので、頭の両側は整える程度で!」
「承知致しました。それにしても……ふふっ♪ 心躍るような鮮やかさに、サラサラとした手触りで本当に綺麗な髪ですね。羨ましい限りです、メル様」
「いえいえ、リエーレさんの黒髪もかっこよくて素敵ですよ! ……あ、そこはもう少し
楽しそうな会話が脱衣所まで聞こえてくる。NeCOの自キャラに強い拘りがあったメルらしく、細かな注文を付けているようだ。
何より、この世界に美容師という職業が存在するは不明である。もし居たとしても、彼女が満足できるレベルとは限らなかった。ならばセンスが良く、手先も器用なリエーレに任せるのが最適解だろう。
(このチャンスを逃すわけにはいかないわね……今が覚悟を決める時よ!)
ココノアは肩のケープレットを外し、ブラウスのボタンへ手を掛けた。純白の布地がさらりとはだけ、薄い水色の下着が
(今は幼女……そう、幼女の見た目だから! 裸を見られたところで、どうってことないし!)
意を決して下着を脱いだエルフ少女は、小走りで浴室へ駆け込む。雪の如き白肌とは対照的に、彼女の頬は赤く染まっていた。
§
半時間後、浴室には満足げなココノアの姿があった。伸び気味だった髪の毛はきっちりと肩までに切り揃えられており、清潔感が漂う。
「へぇ、上手いもんね。これなら十分お金を取れる技術じゃない」
浴室のウォールミラーに映る自身の姿を見て、ココノアは嬉しそうに呟いた。リエーレは剣術の腕前だけでなく、美容師の才能も持ち合わせていたらしい。幼さの残るエルフ少女の顔立ちに合わせ、バランスよく仕上げられたヘアメイクは見事なものだった。
「以前にも増して可愛いですよ、ココノアちゃん! ミディアムボブっていうのかな、こういうの? とにかく、凄く似合ってます♪」
「そういうメルだって、結構印象変わったじゃないの。前は猫耳の生えた野生児って感じだったのに、今じゃ随分マシに――」
話の途中でココノアの唇がぴたりと止まる。鏡に反射したメルの裸を直視してしまったからだ。NeCOでは10年近く一緒に過ごしてきた相方でもある。同性といえど、意識せずにはいられない。
「なんでまだ裸なの!? 先に終わってたんだから着替えて来なさいよ!」
「えっ、どうしてです? このまま湯浴みもしておいてくださいね、ってさっきリエーレさんが言ってたじゃないですか」
「いや、それはそうだけど! 今までお風呂は別々だったんだし、今回もそうするのが普通でしょ!?」
「申し訳ありません。少し宜しいでしょうか」
不意にリエーレが2人の会話に割って入る。使い終わった調髪道具一式を手に持ったまま、彼女はココノア達に深々と頭を下げた。
「御祝いの意味を込めて、今晩は主を含めた晩餐会を予定しております。ココノア様とメル様がお揃いになられる時間に合わせて料理を作りますので、本日はご一緒に湯浴みいただきたく存じます」
「うぐっ……」
世話になりっぱなしの身で、せっかくの厚意を
「わぁ♪ お料理、楽しみにしてますね! あっ、でも髪の毛ってそのまま流しちゃってもいいんですか? 詰まったりしません?」
「大丈夫ですよ。排水口は固形物を自動的に処理する魔道具へ繋がっていますから、詰まるような事はございません」
「なるほど、それなら安心して流せそうです!」
「では、ごゆっくりと」
律儀に一礼して去っていくリエーレを見送った後、メルはココノアのすぐ隣へ移動した。上機嫌な様子で椅子に腰かけ、壁から突き出た魔道具――銀色の水栓金具に手をかざす。
――バシャバシャバシャ!――
メルの魔力に反応してバルブが開き、先端の穴から湯気を伴った湯が勢いよく飛び出した。内部に仕込まれていた術式が作用し、温水を生成する魔法が発動したのだ。
「これ便利ですよね! 日本にも欲しいくらいです♪」
「確かに電気なしで温水を出せるのは便利……って、なんで隣に陣取ってるのよ!? 洗い場は他にもあるでしょうが!」
「えへへ、一緒に入るのなんて初めてじゃないですか! だから親睦を深めようと思いまして!」
満面の笑顔を咲かせる猫耳少女。
(親睦を深めるって……どういう意味で受け取ればいいの!?)
ココノアの鼓動が加速する。客観的に見れば、2人の間柄はオンラインゲーム仲間と表現する他ない。しかし、実際には"友達以上恋人未満"という言葉が当て嵌まる程に親密だった。長くNeCOで一緒に過ごした時間が、性別の壁すら越える絆を育んだのである。普段わざと素っ気なく接するものの、ココノアはメルに対して特別な感情を抱いていた。
(メルってば、この状況でもマイペースね。うちの事、何とも思ってなかったりする……?)
相手が自分をどんな風に想ってるのか気になりつつも、ココノアは平常心を装う。置かれていた石鹸を手に取り、泡立て始めた。リエーレが庭園に咲く花のエキスを抽出して手作りしたそれは、少し
(いつもならリラックスできる香りだけど、この状況だと全然落ち着かないわ)
そわそわした様子でココノアは隣をチラ見した。モコモコ泡を肌に乗せて愉しむ――そんな他者の視線を気にも留めてないメルの振る舞いは、無防備としか言い様のないものだ。ガードが緩すぎて、横からでも発展途上の膨らみが見えてしまう。
(まったく、警戒心の欠片も無いんだから……悪い虫がつかないように、うちが守ってあげないと)
密かに決心するココノア。そんな彼女の足元に、乳白色の塊が転がってくる。メルが使っていた石鹸だった。
「あっ! ごめんなさいココノアちゃん! 手元が滑っちゃって!」
「き、気を付けなさいよ。踏んだりしたら危ないでしょ」
石鹸を拾い上げて返そうと隣を向いた瞬間、ココノアの瞳に幼女の裸体が映り込む。メル本人が自ら石鹸を受け取りにやってきたのだ。胸どころか下半身も隠していないため、何もかもが丸見えである。思いもよらぬ光景にココノアは硬直した。
「てへっ、失敗しちゃいました。拾ってくれてありがとうございます♪」
石のように固まった手から石鹸を受け取ると、メルは自分の洗い場を振り返った。今度は柔らかそうな2つの山と、そこに挟まれた桃色の尻尾が眼前に迫る。
(NeCOの時から距離感がおかしいとは感じてたけど、流石にこれは近すぎない!?)
まだ湯船に浸かってすらいないにも関わらず、耳の先まで真っ赤になるエルフ少女。浴場から出るまでの間、彼女がメルをまともに見られなくなったのは言うまでもない。
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