第9話 異世界研修③

 冒険者――それは様々なトラブルを解決する稼業を呼称する言葉だ。尋ね人の捜索や害獣の討伐、希少素材の探索に要人警護、盗賊や海賊といった犯罪者集団の制圧……まさに何でもアリと言える。当然、危険な任務を引き受けるためには相応の実力が求められた。だからこそ、この世界で冒険者といえば腕に覚えがある実力者に限られる。

 館の侍女であるリエーレは、かつて筆頭冒険者と呼ばれる最高クラスの冒険者だった。麗しい容貌からは想像もできないが、セロいわく剣聖と呼ばれるほどの腕前で名を馳せていたらしい。少女達にとっては優しいお姉さんという印象が強かったが、元冒険者だけあって体術の訓練になると雰囲気が一変する。厳しい特訓の日々を思い出して表情を強張らせながらも、メルは館の裏手へやってきた。


「さてと、リエーレさんは先に到着してるのかしら……?」


 鮮やかな桃色のロングヘアを揺らして周囲を見渡す猫耳少女。セロの館は広大な敷地を擁しており、魔法の実験を行うための訓練用スペースも存在した。整えられた芝が覆う緑の庭園に対し、この区画は平らに整地された場所に長方形の石板を敷き詰めただけの簡素な造りとなっている。くすんだ灰色に染まった石板群はどれもひび割れや欠けがみられ、これまで過酷な衝撃が幾度となく加えられたことが窺い知れた。

 そんな古戦場跡にも見える殺風景な広場の中央に佇んでいたのは、メイド服の美女だ。片手に握られた長尺の模造剣が太陽の光を反射し、メルの顔を照らす。


「お待ちしておりました、メル様。本日はより実戦に近い形……武器ありの模擬戦で修練を行いましょう。武器と言っても模造品ですが、当たれば痛みを伴います。お覚悟は宜しいでしょうか?」


「はいっ、大丈夫です!」


「良いお返事ですね。それでは、私はこの剣を使わせていただきます」


 リエーレは両手で剣を構えた。訓練用とはいえ、冒険者時代に愛用していた長剣を模して作られたそれは、刃渡り部分だけで1メートル以上ある。比較的小柄な彼女が持つ事で数字以上の迫力をまとう。

 メルの実力を測るという名目で、これまでも何回か模擬戦は実施済みだ。しかし"武器あり"という条件は今回が初めてである。真剣な表情を浮かべたリエーレの態度は、これが修練の集大成であることを予感させた。


「メル様、武器をお選びください。必要ならば防具もご使用いただいて結構です」


「いえ、私はこのままで問題ありません!」


 メルは首を横に振る。訓練場の端にある倉には剣だけでなく弓や槍、斧や盾などが保管されており、彼女自身も手に取ったことがあった。しかしどの武器に対しても適正がなく、ろくに扱うことすらままならない。

 NeCOにおいて慈悲深き枢機卿カーディナルは、魔法使い系のジョブに分類される。さらに刃物類が装備できない聖職者としての設定もあり、ほとんどの近接武器が使用不可能だったのだ。そのため魔法使い用の杖を無理やり振り回すか、攻撃速度が最も速くなるで戦うしかなかった。


(殴りヒーラーにとって最強の武器はこの拳……だからきっと大丈夫!)


 少女は自らを鼓舞するように心の中で呟く。今の肉体が"想いの力"に呼応して動いてくれる事は、最初に遭遇した盗賊相手に証明済みだ。明確なイメージを頭の中で描けば、その通りに行動できるので、相手が凄腕の剣士でも立ち回れる見込みはあった。

 一方、リエーレは弟子相手でも手加減するつもりはないようだ。それまでの温和な雰囲気が瞬時に切り替わり、神秘的な金色の瞳に気迫が灯った。メイド服越しでも分かる程に引き締まった全身の筋肉は、剣を構える事でさらに強調される。一分の隙も無いその姿を見れば、大抵の者は恐怖の二文字を胸中に抱くだろう。


「それでは模擬戦を開始致します。メル様、どうぞ全力で来てください」


「お胸をお借りしますね、リエーレさん!」


 最初に大きく深呼吸して心の準備を整えた後、メルはリエーレに向かって走り始めた。10メートル、5メートル、3メートルと距離が近づくにつれ、少女の脳内には何通りもの戦い方が浮かぶ。素早さを生かして正面から攻めるか、それともいったん後ろに回って意表を突くか……NeCOで目の当たりにしてきた自キャラのバトルシーンと、指導して貰った戦術が融合し、彼女に新たなイメージを授ける。


「はぁぁぁっ!!」


 突進の速度を緩めず、メルは高く飛び上がって空中で横回転した。攻撃のタイミングを悟らせないようにしつつ、遠心力をつけた回し蹴りを放つためだ。小さな身体をコマの様に高速スピンさせ、彼女はリエーレの頭部めがけて鋭いキックを見舞う。


「軌道を読ませない工夫はお見事……ですが、空中では回避行動に制限を受けます。ご注意ください」


 ダークエルフの侍女は素早く姿勢を落として攻撃を避けると、無防備なメルに対して垂直の剣閃を放った。常人であれば模造剣の直撃から逃れられない至近距離である。だがメルの赤い瞳は銀色の軌跡を完全に捉えていた。宙に浮いたままであるにも関わらず、驚異的な反応速度で紙一重の回避を見せる。


――シュッ!――


 剣によるカウンターは空振りに終わった。メルはリエーレの後方に着地した後、大地を右足で蹴って次の攻撃へと繋げる。背後からの急襲だ。


「対象の死角を意識した動き……お教えした通りですね。最初の頃とは見違えました」


 攻められている側のリエーレには余裕があった。まるで背中に目がついているかの如く、メルの正拳突きをひらりとかわす。無論、それだけで終わるはずも無く、相手を引き付けた上での強烈な反撃に転じた。

 一転して窮地に陥るメル。剣士が繰り出した刺突は、衝撃波を伴うほどの速さで彼女の喉元を狙う。


(すごい、リエーレさん……本当に隙がない!)


 模造品とはいえ、下手をすれば重傷を負いかねない状況であるにも関わらず、メルの表情は明るい。研ぎ澄まされた師の判断力と戦闘技術に感動したのだ。一方で彼女は攻撃の軌跡を冷静に読み取り、上半身を捻ることで切っ先から逃れた。


(どんなに早くても、私の眼なら攻撃がえる!)


 ステータス上の素早さパラメータが高いからなのか、それとも獣人族という種族が持つ固有能力なのかは分からない。ただ、猫のような瞳には極めて便利な機能が備わっていた。視る事に集中したときに限り、彼女の周囲で起こるあらゆる事象はスローモーションのように映る。相手の狙いはもちろんの事、それを避けるための方法も自ずと頭に浮かんだ。


「そこですッ!!」


 攻撃の隙を縫って懐に入り込んだメルは、お返しと言わんばかりに左拳を眼前のメイド服へ叩き込む。先ほどよりもさらに密着しているため、必中の距離である。回避しきれないと悟ったのか、リエーレは咄嗟に体を半回転させた。衝撃を外向きに逃そうとしたのだ。


「相手の体勢を崩してから、本命を打ち込む……これはリエーレさんから教わった戦法です!」


 メルの狙いはリエーレが回避した後の硬直にあった。猫耳少女は右腕を突き出した反動を利用し、そのまま後ろ回し蹴りへと繋ぐ。幼い肉体はリーチの短さという致命的な欠点を持つが、常人離れした筋力はそれを補って余りあった。

 勢いのある蹴りをリエーレは剣の側面で受け止めたものの、衝撃を全て防ぐことができず、訓練場の端まで弾き出されてしまう。


「ここまでとは……! メル様、お見事です」


 後頭部で結わえた黒髪を激しく揺らしつつも、剣士は倒れることなく踏みとどまった。並の者であれば今の一撃で再起不能になっていてもおかしくはない。それでもまだ立って居られるのは、武勇で名をあげた筆頭冒険者としての体捌きがあってこそだろう。


「今のメル様は、私と互角に戦える程の実力が備わっていると見て良いでしょう。ここからは手加減しません。全力の私に打ち勝つことができれば、メル様の修練は完了とします」


 リエーレはそう宣言すると、深く息を吸った。金色の眼光はさらに鋭くなり、現役時代を彷彿ほうふつとさせる凄まじい闘気を身に纏う。

 あらゆる剣士の頂点に立つ者――剣聖と畏れられた元筆頭冒険者の本気は未知数だ。もはや訓練の範疇を超えているが、メルの口元には自然と笑みが浮かんでいた。元居た世界と違って、心から自分を認めてくれる相手がいることに喜びを感じたのである。


「分かりました! 私も全力でリエーレさんに挑みます!」


「迷いのないご返答、しかと受け取りました。これからお見せするのは、竜種を仕留めるために編み出した秘剣です。再び使う日が来るとは思いませんでしたが、最後の試練にはこの技こそが相応ふさわしいかと……」


 麻の布を巻いただけの簡素なグリップ――それを浅めに握った褐色の指から、青いオーラが模造剣の先端へとほとばしる。リエーレが剣を大きく振り上げると、剣身を中心にして魔力が渦巻き始めた。肌を刺すような冷たい旋風が吹き荒れ、メルの髪を激しく巻き上げる。


「それでは、参ります!」


 ドンッ、という衝撃と共にリエーレの足元にあった石板が沈んだ。人並み外れた跳躍力によりリエーレは一瞬にしてメルの眼前へ移動し、その姿を攻撃の間合いに捉える。


冷厳なる氷結の鋭刃フリージング・エッジ!」


 覇気が籠もった声に呼応するかのように、氷属性の魔力が充填された模造剣が大気中の水分を凍りつかせた。あっという間に高純度クリスタルの如き透明な氷柱が無数に生み出され、鋭く尖った先端を容赦なくメルへ向ける。


――ゴォォォォ!!――


 氷のつぶてが飛び交う暴風――局地的なブリザードが獣人少女を飲み込んだ。視界を封じられる形になったが、メルに動揺はない。襲い来る氷塊を拳で叩き落しながら本命の攻撃に備えた。


「魔法と剣技の同時発動、さばき切る事ができますか?」


 突如としてメルの背後に出現した人影――上段の構えで剣を振り上げたリエーレの一撃を防ごうとすれば、前方から迫る氷柱の餌食になる。かといって、魔法攻撃の対処に専念すると背後から袈裟斬りにされてしまうだろう。不可避の秘剣に対し、メルが取った行動は驚くべきものだった。


「その剣、受け止めて見せます!」


 振り返った少女は両手を広げると、冷気を帯びた剣身を目にも留まらぬ速さで白羽取りする。さらにその状態から腕を水平に捻じり、パキリとし折った。武器破壊によってリエーレの攻撃手段を封じたのだ。

 相手のバランスが崩れたのを確認し、メルは続けて氷魔法に対処する。まずは半分に折れた模造剣の先端側を、飛んできた大きな氷塊へぶつけて相殺した。残りの礫も蹴りで一掃する。息をつく暇もない一瞬の攻防であったが、メルは無傷でしのぐことができた。

 剣に注がれた魔力が失われたことで、ブリザードを形成していた魔法も消え去っていく。剣士の手から得物が失われた時点で決着はついた。猫耳少女の勝利である。


「よしよし、イメージした通り上手くできました! これで合格はもらえるでしょうか?」


「ふふっ……メル様には驚かされることばかりです。鋼鉄より硬い竜鱗を裂く一撃を受け止めたというのに、傷すらないとは」


 スカートについた砂埃を払いながら、リエーレは感心した表情で呟いた。メルの小さな手には切傷どころか腫れすらない。通常、魔力で極限まで低温化された金属は、生身の人間にとって恐ろしく危険なものだ。触れた時点で皮膚が凍結し、剥がれてもおかしくないだろう。それを受け止めて怪我1つ無いのは、この世の常識では"有り得ない"事である。

 

「あの状況で、迷いなく剣を受け止める判断を下した胆力も大したものです。文句のつけようなどありません。満点合格です」


「本当ですか!? やったー!!」


 メルは飛び跳ねて歓喜を表現した。ようやく師匠に認めて貰う事ができたが、訓練を始めた頃は失敗続きで、酷く落ち込んだ時期もある。それでも持ち前の前向きさと忍耐力で反復訓練に努めてきた。その苦労が今、報われたのだ。

 報われた、という意味ではリエーレも同様だろう。彼女は冒険者をやめた後も、仕える主を守るための鍛錬を欠かさなかった。錆び付かせる事なく維持してきた技能の一部は、これからを担う若き世代へ受け継がれたのだ。


「ところでメル様にお尋ねしたい事があります。どうして私の狙いが背後からの斬撃であるとお気づきになられたのですか? この技は一度も見せてなかったはずですが……」


 桃色の尻尾が軽やかに上下する様子を微笑ましく見守っていたリエーレは、ふと感じていた疑問を口にする。猛吹雪の魔法で相手を翻弄し、気配を絶った状態から死角を突く秘剣……リエーレの技はまさに隙を生じぬ2段構えだった。故に初見で防ぐことは不可能に近い。

 対して、元MMORPGプレイヤーであるメルは、架空世界に実装され続ける様々な強敵達と何度も戦ってきた。特にNeCOの場合はバランス調整に失敗したとしか思えない、理不尽な強さを誇るボスも数多く存在しており、中にはリエーレのような技を操るボスも存在する。その経験を通してつちかわれた観察眼は、異世界においても有効だ。


「えっと、を見て判断しました」


「予兆……ですか?」


「言葉で表現するのは難しいんですけど、相手の挙動を見てるとなんとなく攻撃の範囲が見えてくるというか、予測できるんですよね。たまーに外れることもありますけど、今回は上手くいきました!」


 感じた通りに説明するメルに対して、リエーレは「なるほど……」と答えるので精いっぱいだった。メルが述べた内容は武芸を極めた者の言葉にも等しい。人生のスタートを切ってすぐのところにいる幼女から飛び出すセリフとは思えなかった。底知れない素質に驚嘆しつつ、リエーレは少し離れたところに落ちていた模造剣の破片を拾い上げる。


「……それでは、本日の訓練はこれで終わりとしましょう」


 主人の指示を受けて対応した以上、彼女にはメルが戦技修練の全過程を終えたという事実を報告する義務があった。


「模擬戦の結果は私から主へ伝えておきます。お疲れだと思いますので、今日はごゆっくりお休みください」


「リエーレさんのおかげで、この世界で生きていく自信もつきましたし、感謝してもしきれません。本当に色々と有難うございました!」


 深く頭を下げた後、メルは館へ向けて踵を返した。出会った時より少し大きくなったようにも見える少女の背中を、リエーレはじっと見送る。


「……獣人族の中には、世界を統べていた神獣達の血を色濃く受け継いだ方がいると聞き及んだ事があります。もしかしたらメル様は将来、とんでもない偉業を達成してしまうかもしれませんね」


 そう呟く彼女の口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

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