第26話 バロメッツ

 見本の蝶ネクタイ、素材となるアラクネの織物をおれに預けたミルカーシュさんは「またおうかがいします」と告げて去って行った。

 なんというか、ひどく疲れた。

 ミルカーシュさんは別に恐ろしげな態度を取ったりはしていない。

 強烈な魔力だとか、プレッシャーを放ったわけでもないんだが、いつの間にか、全身がガチガチに強張っていた。


「どういう方なんでしょう? あの方は」


 放心気味に呟く。

 ただ会っただけでここまで消耗させられたのは、生まれて初めてだ。


「正体までは明かせんが、アスガルで最強の魔物だ。おまえのような弱者を害するような御方ではない」

「御方、ですか」


 アスガルでも相当の大物ということだろう。


「御方だ」


 トラッシュは真顔で言った。


「おおらかな御方だが、非礼はするな。あの御方の怒りを買うことになれば、おまえの心臓程度は恐怖だけで止まるだろう」

「気をつけます」


 怒りを買わなくても、充分寿命が縮んだ気がした。


「ところで、ロッソと言うのは?」

「俺に自我が目覚める前、ただのマントだったころの名だ。あの御方に呼ばれるのはどうしようもないが、もう捨てた名前だ。おまえは忘れろ」

「自分としても、布屑トラッシュよりロッソのほうが呼びやすいんですが」

「知ったことか」


 トラッシュは鼻を鳴らした。

 ロッソという名前に拒否感があるようだ。

 まぁ、本人が嫌がっている名前を無理に呼んで怒らせる必要も無い。

 素直に諦めることにした。



 その日の夕方頃に、ルフィオが仕事場に顔を見せた。

 雑居、雑魚寝のタコ部屋宿舎より、おれとトラッシュしかいない仕事場のほうが顔を合わせやすいので、仕事が終わる少し前にやってくることが多い。

 ミルカーシュさんの来訪については、ルフィオは無頓着だった。


「来てたの?」


 と目を丸くはしたが、特に大きな反応は示さなかった。


「どういう人なんだ?」


 基本の作業時間を終え、気防布マスク作りで出た切りくずなどを片付けつつ訪ねる。


「話しちゃいけないことが多いんだけど」


 テントに敷いた絨毯の上にぺたんと座っていうルフィオ。「仮眠用に」と言ってサヴォーカさんが持ってきてくれたものだ。ケンタウロスたちが育てた羊の毛をケンタウロスたちが加工したものらしい。


「強いよ。サヴォーカとトラッシュを入れて、七対一で戦って、やっと勝負になるくらい」


 ルフィオは楽しそうに言った。

 ルフィオはミルカーシュさんには好意的らしい。

 トラッシュが来たときとは態度が大分違った。


「戦ったことがあるのか?」

「あるよ。そのネクタイも、その時こげたのだと思う」

「……ミルカーシュさんの旦那さんのだよな?」


 夫へのプレゼントと言っていた。


「うん」

「一体何があったんだ」


 素材はアラクネの糸を使った織物。

 サヴォーカさんの衣服に使っている宵闇羊の毛織物に負けないくらいの強度がある。

 そう簡単に焼いたり引き裂いたりはできないはずだ。


「そのネクタイの持ち主が、ミルカーシュさまにけっこんを申し込んだの。でも、ミルカーシュさまは自分に勝てる相手としかけっこんできない人だったから、わたしとかサヴォーカとかトラッシュとかで加勢して、なんとか」

「七対一で」

「うん」


 ルフィオはしれっとうなずいた。


「勝てればよかったから。何人がかりでも」


 一人で火山噴火を起こすルフィオ、それと対等らしいサヴォーカさんにトラッシュ、それと今のミルカーシュさんの旦那を含めた七人。

 それでようやく勝負になる。


「魔王かなにかなのか?」


 ルフィオはぴんと尻尾を立てて、「内緒」と言った。

 適当に言ったんだが、結構近い線を突いていたのかも知れない。

 もう少しつつけばもう少し話してくれそうだが、やめておくことにした。

 話してはいけないことを興味本位で話させて、ルフィオやサヴォーカさん、トラッシュとの関係を壊しても仕方ない。



 彼らは、死神グリムリーパーサヴォーカがカルロに与え、カルロの手で開拓地に根付いた黒綿花の内から目覚めた。

 真夜中、黒綿花の上から夜空にふわりと浮き上がった綿帽子たちは、もこもこと姿を変えて、猫のような大きさの黒い綿の子羊に変わった。


 ヌエー。


 夜空に漂いながら、そんな声を上げる。


 ヌェー。


 子羊に似た、やや間の抜けた鳴き声。

 開拓地に群生する黒綿花の数は優に三千本を超える。

 そのうち、子羊の形になった綿帽子は八八。

 黒綿花が氷の森から自身と主人カルロを守護するために、自らを急速進化させて作り出した哨戒、戦闘用の綿帽子だ。

 綿の子羊たちは中核となる大型の子羊コットンリーダーを司令塔に開拓地の上空、そして氷の森との境界線をふわふわと飛び回り、哨戒活動を開始した。

 時を同じくして、氷の森も開拓地に向けて十数匹のネズミ型の氷獣を送り出していた。

 震天狼バスターウルフとことを構えるつもりはないとはいえ、黒綿花の異常発生、そして震天狼バスターウルフと同等以上の力を持つバケモノどもが次々に現れ始めた開拓地を放置はできない。

 開拓地の内情を把握するために放った、潜入、偵察用の氷獣である。

 綿の子羊の出現は、氷の森の活性化を感じ取った黒綿花の防衛反応によるものであり、それは氷の森より這い出したネズミたちを水際で迎え撃った。


(コットンワンよりコットンリーダーへ。氷獣の侵入を確認、これより迎撃に移る。コットンツー、コットンスリー、ケツからかますぞ、ついてこい)


 そんな言葉を吐いた黒い子羊、コットンワンは夜空を疾駆し、氷の森より飛び出した四匹の氷ネズミの後方につく。

 綿の体から数十本の糸を出し、それを針のように硬化させて投射。

 タタン!

 黒い針は氷ネズミを二匹続けて撃ち貫き、地面に縫い止める。

 残りの二匹も後続のコットンツー、コットンスリーが放った針に射貫かれて、動きを封じられる。


(ハリネズミにしちまったな)


 コットンワンはニヒルに呟く。

 黒い子羊の針は魔力を帯びている。

 滅多刺しにされたネズミの氷獣たちは機能を破壊され、ただの水となって崩れ落ちた。


(コットンワンよりコットンリーダーへ、四体撃破、だが全部じゃない)

(了解した。コットンリーダーより全騎。引き続き警戒を続けろ。ネズミどもを一匹たりとも通すな。敵さんの領域には入るなよ)

(まだるっこしいこって)


 コットンツーが呟く。


(そういうな。オレたちが開戦のきっかけを作るわけにもいかないんだ。行くぞ。北北西に尻尾が見える)


 コットンツーを諭したコットンワンは、再び地上のネズミめがけて加速していった。



 なにか、変な声が聞こえた気がした。


 ヌエー。


 なんだよ。

 何を縫えって?


 薄く目を開ける。

 開拓地の宿舎の中だ。


 ヌェーヌェー。


 だからなんの音だこれ。

 毛布の中から這い出し、周囲を見回す。

 音の源はわからないが、やけに暖かい。

 全身に、大狼のときのルフィオの毛皮に似た暖かさを感じる。


 ヌェー。


 なんなんだ。

 上着を羽織り、宿舎を出てみたが、変な音の発生源はわからなかった。

 井戸のそばまで出ると、近くのベンチにトラッシュが陣取っていた。


「おはようございます」


 おれが声をかけると、トラッシュは「フン」と鼻を鳴らした。


「少し追い払え、毛玉に見えるぞ」

「ケダマ?」


 そう問い返すと、トラッシュは「気付いていないのか」言った。


「黒綿花どもに姿を見せるよう命じろ。それでわかる」


 言われた通り、黒綿花に「でてこい」という指示を飛ばす。

 それで見えた。

 おれの足もとに群がり、体中に取りついている黒い子羊どもの姿が。

 黒綿花の頭にくっついている綿帽子に似た質感だが、独立した生き物というか、子羊のぬいぐるみのような姿だ。

 おれの回りに群がり、ふわふわ浮かんだり、高速で飛び回ったりしている。

 そして『ヌェーヌェー』と鳴いている。

 ヌエヌエいってたのはこいつらか。


「なんなんです、こいつら?」


 肩や頭にくっついていた謎の子羊をはがしつつ訊ねる。

 やけに暖かかったのもこいつらのせいらしい。

 トラッシュは「カカカ」と嗤う。


「バロメッツだ。黒綿花より上位の霊樹で、羊の成る木と呼ばれる。正確には見ての通り、木綿の羊ができる。注がれた魔力が強すぎ、変異を起こしたようだな」

「どうすればいいんでしょう」

「どうにもならん」


 トラッシュは両手を広げ、にやりと嗤う。


「そういうことになったと思って慣れるがいい」

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