第28話 統治官の死

 イベル山の事業中止によって最大の打撃を受けたのは、この事業に私財を投じていたゴメル統治官ナスカである。

 官僚貴族、つまり成り上がりと言われる家門に誰もが認めるような功績を、という思い。

 氷の森の北上から国家と子孫を守りたいという願いから、長子ドルカスの才覚に賭けたナスカの決断は、惨めな形で打ち砕かれることになった。

 名誉欲、権勢欲に突き動かされた部分は大きいが、それと同等程度の愛国心、そして家族愛もナスカにはあった。

 それ故に、ナスカはイベル山の事業の立案者であるドルカスを責めはしなかった。


「おまえが間違っていたわけではない。ブラードン殿下の器と覚悟が、我々が頼むに足るものではなかったのだ。今は時期を待とう。おまえの正しさを認められる時は、いつか必ずやってくる」


 そう言って、ナスカは息子ドルカスを慰めた。

 だが、ナスカがドルカスの成功を見ることはなかった。

 イベル山の事業停止から一週間後、ナスカは冷たい刃の感触で目を覚ました。

 その時にはもう、手遅れだった。

 兇刃に気道を切り裂かれたナスカは、声をあげることすらできずに絶命した。

 何が起きたのか、誰の差し金かを、死に至るまでのわずかな時間に悟りながら。


 ――ブラードン。


 ブレン王国の王太子ブラードン。

 ドルカスの親友であり、ナスカの支持を受けていながら、ドルカスやナスカを裏切り、イベル山の事業を中止させた男。

 ナスカの報復を恐れ、先手を打ってきたのだろう。

 ブラードンという男を、甘く見すぎていた。

 ここまで速く、苛烈な手を打ってくるとは思っていなかった


 ――ああ。


 後悔と恐怖の中、気道に流れ込む自らの血に溺れるように、ナスカは事切れた。



 ゴメル統治官ナスカの死をおれに教えてくれたのはクロウ将軍だった。

 ズボンをこっそり直して欲しい。腹が膨らんだのを人に知られたくない、と頼んできたクロウ将軍は、採寸作業の合間に「ゴメルの統治官殿が殺された」と教えてくれた。


「なにが、あったんでしょうか」

「一応賊の仕業ってことになっているが、おそらく、ブラードン殿下の仕業だろう。ここの事業を中止するということは、この事業を推進してた統治官殿の顔に泥を塗ることでもある。本格的に敵に回る前に、先手を打って片付けたんだろう。なんだかんだで、統治官殿は有力者だった」

「ゴメルは、どうなるんでしょう」

「統治官の家は取り潰しらしい。中小貴族に対する不正な財貨の貸し付けや、汚職やらでな」


 そう告げたクロウ将軍は思い出したように「そうだ」と呟いた。


「しばらく役人に気をつけろ」

「役人、ですか?」


 おれは一応盗品売買の容疑者だ。普段から気をつけなければいけない身分ではあるが。


「統治官の息子の賢士ドルカスが、官憲の目をかいくぐって逃げてる。おまえさんはドルカスに雰囲気と背格好がよく似ているからな。間違って捕まって、取り調べでも受けることになったら面倒だろう」

「そうですね」


 ブレン王国の取り調べとは、つまり拷問だ。

 誤認逮捕でもただでは済まないだろうし、例の盗品売買容疑のカルロとばれたらまずい。

 なかなか大手を振って歩ける身分にはなれないようだ。

 それにしても、おれが濡れ衣を着せられる原因になった賢士ドルカスが逃亡者。

 奇妙な気分だ。

 ざまあみろ、というには顔もよく知らないのでぴんとこない。

 めでたく事業が中止になった、と思ったはしから統治官が殺され、その息子のドルカスが逃亡者になる。

 政治の世界の酷薄さ、薄気味悪さに、背筋がぞわりとするのを感じた。



(マニューバーブロークンサンダー! 遅れるなよ!)

(あいよ!)

(あらよっと!)

 

 夕暮れの空をバロメッツたちが飛びまわっている。

 基本ふわふわ空中に浮いていたり、のんびり空中散歩をしているが、時々稲妻みたいなスピード、曲芸みたいな軌道で飛び回ったりする。

 氷獣とやり合うだけあって、見かけよりずっと戦闘的らしい。

 開拓地近くに飛んできた飛竜ワイバーンに突撃し、追い払ったこともあった。

 ちなみにバロメッツを引っ張ると、黒綿花と同じく糸や綿が取れる。

 特に嫌がりはしないし、手放すと元に戻るが、どうも微妙な気分になるので、素材にはしていない。

 開拓地から少し離れた丘陵の草原の上、頭の下には大狼姿のルフィオの尻尾。

 足もとにはやや大きめのバロメッツが一匹。

 バロメッツのリーダーらしい。

 他のバロメッツたちが離れている時でも、こいつだけはそばから離れない。


「開拓地は来週の頭で閉鎖になる。夫役の仕事もこれで終わりだ」

「朝? 夕方?」

「朝だな」


 来週末で開拓地での仕事は終わり、その翌朝に解散ということになる。


「……仕事の日」


 ルフィオは無念そうにいった。


「そうか」


 アスガルに行ってみたいという意向は、ルフィオとサヴォーカさん、トラッシュに伝えてある。

 都合がつくなら迎えに来てほしかったが、微妙にタイミングが合わなかったようだ。


「夕方までどこかで待ってて、迎えにいくから」

「わかった。トラッシュと行くところがあるから、ゴメルの町外れのほうで待ってる」

「どのへん?」

「あのへんかな」


 ルフィオの尻尾枕から上体を起こし、ゴメルの街の西側を指さす。


「養父の墓がある」

「ホレイショのお墓?」

「ああ、久しぶりに顔を出したいのと、トラッシュが連れて行けって言っててな」


 アスガルに行きたいと言ったら、急にそんなことを言い出した。


「わかった。そっちに迎えに行く」


 そう言ったルフィオは、尻尾で草原を軽くぽふぽふ叩いた。


「もどって」

「これでいいか?」


 尻尾の上に頭をもどす。


「うん」


 ルフィオは満足げにそういった。

 最近のルフィオは大狼の姿でくっついてくることが多い。

 バロメッツたちが現れたことで『毛皮の者』としての敵愾心を刺激されたらしい。



 アスガル魔王国首都ビサイド。

 円卓の間。

『怠惰』のアルビスの蝶ネクタイに気付いた『傲慢』のムーサは「あら」と声をあげた。


「久しぶりに見たわね、そのネクタイ」

「いや、あれとは別だ」


 アルビスは首を横に振る。


「結婚記念日のプレゼントらしい。元のはあいつにもぎ取られてたんだが、カルロのところに持ち込んで複製させたらしい。とうとう感づかれたらしい」


 アルビスは肩を竦めた。


「まぁ、さすがにばれるわよ。これだけ騒いでたら」


 ムーサは微苦笑する。


「どんな反応?」

「気に入ったようだが、今のところ手を出すつもりはないようだ。こっちの動向を眺めて面白がっているな。特にあの三者の変化を」

「面白いわよね、確かに」

「面白がらないでいただきたいであります」


『あの三者』の中で唯一同席しているサヴォーカが抗議した。


「ごめんなさい」

「あいつが動いていることを黙っていた奴に言われたくはない」


 アルビスは蝶ネクタイを大げさにいじってみせた。


「魔王への背信だ」

「申し訳ないであります。結婚記念日の贈り物と言われては、さすがに言えなかったであります」

「そういうところにつけ込んでくる女だぞ。あいつは」


 アルビスはため息をついた。


「それはそれとして、貴方自身の感想はどうなの? アルビス。そのネクタイを見て」

「まぁ合格だろう。ホレイショ並みとはまだいかないが、アスガルでも充分に通用するはずだ。その上、裁縫術の使い手とあれば、取らない手はない」

「私も賛成でいいわ。きちんとした仕事はしてもらったしね」


 ムーサは羽織っていたヒドラ皮のジャケットを撫でて見せた。


「貴方はどう? ランダル」


 ムーサが声をかけたのは、一五、六くらいの黒髪の少年である。

 七黒集第四席『憤怒』のランダル。

 黒い毛皮のコートを羽織っているが、体のあちこちが、クロームの金属に覆われていた。


「オレっち?」


 ランダルは自分を指さす。


「前と同じだぜ? どっちでもいい。興味ねぇや」


 軽い機械音を立てながら、ランダルは頭の後ろで手を組んだ。


「D(ディー)もどっちでもいいのよね」


 そう呟きながら、ムーサは空席の『嫉妬』の座を見る。


「とすると、あとは彼だけね。そろそろ素直になってくれればいいんだけれど」

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