第5話

数日後。みなみは有楽町へ赴いていた。

高層ビルが立ち並ぶオフィス街で、サラリーマン達が額に汗を滲ませ行き交っている。

真夏の猛暑日だというのに昼間っからご苦労様、と心中で敬意を払い、雑踏をかき分け目的のビルに着いた。このビルの7階のフロアをコスモキャリーが間借りして事務所にしている。



社長から電話が来たのは今朝の事だ。

眠たい目を擦り着信画面を見て、スマホを叩きつけそうになった。

今日は久しぶりの休みだというのに。不承不承に電話に出ると、至急社長室に来てくれと言うではないか。

用件は何かと尋ねても「会ってから話す」の一点張り。

少時押し問答して、これでは拉致があかないと、みなみは重い腰を上げたのである。



事務所ビルの自動ドアの前で嘆息をついた。

社長の呼び出し理由なんだろうと思案したが答えが全く浮かばない。

まぁどうせ良からぬ事だろう。それもそのはず。


以前呼び出しをくらった時は清純派女優として売り出すという方針を思いついたから、感想を聞かせてくれ、と会議よりかは報告会に近いものだった。社長は思いついたら即実行という電光石火タイプなのだ。

付き合うこっちの身にもなって欲しい。そもそも私は清純派とは程遠い存在だ。

その会議の時もしおりからの同じ指摘により、頓挫する事になった。

清純派と偽ってバレた時に、人気が急速落下する恐れがある、これが決めてだった。

さて今回はどんな事を思いついたのだろう。憂鬱になりながら自動ドアに足を踏み入れた。



通門証を警備員に見せエントランスを抜けエレベーターホールに向かうと、前から20そこそこの女がこちらに近づいてくる。長くて艶のある黒髪を網目状に束ねて、デニム素材の紺色のワンピースを着用している。見知った顔だ。


「みなみさーん、お久しぶりです。撮影は順調ですか?」


甘えを含んだ声色で話しかけてきたのは同事務所の後輩にあたる、田口 麻里亜だ。

マリアと愛称で呼ばれている。バラエティを中心にマルチに活動してきたが、最近は女優業へと進出してきている。

元アイドルだけあって、愛嬌、気配りの良さはお手の物だ。


彼女と接しスタッフたちは、口を揃えて「また一緒に仕事がしたい」と裏方評価が高い。

一部の人間からは言葉の裏に下心が見え隠れするのだが。

それも含めてリピート率が高く、事務所ではみなみに次ぐ稼ぎ頭だ。

それもみなみとは対照的に、人柄で仕事を取ってくるタイプである。


事務所の先輩後輩の間柄であり、後輩のマリアが先輩の相楽に擦り寄って絡みにいくのだが、全く違う人種なので話も噛み合わず、マリアの馴れ馴れしさに、内心毒づく始末である。


だが先輩という立場もあるので、挨拶程度はかえしてやるかと、通り一遍な関係を続けている。

「お疲れ様。撮影は順調よ。あなたも来季のドラマ、レギュラー決まったそうじゃない。おめでとう」


「そうなんですよー」表情を和らげてマリアは言った。


「みなみさんと違って主演じゃなくてヒロインの友達って役ですけどね。でもやるからには、全力出して爪痕残してやりますよ」

両手を握りこぶしにして顔を引き締めた。双眸には熱意と好奇が、見え隠れしている。


「いい心がけじゃない。」腕組みをしながらマリアを見返す。

「でも苦言を呈するなら主役も脇役も関係ないわ。演者は役を貰ったら忖度無しに全力で演じる。それが役者道というものよ」

得意げに語ったみなみに対し、この前、主役じゃないとこのオファー受けない、って駄々をこねてたの誰だよ、と口に出しそうになったのをマリアはぐっと堪えた。


ご指導ありがとございます。と心にもない事を言って慇懃無礼に頭を下げた。


そして周りを見渡し「あれ、今日は1人ですか?」訝しげな顔で聞いてきた。

いつも詩織が随伴しているで疑問に思ったのだろう。


「急に社長に呼び出されてね。全く休みだってゆうのに。勘弁して欲しいわ」


「社長にですか?何かあったんですかね?」


「知らないわ。理由も聞かされてないし。まぁ大方くだらない事でも思いついて、私に妙案得たりと話を聞かせたいんじゃないかしら?前回もそんなだったし」

冷笑で語るみなみに対し、我が意を得たりとマリアは激しくうなづいた。


「自由奔放な子供みたいな性格ですもんね。相手のプライベートな時間なんて眼中にないって感じだし」

マリアはやれやれと首を傾け息を吐いた。

私も被害を受けてますよと顔に書いてあった。

それから「あ、そういえば」手をポンと叩いて話を切り出した。


「さっき社長とあったんですけど、なんか機嫌が悪かった気がします。声音がいつもより違ったというか」


「何よそれ。感情の起伏が激しいのは知ってるけど、その言い方だと噴火寸前のマグマみたいな感じね。何か原因に心あたりはないの?」


そうですねー。マリアは顎を手で覆い、首を下に曲げた。上目遣いから向けられるつぶらな瞳は愛くるしさを感じる。

「思い当たる節はないですね。すいません」うやうやしくお辞儀したマリアに

「いいのよ。会えばわかる事だしね」淡白に言い放った。


視線をマリアから右腕に移した。外枠の淵にダイヤが散りばめられた、高級感溢れる腕時計だ。「そろそろいくわ。あんまり待たせるとあのオヤジ、益々虫の居所が悪くなりそうだものね」


「そうですか。せっかく2人で会えたからもっと、お話ししたかったですけど、しょうがないですね」

名残惜しそうな顔でマリアは言った。

予想外のことを言われたのか、みなみの顔は綻び

「スケジュールが落ち着いたら、また話しましょう。魚介の美味しいお店を見つけたの。そこにあなたを連れていくわ」思ってもないことを口に出していた。


「ほんとですか楽しみにしてます」


相好を崩し喜ぶマリアに片目を閉じて、またね、と呟いてその場を後にした。

エレベータに向かう先輩の後ろ姿をまじまじ見つめ、後輩はなんとも言えない不気味な笑みを浮かべた。くちびるの端には普段はぜったいに見せない狡猾さが滲み出ていた。

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