第4話
「さあさ、どうぞお食べください。新鮮な魚介類をふんだんに使っていますので、舌鼓を打つ事間違いありません」園田が陽気な口調で勧める。まるで自分が作ったかの様に誇らしげだ。岡井はそそくさと、みなみのグラスにワインを注ぐ。
みなみは目線を食事に下げる。テーブルの上には豪華な料理が並ばれていた。
なかでも異彩を放っていたのは、金粉が申し訳程度に掛かった寿司は光り輝いており、思わず手を伸ばした。
脂をめいいっぱい含んだ鮨は二、三咀嚼すると、口の中で雲散霧消した。
甘みが賑わい出した口内を、上品な赤ワインで流し込む。ほんのり苦い香りが口いっぱいに広がった。
「大変美味しゅうございます」口元を綻ばせ本心から来たであろう、みなみの声を聞いて園田は安堵の表情を浮かべた。
「それはよかった。リサーチした甲斐がありましたよ」
「相楽さんのプロフィール欄を凝視して、選びましたもんね。ほら魚介が好きって書いてたから」岡井の追撃によって場が和んだ。
みなみも頬を吊り上げ、白い歯を2人に向ける。
しばらく近況話しで歓談し、お酒を酌み交わす。ほんのり酔いが回ったタイミングで園田が、神妙な面持ちで話を切り出した。
「最近うちの事務所はスターを輩出できてないんですよ」
「スターですか?」とろろな目になったみなみは首を傾げてみせた。
「国民的スターって事です。ほら一昔前にいたでしょ。俳優だったら、主演は軒並み高視聴率を叩き出して、この役者を出しとけばヒット間違いないって言われた人とか。アイドルだったら1人でドームを埋めちゃう女の子とか。引退する時ファンがショックで倒れちゃったりして。」
「あぁー。お母さんがキャーキャー言って、ハマってましたね。興奮して私の部屋に入ってきて、ヒデキの良さを語りたい、とか言って一晩中聞かされましたもん」
懐かしい記憶が蘇りみなみはグラスを見つめ懐旧の情に浸る。
「それはそれは元気なお母様だ」
「おかげさまで、私まですっかりファンになっちゃいました」舌をだして微笑んだみなみを見て、園田は口元が緩んだ。
「あの頃は、大衆が力強い個人を、強く欲していた時代でしたからね。青春を捧げた人も多い筈だ」しみじみと園田は言う
「今は違うんですか?」
「昨今はエンタメの多様化が進んでましてね。テレビ、ネット、舞台、映画。様々なメディアが個々で確立されてますし、なんと言っても昔と比べて演者が山のように増えた」
園田はグラスを傾け、喉笛を鳴らして飲み干した。
「個々の分野で人気のタレントや役者は出てきているが、スターとまではいってない。視聴者も分散されて生まれずらくなっているんです」
「確かに言われてみれば、そうですね」みなみは小さく頷く。園田は一呼吸置いて真剣な眼差しで言った。
「だが、あなたならその一筋の光明を掴めるかもしれない」
「どう言う事でしょうか?」意想外の園田の言葉に、みなみは困惑した表情を浮かべた。
「初めてあなたの演技を見た私は、あまりのレベルの高さに驚愕したのです。
それに周りの視線を物ともせず、威風堂々とした立ち振る舞い。先見の明が乏しい私ですら、相楽さんが芸能界を一翼を担う存在になると確信しました」
園田が真剣な面持ちで発した言葉に、みなみの頬はみるみる赤く火照っていった。
「ですが、、、」両手を組み、表情を曇らせ園田は続けた。
「今の事務所に所属したままでは、それは難しいです。」
きっぱりと言い切った園田の目は、熱を帯びていた。告げられたみなみは、息を飲んで対面をまじまじと見つめた。訳を聞かせろと言わんばかりの目だ。
「コスモキャリーは相楽みなみを筆頭に、徐々に勢力を拡大してはいるが、まだまだ発展途上。現時点での業界関係者への影響力は、気薄と言っていいでしょう」冷淡な口調で園田は言った。
「役者が知名度を飛躍させる1番の方法は、話題作に出演することです。オーディション形式で役者を選出するなら、皆平等にチャンスはありますが、大抵の場合はキャスティングによる指名制です。そうなってくると人気の俳優が多い事務所が、選ばれるのは必然です」
「どうしてですか?役にハマりそうな出演者を配役するんでしたら、事務所の大きさではなく、個人の実力の方が大事に思われますが?」
首を傾げて疑問を呈したみなみを見て、園田の口元が緩んだ。純粋な質問に入社当初の気持ちを思い出して感慨深くなったのだ。あの頃は希望に満ち溢れて輝いた目をしていたが、芸能界の裏方として働いていくうちに、酢いも甘いも経験し、いつしか暗く澄んだ目に変わっていった。
「作品の品質を向上のみを支点に置くなら、本来はそうあるべきです。ですがエンタメはあくまでビジネス。制作会社とタレント事務所は、持ちつ持たれつの関係です。集客が見込める人間を数多く在籍させてる事務所と関係を築く方が、双方にとっても特なのです」
「なんだか既得権益みたいな話ですね」
「まあ、こういう関係はこの業種に限った話ではないんですがね」
園田は両手を上げてお手上げポーズをとってみせた。
「ですので相楽さん。」表情を引き締めてまじまじと見つめた。
「ロッドアミューズに移籍しませんか?うちは多種の業界への強いパイプがあります。
」必ずや貴女を国民的スターにしてみせます」
気持ちのこもった言葉に、みなみは目を見開き面食らった。そして顎に手をやり考えるように俯く。しばし沈黙が流れた。
次に口を開いたのは岡部だった。追撃の言葉を投げかける。
「相楽さんが今来てくれたら、来季から始まるウチのタレントが、主演に抜擢されてる人気ドラマの続編に、バーターとしてねじ込めます。高視聴率が予測される番組ですので、相楽さんの知名度は一気に跳ね上がります。相楽さんの実力なら、面目躍如になる事間違いなしです」
バーターというのは、多くのタレントを保有する事務所が、新人や知名度の低いタレントを売り出すために、人気の高いタレントとくっつけてセット売りする手法である。
起用する側も数字を持ってる役者を確保できて、オマケで付いてくる人材も、先を見越した投資と考えれば、そう高いものではないという判断だ。
岡部は、大手の人脈をフルに使い、相楽みなみを強引に上に押しあげる手法を提示した。この手法は業界では、古から使われている企てであり、世間にも流布している。そのため、
あまり露骨にやりすぎると視聴者から、ゴリ押し、と揶揄される事が多い。
園田と岡部の提案に耳を傾けながらも、それにはこたえず、みなみは下を向き思案に耽っていた。店内に静寂が流れ、空気が瞬く間に重みを増していく。
みなみは事務所にたいする恩義など、微塵も感じていなかった。それどころか、ここまで事務所が躍進できたのは、私の功績だと自負している。
コスモキャリーと専属契約する前は、サークルの延長線のような劇団に所属しており、こじんまりとした環境であったが、巷では名を轟かせていた。
噂を聞きつけた芸能関係者。及びスカウトマンが、こぞって劇団に視察に訪れた。
メキメキと実力を伸ばしていた相楽みなみを目の当たりにして、数社が名乗りを上げ、争奪戦が始まった。その中の一社がコスモキャリーである。
劇団ではもう学べることはないと、悟っていた彼女にとって、この話は渡に船だった。
大学のサークル仲間から声をかけられ劇団に入り、役者人生を始めた彼女だが、芸能界進出は遅かれ早かれするもんだとも思っていた。才能があると自認していたからである。
初めて間も無くで劇団の主役に上り詰め、周りから天才ともてはやされ、観客が日に日に増員していく様をみれば慢心するのも頷ける。そして彼女の予想通り、芸能関係者の目にとまったのだ。
声をかけて来た数社を吟味した結果コスモキャリーと契約した。
耳障りの良い事を並べて勧誘して来た社長に、心打たれた訳でも信用した訳でもない。
発足したての事務所なので認知してる役者どころか、在籍しているタレントが少なかったからだ。
ここでなら、上下関係や、派閥間の揉め事などのくだらない人間関係に、悩まされる事は無いだろうと、単純に思ったのが決めてだった。メキメキと頭角を現すみなみを快く思わない劇団員による、嫉妬や私怨を抱かれるのは、致し方なかった。みなみの傲慢な性格もあって、団員と言い争いになる事も、しばしばあり、みなみの胸内は汲々としていた。
人間関係には一抹の不安を覚えていたみなみにとって、人数が少ないというだけの利点を、重要視しただけだ。
なので拾って貰ったなどの恩義は感じていない。
契約するとき社長は泣いて喜んでいた様子を冷ややかに見ていた程だ。
そもそも、利害が一致しているだけの関係とは言わないが、固執し過ぎるのもどうかと思う。
彼女の心は、大きく揺れ動いていた。このままこの事務所にいても大成はする自信はある。
だがそれには多大な時間を割かなければいけないとも思っていた。
シンデレラストーリーのように、大抜擢される可能性を除いて、確実なキャリアアップをしていくには、認知度を上げるのに数年。そこから映画やドラマの主役を任して貰えるまで、少なく見積もって10年は要すると踏んでいた。
そうすると年は40手前になる。
脂の乗った渋い演技はできそうだが、恋愛もののキャピキャピしたヒロインはギリかもな、という思いもあった。あくまで最短の予想なので、ずれ込む可能性も考慮している。
みなみは自分が美形というのは、自覚しているため、恋する乙女を演じたい願望は常々あった。
恋愛系のヒロインに顔の整った女性が抜擢されるのは、不文律であり名誉な風潮とされているからだ。
役者人生の、女性として獲得したいステータスである。
ある時からかラブストーリー系の漫画や小説を買いあさり、家の本棚は収まりきらないぐらい溢れかえっていた。未来の自分が演じるんだと妄想しながら読み込んでいた。想いは募り、今や宿願といっていいだろう。
移籍すればその夢が実現する確率が上がるのは明白だった。打席が多ければ、多いほどチャンスを掴める。ロッドアミューズのような大手に推されれば、計画は大幅に短縮され、若くてハリのある肌を保ったまま、演技する事が出来るだろう。
彼女は決心がついたのか、顔を上げて息を吸い込んだ。肺に空気が送られ胸が膨らむ。
今か今かと待望した面持ちで、園田達は息を呑んだ。決意を固めた表情でみなみは口を開く。
「この話、謹んでお断りさせていただきます」
一瞬にして空虚な時間が流れた。断られると思っていなかったのだろう。園田は目を剥いて唖然としている。
すかさず、その顔を横目で見た岡部が、傍らから素っ頓狂な声で「なんでですか?あなたにとってプラスな話ですよ」疑問を呈した。
彼女は姿勢を正して答える。
「確かにこの話は魅力的ではあります。そちらの事務所にいけば、私が熱望してる役も、舞い込んでくる可能性も高いでしょう」
「だったらどうして?今の会社に骨を埋める気ですか?」
あなたは間違ってるよ、と言わんばかりに岡部は顔をしかめた
「そんな大層なものは持ってはいません。私の人生を使ってまでも、事務所に貢献して大きくしたいという野望なんてないです。ですが、、、」胸の中に想い出が込み上がってくる。
みなみの心を踏み止まらせたのは、苦楽を共にした、神崎 詩織という存在だ。
今までやってこれたのは詩織の支えが大きかった。
みなみが問題起こしても後処理をそつなくこなし丸く収める。
そしてみなみのワガママに根気よく応え、いきすぎた言動、行動には身を呈して指導し改善を促す。
暴君気質のみなみが、少しづつ丸みを帯び人間的に成長できたのは彼女のおかげと言っていいだろう。
みなみもその事実は心得ている。
「今の事務所には裏切れない人がいるんです。だから移籍できません。ごめんなさい」
深々と頭を下げた。以前のみなみなら、こうべを垂れる行為自体を否定して、突っぱねていたことだろう。社会的マナーが身についている事に自分でも驚いている。
園田は口をあけ瞬きを繰り返して、狼狽の雰囲気を見せていたが、急に我に帰り、近くにあったグラスを飲み干した。そして水分を纏った口元から言葉を放つ。
「左様ですか。双方にとって利害が一致する提案だと思ってましたので、舞い上がっていたのは自分たちだけでしたか」
「すいません。でもお話を頂いた時は自分が大手に認められたと、心躍らせたのも事実です。いいかなって、何回も傾きましたし最後まで悩みました」
「では翻意される可能性は、まだおありで?」
「いえ、それはないです。もう覚悟を決めたので」
最後の灯火とも言える質問に、みなみはピシャっと答えた。
先ほどまでの戸惑いを纏っていた表情から一変して、毅然とした顔付きになっている。
「そうですか」彼女の面を凝視して、決心を変えることはないなと悟った園田は、残念そうにうな垂れた。
「人様の人生を、無理強いして変えるつもりは御座いませんので、残念ですが諦める事にしましょう」顔をゆっくりあげた。
気持ちを切り替えたみたく微笑んでみせたが、無理やり笑った為、若干頬が引きつっている。
せっかくなので料理とお酒を楽しみましょう、と園田の気を利かせての発言により、
話題を変えて、残りの料理と追加で頼んだワインボトルを嗜み、談笑した。
話題を変えたといっても結局は業界の話に戻り、みなみの役者論を長々と聞く羽目になるのだが。
「今日は素敵な料理をありがとうございました。ご期待には沿えませんでしたけど」
店をでて一階の出入り口のすぐ脇にあるタクシー乗り場で、みなみはぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、こちらもいい経験になりました。陰ながら相楽さんの事は応援致しますので、また機会があればお願いします」
「同じ業界なので現場でヒョッコリ会うかもしれませんね」
「その時は他人のフリをしてくれると有難い」
「私を誰だと思ってるんですか?どんな役でもこなす演技派女優ですよ」
そう言って彼女はにっこりと笑った。
「ハハ、それは恐れ入りました。ではお気をつけて」微笑みを返して園田は頷く。
彼女はタクシーに乗り込み「ではまた」と言って発進した。
園田達が見えなくなるまで、窓ガラス越しに手を振り続けていた。
「いやー見事にフラれちゃいましたね」
タクシーが交差点を曲がり、見えなくなった所で、岡部が呟いた。
「いけると思ってたんだがな、こういう事もあるさ」
そう言って園田はポケットからタバコを取り出し火を付けた。
相楽の手前、喫煙を遠慮していたのだろう。
ひと吸いの量が大きく吐き出した煙は、狼煙をあげたかのように、立ち込めっていった。
「よし仕切り直してもう一軒飲みに行くぞ」
「はい。お供しますよ」
2人は歓楽街を目指して歩を進める。一軒とは言ったが、反省と愚痴の論じ合いで朝までコースになるだろうなと、今までの経験から推測した。スマホを取り出し、妻に遅くなる旨を簡易に伝えた。
自宅のベットの上に寝転びながら、みなみは先ほどの一軒を思い返していた。
本当にこれでよかったのだろうか?こんなチャンスもう二度とやってこないんじゃないだろうか。
いろんな考えが脳の中を駆け巡った。しばらく瞑想にふけっていたが、やがて大きくガブリを振った。これが最良な選択だったんだと自分の体に言い聞かすかの如く。
まぁなるようになるか、とポジティブな独り言を呟いて、ゆっくりと瞼を閉じた。
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