第32話 兄弟

「やはり、おまえは弱い」


 ドルカスたち・・が言った。


「思い切り遠巻きにしてなに言ってんだ」


 トラッシュの代わりにツッコミを入れてみた。

 距離を詰めると蹴り潰されるからだろう。ドルカスたちは距離を三十メートルくらい開けている。

 だが、皮肉が通じるような精神性は持っていないようだ。ドルカスたちはおれを無視して続けた。


震天狼バスターウルフであれば、今頃勝負がついている。おまえは震天狼バスターウルフに比肩しうる魔力を持ちながら、器がそこにおいついていない」


 話の内容は、一応わかった。

 白猿候スパーダの血によって生まれた魔力に、ズタズタのマントという器が耐え切れていないという話だろう。

 強大な魔力を持っているのに、充分に使いこなせていない。


『カカカ』


 トラッシュは哄笑する。


『それがどうした。貴様をあしらう程度であれば、馬鹿力など必要ない』

「弱者よ、餌食となれ。適者生存、弱肉強食の摂理に従うがいい」


 会話が成立してない。

 地面が大きく揺れる。氷の森の向こうから、なにかが押し寄せてくるのを感じた。


『その手でくるか』

「どの手です?」


 勝手に納得されても困る。

 トラッシュは短く言った。


『雪崩だ』


 言うのが遅い。

 氷の霧の向こうから、白い巨獣のように押し寄せてきた雪崩はドルカスたちを巻き込み、そのままおれたちをのみこんだ。

 視界が真っ白く染まって、視界が暗転する。


(次から次へ!)

(お次はなんだ?)

(雪崩だ雪崩!)


 少しの間、気を失っていたらしい。

 バロメッツが鳴く声が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。

 闇の中で目を瞬かせる。

 何かが、硬いものをひっかくような音が聞こえた。


『気が付いたか』


 トラッシュの声がした。


「ここは?」


 トラッシュはいつものように「カカカ」と嗤う。

 

『雪の中に決まっているだろう。雪崩にのまれたのだ。ある程度流されたがな』


 親切のつもりだろう。トラッシュはおれの目の前に小さな光の球を浮かべた。

 透明で球形の魔力の障壁を作り、雪に押しつぶされるのを防いでくれたようだ。

 それはいいが。


 カリカリカリ……。

 

 カリカリカリカリカリカリカリ……。


 障壁の上を白い手や爪が這い回り、ひっかいている。

 人の手が多いが、獣や鳥、トカゲの爪のようなものも混じっている。さらには巨大な獣のあぎとが食らいついてきたり、いくつものドルカスの顔が浮かびあがったりしている。

 悪夢、狂気めいた光景だった。


「……なんなんです、これ」

『奴らが言っていた通りだ。俺をカモと思っているようだ。内在している魔力の量のわりに、実際に発揮できる力が小さいとな。俺を喰うことで、ルフィオやサヴォーカとの戦いを有利に運べると考えているのだろう』

「どうするんです?」

『どうもせん。このまま籠城だ。そろそろルフィオが飛んでくる。あとは任せればいい。多少は戦力をそろえたようだが、ルフィオとサヴォーカが来れば終わりだ』

「ふん」


 おれは意識して、鼻を鳴らした。

 トラッシュの言う通り、ルフィオとサヴォーカさんが来れば、なんとかしてくれそうな気がするが、気に入らなかった。


「おまえひとりで充分なんじゃないのか? 本当だったら」

『なにを言っている?』

「ごまかすな」


 あえて、普段の口調で言った。


「見えちまったんだよ。おまえの記憶みたいなものが。おまえがどうやって生まれたのか、どんな風に過ごして来たのか。おれのことをどう思ってるのか」


 トラッシュは、返事をしなかった。

 どう反応していいのか、わからないのかも知れない。

 触れて欲しくないところであることはわかっている。

 だから、やりたいことだけ、言いたいことだけいうことにした。


「おまえを縫わせろ。本当のおまえの姿に戻させろ。氷獣が言ってるのか、ドルカスが言っているのかはわからないが、とにかく言わせるな。思わせるな。おまえが弱いとか、おまえがカモだとか」


 トラッシュがこじらせている理由はわかった。

 こじらせた気持ちも理解できた。

 もう、いいだろう。

 これ以上引きずる必要はない。

 これ以上苦しむ必要はない。

 本当は、責任を感じる必要だってないことだ。

 布屑トラッシュなんて自虐をする必要はない。

 本当の力を抑えて、弱者だのカモだのと言われる必要も無い。

 そんな姿を見ていたくない。

 おれを護ってくれているやつが、おれの将来を、誰より案じてくれている奴が、誰かに侮られる姿など見たくない。


『わかって言っているのか? 俺がどうして、布屑トラッシュでいるのか』

「ああ」


 流れてきた記憶によると、トラッシュ、もしくはロッソは、主である白猿候スパーダによって引き裂かれたマントにホレイショによって引導を渡されたスパーダの血がしみこんで生まれた。

 白猿候スパーダの魔力、そして記憶を引き継ぐ形で。

 その結果、ロッソは生まれながらスパーダの記憶と罪悪感を背負うことになった。

 親友であったホレイショに自分を殺させ、候殺しという名を背負わせ、未来を奪ってしまったという罪の意識と絶望を。

 ロッソに自我が芽生えた時には、ホレイショはアスガルにはいなかった。

 アスガル大陸を出たことはわかっていたが、それ以上足取りを追うことは出来なかった。

 追いついてどうするのか、連れ戻すことができるのか、連れ戻すことがホレイショの幸福につながるのか、そんな疑問が、ロッソの足を止めさせた。

 そのまま時は流れ、ロッソはズタズタのマントを直さないまま、トラッシュと名乗るようになった。

 直さない理由は、罪悪感だった。

 トラッシュはスパーダの記憶を引き継いでいる。

 狂乱し、ロッソというマントを引き裂いたスパーダの記憶を引き継いだトラッシュは、引き裂かれたマントを補修することを、罪を糊塗する行為のように感じ、潔しとしなかった。

 それが自らの力を制限し、自らの寿命を削ることになると知りつつ、布屑トラッシュという自虐的な名を名乗り、補修の勧めを拒み続けた。

 そして、ルフィオがおれに出会った。

 トラッシュはサヴォーカさん、そして、アルビスという少年族を経由しておれの存在を知ったらしい。

 アルビスの身元や正体はよくわからなかった。

 どこかの宮殿の、円卓みたいな場所にいた。

 ともかくおれの存在を知ったトラッシュはある決意をした。

 ホレイショに作られたマントとして、ホレイショの親友の記憶を持つものとして、ホレイショの後継者を護ろうと。

 最初は、おれをアスガルに呼びたがるサヴォーカさんやルフィオと対立していたらしい。

 おれがアスガルに来ることで、ホレイショの悲劇のようなことが起きないか心配したようだ。

 人間は、人間の世界で成功したほうがいいのではないか、という思いもあったのだろう。

 だが、おれが夫役にいくことになり、暢気なことはしていられなくなった。

 トラッシュは生まれて初めて長期休暇を取っておれの護衛につき、そして、今に至った。

 

「もう、いいだろう? ホレイショが、おまえに望んでることがあるとしたら、それはスパーダのことを後悔し、背負い続けることじゃない」

『自由に生きろとでも?』

「いや」


 まぁ、本音をいうとそれだと思うんだが、こいつのこじらせ具合を考えると、それだと絶対納得しそうにない。


「おれを護って、導くことさ。兄弟子としてな」

『兄弟子?』

「ああ、ホレイショに弟子入りしてたんだろ?」


 ホレイショから裁縫を習っている光景が見えた。


『気まぐれに裁縫を学んだだけだ。正式に弟子入りをしたわけではない』

「それでも、あんたはおれが知らないことを知ってる。ヒドラ皮の扱い方や気防布マスクの作り方なんて、おれは教わってない。人間の世界のやり方しか習ってないんだ。あんたはホレイショのやり方を知ってる。アスガルでホレイショと接して、ホレイショがアスガルでどういう仕事をしていたのかを知ってる。そういう意味じゃ、おれはあんたの弟弟子みたいなもんなんだ。あんたよりあとでホレイショに師事して、全部を学ぶ前に、ホレイショと死に別れた。学ばなくちゃいけないのに、学べなかったことは、たぶん、たくさんあった。それを教えてくれる存在がいるとしたら、きっと、あんたなんだと思う」

『それは、おまえの望みだろう?』

「そうだな、けれど、ホレイショの望みでもあると思う」


 根拠を求められても困るが、おれはそうだと思う。


『それと、おれを縫うことがどうつながる?』

「兄弟子が弱者だカモだとバカにされてたら、弟弟子としちゃ腹が立つ。強いんだろ? 本気になりゃ」

『おまえを弟弟子などというつもりはない』


 トラッシュは鼻を鳴らした。


『だが、おまえに情けない奴だと思われるのも業腹だな。いいだろう。縫わせてやる。道具はあるのか?』

「針なら手元に、糸は、こいつらで」


 おれを護るつもりだったらしい。

 いつの間にか毛糸のベストや手袋のようになってくっついていた三匹のバロメッツを順に引っ張る。


(フ、出番のようだな)

(待ちくたびれたぜ)

(任せておきな)


 バロメッツたちは妙に勇ましく「ヌエー」と鳴くと、黒く細い糸に姿を変えた。

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