第36話 半分の月の中に
五十体の大氷獣を葬った五者。
『傲慢』のムーサ。
『貪欲』のサヴォーカ。
『嫉妬』のロッソ。
『憤怒』のランダル。
『怠惰』兼魔王のアルビスは氷の森の上空で顔をそろえた。
氷の森の氷獣は大氷獣だけではないが、この五者を相手に、通常の氷獣や守護氷獣を差し向けても無意味である。氷の森は沈黙を保っていた。
「つかめた?」
全長三メートルほどの
「南西1400キロ。ボルスジョイ族の伝承でいうキリカラ山脈の付近だ。そこが氷の森の中枢部だろう」
「潰していく?」
「いや」
アルビスは静かに言った。
「まずは知ってからだ。共存のかなうものか、敵対種として淘汰すべきものかを見定めよう」
そう告げたアルビスはムーサ、サヴォーカ、ロッソ、ランダルの四者を見渡す。
「俺はキリカラ山脈に出向くが、古着屋カルロとルフィオをあのまま放っておくわけにも行かん。この機会に決を採ろう。俺は、カルロを正式にアスガルの保護下に置き、魔騎士団付きの裁縫係に誘いたいと思う。Dは棄権。我々の決定に従うそうだ。ルフィオは賛成と見なして問題はあるまいが、今回は棄権として扱うこととする。賛成のものは挙手しろ」
「賛成」
七黒集第一席『傲慢』ムーサが挙手する。
「腕は合格。アスガルにいてくれたほうが助かりそうだし。これ以上こっちに置いておくと、彼の周りの環境がどんどん滅茶苦茶になっていきそうだしね」
滅茶苦茶にした張本人の一人、カルロに黒綿花の種を与え、大繁茂とバロメッツ化の原因を作った七黒集第二席『貪欲』のサヴォーカは、やや所在なさそうに首を縮めたあと「賛成であります」と挙手した。
「有益な、必要な人材と信じるであります。私にとってはもちろん、魔騎士団やアスガル魔王国にとっても」
七黒集第三席『嫉妬』のロッソは、仏頂面で手を挙げた。
「賛成でいい。特に言うことはない」
「それは構わんが、別の質問をしたい」
アルビスはにやりとした。
「ロッソと呼んでも構わんのか? これからは」
「好きにしろ」
ロッソは仏頂面のまま応じた。
その様子をニカニカと眺めていた七黒集第四席『憤怒』のランダルも挙手する。
「オレっちも賛成でいいぜ。反対する理由も別にねぇや」
七黒集第五席『姦淫』のD、第六席『暴食』のルフィオの二者は不在。第七席『怠惰』兼魔王アルビスがまとめに入る。
「当然俺も賛成だ。賛成五に棄権一、欠席一で可決とする。サヴォーカ、ロッソ。ルフィオのところに行ってカルロをビサイドに搬送、宿舎で休ませてやれ。ムーサ、ランダル、キリカラに乗り込むぞ」
アルビスは前方に手をかざす。
前方の空間が揺らぎ、転移用の魔法陣が浮かび上がった。
○
空間を超えたアルビス、ムーサ、ランダルの三者は、タバール大陸南部に転移した。
約三〇〇〇年前、氷の森に故郷を追われて流浪の民となり、今は消えた民族ボルスジョイの伝承でキリカラと呼ばれていた山脈の上空。
そこには、一本の氷の大樹が生えていた。
樹高三〇〇〇メートルに達する、トネリコに似た超巨大氷霊樹。
「デケェな!」
ランダルが歓声に似た声をあげる。
少年めいた容姿の通り、少年めいた性格をしている。
「ボルスジョイの伝承でいう、始まりの氷樹。三千年前、ここに『半分の月』が落ち、そこから氷霊樹と、氷獣が生まれた」
「『半分の月』?」
ランダルは視線を巡らせる。
「あれか」
ランダルが目を向けたのは、大氷霊樹の根元に埋まった、ドームがひっくり返ったような、あるいは巨大なボウルのような、半球状の構造物だ。
直径一キロほどの半球状、表面は銀色のタイルのようなものに覆われている。
あちこちが風化して穴が開き、機械の部品や配線、配管のようなものが露出していた。
「……マジか、おい」
難しい顔になったランダルはドームの上に降下し、ドームのタイルを片手で引き剥がした。
大分風化、劣化しているが、機械部品、配管、配線のようなものがある。
「どう見る?」
遅れて降下してきたアルビスが問う。
「機械文明の産物だ。たぶん、滅茶苦茶クソ寒い星の」
ランダルは金属の右手を握って開く。
右手は無数の触手のような金属線の群となって、パネルの内側に入り込んでいく。
「……接続まではできねぇや。内側はボロッボロだ。入って調べないとダメだな」
「それはいいけど、静かすぎない?」
ムーサは周囲を見回した。
「ここ、氷の森の中枢部じゃないの? もっとこう、わーっと迎撃されたり警告されたりすると思ったのだけれど」
ランダルは首を傾げた。
「オレっちたちに気付いてない? いや、ありえねぇな、罠か?」
「それも考えにくいだろう。氷の森は俺たちの介入を想定していなかったはずだ。正体や手口の読めない相手を内懐に入れるような策をとることはあるまい」
「罠じゃねぇほうが気持ち悪くて嫌じゃねぇか?」
「確かにな」
そう言いながら、アルビスはドームに開いた穴から内部に滑り込んだ。
「おいこら魔王自重しろ」
「貴方はここで待っててね」
そんなことを言いつつ、ランダル、
「光をよこせ」
「これでいいか?」
軽い機械音を立てて、ランダルは右目をランプのように発光させた。
外殻部を抜けると円筒状のガラスの棺のようなものが立ち並んだ、すり鉢状の空間に出た。
ガラスの棺はほとんどが割れ砕けていたが、いくつか、状態のよいものがあった。
中には、透明な水のようなものが満たされ、青く透き通った体を持つ、氷でできた人間のようなものが浮いていた。
「……氷人? そんなのいたの?」
ムーサが呟く。
「生きてるの?」
「死んでる」
ランダルが答えた。
「このガラス管は生命維持装置だ。それが機能しなくなって全滅したんだろうよ。だいぶ話が見えてきやがった」
ランダルはにやりと笑う。
「ごめんなさい。わかるように話してもらえるかしら」
「どういうことだ?」
ムーサとアルビスが言った。
「これだから有機物は」
ランダルは大げさに肩をすくめて言った。
「この中に入ってんのはオレっちと同じ異星体だ」
「ランダルの親戚?」
「そこまで近くはねぇよ。一口に異星体っていっても星も文明圏も、生物としての形も違う。ともかく空の上にある、こことは違う星で暮らしてた生物だ。ここよりずっと寒い環境でな。それが何かの事情でここまでやってきた。けど、この異星体は寒い環境の生き物だった。このガラスから出るには、極北みたいな場所に行くか、まわりの環境を寒冷化させる必要があった。この建物は元々星の海を渡るための船だったみてぇだが、着陸に失敗してブチ壊れた。ついでに生命維持装置が動かなくなって、異星体も全滅。だが、周りの環境を寒冷化させる仕掛けだけが生き残って、今も動き続けてる。それが、氷霊樹と氷獣、氷の森の正体なんだろうさ」
「間違いはないのか?」
「ちょっと待て。もう一度、情報を引っ張れないか試して見る」
ランダルは再び右手を導線の束に変え、足もとに撃ち込んだ。
「よし、つながった。ああ、間違いねぇ。やっぱり異星体だ。元いた星で反乱を起こされた権力者の一族。再起を図るために元の星を脱出して、やってきたが、着陸に失敗して全滅。環境改造機能だけが動き続けてる」
「機能ということは、止める方法が存在するということか?」
「手はいくつかある。一番簡単なのは、上の大氷霊樹を吹っ飛ばすことだ。森全体の脳味噌みたいなもんだ。ぶっとばせば、森はいずれ止まる。だが、森全体の生命力が失われるわけじゃない。頭のない状態のまま、しばらく暴走する危険性が高い。アスガルに影響はねぇだろうが、この大陸の文明と生態系は、たぶん終わる」
「面倒だが、被害の少ない策は?」
「緊急停止コードを見つけた。氷の森全体に活動をやめろと命令する呪文みたいなもんだ。だが、こいつは特殊な電気信号だ。ここから有線でしか発信できない。で、その線は今はつながってない。つなげ方の情報も拾えなかった」
「どうするの?」
「オレっちにはどうしようもねぇ。ただし、その線っていうのは、氷霊樹から伸びてる植物性の繊維らしい。綿やら麻やらみたいなやつだ。氷霊樹はその繊維の網を地下に張り巡らせることで情報をやり取りし、氷の森全体でひとつの意志を持ってる」
ランダルはにやりとした。
「いたよな? 繊維やら綿やら麻やらに強い奴」
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