第25話 人妻が来た

 地獄を味わう覚悟でやってきた夫役の仕事は、想像していたものより長閑のどかなものになった。

 作業場として提供されたテントの中に陣取って、作業員たちのための気防布マスクを縫うのが基本業務。

 あとは破れた作業着、テントの補修なども請け負っている。

 素材を回してくれれば新しい衣類も作れると提案したが、そのあたりはまだ検討中の段階だ。

 開拓地の買い物係を通じて生地を買い入れ、空き時間に肌着や毛布、靴下などを作ると、将軍直属の兵士などにちょこちょこと売れた。

 ここでの暮らしの最大の問題は、クロウ将軍も言ったとおり、火口からの塵やガスによる空気の悪さだなんだが、このあたりも改善しつつある。

 ケガの功名というか、大繁殖した黒綿花が塵を吸い付け、ガスを浄化してくれているらしい。

 黒綿花から細い糸をとり、ガーゼのように織ってテントや宿舎にかぶせてやると、屋内ではマスクが黒く汚れるようなこともなくなった。

 黒綿花からとった糸は、黒綿花の主人となっているおれの思考に従ってコントロールできる。

 簡単な織物なら、専用の織機がなくても作ることができた。

 おれより一日前にクロウ将軍と接触していたトラッシュは、クロウ将軍が他国から招聘した魔法使いという名目になっており、赤マントに貴族風の派手な衣装のまま、開拓地を闊歩している。

 実際クロウ将軍の相談役のようなこともしているらしいが、基本的にはおれの仕事場であるテントに陣取って、気防布マスクと悪戦苦闘している。

 手先は不器用らしい。

 センスもなさそうだが、どうやら、針仕事が好きなようだ。

 決して上機嫌には見えないが、飽きる様子もなく、真剣にやっている。

 正直なところ、トラッシュがいてもいなくても作業効率は変わらない。時々「ここはどうなる」「どうすればいい」という質問で手を止められるのでややマイナス、くらいだが。守ってもらっている立場では文句は言えない。

 それに、そこまで気になりも苛立ちもしなかった。

 本当に煮詰まらないと質問をしてこないので「最初から教える」と言うと「黙れ」「おまえの世話にはならん」「聞かれたこと以外言わなくていい」と、妙な抵抗してくるのが面倒なところだが、厄介な点はそれくらいだろうか。

 そんなある日の昼下がり。

 テントの中でトラッシュと二人。雑談も談笑もなく、黙々と気防布マスク作りをこなしていると、見慣れない人影が姿を見せた。

 テントと言っても、軍隊の野営用に作られた大型のテントだ。ちょっとした見世物ができるくらいの広さがある。

 その入り口に姿を見せたのは、黄色いローブを纏った長身の人影だった。


「ごめんください」


 フードを深く被っているので顔は見えなかったが、女性の声だった。


「カルロという方を訪ねてきたのですが」

「カルロは自分ですが」


 作業用の椅子を立ち上がって答えると、ローブの女性はするりとフードを下ろす。

 その時点で、理解できた。

 魔物だ。

 短めの金髪に黒い瞳、白い肌。

 人間離れした顔立ちをしているわけではないが、人間にはありえないほどの美貌の持ち主だった。

 年齢は、よくわからない。

 外見的には三十代くらいに思えるが、纏った空気はさらに若いようにも、ずっと老成しているようにも感じられた。


「良かった。お目にかかれて嬉しいです」


 女性はふわりと微笑んだ。


「私の名はミルカーシュ。この地にホレイショ様のご子息がおいでになると聞きおよび、お訪ねいたしました」

「はじめまして。アスガルからお越しになったんですか?」


 養父はあっちでは相当の有名人だったようだ。


「はい」


 ミルカーシュと名乗った女性は朗らかな表情でうなずいた。


「いつもサヴォーカやルフィオ、ロッソがお世話になっているようで」

「ロッソ?」


 ミルカーシュさんがサヴォーカさんやルフィオの関係者というのは特に驚くことじゃない。

 むしろあの二人の関係者以外の魔物がいきなりやってくるほうが怖い。

 だが、ロッソという名前には覚えがなかった。


「申し訳ありません。ここではまたトラッシュと名乗っているのでしょうか?」


 トラッシュの別の名前がロッソということらしい。

 どこかの言葉で『赤』って意味だっただろうか、布屑トラッシュよりはましな名前に思える。

 そのトラッシュは、フン、と鼻を鳴らし、鋭い目でミルカーシュさんを見上げていた。

 敵意はないが、警戒、それと、畏怖に似た色が見えた。

 トラッシュの視線は気にせず、ミルカーシュさんは続けた。


「夫へのプレゼントをご依頼したいのですが、相談に乗っていただくことはできますか?」


 夫へのプレゼント。

 人妻らしい。


「ここが、どのような場所かはご存じですか?」

「はい、夫役でここにおいでになっていることは聞き及んでいます。やはり、今は難しいでしょうか?」

「小物程度であれば、お作りできると思いますが……」


 空き時間はあるし、トラッシュやルフィオたちの知り合いなら、納品などもやりやすいだろう。


「失礼ですが、トラッシュたちとはどういうご関係なのでしょう」


 トラッシュの反応を見る限り、普通の友人ではなさそうだ。


「詳しいことはお話しできないのですが、元上司と部下と言ったところです。今は私は引退しているのですけれど」

「そうですか」


 ミルカーシュさんのほうが上司っぽいな。

 ルフィオやサヴォーカさん、トラッシュなどより上の世代に見える。


「ご依頼というのは、どのような?」

「こちらなのですが」


 ミルカーシュさんは胸元まで上げた掌を上に向ける。その上に、赤い光の魔方陣のようなものが浮かび上がる。そこから濃紺の蝶ネクタイらしきものがあらわれた。

 結構年季が入っている上、あちこちが焼け焦げたり破れたりしていた。


「これと同じものを、もう一つ作っていただくことは可能でしょうか?」


 受け取り、検分してみる。


「こちらでは手に入らない布地のようですね」


 また魔物系の謎素材のようだ。

 絹、あるいは髪の毛などに似ている気がするが、微妙に違う。


「アラクネの糸を使った織物です。布地はこちらを」


 ミルカーシュさんはまた魔方陣を出し、そこから濃紺の布地を取り出した。

 時空間魔法ってやつだろうか。

 人間が使おうとすると脳が沸騰したり発狂したりすると聞いたことがあるんだが。

 しかし、蜘蛛の魔物アラクネの糸の織物か。

 ルフィオと出くわして以来、謎素材があたりまえになってきた気がする。


「少し小ぶりのようですが、サイズもそのままで?」


 夫へのプレゼントと言っていたが、ほとんど子供用と言っていい寸法だ。


「はい、サイズは変わっていないはずですので」


 そう言ったミルカーシュさんは、悪戯っぽく微笑むと、こう付け加えた。


少年族ハーフリングなんです。私の夫は」



 アスガル魔王国首都ビサイド。

 七黒集第七席『怠惰』兼魔王、少年族ハーフリングのアルビスは、魔王宮の玉座の上で軽く身震いをした。

 玉座の隣、魔王妃の座をちらりと視線をやる。

 昼過ぎあたりから、妻の姿が見当たらない。

 アルビスの妻は奔放だ。よくあることではあるのだが、妙な胸騒ぎがする。


「なにか?」


 先の囚人反乱でルフィオの追跡を逃れて地下に潜伏していたシン・魔王同盟の残党、自称第六六六天魔王ノブヒコの捕縛について報告していたサヴォーカが問う。黒騎士姿。円卓の間ではなく玉座の間であるため、関係は七黒集同士ではなく、魔王と魔騎士となる。


「少しばかり、胸騒ぎがしてな」

「ノブヒコが、なにか?」

「いや、ノブヒコはどうでもいい」


 アルビスは魔王妃の座に再度視線を向ける。


「ミルカーシュのほうだ」

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