第31話 大寒波
氷の森の大寒波はカルロとトラッシュのいるゴメル周辺のみにとどまらず、ブレン王国の南部全域を一斉に襲った。
人に、なすすべなどない。
人に、打つ手などない。
「火を焚け! 建物から一歩も出るな! 近くの人間と身を寄せ合えっ……!」
ゴメルの酒場で部下たちと過ごしていたクロウ将軍は毛布をひっかぶってそう叫んで回り、体温を奪われて倒れ、動かなくなった。
スルド村の老婆ウェンディは、平地を埋めて村へと迫ってくる氷の霧を見た。
ウェンディが氷の霧を見るのは、これが初めてではない。
ウェンディは元々、ゴメル南方にあった村の出身者だ。
「氷の霧がくる!
半狂乱になってそう叫び、牧草地の羊飼いたちを呼び戻す。
火をおこし、ルルを寝床の中に入れて、あるだけの布地をかぶせた。
戻って来たエルバとともに家の隙間を埋め、エルバと一緒にルルの寝床に入り込む。
「ばばさま?」
「これから、外が恐ろしく寒くなる。だから身を寄せ合って乗り切るんだ。しばらくの間、我慢しとくれ」
ルルの髪をそっと撫でて、そう告げる。
それから間もなく、氷の霧はスルドを呑み込んだ。
建物が凍り付き、おぞましい軋みを立て始める、凍り付いた木材が、内側から霜に覆われていく。
――ああ。
だめだ。
どうしようもない。
助からない。
みんな凍ってしまう。
みんな死んで、森に飲まれてしまう。
――神様。
――どうか、お救いください、この子らを。この子だけでも。
少しでも冷気から護ろうと、ルルの体をかき抱きながら、祈る。
その祈りは、届かない。
老婆が祈った神のもとには。
だが、別の神がそこにいた。
軍服風の衣装にコート、帽子を身につけた、
○
ゴメルの街角で肺を凍り付かせ、血を吐いて倒れたクロウ将軍は、ゴメル統治府前の広場で目を覚ました。
「将軍っ!」
クロウの顔をのぞき込んでいた部下たちが野太い歓声をあげた。
「無事なのか……おまえたち」
必死であがきはしたが、心の底では絶望にかられていた。
もうどうしようもないと。
みんな、死んでしまうのだと、
だが、死の寒波は和らいでいるようだ。
地獄のような冷気は、今は感じられなかった。
「はい、空を飛ぶ、大きな金色の狼がやってきて、現れて、あれを」
部下の一人が広場の噴水の上を指さす。
そこには、太陽のように丸く、太陽のように明るく輝く、炎の玉が浮いていた。
寒波そのものは、まだ収まっていない。
火球が発する熱と光が寒波を受け止め、死の冷気を阻んでいた。
「将軍の凍傷をいやすと、しばらく広場でじっとしているように告げ、飛び去って行きました」
「狼がしゃべったのか?」
「はい、人間の子供のような声でした。まだ子供なのかも知れません。これを」
部下は金色の獣毛を一本、取り出し、クロウに見せた。
「その金色の狼が落としていったものです」
その毛には、見覚えがあった。
――あいつの身内か。
開拓地で出会った、カルロという少年が身につけていた獣毛の腕輪と同じものだ。トラッシュと名乗るマントの魔物の庇護対象になっているだけでも謎めいた少年と言えたが、トラッシュ以外にも魔物の身内を持っていたらしい。
それも。
「
イベル山の事業中止の理由として、その存在は知らされていた。
最近になって、ブレン王国内に出没しているとみられる伝説の魔物。
――どういう奴なんだ。一体。
マントの魔物、
一体何者だという疑念が、改めて脳裏を横切る。
クロウはあえて、それを問わなかった。
下手に知ろうとすれば、トラッシュ、カルロとの友好関係を損なう危険が大きい。
あえてグレーにしておいたほうが得るものが大きいという判断だった。
――なんでもいい。とにかく、味方であってくれ。
もはや、クロウ将軍の力、人の力では、どうすることもできない。
救いがあるとするなら、
○
スルド村上空に陣取った
柄の長さは三メートル足らず。太い木の枝から、金属でなく、巨大な琥珀の刃が突き出した構造だ。
大鎌を片手で持ち上げ、肩の高さで構える。
サヴォーカには、火や熱を生み出すような力は無い。
ルフィオのように火球を出して寒波を防ぐ、という単純なやり方は使えない。
スルド村を含めた山岳地帯の中心座標に移動し、そこから琥珀の大鎌を地上に向ける。
ゆっくり、大きく、輪を描く。
その動きに合わせて、凍りついた地表に、琥珀の光の輪が描かれる。
光の輪から、金の光の壁が立ち上がり、琥珀の光の繭のように山岳地帯を覆った。
柔らかい光を放つ光の繭は、しかし決して穏やかなものではない。
繭に触れたものを全て『殺す』機能を持つ、呪いの繭である。
その殺傷力は、寒波という『現象』すらも殺し、その影響を封じ込めることができる。
もちろん、普通の生き物が触れても殺してしまうので、もう一手間必要だ。
「恐縮でありますが」
サヴォーカは琥珀の鎌を天に掲げる。
「しばらくの間、眠っていただくであります……
琥珀の鎌が冷気を裂いて一閃する。
封殺繭の内側の地面を、金色の光が真一文字に駆け抜ける。
一筋の金の光は、そこから大地に呪文を描くように分散し、封殺繭の内側に巨大な魔法陣を構築した。
封冥陣。
魔法陣上の全生命体を、冬眠に似た仮死状態とする術。
仮死状態の間は、通常ならば凍死をしてしまうような温度下でも真の死に至ることはない。
うっかり封殺繭に手を出して死ぬようなこともない。
――こんなところでありましょうか。
実のところ、氷の森の暴走については、ある程度の対策と行動計画を立てていた。
ルフィオが恐ろしいといっても、氷の森も、いつまでも頭を抑えられたままでよしとするはずがない。遠からず、ルフィオへの対抗策を用意して動き出すというのが、サヴォーカとトラッシュの共通見解だった。
スルド村近辺の防衛は、その行動計画の一端だ。
人間の保護は、基本的にサヴォーカの役回りである。
本当はルフィオのほうが向いているはずなのだが、最大の保護対象であるカルロが危険にさらされている状況で、ルフィオを別の場所に回すことは難しい。
結果、後方支援のような仕事はサヴォーカが一手に引き受けることになっている。
現場直近ということでゴメルの住人の保護だけはルフィオに任せたが、あとは全部サヴォーカの担当だ。
ある意味貧乏くじだったが、文句を言っている時間は無い。
琥珀の大鎌を構えなおしたサヴォーカは、次の目標地点への移動を開始した。
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