トクン……と、千秋の心臓が小さく跳ねた。


 どんな約束かは言わないまま。陽太は千秋の目を、じっとのぞき込んだ。

 何かを訴えるような、祈るような目に、千秋の心臓がまた、トクン……と、跳ねた。


 もし、同じ約束を思い浮かべていて。

 もし、同じように陽太も覚えていてくれたのなら――。


「俺が一人暮らし始めたら、ヒナにも合鍵渡すよ……って、やつ?」


 瞬間、陽太はひまわりが花開いたかのような笑顔を浮かべると、


「うん、うん! それ!」


 勢いよく頷いた。


「千秋、覚えてたんだ! すっごいうれしい!」


 ぎゅっとカギを握り締めて。なんのてらいもなく喜んでみせる陽太に、千秋は顔が火照ほてるのを感じて、慌ててそっぽを向いた。


「忘れ物常習犯のヒナとは違うから。覚えてるよ、それくらいのこと。……ヒナこそ、よく覚えてたね」


「覚えてるよ。当然。だって、千秋との約束だもん。大切な、約束」


 さらりと恥ずかしげもなく言って、


「じゃあ、合鍵作ってくる!」


 陽太はフロアのドアへと走り出した。

 人の少なくなったフロアに陽太のよく通る声が響いた。


「ヒナ、うるさい! もう少し、声を抑えて……!」


「先に帰ってるから。とっとと仕事、切り上げて帰って来いよ!」


 千秋の注意なんて全然、聞いていない。

 陽太は跳ねるような足取りでドアに向かいながら、大きく手を振った。


 ――ヒナ、うるさい……!


 もう一度、心の中で文句を言って。

 千秋は顔を両手で覆うと、盛大にため息をついた。


 顔を覆ったのは、鏡を見なくてもはっきりと自覚できるくらい、にやけた顔を隠すためだ。

 どうしても。どうしようもなく、にやけてしまう自分の顔に、千秋は机に突っ伏してうめき声を上げたのだった。

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