第1話 名門校、智位業学園

 智位業学園ちいぎゅうがくえん

 卒業生には政治家から大企業の重役が名を連ねる世間的には名門校と名高い学園だ。

 そのカリキュラムの詳細は謎に包まれており、詳細を知る者は学園関係者のみだ。

 智位業学園に入学する方法はただ一つ。

 学園からの推薦のみである。

 通常、推薦といえば大学や高校が出身校から推薦を受けた生徒を選抜させて入学させるというシステムだが、智位業学園からの推薦入学はそれとは異なる。

 智位業学園側の入念な身辺調査によって、入学するのに相応しいと判断された生徒のみが入学できるのだ。

 この春から俺もそんな智位業学園の生徒である。


 つまり、大勢の候補者から選ばれし精鋭の一人というわけだ。

 正直なところ、どうして自分が選ばれたのかは検討もつかないが、他者から自分が優秀であるというお墨付きをもらえるというのは嬉しいものである。

 それに俺が智位業学園からの推薦を受けた理由は他にもある。

 一つは、智位業学園の卒業生は誰もが社会で目覚ましい活躍をしているということだ。

 さすがに、自分はそこまでの人間にはなれないとは思っているが、それでも進学や就職に有利な学園からの推薦だ。貰わない選択肢はない。貰えるものは貰っておいた方が得なのである。


 もう一つの理由、これが最も重要だ。

 この学園が全寮制を導入しているという点だ。

 一人暮らしができる上に光熱費家賃もかからない。

 こんな素晴らしい環境があって飛びつかない方がおかしいというものだ。


「おー……でっけぇ校門」


 日光が反射して輝く智位業学園という文字が刻まれた校門を前に間抜けな感想が口から零れ落ちる。

 期待に胸を膨らませて校門を潜ると、改めて自分が智位業学園の生徒になれたのだという実感が湧いてくる。

 辺りを見渡せば自分と同じように、智位業学園の制服に身を包んだ生徒達が目に入る。

 そこで、違和感に気が付いた。


「何か、眼鏡率高くね?」


 新入生と思われる男子生徒が自分と同じような外見の者ばかりなのだ。

 最低限耳と襟にかからないように切られただけの髪と眼鏡。

 全員がそうというわけではないが、自分と同じような外見の者が大勢いるのは違和感があった。

 違和感を覚えつつもクラス分け表が張り出されている場所へと向かうと、既に大勢の生徒達でごった返していた。

 生徒の間を縫って進み、自分の名前を探す。


「えーと、友田主税ともだちから、友田主税……あった」

 一年A組の欄に、自分の名前を見つけたことで再び高揚感が戻ってくる。

 見知った名前もあった気がするが、それは見なかったことにしよう。

 そんなことをしている内に、先ほどまで感じていたはずの違和感はいつの間にか気にならなくなっていた。

 A組の教室に向かうと、まだ登校時間の一時間前だというのに半数以上の生徒が席についていた。

 男子の大半は先ほどと同様に同じようなどうにもパッとしない見た目の者ばかり。女子も同様に一部を除いて地味な見た目の者が多い。

 それ故に、一部の見た目が良い者達は早速固まってグループを形成していた。


「てか、あり得なくない!? 何でうちのクラスこんなチー牛ばっかなの!」

「ねー。名門だからってガリ勉っぽいのしかいないわけ?」

「私なんて赤点だらけだったし!」

「顔面偏差値なら私らこのクラスでトップなんじゃない!」


 周囲の大半の人間を貶すような発言に、大半の人間が顔を顰めている。

 顔を顰めるだけで何もしない。

 下手に絡まれることが怖いからだ。

 文句を言いたくはある。


 彼女達が俺達を差して言った〝チー牛〟という言葉。

 これはチーズ牛丼を頼んでいそうな如何にもな見た目の陰キャと差す言葉として定着してしまった侮蔑的なインターネットスラングだ。

 個人的にこの言葉は嫌いだ。

 自分の見た目が完全に合致するということもあるが、チーズ牛丼を食べただけで陰キャ扱いされることに腹が立つのだ。

 いいじゃないか、チーズ牛丼おいしいんだぞ。バカにするなよ。

 そんな気持ちを込めて無駄に声の大きな女子グループを睨んでみると、グループの一人が顔顰めてこちらを見た。


「何見てんの?」

「あっ、や、何でも、ないっす……」

「キショ」


 夢の学園生活初日から冷や水を浴びせられた気分だ。

 キショはないだろうに。せめて気持ち悪いと言ってくれ。

 その方がまだダメージが少ないというものだ。

 それから騒がしい女子グループに注意する者は誰もおらず、時間だけが過ぎていく。

 このまま何もせずにいるのももったいないと思い、俺は情報収集をすることにした。

 教室内の座席には名札が置いてあり、クラスメイトの名前と位置を把握することは容易なのだ。


「……たたのう、ふうりん?」


 隣の席を見てみれば、そこには〝多々納風鈴〟の五文字。

 名前だけなら俺も人のことは言えないが、随分と珍しい名前である。

 座席は男女が隣同士になるように配置されているため、おそらく女子だろう。

 漢字だけ並べてみるとすごく涼しそうな名前だ。脳内に清楚系黒髪ロングの美少女が笑顔で手を振る姿が思い浮かぶ。

 まだ見ぬ清楚系黒髪ロングの美少女との出会いに思いを馳せていると、前の座席で本を読んでいる男子が目に入った。

 席を覗き込んでみれば、そこには浦野良風と書かれていた。

 交友関係は広げておくに越したことはない。

 女子は苦手だが、男子ならば話しかけることに躊躇う理由はない。


「よっ、何読んでるんだ」

「……君は?」


 浦野に試しに声をかけてみると一瞬だけこちらを睨んだものの、きちんと俺の方へと体を向けて答えてくれた。


「読書の邪魔したのなら悪い。俺は友田主税、席も近いことだし仲良くやろうぜ」

「よく読書している相手に話しかけようと思ったね」

「あー、まあ、話しかけるなアピールかとも思ったんだけど、会話の取っ掛かりが欲しいだけの人もいると思うし、話しかけるのはありかなって思ったんだ」


 教室で読書をする人間は必ずしも人を拒絶しているわけではない。

 自分から人に話しかけることが苦手で、本についての話題を振ってほしい人もいれば、単純に手持無沙汰なために本を読んでいる者もいる。

 俺の言葉を聞いた浦野はどこか感心したように笑った。


「へぇ、じゃあ僕はどっちだと思う」


 楽しげに尋ねてくる浦野の表情を見れば、答えは一目瞭然だ。


「話の取っ掛かりが欲しかったパターンだろ」

「残念、話しかけるなアピールだよ」

「へ?」


 予想外の答えに呆気に取られていると、浦野は本を閉じてニヤリと笑った。


「でも、君とは仲良くやれそうだよ。僕は浦野良風(うらのよしかぜ)だ。これからよろしく、友田君」

「ああ、よろしくな!」


 何と幸先が良いのだろうか。

 一見堅物そうに見えるが、冗談を言えるくらいには気の良い奴である浦野と友達になれたのは大きい。


「浦野は何でこの学園の推薦受けたんだ?」

「僕の住んでた地区は治安が悪くてね。外部で受験しようと思ってたところに名門校の推薦が来たんだ。貰わない手はないだろう?」

「そりゃそうだ。俺も受験とか怠いし、ラッキーって思ってすぐ推薦受けたよ」


 大人しく真面目そうな外見から誤解されやすいが、俺は勉強ができるわけではない。むしろ、成績は中の下くらいだった。


「浦野は勉強できそうだよな」

「そんなことないよ。周りのレベルが低かったから相対的に学年上位にはいたけど、外部の学力テストは散々だったからね」

「だよな! この髪型と眼鏡だと勉強できそうって思われるけど、全然そんなことないんだよなぁ」

「わかる。ファッションとか興味ないし、髪も千円カットで適当にってなるよね」


 すっかり俺達は意気投合していた。

 見た目からしてシンパシーを感じていたが、やはり浦野もこちら側の人間だったようだ。


「そういえば、俺達だけじゃなくて男子のほとんどが俺達みたいな見た目してるよな」


 見た目の話になったため、つい周囲を見渡してしまう。

 俺も浦野も男子のほとんどが同じような見た目をしているという点について、他の人の意見も聞いてみたかったのだ。


「それは僕も気になってた。学園の名前も智位業学園……チー牛学園だったりしてね」

「まっさかー! そんな由来で名前付けられてたら炎上するって。大体、そうだったとしたら推薦で選んだりしないだろ。俺達だって成績がいいわけじゃないんだし」

「それもそうか。まあ、見た目以外にも何かしらの共通点はあると思うけどね」

「共通点?」


 神妙な表情を浮かべる浦野の言葉につい俺は前のめりになって聞き入ってしまう。


「推薦を受けたこと、それ自体はありがたいことだよ。でも、僕は自分が世間的にも知られる名門校の推薦を受けられる人間だとは思っていない」

「あ、ああ、それは俺も思ってる」

「学園からの推薦。ということは、事前に僕達の身辺調査は念入りに行われいてるはずだ」


 浦野の言葉に、俺は改めて自分が推薦された理由を考えてみる。

 成績でも、容姿でも、それ以外の部分でも俺に尖った才能はない。


「血縁関係、とか?」


 辛うじてあり得そうな可能性を絞り出してみる。

 俺が推薦されるとしたら自分以外の要素以外しかないだろう。


「その線はないと思う。僕の両親は言っちゃ悪いけど大した人間じゃないからね」


 しかし、俺の挙げた可能性は浦野によって即座に否定された。

 育ててくれた両親に対してあんまりな言葉を吐く浦野には苦笑せざるを得ない。


「ひどい言いようだな」

「世間的には、って話さ。他意はないよ」


 肩を竦めると、浦野は冗談めかして告げる。


「もしかしたら、僕達は優れていないから集められたのかもね」

「いやいや、それは……さすがに考えたくない」


 浦野の告げた可能性を完全に否定できず顔が引き攣る。

 もし仮に智位業学園が優れていない生徒達を集めているのだとしたら、これから待っているのは青春の一ページなどではなく、超スパルタな授業で埋め尽くされた学園生活ということになる。

 冗談じゃない。俺はのらりくらりと楽しい学園生活が送りたいだけなのだ。


「おっ、予鈴だ」


 登校時間五分前になったことで予鈴がなり、俺達の根拠ない邪推も終了する。

 さすがに登校時間五分前となれば、疎らだった教室の席も埋まっている。


「……隣が空席なんだが」


 いまだに隣の席の女子が登校してこない。

 鞄も置いていないため、俺より先に登校しているということもないだろう。


「僕のお隣さんは早めに登校して別の教室の方まで足を延ばしてるみたいだけど、そっちは見てないな」


 浦野の隣の席の女子も空席だったが、どうやら登校はしているみたいだ。

 登校初日から遅刻かと思われたとき、教室の扉が勢いよく開かれる。

 全員が注目する中、おそらく俺の隣の席の女子であろう人物が教室に入ってくる。


「はろはろー。やー、遅刻するかと思った」


 ギャル、めっちゃギャル。

 ピンクのメッシュが入ったウェーブのかかった金髪はサイドテールにまとめられ、派手なメイクとアクセサリーに着崩した制服。

 ギャルを知らない人間が思い描く典型的なギャルがそこにはいた。


「はぁ、走ってきたからめっちゃ暑い……」


 パタパタと顔を手で扇ぐと、俺の存在に気が付いたのか、ギャルはこちらを向いて挨拶してきた。


「あたし、多々納風鈴ただのうかざり。よろしく」

「お、俺は、友田主税……よろ、しく……」


 浦野のときとは違い、俺は激しくドモリながら自己紹介をする。女子が相手だとうまく話せないのだ。

 そんな俺の様子は気にせずに多々納は俺の席に置いてある名札を見て目を丸くした。


「えっ、これで〝ちから〟って読むの?」

「いや、そっちこそそれで〝かざり〟って読むのかよ。苗字も珍しいし」


 名前について突っ込まれたため、自然とツッコミの言葉が口から出てくる。


「確かに初見じゃ読めないってよく言われるわ」


 その点、友田は普通に読める苗字である。だから何だという話ではあるが。

 心の中で多々納に対して謎のマウントを取っていると本鈴が鳴り、浦野の隣の席の女子も戻ってきて教室内の席が完全に埋まった。

 本鈴が鳴り終わらない内に、担任教師らしき女性が教室へ入ってくる。


「はーい、みなさんー。席についてくださいねー」


 間延びした呑気な声が教室内に響き渡る。

 ゆったりとした服装に、ふんわりとカールした栗毛色の髪。細目と常に上がった口角。

 声と外見がここまで一致しているのも珍しいだろう。


「私は担任の冠城博愛かぶらぎひろえですー。これからよろしくお願いしまーす」


 冠城先生は可愛らしくお辞儀をする。

 こういう可愛い系の先生が来ると男子が盛り上がるのが定番なのだが、クラスの男子のほとんどは声を上げることはなかった。


「先生! 彼氏っているんですか?」


 てっきり誰も何も言わないのかと思いきや長髪のイケメン君が茶化すように冠城先生へと質問をする。


「いいえ、いませんよー」

「おっ、じゃあ俺が彼氏に立候補しよっかなー!」

「それは無理ですねー」


 笑顔のまま冠城先生はイケメン君をばっさりと切り捨てる。


「マジかー、振られたわー」


 イケメン君も冗談で言っていたため、特に傷ついた様子はない。

 こういう陽キャみたいなやり取りができるのは羨ましい限りである。

 きっと、このイケメン君みたいな奴がクラスの中心人物になっていくのだろう。

 早くも自分との差を見せつけられたような気がした。

 それから二言三言この後の予定について説明をすると、冠城先生は手を叩いて言った。


「それじゃあ、そろそろ入学式なので移動しましょうかー。あっ、そうだ。先輩達の姿はよく目に焼き付けておいた方がいいですよー」


 どこか引っかかる言い方だったが冠城先生が移動を始めたため、クラスメイト達は先生の言葉に従って一斉に移動を始める。

 既に仲良くなった者達はおしゃべりをしながら、入学式が行われる体育館へと向かっていく。

 俺もその例に漏れずに浦野と適当に雑談しながら体育館へと向かう。

 最近遊んだゲームの話、好きな配信者の話、漫画やアニメの話、浦野が博識なこともあり、会話は弾んだ。

 これが女子相手ならばこうはいかなかっただろう。


 俺はふと隣の席になった多々納に視線を向けてみる。

 ギリギリに登校してきて注目されていた多々納はあっという間に周囲に打ち解けていた。

 内気そうな女子が多い中、相手のパーソナルスペースに潜り込む姿は見事と言う他ない。

 その反面、男子の大半はいかにもギャルな多々納を怖がって距離を置いていた。

 無理もない。ギャルは俺達のような日陰で暮らしてきた人間にとっては天敵のような存在なのだ。オタクに優しいギャルなど実在しないファンタジーの住人である。

 ジッと見ていたせいか、多々納は俺の方を見て不機嫌そうに目を細めた。


「ひえっ」

「友田君、どうしたんだい?」

「な、何でもない」


 やっぱり、ギャルは怖い。

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