第17話 『嫉妬』のトラッシュ

 ルフィオをカーテンの向こうに隠し、エルバを小屋に迎え入れた。

 ルルの回復に合わせて明るく、穏やかになっていたエルバの顔は、また地獄の底に転げ落ちたみたいになっていた。


「すまないな、急に押しかけて」

「いえ、寄り合いのことでしょうか」

「ああ、まずいことになってな」


 エルバはおれに、スルド村に領主から夫役の通達があったこと、くじ引きの結果、エルバが夫役に選ばれたことを伝えた。


「……そうですか」


 確かにまずい。

 エルバの家は一人親だ。

 生命の危機は脱したとは言え、病弱なルルを置いて出て行くことになってしまう。

 夫役から生きて戻って来られるかどうかもわからない。

 エルバは思い詰めた目でおれを見た。

 顔にあざや擦り傷がある。誰かに殴られたり、倒れ込んだりしたようだ。


「代わって、くれないか?」


 そう言ったエルバは、懐から小さな袋を出した。


「少ないが、あるだけの金はかき集めてきた。これで、代わってくれないか。今、ルルの側から離れるわけにはいかないんだ。頼む……」


 必死の形相で言ったエルバは、床に跪き、拝むようにオレを見た。

 夫役に身代わりを立てることはルール違反じゃない。

 夫役で要求されるのは労働力だ。

 身元が定かであるかどうかは重視されない。裕福な街の人間なら、貧乏人に金を握らせて身代わりに立てるくらいのことは当たり前にやる。

 だが、エルバは貧乏人だ。

 おれに差し出した袋は小さく、貧相だった。

 ゴメルで古着屋をやって居たときなら二月ぶんくらいの稼ぎになったかもしれないが、夫役の身代わりの対価としては話にならない。


「足りないのはわかってる。足りないぶんは、戻って来たときまた払う! 何年掛けてでも払う! だから、頼む! お願いだ! 代わってくれっ!」


 泣き叫ぶように言ったエルバは、床に頭をすりつけ、懇願した。

 見ちゃ居られない姿だが、無理もないだろう。

 夫役に行けば、帰ってこられないかもしれない。

 生きて帰って来ても、その時には、ルルは死んでいるかも知れない。

 受け入れられるほうがおかしい。

 一つだけ、確認しておくことにした。


「他に、代わってくれそうな人は?」

「いなかった」


 エルバは首を横に振る。


「おまえで最後だ」

「そうですか」


 ならいい。

 いきなりおれのところに来たというなら、村中頭下げてから来いと言いたくなるところだが、そのへんはクリアしているようだ。

 顔にあざや傷があるのも、他の村人との交渉で「しつこい」とでも言われ、殴られたんだろう。


「わかりました。代わります」

「い、いいのか!?」

「断って、役人に通報されたりするよりはましでしょうし」


 なんにせよ、この場では「わかりました」としか言いようがなかった。

 エルバがなりふり構わなくなった場合「代わらなければ逃亡犯として役人に訴えてやる」という脅しが使える。

 それをやられると、おれは今すぐここを逃げ出すしかなくなる。

 逃げるのはともかく、今引き受けている仕事を放り出さないといけなくなる。

 サヴォーカさんたちからの信頼も放り出すことになってしまう。

 そうなると「わかりました」としか言い様がない。

 スルド村での暮らしも四ヶ月を過ぎ、エルバやルルにも情が移っている。

 単純に、不幸になって欲しくないという気持ちもあった。

 それに、打つ手がないというわけでもないだろう。



 古着屋カルロが羊飼いエルバと夫役の話をしていたころ。

 死神グリムリーパー『貪欲』のサヴォーカはスルド村近くの牧草地で、ある青年と対峙していた。

 歳は二十代の半ばほど、純白の短髪に緑色の瞳、褐色の肌をした端正な青年だ。

 王侯貴族のような豪奢な衣装を身に纏い、その上にズタズタのマントを羽織っている。

 それはカルロが見つけて衣装箱に片付けた後、行方がわからなくなった深紅のマントだった。


「なぜ、おまえまでここにいる?」


 マントの男はサヴォーカに問う。


「ルフィオから知らせがありまして。貴兄こそ、なぜここにいるのでありますか?」


 擬装用ケープのフードを下ろしたサヴォーカに、男は「カカカ」と、独特な調子で嗤った。


「俺がここにいる理由といえば、ひとつしかあるまい。ホレイショの後釜とやらの値踏みだ」

「カルロ殿は、ホレイショ殿とは違うであります」

「なぜ、そう言える? ホレイショも最初はただの裁縫師としてアスガルに現れ、あの方に取り入った。また繰り返さないと断言できるか? ホレイショの過ちを」

「ホレイショ殿は、暗殺を目的にあの方に近づいたわけではなかったはずであります。そのことは、貴方もよくご存じのはずであります。嫉妬インヴィディア殿」

「カカ」


 男は額に手を当てて哄笑した。


「名前で呼べと言っているだろう。トラッシュ殿と」

「その名でお呼びするつもりはないであります」

嫉妬インヴィディア殿も似たようなものだろうに貪欲アヴァルス殿」


 七黒集第三席『嫉妬』のトラッシュは芝居がかった調子で言って、肩を竦めた。

 煽るような態度には取り合わず、サヴォーカは問う。


「なにをするつもりでありますか?」

「値踏みに来ただけだと言っている。今のところは合格、いや、不合格か。俺の目に全く気付かずに箱に片付ける始末だ。その気になれば百編は殺せた。無害で無力だ」

「もう、カルロ殿に接触を?」

「この姿でな」


 トラッシュはぼろぼろのマントの一端をつまんで見せた。


「だが、間もなくあの暴食グラ殿がやってきた。今日は非番ではなかったと思ったのだがな」

「暇さえあれば押しかけているでありますよ。妙な手出しをすればただでは済まぬであります」

「まるで飼い犬だ」


 トラッシュは「フン」と鼻を鳴らす。


「しかし、厄介ごとに巻き込まれているようだぞ。あの小僧は」

「……どういうことでありますか?」

「この土地の領主があの村に夫役を命じ、くじ引きで小僧の居候先の主人が指定された。その先のことはわからんが、おそらくは、小僧に夫役を代われと言う話になるだろう。あの家の娘は病弱の上、片親らしい。夫役に出るわけには行くまい。代わりに動かせる者がいるとするなら、あの小僧だけだ」

「そうで、ありますか」


 確かに、厄介な状況だ。

 タバール大陸における夫役の過酷さ、死亡率の高さはサヴォーカも聞いたことがある。

 

 ――急いでカルロ殿のところに。

 

 そう思ったサヴォーカだが、問題は目の前のトラッシュだ。

 いきなりカルロを殺しにかかるような無茶はやるまいが、トラッシュはカルロの養父、ホレイショとの因縁が深い。

 カルロの登用についても否定的な立場だった。

 カルロについては現在『貪欲』サヴォーカが積極的に登用を主張、『暴食』ルフィオがそれに賛成。

『傲慢』のムーサ、『怠惰』のアルビスは賛成よりだが、判断材料が不足しているとして態度を保留。

『憤怒』『姦淫』の二者は無関心。

 そして『嫉妬』のトラッシュが慎重派。

 登用ではなく抹殺対象として調査を進めるべきだと主張していた。

 結果、カルロを守護対象にしているルフィオとは一触即発に近い関係になっている。

 トラッシュはにやりとする。


「カカカ、そんな顔をするな。独断であの小僧を殺すようなことはせん。今のところその価値もない。では、行くとするか」

「どこへ行くつもりであります?」

「間の抜けたことを言うな」


 トラッシュは気取った仕草で両手を広げる。


「あの小僧のところに決まっているだろう。暴食グラ殿に感づかれてしまっては、こそこそ動いても仕方がない。仲裁を頼むぞ、貪欲アヴァルス殿」


 勝手なことを言ったトラッシュは、ぼろぼろのマントを翻して歩き出す。

 サヴォーカは眉根を寄せる。


 ――厄介ごとは、重なるものでありますね。


 夫役の問題に『嫉妬』のトラッシュ。

 難しい舵取りを強いられそうだ。

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