第21話 イベル山の開拓地

 出発の朝。

 おれはエルバやウェンディ、長老ボンドらに見送られスルド村を出た。

 まだ夜明け前。敢えて起こさなかったのだろう。見送りにルルの姿はなかった。

 上空には体長十メートルの送り狼がいるが、気配を消しているので気付いているのはおれだけだ。

 夫役に行く四人の村人とともに山を下り、麓にあるカルディという街に入る。

 集合場所となる広場には、周辺の街や村から男たちが五十人ほど集められていた。

 出身の村や町ごとに腰縄で五人ずつ、十人ずつとつなぎ合わされ、領主であるザンドール男爵の兵隊に囲まれて、徒歩で移動を開始した。

 どこにいくとか、どれくらいかかるかとかいう話は一切なかった。


「一体どこに行くんだ」


 と問いかけたやつもいたが、なにも言うなという指示でも出ているんだろう。


「だまって歩け」


 と一蹴されていた。

 氷の森で死んだゴメルのオルダを思い出す態度だ。

 というか本当に、氷の森に連れて行かれた時のことを思い出す。

 進行方向も南だ。

 ゴメルと氷の森の方角。このまま行くと、ゴメルに戻ることになるのではないかと思ったが、少し違った。

 ルフィオが起こした火山活動で焼かれた土地に、簡素な道が作られていた。

 その道は、今も黒煙をあげるイベル山の方角へ向かっている。

 どういうことだ?

 どう考えたって、夫役なんかやるような土地じゃない。

 治水をするような川もない。

 道を作ったって行く先はない。

 考えられるとすると、開拓くらいか。

 ブレン王国は、氷の森の北上に領土を削られ続けている国だ。

 噴火で焼けた土地から溶岩を剥がして再生し、少しでも国土を取り戻そうって話だろうか。

 森を刺激し、暴走(スタンピード)を引き起こす懸念もある。賢い選択とは思えないが、奪われた土地を取り戻したいという心情そのものは理解できないものじゃない。

 そんな風に思ったが、違った。

 もっと、理解できないことをしていた。

 おれたちは追加、補充の要員として徴用されたらしい。

 イベル山の山肌には掘っ立て小屋や大型のテントなどによる仮設の宿舎が立ち並び、開拓村のようなものができていた。夫役でやってきた男達、それと本職の工夫らしき男達が、忙しく立ち働いている。

 雰囲気はそう悪くない。

 和気藹々とまではいかないが、役人が拳や鞭を振り回したり、罵声をあげたりしている様子はなかった。

 だが、やっていることがよくわからない。

 山肌の火口から流れ出した溶岩を砕き、引っぺがしているが、剥がしたあとを掘り返していた。

 ルフィオが開けていった空(から)のボウルみたいな大穴を起点に、氷の森に向かう水路のようなものが掘り進められていた。

 水路と言っても、近くに水場なんてない。

 どういう工事をしているのか、全く見当がつかなかった。

 そんな疑念を抱いたまま、おれたちはイベル山の山肌にある宿舎群の前までやってきた。

 本部らしき大きな建物の前におれたちが整列すると、建物の中から数人の男が現れる。

 ブレン王国の兵士たち、それと、責任者らしき中年男。

 茶色い髪をした、三十代半ばほどの男で、軍装の上に赤いマントを羽織っている。

 見覚えのある、ぼろぼろのマント。

 というか、トラッシュだ。

「守ってやる」と言うだけいって、それきり全く音信不通だったんだが、先回りをしていたようだ。

 それにしても、滅茶苦茶なところに潜り込んでいる。

 少し呆れつつ眺めていると、男と目が合う。

 おれの目を見た男は、「やあ」とでも言うように、ニカリと歯を見せた。

 トラッシュとは違う、とぼけた雰囲気の笑顔だ。トラッシュを身につけてはいるが、取り憑かれているというわけでもないのだろうか。

 中年男は周囲の兵士達に「縄をといてやって」と指示を出す。

 全員の腰縄をほどかると、中年男は「はい、おつかれさま」と告げた。


「全員座っていいよ」


 のんびりした調子で中年男が言うと、兵士達が「全員座れ!」と声をあげた。

 中年男は改めて口を開く。


「俺の名はクロウ。このイベル山開拓地の一応の責任者だ。まずはよく来てくれた。君たちはこれから、このイベル山での土木作業に従事してもらうことになる。残念ながら、楽な現場とはいえないが、できるだけ、多くの人間が生きて帰れるように取り計らうつもりでいる。まずは事故の無いよう、無理をしないように心がけて欲しい」


 クロウと言う名前には、覚えがあった。

 泥将軍クロウ。

 王位継承権のない、ブレン王の妾腹の第一子で、ブレン王国軍の将軍だ。

 将軍と言っても、ブレン軍の総司令官はあくまで国王である。妾腹の王子ということもあって発言力は低く、軍功といえるような軍功もない。橋や道造り、治水工事と言った土木作業ばかりやっていることから、泥将軍、土将軍という別称で呼ばれているんだそうだ。


「旅の疲れもあるだろうから、詳しい仕事の話はまた明日する。今日は休んで体調を整えてくれ」


 そういったクロウ将軍は、そばに控えた兵士に「宿舎に案内してやって」と指示をする。

 そしてそのあと、またおれに目を向けた。


「カルロくん、おまえさんは残ってくれ。ひとつ相談がある」


 あの赤マントが、なにか吹き込んだんだろうか。

 相談もクソも、面識すらないはずだが。



 他の連中は宿舎に案内され、おれは開拓地本部の将軍の執務室に迎え入れられた

 執務室といっても、スルド村の民家と大差のない雑な造りのもので、備えつけられた机や椅子なども、シンプルで実用一点張りと言った趣のものだ。

 応接用の椅子も丸太を円柱状に切っただけの、シンプルなものだった。


「驚かせて悪かったね」


 そういったクロウ将軍は、羽織っていた赤マントを脱いだ。

 赤マントはふわりと宙に浮かび、例の白い髪に緑の目の怪人トラッシュの姿が現れる。


「彼の紹介でね。おまえさんなら、この開拓地の問題を解決できると」


 なにか勝手なことをされていたらしい。


「彼とお知り合いだったのですか?」

「いや、出会ったのは昨日の夜だ。取り憑かれかけたんだが、見逃してもらえることになってな」


 飄々と言ったクロウ将軍は、暖炉のそばに置いて暖めてあったケトルを取り上げると、そこから赤茶色の液体をカップに注いだ。


「茶を飲んだことは?」

「いいえ、聞いたことはありますが」


 上流階級の人間はそういうものを飲むとは聞いたことがある。

 あと、アスガルでも飲むそうだ。


「そうか、せっかくだ。試してみるといい」


 クロウ将軍は茶のカップに一匙ジャムを落とすと、おれに差し出した。

 カップを受け取り、口に運ぶ。

 正直さほど美味いとは感じなかったが、ジャムの甘みが身にしみる。

 ため息をつく。


「取り憑かれかけたというのは?」

「言葉の通りだ」


 将軍の代わりに、トラッシュが応じた。


「おまえを守るには、幹部を取り込んでしまうのが一番早いと考えてな。この男に取り憑くことにしたのだ。しかし、案外に話の通じる男だったのでな。見逃して、相談に乗ってやることにした」


 やりたい放題だな。


「相談というのは?」

「少し長い話になるが、かまわないかい?」


 クロウ将軍はまた、のんびりした調子で言った。


「まずは、ここでなにをしているかから話さないといけない」

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