第54話 Sally go!

 カルロが黒綿花の天幕を構築した頃には、七黒集と七匹のフェンリアの戦いは、終盤にさしかかりつつあった。

『貪欲』サヴォーカの琥珀の大鎌から注がれた死と風化の力が中枢に到達し、最初のフェンリアは崩壊した。

『姦淫』Dの小箱の触手の中で力尽きた二体目のフェンリアは紫の小箱の中の、得体の知れぬ空間に引き込まれ、消えた。

『嫉妬』ロッソと対峙した三体目のフェンリアは氷の身体の中に生成された氷の結晶に、繊維のフレームを寸断され、溶け崩れた。

『憤怒』ランダルと獣じみた格闘を続けていた四体目のフェンリアは、電光を放つランダルと頭をぶつけ合って打ち負け、頭を消し飛ばされて滅んだ。


 ――そろそろか。


 五体目のフェンリアと向かい合っていた『怠惰』アルビスは、指をはじくようにして、砂粒ほどの大きさの粒子を投射した。

 粒子の正体は、異星体であるランダルがマイクロブラックホールなどと呼称する、極小重力塊を、砂粒大の精密な結界でコーティングしたものだ。

 音もなく飛んだ粒子は、五体目のフェンリアの額に触れると、そこでその本質を示す。

 フェンリアの身体を一瞬にして圧砕、無限に続く重力の奈落の底に引き込んで、消し去った。


「また手抜いてやがったな」


 泥まみれでやってきたランダルが眉根を寄せる。


「『怠惰』だからな、俺は」


 アルビスは悪びれずに応じる。


「他はともかく、カルロくらいは助けて良かったんじゃね?」

「そこはルフィオの領分だ。それと、見ておきたくてな。繊維侯ファイバー・マーキスの後継者の本領を」


 アルビスはカルロが構築した黒綿布の天幕に目をやった。


「黒綿花だっけか」

「そうだ。サヴォーカがカルロに種を与えて、ああなった」

「いやまて」


 ランダルは目を点にした。


「いくらなんでもおかしいだろ、なんであんなところにあんなスピードで黒綿花が異常発生してんだよ。どんだけ繊維にモテるとああいうことになるんだよ」

「一応眷属としての契約はしているそうだ。ルフィオの魔力の影響も受けている。それを含めても異常だが」


 何か特異な力か、資質があるのだろう。

 繊維侯ファイバー・マーキスと呼ばれた仕立屋ホレイショと同じもの。

 あるいは、それ以上のものが。



 カルロが構築した黒綿花の天幕は、フェンリアたちの冷気や氷弾などの攻撃をことごとく阻んだ。

 天幕そのものにはダメージを与えられるが、表層部を凍結させて引き裂いても、その時には、その下に新たな天幕が縫製されている。

 下から潜り込む、という単純な手も使えないようだ。

 人間達が「待ち針」と呼称する丸い頭の小さな針が、異常な堅固さで天幕の下部を地面に止めていた。

 震天狼バスターウルフとの戦いで、こんな籠城めいた戦術を使われるとは計算していなかった。

 天幕を構築しているのはカルロに従っている黒綿花なる半物質植物群。

 これをすべて氷結させられれば天幕も破壊できるはずだが、黒綿花の繁殖、成長速度は常軌を逸していた。

 凍結、枯死させたはしから新たな黒綿花が綿毛を膨らませ始める。

 手の打ちようがない。

 手の打ちようがないならば、震天狼バスターウルフやカルロを無視して、他の魔物を先に倒し、他の五匹と連携してあたるという方法論もあるが、その決断を下す前に、他の五匹のフェンリアは魔物達に打ち倒されていた。

 最後の二匹となった今は、もはや是非もない。

 フェンリアたちの最優先目標は震天狼バスターウルフとカルロだ。

 氷の森の破綻と終焉は、あの魔物と、あの人間との遭遇から始まった。

 このまま、終わらせるわけにはいかない。

 殺さなくてはならない。

 せめて、どちらか一方だけでも。

 そんな執念に突き動かされ、フェンリアたちは天幕へと突進する。

 熱操作能力を使い、天幕を凍結させて砕き、切り裂いて、貫いていく。

 死にものぐるいの突進は、一応の結果をあげた。

 右側から突撃をかけたフェンリアの爪牙が天幕を貫き、内部へと抜けた。

 そのまま天幕の中に顔を突っ込む。

 そこに、黒い塊が襲いかかって、フェンリアの顔面を痛撃した。



「ギャン!」


 敵ながら痛そうな音を立てて、フェンリアは吹っ飛んでいった。

 うまくいけば一撃で倒せるかと思ったんだが、そこまでうまくはいかなかったようだ。


「らめみふぁい」


 口から黒綿布の布袋を下げたルフィオが言った。

 布袋の中には地面を掘り返して集めた石を詰めてある。

 ルフィオがフェンリアとまともに肉弾戦をやると、熱操作能力にやられてダメージを受けてしまう。

 何か適当な武器が欲しいということで作った、適当な武器だ。

 黒綿布の袋に詰めた石ころを袋ごと振り回して相手にぶつける震天狼バスターウルフ用ブラックジャック。

 二匹同時に突っ込んできたようだが、片方が殴り倒されたことでもう一方も警戒したようだ。二匹とも後退していった。


「カルロ」


 三匹のバロメッツとともに地下から『線』を引き入れてきた霧氷が声をかけてきた。


「完成した」


 振り向くと、土の上に四本の杭があった。

『線』から取り出した繊維を霧氷が加工し、ガラスみたいに硬化させたものらしい。

 一本は長さ二メートルほどの長い杭。

 あとの三本は一本一メートルくらいの短い杭だ。

 多いな。

 と訊ねる前に。

 いつものバロメッツ三匹が身体から糸を伸ばして、三本の杭を身体の横に巻き付けた。


「こいつらにも作ったのか」

「よこせと迫られた」


 作業をする霧氷の横で何かヌエヌエ言ってると思ったが。


(さすがに重いな)

(フラついてぶつかるなよ?)

(ぬかせ)


 また何か妙な会話をしてる気がするが放っておく。


「いけそうか?」

「うん」


 ルフィオが大きい杭をくわえ上げる。


「それを頭か腰に撃ち込むがいい。それで倒せる」


 そう告げた霧氷は、「しかし」と呟いた。


「なんだ?」

「戦いの趨勢は決しているようだ。他の五体は全て滅んでいる。他の者に任せる手もあるのではないか?」

「ああ、そのことは、気にしなくていい」


 ルフィオも気付いて教えてくれていた。


「今度のことは、おれとルフィオがきっかけで始まった。最後を誰かの手に任せちゃしまらない」


 本音を言うと、おれはそれでもいいんだが、ルフィオは納得しないだろう。

 あと、バロメッツたちも。


「はじめるか、準備はいいか?」


 ルフィオがぶんと尻尾を振る。

 バロメッツたちが、雄叫びのようにヌエーと鳴いた。

 気合いが入るのか気合いが抜けるのかよくわからない構図だが、まぁともかく、全員覚悟はできているようだ。

 黒綿花たちに告げる。


「幕を糸に戻してくれ」


 周囲を覆い、おれたちを護ってくれていた黒い天幕が、黒い糸の渦に変わる。

 二匹のフェンリアは、おれたちの真正面に浮いている。

 フェンリアたちも、こっちと同じ了見なんだろう。

 決着の時は今だと。

 と言っても、おれは直接フェンリアたちを倒す力なんか持ってない。

 あとはただ、言うだけだ。


「暴れてこい。バロメッツ」


 綿羊たちが「ヌエーヌエー」といななく。


「ルフィオ」


 震天狼バスターウルフは尻尾を立てる。


「やっつけてこい」

「まかせて」


 楽しそうにいったルフィオは、杭を拾い上げ、空へ駆け上がる。

 肩の上のリーダーが叫ぶ。


(バロメッツ! 全騎発進サリー・ゴー!)


 バロメッツたちが宙に浮き、稲妻のように加速した。

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