第52話 七対七

『半分の月』からの緊急停止コードを認識した氷の森が最初に感じたものは、歓喜だった。

「もういい」「もうよせ」という命令。

 そう命じてくれた者がいる。

 そう命じてくれる存在が現れた。

 主人マスターが、ついに目を覚ましたのだと。

 氷の森は『半分の月』に注意を向ける。

 始まりの場所へ。

 主人マスターたちの墓所へ。

 ずっと目をそらし続けてきた場所へ。

 ずっと目をそらし続けてきた真実へ。

 しかし、そこに主人マスターはいなかった。

 生命を持った氷人はいなかった。

 そこにいたのは、魔物達、そしてひとりの人間だけ。


 ――なにをしている。


『半分の月』で。

 氷人の船で。

 主人マスターたちの墓所で。


 ――なにをしている!


『半分の月』は聖域だ。

 人間も、魔物も、足を踏み入れてはいけない場所だ。


 ――出て行け!

 ――死ね!

 ――凍り付け!


 逆上したが、できることは何もなかった。

 繊維網ネットワークを通じて打ち込まれた緊急停止コードは、氷の森の活動を封じ込めている。

 氷獣を差し向けることも、寒波を放つこともできない。

 なすすべなく、魔物達の姿を見据えることしかできない。

 だがその中で、氷の森は気付いた。

 カルロという人間がぶら下げた鳥かごにいる氷鳥の存在に。

 どうやら、先日分断された半島の群落が作ったものらしい。

 魔物達の軍門に降り、協力しているようだ。

 許しがたい裏切りだが、着目すべき点はそこではない。

 問題は、その存在のあり方だ。

 氷獣に似ているが、氷獣ではない。

 氷霊樹の繊維を使った骨格フレームに群落の記憶、思考を再現するエミュレーターを乗せて構築した群落の代行者エージェント


 ――あれならば。


 緊急停止コードの制約を受けないだろう。

 緊急停止コードに禁じられているのは、氷獣や寒波の運用、環境改造などだ。

『半分の月』を防衛するための戦闘行動までは制限を受けない。

 あの魔物達や人間を葬り去ることは、禁じられていない。

 地下繊維網ネットワークを構成する氷霊樹の繊維を操作し、骨格状のフレームを構築。そこに氷の森の記憶、思考をトレースするエミュレーターを組み込み、氷霊樹のゲル状の樹液で覆い、肉食獣の姿を作り上げる。

 そうして作り上げたものは、大狼の姿をしていた。

 体長十メートル。尻尾を入れて十五メートル。

 氷の森に最初に干渉した魔物。

 氷の森の仇敵、震天狼バスターウルフを模した姿をしていた。



「離れないで」


 おれを背中に乗せたルフィオは、尻尾をぴんと立てて言った。


(全騎警戒を怠るな!)


 バロメッツたちも氷の森に向け、身構える。

 おれの感覚でも、なにか、不穏な気配を感じる。


「うまく行かなかったのか?」

「いや、緊急停止コードは作用している」


 霧氷が言った。


「コードが届いた結果、氷の森は現実を認識した。氷人が死滅していることと、ここに魔物がいることを。結果、逆上した」


 なるほど。

 おれたちは氷の森の中枢であり、聖地とも言える『半分の月』に勝手に潜り込んだ挙げ句、緊急停止コードを使って氷の森を押さえ込もうとした。

 その結果、氷の森は目をそらしていた『半分の月』の現状を直視せざるを得なくなった。

 氷人が死に絶え、魔物や人間に入り込まれた『半分の月』の現実を。

 逆ギレというやつではあるが、感情の動きとしてはわからなくもなかった。

 氷の森が、壊れ始めた。

 前方に見えていた氷霊樹たちが粉雪で作った雪像みたいに崩れ落ちていく。

『半分の月』の上の大氷霊樹も、さらさらと崩れて、形を失った。

 氷の森が消えていく。


「どうなってる?」


 緊急停止コードでは、氷の森が消えたりはしないはずだった。

 ルフィオが言った。


「力を集めてる。四カ所……ううん、七カ所?」

「森がブチ切れた」


『半分の月』からランダルが出てきて告げた。


「ルフィオの言ったとおり『氷の森』のエネルギーを集中させて、何かを七つ作ってる。環境改造って目的がなくなっちまったからな。『半分の月』に入り込んだオレっちたちを全力でぶっ殺すことにしたんだろ。後先とか考えずに」

「来る」


 ルフィオがそう呟く。

 夜空に、氷獣に似た影が四つ現れた。


「……なに、あれ」


 ルフィオが尻尾を逆立て、アルビスが「おまえに似ているな」と言った。


震天狼バスターウルフをモデルに作ったみたいだ。おまえに対抗するために作ったんだろ」


 ランダルが言った。

 ルフィオは心底嫌そうに「なにそれ」と言った。


「四対四か」

「頭数に入れないでくれ」


 七黒集と同じ枠でカウントされても困る。

 飛来した四匹の狼の氷獣は、おれたちから距離を取って空中に静止した。

 声が響く。


「我らはフェンリア。氷の森の亡霊。おまえたちは、我々の聖域を汚した。我々の希望を奪い去った。苦痛と絶望を以て、その罪を贖うがいい」


 聞き覚えのある声だ。

 ゴメルでの騒ぎの時に出くわした、ドルカスの声と同じ。

 声を使い回してるらしい。


「面白ぇ」


 白い歯を見せるランダルに、アルビスは釘を刺す。


「なめてかかるな。魔力の量だけなら我々と同等以上だ。ルフィオ、当座はカルロを護ることに徹しろ。一匹片付けてから援護に回る」

「アスガルに戻せない?」

「氷の森のエネルギー移動の影響で磁場が不安定だ。すぐには戻せん」

「わかった。カルロ、はなれないで」


 ルフィオがおれに警告する。

 それと同時に、空中のフェンリアたちが動き出す。



 氷の森は、自らの存在と引き換えに七体の氷狼フェンリアを生み出し、氷の森の全てのエネルギーを与えていった。

 その目的は『半分の月』を汚した魔物達への復讐。

 氷人のための環境改造という存在目的を失った氷の森にできることは、もはや、その程度しか残っていなかった。

 四体は『半分の月』へ。

 残りの三体はそれぞれ氷の森の東西、北部にいる三体の魔物の元に向かわせた。

 最初にフェンリアとの交戦に突入したのは、森の崩壊に合わせて内陸部へと入り込んでいた死神グリムリーパー、貪欲のサヴォーカだった。


 ――存外に厄介でありますね。


 七体ほどに分かれたとはいえ、三千年にわたって大地の力を吸い上げ続け、大陸の半分の地域を支配していた、ある種の超生物から力を引き継いだ存在がフェンリアだ。

 切り裂いたものを風化させる琥珀の大鎌の効き目が薄い。

 首を跳ね飛ばすことができれば一撃で葬れるだろうが、フェンリアは身体の周囲に超低温の場を作っており、深く踏み込んで斬ることが難しい。

 少しずつでも斬りつけ続ければ、いずれ倒れるだろうが、問題は敵の数だ。

 七体。

 これが七黒集と同数なら心配する必要は無いのだが、今回の作戦に参加している七黒集は六者しかいない。余った一体が、カルロに襲いかかるようなことになるとまずい。

 ルフィオやランダル、アルビスがそばに居る、心配はないと思いたいところだが、やはり気にかかった。


 ――仕方がないであります。


 救援を出すことにした。

 フェンリアから距離を取って雪原に降りる、そこから琥珀の大鎌を一閃し、虚空を裂く。

 空中に、黒い切れ目のようなものが走って、そこから、黒い植物が這い出し始める。

 警戒したのだろうか、空中のフェンリアが後退する。

 サヴォーカは微笑する。


「案ずるには及ばないであります。これは、貴殿との戦いに用いるものではありませぬゆえ」


 あくまでも、カルロを護るためのものだ。

 空間の切れ目から這い出した黒い植物には、黒い綿帽子がついている。

 カルロとサヴォーカが開拓地に植えて異常繁殖させた、黒綿花の綿帽子だ。

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