第8話 異世界研修②

 和気藹々わきあいあいとした朝食の最中さなか、ふとココノアが手を止める。何か至らない点でもあったかと心配したリエーレであったが、彼女が食事を中断した理由は料理と全く関係のないところにあった。


「そうだ、貰った服の礼をセロに言っとかないと。見た目も気に入ってるけど、着心地が凄く良いのよこれ」


 そう話すエルフ少女の衣服もまた、この館の主人が手配したものだ。純白のブラウスと真紅に染まったスカートの組み合わせは落ち着きがあり、清楚で知的な印象を与える。また華奢な肩を覆うケープレットはスカートと同じ素材が使われているため、色彩に統一感があった。

 ココノアの衣服に使われた深みのある真っ赤な生地は、王国南部の伝統技法で織られた高級品で、優れた魔法耐性を有する。そのためセロも同じ素材で作られたローブを愛用していた。まさに華やかさと実用性を兼ね揃える逸品と言えよう。


「それは王都で最も腕の良い服職人に依頼し、特注で作らせたものです。そこまで仰っていただけたのなら遠出した甲斐があったと、主もさぞ喜ばれることでしょう」


「うわっ、そんなの絶対高級品じゃない!? 洗う時もよく気をつけないといけないわね……」


 ブラウスも希少な獣毛で作られた生地が使用された特上品だ。柔らかく細かな繊維は手入れこそ大変であるが、違和感を一切感じさせない肌触りは、詠唱時に高い集中力を要する魔法使いにとって大きな助けとなる。

 購入すれば金貨数十枚を下らない高級品の数々――それらをセロが惜しげもなく提供したのは、ココノアに対する期待の表れなのだとリエーレは理解していた。そして彼女も主人同様に、熱い視線を注ぐ相手が存在する。幼い見た目からは想像もできない程の高いポテンシャルを秘めた猫系獣人族の少女、メルだ。

 元冒険者のリエーレはあるじから指示を受け、1ヶ月に渡ってメルの戦闘訓練を受け持っている。身体能力が高くともメルの格闘術は素人同然だったので、適切な指導が必要だった。

 隣国に比べると犯罪の少なかったエリクシル領では昨今、亜人の子供を誘拐する事件が後を絶たない。頼れる大人も居ない少女達が生きていくためには、自衛手段が何よりも重要である。


「メル様は午後から戦技修練となりますので、昼食を終えられたら訓練場までお越しください」


「はい、分かりました!」


 元気よく返事すると、メルは皿に残っていた料理をぺろりと平らげた。スパルタ気味の指導にもめげず、彼女は着実に力を身に付けている。最初は俊敏性に頼っただけの単調な動きであったが、日を追うごとに戦い方が洗練されており、ここ数日は実戦を想定した模擬戦で力量を測っている最中だ。幾度となく死地をくぐり抜け、最年少で剣聖の称号を得たリエーレでも、メルの成長速度には驚きを禁じ得なかった。


「ふー、美味しかったです! ごちそうさまでした♪」


「口元に食べカスが付いたままだってば。まったく、してだらしないわね」


「ふふっ、綺麗にお召し上がりいただき嬉しく存じます。宜しければこれをお使いください」


 リエーレは食事を終えた2人に手拭き用のナプキンを渡した。そして使い終わった食器を丁寧にプレートの上へ載せていく。


「食器は私の方で片付けておきますので、お二人はどうぞ2階の書斎へ」


「ありがとうございます、リエーレさん。それじゃあココノアちゃん、行きましょうか」


メルとココノアは自室を出て、上階へ続く階段を登った。その先には館の主、セロの書斎がある。



§



 異世界を生きる上で必須となる基礎知識――その講義を受けるのがメルとココノアの日課だった。天才肌ゆえに座学を嫌うタイプのココノアは最初こそ乗り気でなかったものの、魔法に関する内容には強い興味を示し、真面目に取り組んでいる。メルも独自の文化を持つ異世界をNeCOと重ねており、まるでMMORPGのチュートリアルを受けるような感覚で勉強の日々に勤しんだ。

 とも言える学びの機会を得た2人の知識量は、今や日常生活に支障ないレベルに到達していると言っても良い。そのため最近のセロは少し趣向を変え、彼女達が希望した話をしてくれるようになった。それが楽しみで、メルは今日も笑顔で扉をノックする。


「セロさん、入ってもいいですか?」


「ああ、構わないぞ」


 ドア越しに聞こえてきた声に「失礼しますね」と返事し、メル達は書斎へ踏み入った。室内は子供が走り回れる程度には広いものの、壁を埋め尽くす勢いで設置された本棚は圧迫感を感じさせる。ただ、書籍が多くともホコリが舞うことはない。侍女がこまめに清掃を行っているためだ。

 本の壁に囲まれた部屋の中央を占領するのは、高級感のある木製テーブルである。セロはその端で小難しい文章や数字の書かれた書類の束と睨み合い中だった。傍らにはアンティーク品を思わせる古風なランプが置かれており、そこから放たれる赤い光を頼りにして執務を行っていたようだ。書斎は基本的にカーテンが閉じられているため、照明を使わないと昼でも薄暗い。


「すまないな。今すぐに片付ける」


 苦笑を浮かべたセロは書類を整理を棚へ移動させた。テーブルに残ったのは煌々と輝くランプだけである。地球に存在した油を燃料とするタイプと違い、異世界における照明器具の多くは魔法の力を利用するものが大半だ。例えばこのランプはガラス板で区切られた透明な箱に、魔法で生み出した火の精霊を封じ込めている。外部から魔力を注げば半永久的に光を生みだす事ができるため、燃料を継ぎ足す必要はない。


「……とりあえず、こんなものでいいだろう。椅子はそこにあるものを好きに使ってくれ。それでは午前の講義を始めるぞ」


「はーい! 宜しくお願いします! ほら、ココノアちゃんも!」

「わ、わかってるってば。今日もよろしくね、セロ」


 セロに促され、メルとココノアは席に腰を下ろした。書斎にある椅子はすべて大人用なので子供が座ると足が少し浮くが、もう慣れたものだ。


「昨日は近代における魔法体系について話したが、今日はアイリス聖教国で生まれた癒やしの法術について説いてやろう。単に癒やしの術と呼ばれる事も多いが、この魔法は数千年前に編み出された古い治癒術式が起源であり……」


 セロは言い淀むことなく自らの知見を述べていく。エリクシル王国において最高位魔術師の称号を持つ彼の知識量は、常人を遥かに超えるものだ。時には話題が古代と呼ばれる時代にまでさかのぼる事もあった。その貪欲な探究心は、本棚に並ぶ古文書の数々からも見て取れるだろう。

 今回の講義は、とある国で伝えられる魔法に関する内容が主だった。メルが使う回復魔法と同じく、肉体の治癒を目的とした術式である。しかしセロによると、メルの回復魔法とは原理が違うらしい。引っかかる点があったココノアは遠慮なく手をあげた。


「ちょっと待って。質問してもいい?」 


「ああ、もちろん構わないぞ」


「その癒やしの術とやらって、魔力を生命エネルギーに変換してるのよね? メルの回復魔法も同じじゃないの?」


「良い質問だ。癒やしの術と違って、メルの回復魔法は……」


 セロは嬉しそうな笑みを浮かべ、見解を伝えた。魔法に関して意見を交わす時に限り、普段のクールな雰囲気とは打って変わって彼は饒舌になる。どうやら少女らが繰り出す鋭い質問や意見に手応えを感じているようだ。講義のひと時は、教師にとっても有意義な時間であった。もっとも、それはメルとココノアが別世界で一定水準以上の教育を受けていたためでもあるのだが、彼がそれを知る由はない。



§



 太陽が最も高く登る、午前と午後の境目――そこで少女達の研修は一旦の終わりを迎えた。昼食の時間を迎えると館内はにわかに騒がしくなる。腹を空かせた少女達が自室へと戻り、リエーレが作り置きしていた食事で腹ごしらえするからだ。

 午後からはそれぞれ別行動になる。メルはリエーレとの体術訓練、ココノアはセロから魔法制御法の指導を受ける予定だ。


「わぁ、お昼ごはんも美味しそうです! いただきます!」


 朝食よりも品数が増えて豪華になったプレートを前に、メルは嬉しそうに尻尾を揺らした。そんな彼女を横目で見ながら、ココノアは疲れた様子で溜息をつく。


「はぁ、メルはいつも元気で羨ましいわね。今日みたいな魔法の話は興味があるからまだいいけど、それ以外にも覚えないといけない事が多すぎてゲンナリするわ」


「えっ、そうですか……? 異世界の文化とか経済に関する講義って、何だかゲームっぽくて面白いと思うんですけども。それに私達の世界と共通点も多くて、覚えやすいですよ!」


「言われてみれば似てるところってそれなりにあるわね。異世界のくせに」


 そう呟き、よく冷えた水の入ったコップに唇をつけるココノア。不思議とこの世界は彼女達が元居た場所と似通っていた。太陽と月が交互に空へ昇る事や、年月や時間の概念があり1日が24時間でカウントされる事――いわゆる文明の根幹に該当する部分や条件は、ほぼ地球と同じである。

 また、異世界には貨幣経済が成り立つだけの文化水準もあった。金貨や銀貨が広く流通しており、経済圏と呼べるものが築かれているのだ。他にも海を隔てて東西に位置する2つの大陸に、50を超える国々がある事もセロの講義で判明済みである。

 とはいえ、全てにおいて一致しているわけではない。魔法の存在はもちろんのこと、人々の生活様式、宗教、政治の面においては"現代日本"と大きく異なる。それを証明するかのように、ココノアは天井からぶら下がったランプを指さした。


「でもさ、あのランプ1つとっても、うちらの住んでた世界と全然違うわけじゃない。ここから出たら知らないものばかりになりそうで、今から頭が痛いのよ」


 セロの書斎にあったランプと同じものが、各部屋の照明器具として備え付けられている。部屋の壁にある魔力供給用の宝珠に人が触れると火がともる仕組みだ。魔力を通じて様々な現象を呼び起こす器具のことを、異世界では"魔道具"と呼ぶ。


「確かに魔道具を初めて見た時はびっくりしました。使い方なんて、さっぱり分からなかったですし」


 ここへ来たばかりの頃を思い出し、しみじみと頷くメル。今ではごく当たり前のように使っているものの、最初は何に対しても驚くことばかりだった。

 館では飲料水を魔道具を使って地下水脈から吸い上げている。さらにそれを魔力に反応する鉱物で作られた取り出し口に供給し、手をかざすだけで清潔な水が出てくる機構を実現した。いわば異世界式の自動水栓である。

 浴場に至っては火の精による加熱術式が施されており、浴槽の底に描かれた魔法陣から熱い湯が無尽蔵に湧いてくる。快適で文化的な生活を享受できるのも、魔道具の恩恵があればこそだった。


「そうだ! もし日本に戻れるなら、魔法の知識や魔道具をお土産に持って帰ってみるのなんてどうでしょうか! 満員電車に乗らなくてもワープで快適出勤、なんてことが出来そうです♪」


「そこで通勤っていう発想が出てくるあたり、マジ社畜すぎ……」


 上機嫌で猫耳を揺らす友人に、ココノアは憐れむような視線を向ける。しかし心の中ではメルの提案を悪くはないと感じる部分もあった。異世界では科学に代わって、魔法技術が発達している。術式と呼ばれる魔法の構築方式や、詠唱の仕方などが記された学術論文もあるため、そういった資料を持ち帰れば日本でも魔法を再現できる可能性があるかもしれないと考えたのだ。

 ただし、そのためには異世界人が体内に宿す魔力の源エーテルを地球人に付与する方法が別に必要となる。セロによると、まとまった量のエーテルがない限り魔法を行使する事はできないらしい。エーテルを保有する生物は数多くいるが、それを有効活用できるものは1割にも満たないだろう。地球で魔法を発動させるまでの道程みちのりが途方もないモノに思えてきたココノアは、途中で考えるのをやめて席を立った。


「ごちそうさま。さてと、うちは軽く散歩してからセロのとこに行ってくるかな」


「そういえばココノアちゃんって、セロさんとどんな事をしてるんですか? 魔法の特訓って具体的なイメージがあんまり沸かないんですよね」


「んー……特訓って言うよりも検証とか研究って方がしっくりくるかも。うちの使う魔法って、この世界じゃ存在しない新分野みたいでさ。セロが調べたいって言うから、色々付き合ってあげてるの。その過程で詠唱の短縮方法とか、発動精度を高める方法を教えて貰ってる感じ」


「わぁ、なんだかカッコイイですね、それ! ココノアちゃんみたいに、私も高威力の攻撃魔法が使えたら良かったのに!」


「何言ってるの、回復魔法の方がよっぽど便利だって。この世界じゃ、ナントカ聖教に入信して神様の加護を受けないと使えないってセロが言ってたじゃない。しかも魔力消耗が激しくてあんまり高度な治療はできないみたいだし、状態異常の解除や蘇生ができる時点で勝ち組よ。そのうち女神様扱いされたりするかもね?」


「そ、そんな大層なお話なのでしょうか……!?」


「あははっ、冗談よ冗談」


 笑い声と共にココノアは部屋を後にする。残されたメルは少し冷めてしまったスープを飲み干すと、食器を綺麗に片付け始めた。その最中、頭の中を巡っていた考えが独り言として漏れ出る。


「うーん……回復魔法は便利ですけど、詠唱速度や魔力が低い私だと、十分に活かしきれない気がします。それよりもポイントを多めに割り振った筋力や体力、素早さを無駄にしないために、リエーレさんから教わった格闘術を確実に習得しないと!」


 頬を両手でパチパチと叩いて気合を入れ直した猫耳少女は、館の裏口からリエーレの待つ訓練場へ向かうのであった。

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