第23話 冥花の種

「大丈夫だった?」


 ルフィオは、大狼の姿のままおれに顔を近づけ、頬ずりをした


「ああ、思ったより大分マシみたいだ」


 ルフィオの顎下を軽く撫でて応じる。

 もっと苦痛と怒号、異臭や汚物にまみれた、奴隷めいた労働環境を想像していた。 

 こうも簡単に宿舎を離れ、ルフィオやサヴォーカさんに接触できる環境だとは思わなかった。


「それは何よりであります」


 ルフィオの背中から降りたサヴォーカさんが言った。

 ルフィオは狼の姿から人の姿になる。

 スカーフのように巻いていた白の一枚布が形を変え、白いキトンのようになって体を覆う。

 魔力を通すとくっつく魔磁石というものをサヴォーカさんから提供してもらって作ったものだ。

 魔力の通し方に応じて大狼のスカーフ、少女の姿の時のキトンに変形させられる。

 元々キトンっていうのは四角い一枚布にピンをつけて着るスタイルだから、変形とまで言っていいのかわからないが。


「どのような事業をしているのでありますか?」

「山を掘り削って、溶岩を氷の森に流す工事だそうです」

「ふふ、御冗談を」


 サヴォーカさんは楽しげに言った。

 本当に冗談だと思ったようだ。背中に冥花が咲いている。

 まぁ、冗談と思うのが普通だろう。


「それが、本気のようで」

「正気でありますか?」


 サヴォーカさんは目を瞬かせた。


「そのようなことをすれば、この国は」

「だめでしょうか。やっぱり」

「だめであります。なにもかも凍り付いて、消えるであります。あの村も」


 サヴォーカさんは真顔で言った。


「何故、そのようなことになっているのでありますか?」

「この国の上のほうと、ゴメルの統治官たちがとち狂ったようです。現場のほうでは、馬鹿なことだとわかっているようなんですが」

「上といいますと?」

「聞いたところだと、王太子殿下の肝いりだとか」

「そうでありますか」


 そう呟いたサヴォーカさんは、ふっと目を細めた。

 剣呑な光を帯びた目だった。


「サヴォーカさん?」


 おれが声をかけると、サヴォーカさんは我に返ったように「失礼したであります」と言うと、内懐から小さな紙の包みを取り出した。


「本当は出発の前にお渡ししたかったのでありますがこれをお納めしたいであります」


 サヴォーカさんが紙の包みを開く。

 中に入っていたのは、小さな植物の種だ。


「冥花?」


 ルフィオが呟く。


「はい、冥花の一種、黒綿花くろめんかの種子であります。お側に植えていただければ、お役に立つと思うであります」

「綿が取れるんですか?」

「もちろん取れるであります。冥花でありますので、物質的なものではないのでありますが」

「物質的でない綿、ですか?」


 どうもイメージが湧かない。


「実際にご覧いただいたほうがわかりやすいでありますね」


 サヴォーカさんは周囲を見渡した。


「早速でありますが、このあたりに植えていただきたいであります」


 サヴォーカさんは、近くの斜面を指さした。

 スコップなどは持っていない。斜面を素手で軽く掘り、受け取った種を植える。


「これを」


 サヴォーカさんがいつもの旅行カバンから渡してくれた水袋から水をやる。

 すると、恐ろしい勢いで真っ黒い芽が出た。


「もう芽が?」


 と言った端から、黒綿花はさらに大きく、高く、ぬるぬると成長していく。

 あっと言う間に枝葉が広がり、そして白い花をつけた。

 黒綿花と言ったが、綿花よりひまわりなどに近い構造をしているようだ。

 地面から太い茎がまっすぐに伸びて枝葉を広げ、てっぺんに大きな花がひとつだけ咲いている。

 白い花はすぐに散り、かわりに黒い雲みたいな形をした、ばかでかい綿帽子がふくらんだ。

 樹高でいうと、二メートルくらいだろうか。


「……なんなんでしょうか、これは」


 巨大綿帽子を見上げ、唖然として呟く。


「死霊や精霊、神霊などの衣装に用いる宵闇綿をつける冥花であります。普通の生き物には、見ることもできないので、これで作った服を着ると、裸の王様のようになってしまうのでありますが」

「見えていますけれど?」

「カルロ殿が植えたものであります故、カルロ殿の眷属ということになるのであります。その場合は自動的に姿が見えるのであります」

「人間が持っていいものなんでしょうか、眷属って」


 魔物じゃないと持てないものだと思ってたんだが。


「ご心配は無用であります」


 サヴォーカさんは無闇に胸を張る。


「相性の悪いものであれば、芽吹くことさえないであります。カルロ殿であれば、きっと良い黒綿花ができると思ったであります。予想以上でありました」


 自身の眷属である冥花を咲き誇らせ、笑顔でいうサヴォーカさん。

 その足もと、いや、斜面のあちこちから黒い芽が次々と現れる。

 空に向かって枝葉を広げ、花咲き、綿帽子をつけていく。


「……なに?」


 ルフィオが尻尾を立て、あたりを見回す。

 ひまわりみたいな大きさの巨大綿花が、あっと言う間に斜面を埋め尽くし、綿花畑みたいになっていく。

 そればかりか、開拓地全体を埋め尽くして氷の森のほうまで広がってく。


「ちょっと待て」


 いくらなんでも繁茂しすぎだ。

 氷の森にとって、黒綿花というのはどういうものなのかわからないが、このまま氷霊樹の生息圏に進出していったら、森を刺激し、暴走スタンピードを引き起こすかもしれない。

 だが幸い、黒綿花の繁茂は、氷の森に到達する寸前で止まってくれた。

 おれの制止に反応したように。

 ほっとしてため息をつく。

 そこに、男の声が飛んできた。


「なにをしている」


 振り向いたが、黒綿花が繁茂しすぎていて見通しが全くきかない。

 声からすると、トラッシュだろう。

 黒綿花の茂みのむこうから、トラッシュが姿を見せた。

 黒綿花というのは、幽霊みたいな植物らしい。

 歩いて来るトラッシュの姿は、黒綿花をすり抜けていた。


「氷の森に宣戦布告でもするつもりか。それならそれで構わんが」


 フン、と鼻を鳴らすトラッシュ。サヴォーカさんはやや気まずそうに、「申し訳ないであります」と言った。


「まさか、ここまでの規模になるとは思わなかったであります」

「予想はできたはずだ。ホレイショが選んだ者に震天狼バスターウルフが加護を与えている。黒綿花など植えさせたら暴走しないほうがおかしい」

「面目ないであります」


 恐縮するサヴォーカさん。

 これが標準と言うわけではなく、おれがルフィオに注がれた魔力も作用して起きた異常繁茂ということらしい。


「結構魔力を持って行かれたってことでしょうか?」

「その通りだが、震天狼バスターウルフも魔力を詰め込みすぎていた。今くらいでちょうどいい。おまえも少しは加減を考えろ。わかる者が見たら魔物と間違われかねん」


 トラッシュはルフィオにもダメだしをしたが、ルフィオのほうは恐縮したりはせず。知らん顔を決め込んでいた。

 尻尾が少し垂れているので、やらかした認識はあるようだが。

 とにかくトラッシュとはそりが合わないらしい。


「普通の人間には、見えていないんですか? これは」

「はい」


 サヴォーカさんはうなずいた。


「人の迷惑になったりはしないんでしょうか?」

「冥花は、この世界からわずかにずれた位相、冥層に根付く異界の花だ。見えない者に実害はない。現状、このあたりの人間で影響を受けているのはおまえ一人だろう。姿を見せるなと念じるがいい。それで見えなくなるはずだ」


 トラッシュの指示通り「姿を見せるな」と念じてみると、視界を埋め尽くしていた黒綿花はあっさりかき消えた。

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