第58話 ザンドール男爵

 氷の森の消滅から一月が過ぎた。

 スルド村の領主であるブレン王国の貴族ザンドール男爵は氷の森の消滅を雄飛の機会と考え、南方利権を掌握すべく、再び領民に夫役を命じようとした。

 だが、イベル山での夫役に苦しめられ、さらには徴用された者達を生贄として処刑されかけた領民の反発は大きく、また、新王クロウの布告に「過酷な夫役、徴用を禁じる」といういう条項があったことから、王命に背いたとして王都に直訴される事態に陥った。

 新王クロウは王座について間もなく、権力基盤は盤石というには遠い。

 過酷な夫役、徴用を制限すると言っても、そう厳しい咎めはあるまい。

 そうたかをくくっていたザンドール男爵だったが、それが破滅をもたらすことになった。

 新王クロウは右腕である親衛隊長デンゼルに、ザンドール男爵の捕縛を命じた。

 泥将軍と侮られてきたクロウとは真逆の、苛烈で規律正しい軍人である。

 ザンドール男爵は、そこで自らの誤算に気付いた。

 新王クロウはザンドール男爵が考えたより、はるかに厳正な王であろうとしている。

 デンゼルが来る以上は、甘い対応は考えられない。


 ――潰される。


 そう悟ったザンドール男爵は財産をかき集め、国外への逃走をはかった。

 ザンドール男爵家は武門の家柄だった。

 男爵自身を含め、武芸や馬術の達者が多い。

 裏切りの心配のない一族の者だけで馬車を動かし、武装をし、国外逃亡をはかることができた。

 だが、デンゼルの動きもまた迅速だった。

 街道を封鎖、脱出経路を潰されたザンドール男爵は山越えでの国境越えを余儀なくされた。

 そしてザンドール男爵一行が国境を越える山道上には、スルドと呼ばれる村があった。



 人目につかぬよう、慎重に山道を進むザンドール男爵一行は、不運に見舞われた。

 木の根に足を取られた馬が倒れ、それに引きずられて馬車が横転、斜面を滑落した。

 大けがをした者はいなかったが、馬車を立て直そうとしているところに、男達が現れた。


「おうい」

「だいじょうぶか?」

「どこからきなさった?」


 近くのスルド村の住人たち。

 馬のいななきや、馬車が横転する音を聞きつけたようだ。

 剣に手を掛けようとする家人を制し、ザンドール男爵は声をあげた。


「近くの村の者か? 私はザンドール男爵。山向こうにあるバガル王国に嫁いだ妹の見舞いに出向く道中だ」


 いかにも貴族然としたザンドール男爵一行である。下手に正体を隠してもかえって不信感を持たれる。

 デンゼルの手がまだ回っていないことに賭けた。


「へ、へい、近くのスルド村の者でごぜぇやす。ご領主様」

「では、村の者を集めて馬車の引き上げに手を貸せ」


 やはりスルド村には手は回っていないようだ。男達は従順に「へ、へい! おまちを」と応じると、十人ほどの男を連れて村から戻ってきた。


「男達は村にいるのか?」


 思ったよりも早く男衆が集まってきた。


「今日は朝から総出で羊の毛の刈り取りを」

「そうか」


 集落を離れている住人はいないということだ。

 好都合である。


「はじめろ」


 そう告げたザンドール男爵は、村人の中に妙な人影が二人混じっていることに気付いた。

 一人は十八くらいの若者。銀色の髪。平民風だがしっかりした仕立てのベストとシャツ、トラウザーズを身につけている。

 もう一人は十二くらいの少女だ。金色の髪、妖精めいた雰囲気の美少女だった。上質そうな白い布地に、薄緑色の布や糸の装飾を施した、ワンピースのような衣装を身につけている。

 どちらも、スルド村のような山村には不似合いな雰囲気だ。

 少女の腰から伸びる尻尾は魔術で隠蔽されており、ザンドール男爵の目では認識できなかった。


「あの二人は?」

「毛綿の買い付けに来た行商人の連れでごぜぇやす」

「そうか」


 少年はともかく、少女のほうは信じがたいほど繊細に整った容姿の美少女だった。

 欲望を刺激されるのを感じた。

 スルド村の村人たちと、ザンドール男爵家の男達が馬車の引き上げにかかった。

 その一方で、奇妙な少女は山肌に倒れ込んだ馬車馬の方に歩み寄り、そのそばにしゃがみこむ。

 転倒し、骨の折れた馬だ。

 放っておくしかないと思っていた馬だが、不可解なことが起きた。

 男達が馬車を引き上げるのとほぼ同時に、馬車馬は少女とともに山道に戻ってきた。


 ――どういうことだ?


 間違いなく折れていた膝の骨が、完治している。


 ――治癒魔法?


 馬車を引き上げている間、あの少女はずっと、馬車馬のそばにいた。

 何か、魔法の類いでも使って骨折の治療をしたとみるべきだろうか。

 関節の骨折を即治癒できる魔法となると、使い手は極めて少ない。


 ――掘り出し物だ。


 あの容姿に、治癒の魔法。

 ザンドール男爵の中で湧き上がった欲望が、熱量を増す。

 回復した馬を馬車につなぎ直したザンドール男爵一行は「休憩を取りたい」という名目でスルド村に入った。

 馬車から顔を出したザンドール男爵は、長子のサルバンに囁いた。


「あの娘を捕らえておけ。あとは皆殺しでいい」


 スルド村の住人は、皆殺しにする必要がある。

 虐殺があったという事実から、ザンドール男爵一行の仕業と思われる可能性も高いが、それでもはっきりと「山道でザンドール男爵一行を見た」と証言をされるよりはましである。

 ザンドール男爵一行は馬車を止め、剣に手を掛けた。

 馬車を包囲する、不可視の黒羊に気付かぬままに。


(やれやれ、バカな連中だ)


 少年の肩に陣取る黒羊が、ため息のようにヌェーと鳴いた。



(まったく、とんだ重大任務だ)


 スルド村。

 羊飼いエルバの家の玄関前の石段。

 コットンワンはルルという童女の膝の上にいた。

 埃を吸うと咳き込むということで、村総出の羊の毛刈りに参加できずにいたらしいのだが、妙に「いい目」を持っていた。

 エルバやルルへの挨拶がてら、毛綿の買い付けにきた総司令コマンダーに随行、周辺警戒にあたっていたバロメッツたちの姿を視認できている。


震天狼バスターウルフの魔力に長い間触れていた影響でありましょう」

 

 男の商人に扮した死神グリムリーパー総司令コマンダーにそう囁いていた。

 ルルはバロメッツにあからさまに関心を示し、「おいでおいで」と騒ぐ。

 仕方なく頭の上に乗ってやったら、そのまま捕虜にされた。

 逃げ出すことは簡単だが「少し付き合ってやってくれ」と総司令コマンダーに頼まれては、どうにもならなかった。


(いい女じゃねぇか)

(隅に置けねぇぜ)


 僚騎バディのコットンツー、コットンスリーが飛び回り、妙な冷やかしをするのには閉口したが。


(いい加減にしろ、撃ち落とすぞ)

 

 そんな会話をしているところに、山道の方角から、悲鳴のような馬のいななきが響いてきた。

 何人かの男衆が様子を見に行き、そして「ご領主様の馬車が山道から滑り落ちた。引き上げるのに男衆を出せと仰せじゃ」と告げた。

 ルルの父であるエルバを含めた男衆、それと「手伝おうか」と申し出た総司令コマンダー震天狼バスターウルフ、コットンリーダー以下八五騎のバロメッツが山道に出て行った。

 いつもなら総司令コマンダーに随行するコットンワン、コットンツー、コットンスリーの三騎には、別任務を与えられた。


「悪いが、ルルのそばに居てやってくれ」


(おれたちもかよ!)

(なんてこった!)

(調子に乗って近くを飛び回っているからだ)


 コットンツーとコットンスリーは悲鳴をあげたが、まぁ今回は出番もあるまいと、ルルになで回されたり曲芸飛行を披露したりしつつ、総司令コマンダーたちの帰還を待つ。

 やがて、総司令コマンダーたちは、貴族の馬車とともに戻って来た。


(妙だな)


 その様子を高空から見下ろしたコットンスリーが呟いた。


(どうした?)


 ルルに捕まったまま、コットンワンは訊ねる。


(ご領主様とやらの馬車が来てるんだが、本隊が馬車を包囲してる。よろしくねぇ連中らしいぜ?)

(どうする?)


 コットンツーが問う。


(どうもせんさ)


 童女ルルの膝に抱かれたまま、クールに応じるコットンワン。


(俺たちの任務は子守だからな。このままでいい。なにか動きがあるまではな)

(動きがあったら?)


 コットンスリーが問う。


(近づけるな。恐がらせるな。貴族だか山賊だかわからんが、この子の視界に入る前に全部潰せ)

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