バターの香りが部屋に広がる頃、陽太はようやく起きてきた。

 さっさかテーブルについたかと思うと、フォークとナイフをにぎりしめ。出来立てのフレンチトーストが出てくるのを、今か今かと待っている。

 手伝えよ――というツッコミはするだけ無駄なのでしなかった。


「陽太のせいで、客先デビューにも一人暮らしデビューにも完全に失敗した気がするんだけど」


 白い皿に盛ったフレンチトーストを陽太の前に置いて、千秋は口をへの字に曲げた。


「なんかしたっけ? 俺、千秋を助けてしかいないつもりだけど?」


 きょとんと首をかしげながら、陽太は早速、フレンチトーストをほおばった。


「うぅ~! やっぱり千秋の作るフレンチトーストはうまい!」


「どこからその自信が出てくるんだよ」


「千秋のこれまでの人生について、しっかりばっちり説明して。チームメンバーとの心の垣根を低くしたりしたじゃん!」


「まさにそういうとこだよ! 完全に失敗なんだよ!」


「話されて困るような内容じゃないでしょ?」


「話されて恥ずかしいし! 職場の人に! しかも初日から! するような話じゃないんだよ!」


 怒鳴ったかと思うと、千秋はフォークを手にしたまま。頭を抱えてしまった。


「初めての客先常駐だから、ちゃんとしようって思ってたのに。初日から大声で怒鳴っちゃうし。学生時代の暴露話、山ほどされるし」


「千秋は真面目だなぁ」


「ヒナと違って情報処理を専門的に勉強してきたわけじゃないんだ。大学まで文系だったんだよ? 技術や知識がない分、真面目にやらないとって思ってたのに……!」


「十分、真面目だったよ?」


「もっと、ちゃんと!」


 今の現場に入って、たったの五日。

 他のチームメンバーとの実力差は充分に感じていた。


 最初から千秋も、自社も、QBシステムズ側もわかっていたことだ。技術的な実力不足をわかった上で、育てるつもり、育ててもらうつもりで契約してもらっている。

 長期のプロジェクトで、育てているだけの時間的余裕があるからこその契約だ。


 それでも、だからこそ。せめて不足分を補うために社会人らしく、きちんとした振る舞いをしようと思っていたのに。


「……ヒナのせいで全然、ちゃんとできなかった」


 フレンチトーストを一口食べて、千秋は深々とため息をついた。

 当の陽太は話を聞いているのか、いないのか。千秋が作ったフレンチトーストを頬張って、ニコニコしている。

 もう一度、ため息をついて、


「そういえば、ヒナっていつからあの現場にいるの?」


 千秋は聞きそびれていたことを尋ねた。


 社会人になってからも、毎週のように遊んでいた……と、いうか顔を合わせていた。

 千秋の部屋に陽太が勝手に上がり込んできて、マンガを読んだり、ゲームをしたり。勝手にゴロゴロしていたのだ。


 陽太はマンガを読んでいても、ゲームをしていても、引っ切り無しに喋っていた。

 千秋は聞いていたり、いなかったり。返事をしたり、しなかったりだったけど――仕事の話はほとんどしてこなかった。


 陽太も千秋と同じIT業界、ということくらいしか聞いていない。

 陽太は大学で専門的に勉強していたんだから、文系プログラマーの自分よりも役に立ってるんだろうな……なんて卑屈な気持ちもあって。詳しくは聞かずにいたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る