第57話 氷の時代は終わる
最後のフェンリアは一撃で蒸発、その後方の雪原が数十キロに渡ってなぎ払われ、消し飛んだ。
『本気出してなかったのか、あいつ』
心中でそう呟いたおれに、ロッソはおれの声で答える。
「
まぁ、確かに死にそうだ。
今はロッソが護ってくれてるからいいが、ルフィオの近くの地面は赤熱し始めている。
地面に立っててそうなるならともかく、地上五十メートルほどの高さに浮いていてその有様だ。
ロッソが護ってくれていなければ、今頃おれは火だるまか焼死体、あるいは灰になってそのへんに飛び散っているはずだ。
「いい機会だ。覚えておけ」
ロッソは言った。
「
氷の森を巡る一連の騒動は、そうして決着を見た。
南端の『島の森』だけを残し、氷の森が消滅するという形で。
緊急停止コードを打ち込まれ、氷人の絶滅を知った氷の森が狂乱、暴走し、自爆したという部分が大きいが、それにしても大事になったものだ。
ブレン王国のみならず、タバール大陸のあらゆる生物を脅かし、圧迫しつづけていた氷の森が消え去って、馬鹿でかい空白地ができたのだ。
単純にめでたしめでたし、とは行かないだろう。
馬鹿でかい空白地ができる。
馬鹿でかい利権ができる。
人間同士、国同士や貴族同士などの覇権争いが起きる未来しか想像できない。
どうなるんだ。これから?
そんな思いが脳裏を横切る。
そんな情勢を作りだした原因のひとつが、光の衣を纏った少女の姿から金色の狼の姿へと戻って駆けて来る。
「おわった。かえろう、カルロ」
なんの感傷も、感慨もなさそうな声。
いつもの通り屈託もゼロ、でもなさそうなのは、ロッソが憑依しているせいだろう。
あっちいけ、と言いたげな様子に見えた。
○
ビサイドに戻ったおれは、そのままベッドに入り、気を失うように眠り込んだ。
おれ自身がフェンリアと戦ったわけじゃないが、おれはただの人間で、古着屋だ。
さすがにくたびれ果てていた。
眠り込んだのは夜明け前、目が覚めたのは夕方頃。
布団とは別に、温かく、柔らかいものが身体に絡みつき、もぞもぞしているのを感じた。
だれかはわかるが、なにをやっているのかはわからない。
「なにやってんだ、おまえ」
視線を下ろすと、いつもどおりルフィオが裸で布団に潜り込んでいた。
ただ、くっつき方が普段と違う。
いつもは寝床に潜り込んでくるといっても、あまりくっつきすぎるとルフィオも寝苦しいようで、そうきつく密着はしてこないんだが、今回はおれの身体にぴったりくっついて胸に頬ずりをしていた。
裸の胸はおれの腹、薄い腹はおれの下腹部あたりに触れている。
さすがにいろいろまずい体勢だ。
顔をあげたルフィオはいつもの屈託ゼロの顔で「おはよう」と、尻尾を振る。
「おはよう。なにやってんだ?」
もう一度問い直す。
「においづけ」
「なんだそれ」
狼の姿の時は、身体をこすりつけてマーキングをしにくることはあるが、少女の姿でそういうことをしてくるのはめずらしい。
「ロッソのにおいがついてる」
それか。
マント状態のロッソを身につけ、憑依させたときの匂いが気に入らないってことだろう。
「そんなに気になるか?」
いくらか汗臭いとは思うが、ロッソの匂いとなるとよくわからない。
「うん」と応じたあと、ルフィオは小さく舌を出す。
「なめていい?」
「どこを?」
「胸とか、首とか、口とか」
「勘弁してくれ」
この体勢でそこまで受け容れてしまうのはまずい。
とりかえしのつかない構図になりかねない。
今でも充分とりかえしがつかないといえばそれまでだが。
○
氷の森の消失から間もなく、ブレン新王クロウはマントの魔物、ロッソから氷の森の消失の顛末を知らされた。
「なるほど」
まずは、ありがたいと思うべきだろう。
毎年何千人の規模で出ていた凍死者は、これでほとんどいなくなる。
氷の森の消失によって生じる諸国との利権争い。利権を求める国内貴族たちの突き上げなどを思うと、いまからうんざりするが、今は素直に喜ぶべきだ。
氷の森の北上に対し、じり貧のまま、場当たりの対応を続けていた今までに比べれば、ずっとましな状況だろう。
「感謝する。君たちのおかげで、未来に希望を持てるようになった」
「氷の森の時代が、人の争いの時代になるだけかもしれんがな」
ロッソは冷めた口調で言った。
「それを思うと、今から胃が痛いがね」
クロウは自分の腹を撫でた。
「もうひとつ聞きたいんだが」
「なんだ?」
「あちこちで紫の霧や巨大なタコのような魔物が、という報告が上がってきているんだが。アスガルにゆかりのあるものか?」
ロッソはため息をつくように、軽く鼻を鳴らした。
「謝罪する。アスガルの魔物の仕業だろう。森の
「そうか」
まぁ、混乱させられたのは事実だが、実害があったわけではない。
これ以上追及すべき性質の話ではないだろう。
もとより文句が言えるような立場でもない。
「今後のアスガルの方針を聞くことはできるか?」
「タバール大陸の南端に氷霊樹の森が残った島があるが、そこは我々の保護下に置いている。そこにだけは手を出すな。あとは好きにしろ、開拓をしてもいいし、利権を巡って血を流すのも自由だ。我々は一切干渉しない」
「南端っていうと、千五百キロくらい南か」
随分と遠い。
「俺が生きているうちには、そこまで南進はできないだろうな」
「子孫に伝えておくことだ。手を出せば、おまえの血族でも容赦はしない」
「わかった」
クロウは首肯した。
「あの件だが、カルロには伝えてくれたか?」
「この国に戻れという件か?」
「大分ニュアンスが違うが。まぁそうなるかね、一応」
「伝えはしたがな。カルロはこの国には戻らない。この国に戻すには、カルロのところには、いろいろなものが集まりすぎた。もはや、人間の世界に置いておける存在ではない」
「魔物も同然だと?」
「人の目から見れば、そうなるはずだ」
ロッソは淡々と言った。
「人の世界にいては、いずれ排斥されることになる。排斥せざるを得なくなる。カルロを受け入れ、護ってやれる場所は、アスガルの他にない」
○
氷の森は消滅したが『島の森』の氷霊樹は残った。
『半分の月』もそのままだ。
『半分の月』は、氷霊樹達の主人だった氷人たちの墓標のようなものだ。
妙な人間と接触し、墓荒らしのようなことをされるとまずい。
ルフィオやランダル、そしてアスガルの魔獣達の力を借り、黒木綿で作ったロープをかけ『島の森』へと空輸した。
これから先の氷霊樹、そして氷獣たちの役割は、搬送された『半分の月』の墓守が主となる。
といっても『島の森』は島全体がDが作った紫の霧と触手の謎結界に覆われている。あれを突破するような奴はそうそういなさそうだが。
『島の森』の代行者である氷鳥、霧氷は島には残らず、アスガルの王都ビサイドに居着いている。
今となっては大した害はないということで、以前ランダルたちが引っこ抜いてきた最初の百本の氷霊樹を仕事場そばに移植しているんだが、そこを拠点に動き回って情報や知見を集め「今後の生存戦略」の検討を重ねていた。
開拓地で植えて、フェンリアとの戦いの時にも押し寄せてきた黒綿花たちは、冥層を通って追いかけてきて、今は仕事場近くに巨大綿花畑を構築している。
こっちの世界じゃなく、わずかに位相がずれた冥層のほうに根付いているから見えない奴には見えないが、アスガルは魔物の国なので、見える奴が多い。
最初は結構な騒ぎになった。
魔物が上空を飛び回り、
(全騎
バロメッツたちと
ルフィオは完全におれの仕事場を巣、あるいは自宅と認定したらしく、入り浸りを通り越した生活が今も続いている。
魔騎士団からの連絡やら通達とかも普通におれのところに来る。
おれに伝えた方が間違いがないと思われているらしい。
ロッソも入り浸り状態で、気が付くといつの間にか書斎で本を読んでいたり、倉庫に妙な素材や道具を運び込んだりしている。
ルフィオとは縄張りがかぶった状態になっているようで、いつも微妙な雰囲気だ。
単純に良く来るのがサヴォーカさんで、普通に服作りの仕事をさせてもらっている。
冷やかしに来るのがランダルで、特に用もなさそうだが、暇なときに意味もなく顔を出していく。
アルビス、ムーサさん、Dとは今のところ仕事レベルの付き合いにとどまっていて、プライベートの接点はない。
アルビスの奥さんのミルカーシュさんがたまに来るくらいだ。
例の「魔騎士団の裁縫係」という打診については「受ける」という回答を出しているが、月度の関係とやらで今はまだ無職、もしくはフリーの裁縫屋の立場である。
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