第27話 野望の終わり?

「番犬代わりとしては優秀な連中だ」


 そう言ったトラッシュは、内懐から小さなガラスの瓶を取り出した。

 中に水のようなものが入っている。


「小型の氷獣が潜り込もうとしていたのを、その連中が防いだ。感謝してやることだ」

「氷の森が、攻撃を?」

「攻撃と言うほどではないな。ただの偵察だろう。おれやルフィオ、サヴォーカが現れた上に黒綿花が繁茂し、あの御方まで現れたのだ。放置できるほうが異常だ。大規模な攻撃などは当分あるまい」

「そうですか」


 感謝と言っても、どう扱っていいかわからない。

 ルフィオのように喉を撫でてみたら、ヌェーと鳴いて逃げられた。

 本当に綿の塊らしい。

 ひたすらふわふわした感触だった。



 カルロがイベル山の開拓地に赴いて一ヶ月。

 あるいはブレン王国の王太子ブラードンが死神グリムリーパーサヴォーカ、震天狼バスターウルフのルフィオに接触してから一ヶ月。

 ゴメル統治官ナスカの長子、賢士ドルカスは賢者学院の学友であり、親友でもある王太子ブラードンからの呼び出しを受け、王宮の執務室に赴いていた。


「すまないな。突然呼びつけて」

「殿下のお召しとあればいつなりと」


 ドルカスは涼やかに応じる。


「どのような御用向きでしょう」

「イベル山の開拓事業についてだが、進捗はどうなっている?」


 ブラードンは重々しい表情で問う。


「現在の完成度は未だ三割程度にとどまっています。急がせてはいるのですが、相変わらず、溶岩が硬い、空気が悪いなどと言い訳が多く」


 イベル山の工事を指揮しているのはブラードン王太子の異母兄クロウ将軍。

 だが、クロウ将軍はイベル山の事業には懐疑的な立場であり、溶岩を氷の森に流す運河の構築を遅らせている気配があった。

 できることなら、より協力的な人間を使いたいところだが、溶岩の運河などという工事を任せられる人間は限られる。

 クロウ将軍の代わりの人間が見つからないのが現状だった。

 当初は別の人間に任せていたのだが、人足を闇雲に使い潰した挙げ句、十日ともたずに行方不明になっている。

 人足の恨みと恐怖を買い、火口から投げ落とされたと思われるが、仔細を確かめる術はなかった。


「そうか」


 ブラードン王太子はため息をつく。

 安堵に似た表情だった。


「我が国は、あの男に救われたようだな」

「御冗談を」


 ドルカスは微笑して言った。


「ブレンの救国の英雄は、ブラードン殿下以外にありえません」


 ブラードン王太子は、ブレン救国の英雄となる。

 いや、この大陸の救世主となる。

 その頭脳として、ドルカスは歴史に名を残す。


「いや、違う」


 ブラードンは首を横に振った。


「認めたくはないが、我々は間違った。イベル山の事業は、中止とする」

「お、お待ちください!」


 ドルカスは目を見開いて言った。


「なぜ突然そのような!」

「許せ」


 顔を蒼白にするドルカスに、ブラードンは詫びた。


「おまえに恥をかかせることになってしまうが、溶岩忌避説には重大な疑問点があることがわかった」

「疑問点、とは?」

「イベル山の噴火には、伝説の震天狼バスターウルフが関与していた。氷の森が恐れているものは、イベル山でも火山活動でもなく、震天狼バスターウルフである可能性が高い。その場合、イベル山の溶岩をもって森を制するという計画は、森を闇雲に刺激するだけということになる」

震天狼バスターウルフ?」


 地脈を統べる最強の狼。

 その力は大地を容易に引き裂き、天をも震撼させるという。


 ――世迷い言を。


 そんなもの、伝説上の存在に過ぎまい。

 そう思ったが、相手は王太子である。

 一笑に付すということはできなかった。


「伝説は、伝説に過ぎないのではありませんか? 震天狼バスターウルフなど、実在するはずが……」

「私は直接震天狼バスターウルフを目にした。先日、王都で地震が起き、岩漿マグマの柱が上がったことは知っているな。あれは、震天狼バスターウルフの仕業だった。ここ最近、ブレンやその近辺に良く飛来しているようだ。直接の証言はないが、各所で金色の流星、帚星の目撃証言があった」


 妄言ではないようだ。

 明確な根拠を持って話しているときの表情だ。


「し、しかし」


 ドルカスは震える声で言った。


「イベル山の事業を中止するのは行き過ぎかと。我が国には氷の森への対抗策が必要なのです。百年後、二百年後のブレンの未来のために! イベル山の事業は、そのための試みです!」


 ドルカスはそう叫んだが、ブラードンの表情は揺らがなかった。


「おまえの熱意はわかっている。おまえの赤心も疑ってはいない。だが、今回のことは誤りだった。震天狼バスターウルフという要素を見落としていた以上、計画を継続することはできない。今日の内に、計画の中止を父に言上する。心配するな。おまえやナスカには、責が及ばぬよう取り計らおう」


 賢士ドルカス、統治官ナスカ親子の提案、王太子ブラードンの肝いりで進められていたイベル山の事業は、そうして中止が決定された。



 溶岩運河の構築というバカ事業がめでたく中止になった。

 サヴォーカさんとルフィオの暗躍、もしくは脅迫が功を奏してブレンの王太子ブラードンが計画を見直してくれたらしい。

 といっても、計画中止おめでとう、よし解散だ、と言うわけにもいかない。

 掘ってしまった運河を埋め戻さないといけない。

 運河はまだ作りかけだが、イベル山の火山活動が激しくなった時には、溶岩を効率よく森に流してしまう構造になっている。放っておくと、森を刺激する原因にもなりかねない。もう一ヶ月ほどかけて、運河の埋め戻しや施設の解体などの撤収作業を行うことになった。

 ここまで来たら乗りかかった船だ。最後まで付き合うことにした。

 そんな中、おれはクロウ将軍から「軍属にならないか?」と誘われた。


「軍属、ですか?」


 クロウ将軍の執務室に呼び出されたおれは、ジャムの入った茶のカップを片手に問い返す。


「ああ、おまえさんがいるといろいろ便利だからな。部下になって、力を貸して欲しい。今なら装備課長の肩書きをやれるが、いらんか?」


 クロウ将軍は笑って言った。事業中止が決まって肩の荷が下りたのか、最近は上機嫌だ。


「装備課というのは現存しているんでしょうか」


 名ばかり管理職の匂いがする。


「あるにはある。五年ほど前から要員ゼロだがな」


 やっぱり名ばかりだった。


「少し、考える時間をいただいても?」

「他に仕事のアテがあるのか?」

「具体的なアテはないんですが、行ってみたいところがあって。将来のことは、そこに行ってから考えようかと」


 クロウ将軍の誘いは、悪いものじゃない。

 おれみたいな場末の古着屋が、軍属になれるっていうだけ結構な出世だ。クロウ将軍の人となりも悪くない。

 だがその前に、アスガルに行ってみたかった。

 アスガルで、養父がやっていたという店を見るために。

 今のおれの選択肢は、単純にいうと二つある。

 クロウ将軍の誘いを受け、軍属の裁縫師として、人間相手に仕事をしていくか。

 あるいは、サヴォーカさんのような魔物を相手に仕事をしていくか。

 そのあたりのことを考えるために、知っておきたかった。

 アスガルに居た養父が、どういう仕事をしていたのか。

 どういう暮らしをしていたのか。

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