第10話 異世界研修④

 メルとリエーレが激しい攻防を繰り広げていた頃、館の2階にある書斎ではココノアがセロと向かい合って座っていた。異世界における魔法の技術指導を受けるためだ。テーブルの上に置かれた魔導書――いわゆる魔法の教科書をパラパラと捲りながら、幼いエルフ少女はそこに綴られた難解な文字列へ目を走らせる。


(一般人が魔法を使うのって結構大変みたいね。は想像するだけで発動できるけど)


 この世界における魔法は、NeCOのスキルとは様々な点で差異があった。魔導書では、『体内にある魔力を"術式"と呼ばれる変換器を通して外部へ出力し、発火や凍結などの物理現象を操る技術』を、魔法と定義している。術式はいわばプログラミング言語のようなもので、術者が誤った術式を構築した場合、どんなに魔力があっても正しい結果は得られない。そのため魔法を扱う者には高い知能と集中力が要求された。

 一方、術式を道具の中に組み込み、魔力を注ぐだけで簡易的な魔法効果を得られるようにしたものが魔道具である。すべての魔道具には術式が刻まれており、魔力の大小によらず魔法を発動可能だ。その反面、定められた以外の事はできなかった。例えば照明用の魔道具を使って魚を焼こうと思い至っても、炎の向きと勢いが術式で固定されるため、中途半端な生焼けになってしまう。

 対して、ココノアが扱う魔法――NeCOのスキルは、術式構築という過程を想像力に置き換えたものに該当すると言える。難しい数式や魔法陣を記憶せずとも、スキルのイメージさえ思い描く事ができれば発動できた。NeCOを10年近くプレイしてきた彼女達にとって、魔法は何ら難しいものではなかったのだ。

 それでも理論や原理を正しく学ぶ事が無駄になったわけではない。NeCO由来の異能に、学術的な要素を持つ異世界の魔法理論がプラス方向に作用した結果、ココノアが有する魔法使いスペルユーザーとしての実力は、眼前の師すらも超えるステージに到達した。


「……以上で講義を終える。今のお前に教えてやれる内容はこんなものだろう。その魔導書は卒業証書代わりに持って行くがいい」


 感慨深い面持ちで口を開くセロ。1カ月前に彼が計画した緻密なカリキュラムは、すべて予定通りに進んでおり、今日で終わりを迎えた。銀髪のエルフ男性は教え子の成長っぷりを喜ぶように目を細める。


「俺が人生をかけて培ってきた技術の殆どは、そこに記してある。もし、お前が誰かに魔法を教える時がくれば、遠慮せずに使ってくれ」


「貰えるなら貰っとくけど、いいの? これって大事なものなんでしょ?」


「構わんさ。これ以上ない素質の持ち主に渡せるのなら本望だ。弟子を取るような老人連中の考えは理解できないと思っていたが、存外に悪くないものだな」


 そう言うとセロは椅子から腰を上げ、壁際へと歩み寄った。そして数年単位で閉め切られていた窓に手を伸ばす。ガチャっという音と共に、爽やかな風が部屋の中へ吹き込んだ。


「ココノア、お前が操る"新生魔法"は強大で美しい。特定の属性を持たぬが故に、何にも縛られない自由な魔法……かつて俺が理想とした魔法に似ている。もしお前が許すなら、これからも俺とここで魔法の探求を続けないか」


「何よ、そのプロポーズみたいなセリフ……うちみたいな子供に掛ける言葉じゃないっての。まさかセロってロリコンだったりする?」


「ん? なんだ、そのロリコンというものは……? 新たな魔法用語か?」


 真面目な顔で首を傾げるセロを見て、ココノアは吹き出しそうになる。ロリコンとは少女性愛者を示すロリータコンプレックスの略称であるが、異世界に存在しない単語なのか、意味が上手く通じない。


だ……こっちの世界にも存在する言葉や文字なら問題ないけど、地球にしかない表現は通じない事が多いのよね)


 この世界へやってきた当初、日本語で会話できる事に何ら違和感を持たなかった少女達であるが、セロの館で過ごしているうちに気付いた事があった。オーソドックスな会話なら問題ないものの、現代日本の略語や造語の類だと正しく伝わらないのである。この事実からココノアはある仮定を立てた。


(うちらには多分、異世界の言語や文字を日本語として認識できる特殊な力がある……魔法や魔道具なしで自動翻訳されるとは考えにくいし、これは"言語変換"のパッシブスキルが持つ効果だと思っていいかも)


 NeCOでは冒険の基本舞台である現代の他に、過去や未来を行き来するといった冒険要素がある。その時空移動を行うための前提条件として、プレイヤーはゲーム中で言語変換というスキルを覚える必要があった。もちろんココノアやメルも例外ではなく、とっくの昔に習得済みだ。


(キャラクターの強さには影響しなかったから、別マップへの通行証として使うだけの無駄スキルだと思ってたけど……まさかこんな形で役に立つなんてね)


 魔法に代表されるアクティブスキルはプレイヤーが能動的に発動する必要があるが、キャラクターの特性とも言えるパッシブスキルは意識せずとも常時効果が発揮される仕様である。そのためココノアは今まで言語変換スキルの存在をすっかり忘れていた。


「どうかしたのか、ココノア? さっきから黙り込んでいるが……」


「えっ……? あ、いや何でもないの。ちょっと考え事をしてただけ」


 少女達はここと違う世界からやってきた事をセロに話していない。隠し事をする罪悪感は多少なりともあったが、今は身寄りのない子供というで受け入れて貰っている。これは余計な詮索を避け、異世界へ溶け込むために必要な対応だった。考え事の中身を問われたく無かったココノアは、さり気なく話題を相手好みの内容へ誘導する。


「そういえばさ、セロが教えてくれた魔法の二重詠唱デュアル・キャスト って、古代だと普通に使われてたって教えてくれてたじゃない? どうして幻の詠唱術なんて呼ばれるようになったのか聞いても良い?」


 彼女が口にした二重詠唱とは、異なる種類の魔法を2つ同時に発動する技法だ。魔法を唱える時は、それに応じた術式を構築するのにリソースの殆どが使われるため、2つ同時に発動する事は極めて困難とされた。自身も数回の二重詠唱が限界である事を踏まえ、セロはデュアルキャストが幻の詠唱術と呼ばれるようになった所以ゆえんについて語り出す。


「そこに疑問を持つとは、なかなか良いセンスだ。信じ難い事だが、数千年以上遡った時代の方が今よりも魔法の研究が進んでいたという記録が多く残っている。お前のように制限なく魔法の二重詠唱デュアル・キャストを扱える程の能力が、古代人にはあったのかもしれないな」


「古代人には、って……セロだって出来るんでしょ?」


「可能と言っても数回が限度だ。それ以上やろうとすれば脳に負担が掛かり、倒れてしまうだろう」


「えっ、そんな危ない技をうちに教えてたの!? 倒れるリスクとか全然聞いてなかったんだけど!!」


「クククッ、心配は無用だ。訓練を通して危険性の有無は見極めている。術式の処理速度において俺を凌駕するお前ならば、何ら問題はない」


 セロはそう断言し、亜麻色の髪を靡かせる小さな頭を見つめた。説明を受けても尚、ココノアは師に疑いの視線を向けるが、彼の言葉自体は間違っていない。魔法に特化したNeCOのアバター補正に加え、本人が有する非常に高いマルチタスク能力――それらが二重詠唱の反動を完全に打ち消すためだ。

 ココノアは元の世界においてイラストレーターと呼ばれる職を生業としていた過去を持つ。デジタル絵を描く上で重要なのは、幾重にも重ねる画層レイヤーの管理である。時には100層を超えるその構造を把握して適切に編集する能力は、魔法の並列詠唱に通じるものがあった。


「まあ今更どうこう言っても仕方ないし別にいいや。それより、たまにはセロの事も教えてよ。今日の授業は終わったんだしさ」


「む、俺の話を聞きたいだと? 自分の事を語るのはあまり好きではないのだが……」


「そう言って、いつも逃げるじゃない。それとも何か後ろめたいことでもあるの? まさか本当にロリコンとか言わないでよ」


「そのロリコンが何か分からないのだが……」


 言葉の意味が分からずとも、何かとんでもない疑惑を抱かれているのではと察するセロ。気の強そうなツリ目をさらに吊り上げるココノアに対し、彼は観念したようにゆっくりと話し始めた。


「……俺は過去にこのあたり一帯を治めていた王家の血筋でな。その縁もあって、エリクシル国王直々にこの地の統治を任されている」


「へぇ、領主の仕事をしてるのは知ってたけど、王族の末裔って話は初耳かも。その話、もう少し詳しく知りたいわね」


「ならば、ちょうど良い資料がある。少し待っていろ」


 セロは本棚から1冊の古めかしい本を手に取る。焦げ茶色の表紙には象形文字を思わせる異様な言語が書かれており、他の書物とは見るからに雰囲気が違う。彼はそれをココノアにも見えるよう、テーブルの上へ置いた。


「なにこれ……古代トレンティア王国の歴史?」


「凄いな、お前はこれが読めるのか。古代文字を教えた覚えはないが……」


「あぁ、えっと……なんとなく読める程度だから、気にしないで」


 知らない文字でもココノアは日本語として意味を読み取ることができる。言語変換スキルの恩恵だ。セロは彼女がこっそり古代語を勉強していたのだろうと推測し、特に疑問を抱くことなく続きを述べた。


「トレンティアはこの森を中心に栄えていたエルフの王国だ。当時は今よりも大きな樹木が聳え立っていたらしい。人々は頭上を覆う枝葉に守られ、慎ましくも穏やかに暮らしていたが、ある怪物によって滅亡へと追いやられた」


「滅亡って……一体何があったの?」


「前触れもなく、天から降ってきた巨大な火竜に森ごと焼き尽くされた……そう、この本には記されている。数千人規模で討伐隊を募り、万全の体制を組んだとしても竜種を仕留めるのは難しい。記述の通り不意打ちを受けたのなら尚更だな」


「災害みたいな存在ね……」


「ああ、まさしく厄災と言っていいだろう。竜種の中でも火竜は特に強大な力を持つ。この大陸でも多くの被害を出した恐ろしい化け物だ」


 セロが開いたページには、大きな翼を持つトカゲのような獣と燃え盛る森の様子が描かれていた。御伽話を思わせる抽象的な絵ではあったが、当時の凄惨さは少なからず伝わってくる。いずれドラゴンと戦う可能性があるかもしれないと危惧したココノアは、火竜の所在を尋ねた。


「その竜、結局どうなったのよ」


「トレンティアで最も力のあった魔術師が、自らの命と引換えにこの地に封印した。古代術式で生み出した永久氷晶の檻を使ってな」


「あーはいはい、読めてきた。セロがその魔術師の血縁者なんでしょ?」


「クク、察しがいいじゃないか。そういう事だ」


 ニヤリと笑うセロ。彼の氏名に含まれるトレンティアという姓は、古代エルフ王国の名称と同じである。だからこそ少女はすぐにピンときたのだ。


「それじゃ、そのドラゴンはまだどっかに封印されてるってことね」


「いや、半世紀ほど前に討伐した。俺とリエーレでな」


 想定外の回答に、ココノアは目を丸くする。彼女が驚いたのは『討伐した』のくだりではなく、その前段部分だった。


「ちょっと待って! セロって何歳なのよ!?」


「……何故そこで歳の話になる?」


「いいから教えて!」


「む、そうだな……最低でも100年は生きているはずだ。ただ、人間族と違ってエルフ族は生きた年数を細かく数える習慣を持たない。これ以上に正確な数字は出せないぞ」


 そう答えたセロの銀髪には光沢があり、肌も若々しい。老人どころか20台後半の青年にしか見えない。


(そういえばエルフ族や獣人族って、肉体の最盛期を迎えた後に成長が鈍化するんだっけ……)


 ココノアは以前に受けた講義の内容を振り返った。異世界における人間族は、その名が示す通り地球人と同じような寿命を持つ。他方、亜人種は人間族よりも長く生きる種族が殆どだ。子供の頃はあまり差異がないものの、歳を取るにつれ肉体の成長が遅くなる傾向があり、成人した後も若々しい容貌を長く保つ事ができる。

 この事実だけ聞けば、亜人種が世界中に溢れてもおかしくないように思えるかもしれない。だが実態は違った。亜人種は子を成しにくい宿命にあったのだ。繁殖力という点では人間族が遥かに優れるため、今の世界人口の過半数を占めるのは人間族である。人間族以外の種族を亜人と一括して呼ぶのは、国家を成す主流が人間族である事に起因するのだと、セロは少女達に教えていた。


(まさにファンタジーって感じよね、亜人の存在って)


 ここが異世界であることを改めて実感しつつ、ココノアは視線を古書に戻す。彼女が次に興味を示したのは、そこに描かれた火竜だった。


「話を戻すわね。千人規模で徒党を組んでも竜の討伐は難しいって、さっき言ってたじゃない? なのに、2人だけで仕留める事なんてできるの?」


「竜種とはいえ、封印で相当に弱体化していたからな。さらに俺が奴の弱点である氷結系の術式を得意としていた事、そしてリエーレが竜との戦い方を熟知していた事……そういったいくつかの幸運が重なったおかげで、辛うじて勝利できたのだ。もっとも、厄介なのはその後だったが……」


 セロは眉間に皺を寄せ、窓の外へ視線を向ける。鬱蒼と茂る木々が風に揺らぐ様子を横目に、彼は話を続けた。


「膨大な魔力を内包する火竜の骸は、人類の天敵となる存在……を誘引してしまう。故に俺とリエーレは火竜を滅した後も森に残り、悪しき存在が領民に被害を与えないよう監視し続けていたのだ」


「ふぅん、なるほどね……馬車も入って来れないような辺鄙なところに住んでるのが不思議だったけど、理由はそこにあったんだ」


 納得した面持ちで呟くココノア。彼女は領主の地位を預かる者が、不便な森の中で生活している状況に違和感を抱いていた。だが、民を守るためだったのなら合点がいく。攻撃魔法の扱いに長け、さらに転移の術式で離れた場所へ急行できるセロ本人が脅威から守ってくれる方が、領民も安心して過ごせるはずだからだ。そしてこの森での暮らしは、彼自身に対してもいくつかのメリットをもたらす。


「ククッ……確かに辺境だが、良い面もあるのだぞ。王都に居る貴族共の喧騒を気にしなくて済む上に、くだらぬ政争に巻き込まれる事もないからな。それに移動手段ならば転移魔法があれば十分だろう」


「移動手段って……何でもかんでも魔法に頼りすぎだってば。たまには自分の足で動いた方が体にいいんじゃない? 毎日階段を上り下りしてるリエーレと違って、セロは運動不足だろうし」


 エルフ少女は悪戯っぽく微笑むと、一瞬にして姿を消した。直後、セロの背後からココノアの声が響く。


「教えて貰ったこの魔法、うちも気に入ってるけど普段の移動には使わないつもりよ。歩くのって健康面で凄く大事なんだから」


「お前のような幼子からそんな言葉が出てくるとはな……ククッ、忠告として受け取っておこう」


 セロが振り返った先――窓の手前にはココノアが佇んでいた。もちろん、歩いて移動したわけではない。魔法を使って指定した地点へ瞬間移動したのだ。

 いくら才能があっても習得には何十年も要すると言われる転移魔法を、彼女は館の滞在期間だけで習得した。魔道を極めし者フォースマスターの魔法適性が作用したのか、それとも彼女自身の素質が影響したのかは定かでないが、驚くべき偉業である事は確かだろう。教えた師匠もどこか誇らしげである。


「その歳で転移を使いこなせる逸材は世界中を探してもいないはずだ。ココノア、今一度聞くが……俺の後継者になるつもりはないか? お前さえ良ければ、正式に家族として迎え――」


「そこまでになさってください、ご主人様。ココノア様を困らせたいのですか?」


 セロが再び少女を口説こうとした矢先、書斎の扉が開いた。メルに対する修練指導の結果を報告するべく、リエーレが訪れたのだ。

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