第3話

事の発端は園田が仕事の帰り道に、たまたま野外撮影に出くわした時だ。

川沿いの道を歩いていたら、河川敷でロケバスが数台並んでいて、中から機材を忙しなく運搬している集団が見えた。見慣れた光景だ。

そのまま立ち去ろうとしたが、顔見知りがいたのを発見して、留まることにした。


現場が落ち着いたら、声をかけようと思った。今話しかけたら迷惑だと感じたからだ。手持ち無沙汰で周りを見渡していると、1人の女性に目が止まった。


彼女は台本を凝視してブツブツと呟いている。

真面目に練習しているのだろうが、椅子の背もたれに体重を預け、足を組んでいる。ビーチでバカンスを楽しんでいるような居住まいだ。マネージャーらしき人が近寄ってきて、姿勢を正すように注意した。

だが彼女は「この体勢が1番集中できるから」と反論した。一連のやりとりを傍観した園田は、なんとも偉そうな女優だなと率直に思った。


顔は美人な部類に入るから、今までの人生でチヤホヤされて増長したのだろうと、長年の経験で推測した。この業界にいれば態度がでかいやつなんて山のように居るし、見てきた。


ただ大概の奴はいつのまにか消えていくし、彼女もその1人になるだろうなと予言めいた思いを抱いた。

準備もだいぶ落ち着きリハーサルの段階まで来たので、知り合いディレクターに声をかけ、しばらく歓談した。


「いやー、それにしても最近面白い女優を見つけましたよ」


「ほう。あなたの、お眼鏡にかなう人とは逸材なんでしょうね」


興味津々の表情で園田は言った。


「なんというか、存在感を調節できるみたいなんです」


「どういうことですか?」


「自分が重要なシーンになると、みんなの目線を奪ってやるって感じで、光り輝くんですよ。でも逆に、自分は目立たない方がいいと思った時は、最初からそこに居なかったように感じるくらい、認識しづらくなるんですよ。それで相手方の役者さんを際立たせるといいますか。」


「そんな器用なことできるんですか?」園田は目を見張った。


「僕も初めて見ましたよ。あんな人。しかも作品の事を考えて調節しているんですから、脱帽しましたね。普通そんなことできるなら、常に目立って売れたいって、邪に考えそうじゃないですか。それをしない、てことは役者愛に溢れてる方なんだなぁて思いましたね」

「そんな凄いならもうブレイク目前って感じですか?」


「ん〜どうですかねー。舞台とか間近で観たら、彼女の凄さは分かるんですけど。いかんせん映像でみたら威力半減といいますか、目の肥えた人ならともかく大衆ウケはしづらいんじゃないかな?」

「それはもったいないですね」


「でも今の話ですからね。まだまだ発展途上だと思いますよ彼女の演技は。試行錯誤して壁をぶち破る覚悟が見えますから。金の卵ですよ」


「そこまで言うなら私も唾をつけとこうかな」ニヤリと悪い笑みを浮かべた園田はつづける


「その女優の名前は?」


「相楽みなみって子ですね。ほら、あそこに座ってる子です」


指を指した方向に目を向けると園田は唖然とした。


先ほど、偉そうな奴だと内心毒突いた女だったからだ。


「あの子がですか?」目を丸くした園田はおそるおそる聞いた。


「ええ、ゲスト出演の枠に僕がゴリ押しでねじ込んだんですよ」


俺の観察眼も狂ったのかと感慨に思った。

目利きが重要なこの業界で、本質を見破れないのは如何ともし難い。

ディレクターに見学の許可を貰い、しばらくの間彼女を凝視した。


華奢な体にくっきりとしたボディラインは遠目からでも窺える。

やがて彼女は立ち上がり、スタッフの元へ駆け寄っていく。

本番が始まるのであろう、ピリついた雰囲気が漂ってきた。

沈黙が全体を覆い尽くす。

「ヨーイスタート」合図とともに、止まっていた時間が動き出したかのように演戯が開催された。


彼女を注視していたのだが、思わず見失ってしまった。

先程とは打って変わって、しおらしい女の子に様変わりしていたのだ。

そうゆう役柄を演じると言うより、成った。と思えた。


美人な顔立ちで凛々しい雰囲気をまとっていたのに、今では顎を引いて上目遣いで、可愛らしくおねだりをしている愛らしい女の子だ。

今彼女を初めて見たとしたら、茶目っ気のある活発な子だと印象評価がガラッと変わるだろう。

それぐらいの豹変ぶりだ。


好奇の目に晒されて、平然と自分の演技を遂行する彼女のポテンシャルにも驚いた。

彼女がおねだりが叶って子供のように、はしゃぐ姿を見て思わず破顔してしまう自分がいた。

しばらくして彼女は、つぶらで大きな瞳から一筋の涙を流す。


頬から顎先まで綺麗な曲線で落ちる様に、心配して近寄りそうになったほど、一瞬で魅了され心酔してしまった。彼女の、周りの視線を奪うような演技を目の当たりにして、先ほどの言葉を思い出した。


これが存在感を自在に操る、相楽みなみという女優か。欲しい。


この子がうちに来れば、相当な利益を叩き出すことができる。

彼女が芸能界を縦横無尽に駆け巡るビジョンが園田の頭の中を駆け巡った。

なんとしてでも手に入れたい。独占欲が体の奥底から溢れ出してきた。

園田は黙考した。どうやって勧誘すれば移籍してもらえるかと。


それは、いわば引き抜き工作である。

道理に反する行為ではあるが、この業界では水面下で往々にして行われている。

その為所属タレントを引き抜かれない為に経営陣は、金銭的支援や貸し付けにより会社に温情を持ってもらうやり方。

又は弱みを握って支配し、鞍替えを起こさせない方法がある。


ひどいところではタレントと強制的に肉体関係を持ち、「逆らうような事をすればこの事実を公表して、世間に枕疑惑を抱かせてやる。そうなったら芸能人生踏破できなくなるぞ。」とヤクザさながらの脅し文句を垂れる輩もいる。


後日女性タレントは、事の経緯を警察に相談をして、事件にはならなかったが連日ワイドショーで取り上げられるビックニュースとなった。関心を持った視聴者による非難と罵詈雑言の的となり事務所は解体。女性タレントは同情という名の注目を集め、レギュラー番組増加しブレイクした。


その点を踏まえると、相楽みなみの自由で軽率な態度から察するに、事務所から鎖の繋がった首輪を付けられてる訳ではないなと容易に想像できた。


実際に相楽みなみには金銭的支援も弱みを握られてもいない。

なら直球な勧誘で問題ない。

幸いネットで調べてみると、彼女の会社はこじんまりとした弱小事務所だ。

うちの知名度と規模感。各所へのパイプ。総合的に判断してこちらになびく筈だ。

しめしめと薄ら笑いを浮かべ身なりを整えた。


マネージャーの離れた隙を狙って、相楽みなみに声をかけた。

訝しげな顔でこちらをにらめ付けてくる。他を寄せ付けない嫌悪感たっぷりの眼力に、気圧されそうになったが、すぐさま名刺を差し出して健全さをアピールする。


相楽みなみは、疑心のこもった手でぞんざいに受け取り、それから名刺と園田を交互に見比べ、腑に落ちたのか表情を緩ませ、話を促すように視線を向けてきた。


警戒心が取れて園田は安堵した。近くで見ると、顔のすべてのパーツが整ってる美人だなと、純粋に思った。

「移籍に興味はありますか?」


そう聞くとみなみは意表を突かれたのか、目を大きく見開いた。

そして考え込むように顎先を手でつまんだ。数刻経ったのち口を開いた。


「興味がないと言ったら嘘になりますね」


好感触な答えに、園田の勝算パラメーターが、一斉に稼働したのを感じた。

ここで一気呵成と畳み掛けたいところだが、急がば回れという、言葉もある。

マネージャーが帰ってきて鉢合わせしても、面白くない。


後日食事でもと誘い、みなみも快諾する。園田は満面の笑みを見せつつ踵を返した。

そして何度かやり取りしたのち今日まで至った。

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