第22話 泥将軍クロウ
「ここでやってる工事は、王太子ブラードン殿下の肝いりでね。ゴメルの統治官ナスカ、それと殿下の学友である
「ケンシ、ですか」
耳慣れない肩書きだ。
「王都の賢者学院を優等で卒業した者に与えられる称号だよ。ブラードン殿下と同時に授与された」
殿下と同時、と言うあたりで一気にハクがなくなった気がする。
偉い人向けの接待用称号と言ったところだろうか。
ふらふら森に入って森を怒らせ、
「知っているかも知れないが、イベル山の周辺元々氷の森の支配域だった。先のイベル山の大噴火によって氷霊樹が焼き尽くされ、森が後退し、今の状況になっている」
「はい」
犯人がちょうど現場上空に戻ってきている。
「賢士ドルカスは、そこにブレン救国の光を見たそうだ。氷の森は大地の炎である溶岩を恐れる。イベル山の溶岩を汲み上げ、大地に流していくことで氷の森を押しとどめ、後退させることができると。その試験場が、この開拓地というわけだ」
「うまくいくんでしょうか、そんなことが」
トラッシュが「カカカ」と嗤った。
「うまくいくはずがあるまい。氷の森が恐れているのは
ここでの事業を全否定しているが、クロウ将軍は苦笑しただけだった。
「そういうことらしい。大きな声では言えないが、無駄な事業だよ、自殺行為と言ってもいい」
「わかってやっているんですか? 無駄で、危険だと」
「ああ」
クロウ将軍は肩を竦めた。
「俺のあだ名を知ってるかい?」
「お噂程度は」
泥将軍。
さすがに本人の前じゃ口にできない。
「気は遣わなくていい。泥将軍なんて言われてる冷や飯食いさ。やっちゃいけない事業だってことは、彼に出会う前からわかっちゃいたんだが、王太子殿下肝いりの事業に冷や水をぶっかけるには立場が弱すぎてね。なんで、根回しをしながらできる限り工事を遅延させ、
そういったクロウ将軍は、冗談めかしたような調子で「おっと」と呟いた。
「今更言うのもなんだが、このことは他の連中には口外しないでくれ。口外したら、おかしな噂を流した奴としてきつめに処分をしなけりゃならなくなる」
なら言うな、と言いたいところだが、後で聞いた話ではトラッシュに取り憑かれかけた時、トラッシュに心と記憶を読まれていたそうだ。
トラッシュ経由でおれに伝わるより、直接話した上で釘を刺したほうがいいと判断したらしい。
「そういうわけで、のんびり工事を進めてたんだが、喉や肺を痛めるやつが増えて来てね。火口から流れてくる塵がよくないらしいとわかったが、具体的な対策が見つからない。頭を抱えてたところに彼が現れ、君のことを教えてくれた。君ならば、助けになってくれるはずだと」
「自分が、助けに?」
心当たりというか、できそうなことは思いつかなかった。
トラッシュはまた「カカカ」と嗤った。
「おまえにできることと言えば、ひとつしかあるまい」
おれにできること?
ルフィオに噴火を止めさせる、というのは無理だ。
スルド村に火山灰が飛んできたときに相談してみたが、火山活動を誘発、活性化させることはできても、抑制することはできないそうだ。
「なにか縫えと?」
「他におまえになにがある」
そう言ったトラッシュは、クロウ将軍の執務机の上に置いてあった白い布の塊を取り上げ、おれに差し出した。
「これを、週に千枚供給できるようにしろ」
「これと同じものを?」
長方形のガーゼを何枚も重ねて縫い合わせ、左右にヒモのループをつけたものだ。
だが、これをこのまま複製するのはまず無理だろう。
驚くほど縫製が粗い。
どこの子供だ。これ縫った奴。
おれの困惑に気付いたらしい、クロウ将軍は一枚のスケッチのようなものを出し、おれに見せた。
「完成図はこうなる。彼が教えてくれた道具で、
そういう話か。
それなら確かに、俺が役に立てるだろう。
それにしても、スケッチとサンプルが別物すぎる。
一体誰が縫ったんだこのサンプル。
「まずは見本を作ってもらいたいんだが、やってくれるか」
「見本ならここにあるではないか」
トラッシュがサンプルを取り上げる。
まさか。
「貴方が?」
「そうだ。
そういうことか。
少しわかってきた気がする。
トラッシュは元々おれの養父ホレイショが作ったマントだ。
だから養父がアスガルでどういう仕事をしたか、どういう風に仕事をしていたかを知っている。だが、実際に針仕事をした経験はないのだろう。
なんにせよ、このサンプルの作業精度では、火山の塵を防ぐ効果は全く期待できない。
布の上下、側面などから思い切り入って来るだろう。
「とりあえず、そちらの見本も参考に何点か縫ってみましょう。材料や作業場所などはどうすれば?」
トラッシュの裁縫能力にはあえて言及せずに話を進める。
「ああ、そうだな」
トラッシュの見本については、おれ同様反応に困っていたらしい、クロウ将軍はやや安心したようにうなずいた。
「場所と材料については、明日までに用意する。今日のところは体を休めてくれ。それと、彼との約束で、君には当面、この
クロウ将軍に
○
イベル山の開拓地は当初の想像よりマシな場所だった。
クロウ将軍との面談後、兵士に連れていかれた宿舎は二十人の男が雑魚寝をする、いわゆるタコ部屋だった。
こればかりは快適とは言いがたいが、食事はまぁまぁ美味かった。
初期は全力で水路作りをしていたそうで、水も潤沢。
地熱で温めた湯を使った風呂まであって、衛生環境は良好だ。
週に一度ではあるが休日があり、近隣都市であるゴメルに出て行くこともできるそうだ。
あくまでも夫役であるため額は少ないが、街に出て酒を呑む程度の手当も出る。
世間一般の地獄の夫役のイメージとはだいぶ違った。
実際、クロウ将軍以外の仕切りでは、こうぬるいものではないそうだ。
まずは生活中心というか、人がまともに生きられる環境を組み立てる。作業はその次というのが泥将軍様のやり方らしい。
この国の王侯貴族としては珍しいタイプの人間のようだ。
夕食を終え、浴場で汗を流したおれは、溶岩を剥がされた山肌を歩いて、ルフィオが開けた大穴の近くに出た。
一応の計画としては、火口からこの大穴に水路ならぬ溶岩の路を作り、さらにここから三本の路を引き、氷の森に溶岩を流すことになっているらしい。
泥将軍としては「やりたくない」「絶対にろくなことにならない」らしいが、上のほうからは「速くやれ」「臆したか」「粉骨砕身しろ」と圧力がかかっているらしい。
綺麗な半球にえぐられた穴を見下ろしていると
頭の上から声が飛んできた。
「あぶないよ」
大狼の姿のルフィオが近くまで降りてきていた。
背中の上に、サヴォーカさんの姿もあった。
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