第5話 相手に興味を持つということ

 今日の最後の授業は恋愛実習の授業だった。


「はーい、それではみなさんお待ちかねの恋愛実習の時間ですよー」


 どうやら恋愛実習の担当教師は冠城先生のようだ。

 彼氏はいないと言っていたが、恋多き人なのだろうか。


「といっても、初回ですからねー。本日はこれからの予定と課題について説明しまーす。これを後ろの人に回してくださーい」


 冠城先生はプリントを配り始める。

 前の席の浦野が回してくれたプリントには〝相互理解の大切さ〟という題でイラストで例が描かれていた。

 コミュニケーションとは相手を知ること。

 異性ならばなおのこと相手に対する理解が必要となる。

 プリントの内容をまとれめればそういうことが書かれていた。


「初回の授業ですし、まずお互いを知り親睦を深めるところからはじめましょうかー。ささ、向かい合ってお話してくださーい」


 恋愛実習の初回はペアとの強制会話という、人によっては地獄のような時間になるようだ。

 ペアになったからと言って仲良くなったわけではない。

 事実、ほとんどのクラスメイトは同性同士で固まってグループを形成している。

 ペアの相手とまともに話したことがない者達は、しどろもどろになりながらも会話を始める。


「えっと、趣味とかある?」

「いや、お見合いじゃないんだから」


 例に漏れず、俺もその一人だった。


「ま、最初だしね。趣味ならコスメとか服とかサイトで見たりするのが好きかな。友田はお洒落とかしないの?」


 ギャルっぽい見た目通りの趣味である。

 ここまで予想通りだと一周回って珍しいのではないだろうか。


「いや、俺はそういうの興味ない。こんな見た目、何したって無駄だし金がもったいないからな」


 自分の見た目に全くといっていいほど興味がないから、そういうお洒落な話はわからない。

 俺はすぐに次の質問に移ることにした。


「じゃあ、好きな動物とかは?」

「好きな動物かー。それなら犬だね! 犬種だとやっぱ柴犬! 友達が家で飼ってたんだよねー。すっごい可愛いんだよ。ほら写真、可愛いでしょ?」


 多々納はスマートフォンを取り出すと、いつの間にデータ移行したのか犬の画像を見せてきた。


「へぇ、人懐っこそうだな」


 ドヤ顔で犬の写真見せられても、他の犬と何が違うかいまいちピンとこないのだが。


「でしょでしょー! すっごい人懐っこいの! やっぱ動物っていいよねー。友田はペットとか飼ってないの?」

「いや、飼ってない……好きな曲は?」

「好きな曲っていうか、ジャンルでいうと最近K-POP聞いてる。J-POPも聞くけどね。他にも、ゲームの曲とか、アニソンとかも最近動画サイトでおすすめに出てくるから聞いたりするよ」

「へぇ、意外だな」


 有名人がよくやっている百の質問の如く、俺は多々納にどんどん質問をしていく。

 俺が質問して多々納が答える。それの繰り返し。

 全くといっていいほどに会話に手応えがない。


「好きなスポーツは?」

「好きなスポーツかぁ……あたしは運動自体あんま好きじゃないんだよねー。でも、スノボはちょっと興味あるかも」


 そんな中、ようやく俺でも答えられるジャンルのパスがきた。


「おお、そうなのか! スノボは難しそうに見えるけど、やってみたらハマるぞ! 足が固定されてるから不安になる人もいるんだけど、慣れるとむしろ足が固定されてることに安心感を覚えるようになるんだよ! あ、あと、風を切って雪の上を滑っていく感覚は癖になるし、技を覚え始めると前は滑ることしかできなかったのに、一個一個できることが増えていくのはマジで楽しいから!」

「おー、楽しそうじゃん! 今度教えてよ」

「あっ、でも、この学園には屋内ゲレンデないし、旅行で外出とかできないから無理なんだよなー……」


 希望は潰えた。

 智位業学園は施設などが充実している代わりに、卒業まで学園外に出ることができない。

 ここは膨大な資金を継ぎ込んで作られた箱庭だ。

 そもそも学園に通う間、滑れなくなることを覚悟して、春休みにまだ空いているゲレンデに駆けこんで滑り収めをしてきたのだ。

 智位業学園においてスノーボードは何のステータスにもならなかった。


「「………………」」


 途中まで良い感じだと思ったのに、これである。

 それでも、何とかない頭を振り絞って会話を捻り出す。


「えっと、好きな天気とかあるか?」

「……曇り」


 そして、また会話が途切れる。

 そこで多々納は深いため息をついて告げた。


「何か尋問みたいなんだけど」


 尋問とは言い得て妙である。どうやら俺は会話しているつもりで、会話ができていなかったみたいだ。

 しかし、俺だって好きで尋問をしていたわけじゃない。


「仕方ないだろ! プリントには相手に興味を持つことが大事って書いてるんだから」

「いや、あんたあたしに興味ないでしょ。会話を広げる気全然ないじゃん」


 言葉のナイフが心に突き刺さった。とんでもない切れ味である。


「趣味が合わないっぽいし、興味がないのはしょうがないよ。でもさ、あたしだって友田が好きそうな方向に話持っていってんのに全否定じゃん」

「うぐっ……」


 思い返せば、多々納は質問に答えるだけではなく、こちらにも話を振ってくれていた。

 それも俺の興味がありそうな方に話を広げてくれたりしていたのに、俺はただ否定して会話を打ち切ってばかりだった。

 多々納と話していると自分がどうして女子からモテないのか突きつけられている気分になる。

 相手を知るどころか、自分の嫌なところばっかりが見えてくる。

 そんな俺の内心など知らずに、多々納は会話を続けようとする。


「あたしのことを知らなきゃって義務感で聞いてるからうまくいかないんじゃない? 友達とは普段そんな風にならないでしょ」

「女子が相手だと緊張するんだよ。それに多々納はよく睨んできて怖いし」

「えっ、睨んでなんかないけど?」


 入学式前のことを思い出して告げると、多々納は虚を突かれたような表情を浮かべた。


「あー、たぶんそれコンタクトのせい。あたしカラコン付けてるから、たまにゴロゴロしちゃって。何か怖がらせちゃったらごめん」


 なるほど、つまり睨んでいるように感じていたあれはただの誤解だったのか。

 素直に謝ってくる多々納を見て、勝手に先入観を持って怖い人間だと決めつけていた自分が恥ずかしくなった。


「あたしのことは気にせずに、普段通りに話してみてよ」

「そう言われても、授業内容はそういうのだし……」

「じゃ、一回授業ってこと忘れよ。友田の楽しかった思い出話とかしてみて」

「いや、俺が楽しかったと思っても多々納が楽しいと感じるかはわからないぞ」

「いーの! あたしが知りたいのは、友田がどういうことを楽しいって思ったかってとこだから!」


 言外に俺のことが知りたいと言われている気がした。

 ああ、そうか。相手に興味を持つっていうことは、こういうことなのか。

 心の靄が晴れた気がした俺は、友人との思い出を引っ張りだして話し始めた。


「俺に幼馴染がいたって話はしたよな?」

「うん、疎遠になっちゃったんだよね」


 今日少し話しただけだというのに、多々納はしっかり覚えていた。

 そのことに驚きつつも話を続ける。


「そいつは元々引っ込み思案な子だったんだけど、親同士が仲良かったこともあってよく一緒に遊んだんだ。それで、俺の男友達と一緒に遊んだりして段々周りに馴染んでいってさ。休み時間に本ばっか読んでたのに、いつの間にか男子とサッカーやバスケするようになってたんだ」


 おそらく、今の彼女しか知らない奴らが小学校のときの姿を見たら驚くだろう。

 それほどに、俺の幼馴染は男子っぽい性格にだった。


「人と話すことを怖がってたそいつの周りには、いつの間にかいつも友達がいるようになった。男子とは話が合うし、女子からは格好良い女子って感じで人気だった」

「そんなに友達できたんだ。すごいね」

「ああ、きっかけさえあれば誰とでも仲良くなれる子だったんだよ」


 今思えば、あいつは頭も見た目も良くて、運動神経も抜群だった。

 足りなかったのは一歩踏み出す勇気。そのきっかけになれたことは今でも俺の誇りだ。


「俺がしたことなんてただ友達の輪にそいつを連れて行っただけだった。それでも、そいつは言ってくれたんだ。俺のおかげで友達がたくさんできた、ありがとうってさ。それが何よりも嬉しかったんだ」


 小学校のときの幼馴染との日々は俺にとって今も大切な思い出だ。

 関係が壊れてしまった今ではそれは変わらない。


「みたいな感じ、なんだけど」

「めっちゃ最高の小学校時代じゃん! 普通にそのままその子とくっついてもおかしくないって! えっ、あたしだったら惚れてるんだけど!」


 多々納は興奮したように「きゃー」と黄色い歓声を上げている。

 別に恋バナをしたわけではないのだが、何かが多々納の琴線に触れたらしい。


「てか、やっぱ全然話せるじゃん! もっと昔の話聞かせてよ!」


 俺の背中をバシバシ叩きながら多々納は目を輝かせて詰め寄ってくる。

 仄かに香る甘い匂いにしどろもどろになりながらも、小学校時代の思い出を記憶の奥底から引っ張り出してくる。

 話の途中、前の方から睨みつけるような視線を感じて縮こまりながらも俺は話を続けた。


「はい、そろそろ時間ですー」


 冠城先生は手を叩き、ペアへの理解を深める授業が終了したことを告げる。

 授業が始まる前はきっと長い時間になるのだろうと思っていたが、実際にやってみたらあっという間に終わってしまった。


「えっ、もう終わり? ようやくノッてきたのに」

「それだけ楽しかったってことでしょ」


 多々納は楽しそうに笑って言う。


「あたしの話はまた今度ってことで」


 不覚にもその笑顔にときめく。

 もう多々納への苦手意識は欠片も残っていなかった。


「それでは、次回の授業までの課題を発表しまーす」


 多々納に集中していた意識が先生の言葉によって途切れる。

 どうやら、チャイムが鳴る前に会話を打ち切ったのは課題説明の時間を取るためだったようだ。


「課題?」

「はーい、とーっても大事な課題ですよー」


 恋愛実習の課題。嫌な予感しかしない。

 そして、その予感は当たることになる。


「来週の授業までにみなさんには〝ペアの生徒の改善点〟に気づいてもらいまーす。もちろん、気づいた上できちんと改善してもらいますよ」


 それだけならば、簡単な課題のはずだった。


「ちなみに、片方でも改善ができなかったペアは二人揃って仲良く退学処分になりますのでご注意をー」


「「「「「はぁ!?」」」」」


 次いで冠城先生の発した言葉に、教室中が絶叫することになった。

 あり得ない。退学処分なんてそんな簡単にできるものじゃない。


「ちょっと、あり得なくないですか!」

「いくら何でも横暴過ぎます!」

「こんなの許されないですよ!」


 俺と同じことを思ったクラスメイト達は口々に不満を口にする。


「まあまあ、話は最後まで聞いてくださいー」


 とんでもないことを言っているというのに、冠城先生は笑顔を浮かべたままだ。

 言っている内容と表情が一致しないまま、冠城先生は続ける。


「課題の内容には、自分達で気づくことが重要ですー。詳細は言えませんが、ヒントとして言えるのはこのクラスの半数が既に課題をクリアしていまーす。もちろん、クリアしている人はどうしてクリアできたのか、ペアの子はどうしてクリアできていないのかを考えるのも課題の一つですー」


 既に課題をクリアしていると聞いて、少しだけざわめきが収まる。

 退学処分という思いリスクを背負っていても、半数がクリアしているというのならば課題の内容が余程簡単なものだと気づけたからだ。


「それにこの課題はとても簡単な内容なんですよー。余程のことがなければ退学にはならないので安心してくださいー」


 一体どこに安心しろというのだろうか。

 少なくともクラスの半数がこのままでは退学になってしまう可能性がある時点で、俺は安心できない。


「都度、様子を見てヒントは出していきまーす。まあ、退学処分に関しては真剣に取り組むための措置だと思っておいてくださーい」


 冠城先生の言葉で、クラスメイト達は安堵のため息をついた。

 この課題には救済措置があると理解したからである。

 授業終了を告げるチャイムが鳴り、冠城先生は笑顔を浮かべたまま教室を出ていく。

 それと同時に戻る、いつも通りの喧噪。

 クラスメイト達は課題内容について、笑いながら話し合っている。

 退学処分はただの脅し。だから、緩く話し合いながら取り組めばいい。そう思っているのだろう。

 だけど、俺にはそんな単純な課題だとは思えなかった。


「何、考え込んでんの」


 俺が一人で唸っていると、多々納が話しかけてきた。


「いや、課題どうしようかなって思ってさ」

「それならちょうど良かった。主税は放課後時間ある?」

「別にいいけど……えっ、今なんて?」


 俺の聞き間違いでなければ、下の名前で呼ばれた気がするのだが。


「放課後時間あるって聞いたの」

「そうじゃなくて、俺の名前……」


 女子から下の名前で呼ばれるのなんて小学校以来である。

 好きな相手ではなくても、心臓が自然と高鳴るのを感じた。


「だってペアだし。真剣に取り組むってんなら、名前で呼ぼうかなって思ったの。あたしのことも風鈴って呼んで」

「いや、女子を名前呼びするのはしばらくやってないし、その――」

「リピートアフターミー、か・ざ・り」

「か、風鈴……」


 強引に押し切られ、俺は多々納――風鈴と共に放課後に話し合いをすることになったのであった。

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