Re:受験失敗から始める中学生活②(小3〜6)


 昨日の続きから書いていく。

 5歳ごろ……つまり保育園の年中だった年の冬から公文を始めて、国数の下地ができた後のこと。小学三年生の冬頃に、僕は中学受験の勉強を始めた。

 難関校を目指す小学生の親は普通このぐらいの時期から子供を塾に通わせるので割と標準的な開始時期なのだが、一般的な子供と少し違かったのは僕が自分から受験をしようと決意したことだった。中学受験の基本的な構図というのは、子供の高校受験をカットして大学受験に専念させ学歴バフを子供に付与しようとする『教育熱心な親』&習い事感覚で塾に通って、親の投資度合いに合わせて成績を伸ばす『学校のクラス内では優秀な子供』がスクラムを組むというものだ。

 しかし僕の父親はほとんど子供の教育に興味が無く(あったとしても気まぐれ)、母親も出身校の成蹊大を安倍首相が出たからという理由で絶対視するような学歴に興味の無い人間で、総じて放任主義的な家庭で僕は育った。ただ地元の中学が嫌だという理由で、僕は自主的に中学受験をすることに決めた。地元の中学は不良が多いだとか給食がマズいだとか、あまり良い話を聞いたことが無かったからだ。というわけで僕の第一志望は自宅から程近いところにある公立中高一貫の『県立千葉中』ということになった。首都圏模試センターによると、偏差値は71。公立私立で少し偏差値の基準が違うのだが、基準として開成は78である。

 自分で中学受験を決意したとはいえ、結局のところ塾選びなどは親が主導権を握ることになるので、当時近場に開校した栄光ゼミナールの個別指導コースで僕の中学受験勉強は始まることになった。県千葉だけでなく、市川中や東邦大付属東邦中といった千葉県私立御三家に列せられる難関私立も視野に入れていた。公文での勉強で小学校課程の学習は余裕という状態でも、中学受験で問われるのはその応用。小学校の応用が中学受験の基礎になっているので難易度は結構高いのだが、僕はテキストの解説を一度読んだらある程度の理解はできて、演習問題もその理解を元に嚙み砕いて解くことができたので、個別指導で講師が解説している時間は正直『読めば分かるのに』状態だった。内気な人間なのでそんなことは言えなかったが。ただ、みしょうかんあるあるとしてありがちなのは、理系教科の基礎・標準問題はできても発展問題になるとてんでダメになってしまうということだった。算数が最重要科目である中学入試でこれはとんでもない欠陥で、だからこそ最難関中である開成・灘・筑波大駒場・聖光学院・渋谷幕張などの学校は大学受験で大量の医学部合格者を出せるのだ。

 数理の演習をもっと重点的に積めば突破できたかもしれないが、栄光ゼミナールはそもそもが中規模の塾で主眼は中堅〜準難関校ぐらい、対策講座はあまり万全とは言えない塾だった。塾のせいにせずに自力で問題集買って発展的な勉強をすべきだったが、小学生の自分にはそこまでのやる気は無く、半ば惰性で塾の宿題などをこなすに終始する受験勉強だった。二か月に一度くらい模試があるのだが、そこに向けて一週間や二週間総復習に努めるだけでも偏差値が5は上がったのではないかと思うが、それもせずに直前に見返すだけで試験に臨む有様だった。これがSAPIXや早稲田アカデミーなどの難関中に主眼を絞ったような塾だったなら、周囲の生徒が必死に勉強しているのを見て自動的に自主勉強するようになったかもしれない。しかし環境に文句を言ってもしょうがないだろう。総じて、模試の結果は上がったり下がったりで安定せず。つまり得意な分野が出た回は偏差値が高く、そうでない回は低いという単純極まりない図式だった。そこで苦手を復習すれば良いのだが、小4〜6の自分はタブレットやPCにハマる全盛期だったということもあってかなり不十分な勉強量だった。

 その結果、受験の半年前には公立の志望校を県立千葉中から『千葉市立稲毛高校附属中』という学校に下げることになった。偏差値は62。4・5年の頃は目を瞑っても受かると思っていた学校だった。この志望校変更は、自分が決めたものではなかった。母親と塾講師が、模試の結果を元に話し合って決め、僕が『仕方ないや』と甘受したものだった。最初は自分で決めた中学受験だったのに。最後の決定は自分で決めなかった。所与の志望校。小学生の時の僕は、所詮そんなものだった。

 そして、受験の時を迎えた。結果はまず以下の通り。


 市川中(私立・市川市・偏差値74〜75) 不合格

 東邦大学付属東邦中(私立・習志野市・偏差値72〜73) 不合格

 昭和学院秀英中(私立・千葉市・偏差値71〜72) 不合格(二度受験)


 最初の3校は渋谷教育学園幕張中(偏差値77)を除けば、千葉県で最高難度の私立中だった。僕は3日連続でこの3校を受け、そして全落ちした。

 第一志望校を下げたとはいえ、この中で一番偏差値の低い昭和学院秀英には受かるだろうと思っていた塾の講師が結果を聞いて青ざめたという。しかし、正直言って当たり前のことだったのだ。自身の課題を見つけ、正しく克服できなかった受験生は必然として不合格を突き付けられる。この3連敗は、それでも自分の胸に深く刻み込まれ、屈辱として記憶されている。因果応報とはこの事だったというのに。

 僕は自室で咽び泣いた。生涯これ以上は無いほどの号泣だったと思う。しかし今になって思う。僕には泣く資格など無かった。全力でやって落ちた人間にしか、泣く資格など無かった。自分は愚かだった。そして、弱かった。


 その後、僕はまたまた講師の勧めで、流されるままに滑り止め的な私立を二校受けて合格した。そして少し自信を取り戻し、一応の本命である稲毛附属を受けた。

 そしてなんとか合格することができた。男子の倍率は約7倍だったが、問題はとんでもなく平易だった。そして進学した。


 成田高校付属中(私立・成田市・偏差値56〜57) 合格

 専修大学松戸中(私立・松戸市・偏差値66) 合格

 千葉市立稲毛高校附属中(公立・千葉市・偏差値62) 合格(進学)


 今日はここまで。

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