第45話 終わりの足音

 大陸南部の半島が魔物の襲撃を受け、連絡途絶。

 大陸から切断された半島は、正体不明の紫の霧に覆われ、氷獣による偵察、連絡すらも不可能となっていた。

 震天狼バスターウルフを筆頭とするアスガルの魔物たちの仕業であること、アスガルの魔物達が、氷霊樹の繊維を掘り出し、アスガルに搬送していることは把握できたが、氷の森にはアスガルの企みを看破することはできなかった。

 本来であれば、難しい推論ではない。

 だが、氷の森には致命的な認知の歪みがある。

 氷の森に環境改造を命じた『半分の月』の主人マスターたちが死滅しているという現実を認識していない。

 それを認識することを恐れ、拒絶してしまっている。

 その結果、うち捨てられ、荒れ果てた『半分の月』の現状を認識できない。

 魔物達が『半分の月』に入り込み、氷の森の正体を突き止めていることにも気づけない。

 故に、ただ恐怖し、活路を求めた。

 まともに戦っても勝機はない。

 守護氷獣も、大氷獣も、あの魔物達の前では無力だった。

 今回震天狼バスターウルフが引き越した地震だけでも、被害は甚大だ。

 震源地を中心に、周辺数百キロの地下繊維網ネットワークを引き裂かれ、山崩れや土石流、津波などによって、氷霊樹をなぎ倒された。

 魔物達が本格的に侵攻を開始すれば、氷の森は滅びる。

 主人マスターより与えられた使命を果たせぬまま。

 この局面で打てる策は、もはや、ひとつしかなかった。



「種を飛ばす?」


 アスガル魔王国の円卓の間。

『憤怒』のランダルからの報告に『怠惰』のアルビスは眉根を寄せた。

 本日の参加者は第三席『嫉妬』のロッソ、第四席『憤怒』のランダル、第五席『姦淫』のD、第六席『暴食』のルフィオ、『怠惰』のアルビスの四者。

 オブザーバーとして『線』作り担当の裁縫師カルロが『暴食』ルフィオの椅子に座っている。本来の椅子の主人はカルロの後ろに大狼姿で陣取っていた。


「島の森の話によると、やらかす可能性が高いらしい。氷霊樹の中にガスをため込んで、爆発させて氷霊樹の種を飛ばす。種は気流にのって世界中に飛散。新しい氷の森を作り始める。一からやり直しってやつだ」

「『半分の月』を放り出すことになるぞ」

「今の氷の森の行動目的は環境改造を続けることだけだ。『半分の月』を護ることは目的から外れてる。壊れちまってるのさ」


 ランダルは肩を竦めた。


「飛散した種がうまく根付く確率は高くないらしいが、面倒くさいことになるのは間違いねぇ。ついでに飛び散った埃が日の光を遮って、寒冷化を引き起こす。結局タバールの冬は終わらねぇってオチになる」

「どこまでも始末の悪い」


 アルビスは頬杖をついた。


「対応策は?」

「緊急停止コードでいけるが『線』の完成を急ぐ必要がでてきた。三週間以内に『線』を完成させて、コードを打ち込みたい」

「間に合わせられるか?」


 アルビスはカルロに目を向ける。

 少年の頭の上に、大狼ルフィオの頭がある。

 肩の上にはバロメッツ。


 ――毛綿候。


 そんな言葉が、ふとアルビスの脳裏を横切った。

 妙な単語を頭から追い払おうとするアルビスに、カルロは真剣な顔で応じる。


「今のペースでは間に合いません。労働時間を増やして、人手を増やしてもらう必要があります」

「いいだろう。『線』の完成までに限って残業を許可する。残業時間を記録し申告しろ。D、夜間作業に入れるか?」

「ええ、お任せを」


『姦淫』のDがカルロに目を向けた。


「夢魔と触手を回しましょう。夜の仕事であればお任せください」

「昼間の作業はムーサにオーク達を出させる。ルフィオ、しばらくカルロについて魔力を回してやれ。それと監視だ。特別な状況以外では、夜十時から朝六時の間は働かせるな。休憩も取らせろ」

「まかせて」


 ルフィオは大きな尻尾をぶんと振った。



 氷の森の暴走スタンピードの責任を問われ、投獄された将軍クロウは処刑のため、ゴメルに護送された。


「朗報だ。泥将軍。要望通りおまえが最初に処刑されることになった」


 ゴメルの統治府前広場に置かれた牢にさらし者の形で閉じ込められていたクロウ将軍に、王太子ブラードン直属の親衛隊員が言った。

 牢の中に座り込んだクロウ将軍は、髭の伸びた顔で親衛隊員を見上げると、わずかに笑って見せた。


「なにがおかしい!」


 顔全体を覆う鉄兜の下で怒鳴り声をあげ、親衛隊員は牢を蹴りつける。

 暴走スタンピードの責任を問われているクロウだが、ゴメルでの評判は悪いものではなかった。

 イベル山で開拓事業に当たっている間、部下や夫役の労働者たちに乱暴をさせるようなことはなかった。暴走スタンピードの時にも積極的に動いて市民に「建物に入れ」と指示をし続けた。震天狼バスターウルフが置いていった炎を独占せず、凍える人々を積極的に広場に導き、命を救った。

 クロウ将軍を恩人と慕う者は少なくない。

 その一方で、そういったことを屁とも思わぬものもいる。


「しょーぐんかっかー!」

「くせーぞおっさーん」

「おらーっ!」


 へらへらと嗤いながら、牢に向かって石を投げつけるごろつきたちがいた。

 その石は狙いを外し、鉄格子に当たってあらぬ方に飛んでいく。


「なにやってんだよ」

「おめえもだろ」


 軽薄な調子で言いながら、ごろつきたちは新しい石を拾い上げる。


「おい! やめろ! おまえたち!」


 親衛隊員たちが制止の声を投げた。


「なんだよ、いいじゃねぇか」

「大罪人なんだろ? そいつは」

「いつもは文句言わねーじゃん」


 悪びれた様子もなく、笑って言うごろつきたち。

 そこに。


 パチン。


 指をはじく音がした。

 ごろつきたちの首や手首が凍り付き、転げ落ちる。

 身体の内側から生じた、巨大な氷の結晶に、首や手足を切り落とされて。


「なんだ!」

「なにが起きた」


 そんな声をあげ、脚を踏み出した親衛隊員たちも、次々と動きを止めていく。

 親衛隊員たちの鎧が、いつの間にか凍り付いていた。


「カカカ」


 そんな笑い声がした。

 クロウ将軍の牢の上に、忽然と、一人の男が現れていた。

 赤マントを翻す、白い髪、褐色の肌の青年。

 アスガル魔王国、七黒集第三席『嫉妬』のロッソ。


「しばらくそうしているがいい。鎧の関節が凍っただけだ。凍傷はするが死にはせん」


 傲然といったロッソは、牢の屋根を飛び降り、クロウ将軍に向き直った。


「ずいぶんな姿になったな、泥将軍。助けは必要か?」

「驚いたな。わざわざ来てくれたのか」


 クロウ将軍は微笑する。

 ロッソはフン、と鼻を鳴らした。


「おまえには利用価値がある。この国の指導者層で、最も現実的な行動ができる人間はおまえだ。クロウ将軍。この国はおまえが治めろ。俺が助けてやろう。ふやけた王も、王太子も、貴族どもも、すべて殺しつくしてやる」

「代償はなんだ?」

「ブレン王国の安定。俺たちは今、氷の森を止めようとしている。氷の森の直近にあるこの国が溶岩だの生贄だのと、妙な動きを繰り返されては困る。この国のバカどもを押さえ込み、軽挙妄動を封じろ。おまえならやれるはずだ」

「なるほど」


 クロウ将軍は目元で笑う。


「カルロはどうした? 一緒にいるのか?」

「一緒というわけではないが、今は同じ街にいる」

暴走スタンピードを止めてくれたのは、おまえたちなのか?」

「一応はな。だが、それは震天狼バスターウルフたちがカルロを護ろうとした結果に過ぎない。この国やおまえたちに特別な思い入れがあるわけではない」

「そうか……あいつか、やっぱり」


 クロウ将軍はまた笑う。


「返答は?」


 ロッソが問う、クロウ将軍はにやりとして「余計なお世話だ」言った。


「俺の国は俺の国だ、余所の誰かの力は必要ない。魔物だろうと、人間であろうと」

「ほう」


 ロッソは口元を緩めた。


「策があるというのか」

「カルロに言っておいてくれ。軍属じゃなく、宮廷づきで働く気はないかと」

「そうか」


 ロッソは声を出しカカカと笑う。


「余計な真似をしたようだ。その気概があるならばいい。ぬかるなよ、泥将軍」


 ロッソはパチンと指を鳴らす。

 にわかに空気が白くなり、ロッソの姿がかき消えた。

 空気が元に戻ると、親衛隊の鎧の氷が割れ砕ける音がした。


 ――やれやれ。


 クロウ将軍は苦笑しつつ、自分の顎に手を伸ばす。

 白い空気に触れた髭が、すっかり凍り付いていた。


「バリバリだ」

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