第8話 潜伏中だが嗅ぎつけられる

 スルド村のルルは八歳。

 生まれた時から体が弱かった。

 なにかあるとすぐに熱を出し、ベッドから動けなくなる。

 それでも何日か寝込めば回復し、簡単な家の手伝いくらいはできたが、冬に流行病にかかった。

 家族の必死の看病で一命は取り留めた。

 だが、看病疲れからだろう、ルルの母が死んだ。

 ルルも衰弱し、ベッドから出られなくなった。

 一人で仕事をし、一人で娘の看病をすることになった父も、消耗して、やつれていく。

 まるで疫病神。

 自分が病で苦しむだけならともかく、母を死に追いやり、父を追い詰め、責めさいなんでしまっている。


 ――もう、生きてちゃいけない。


 ルルはいつしか、そんな思いに取り憑かれるようになった。

 だが、自死に踏み切ることもできなかった。

 舌をかみ切って死ぬ、首を吊る、といったアイディアは浮かんだが、自分の亡骸を見つけたときの父親の反応を思うと、実行できない。


 ――はやく死ねますように。


 そう願いながら、目を閉じるようになった。

 けれど、ひどい咳がでて、溺れるように目を覚ますだけだった。

 その日もルルはそんな風に目を覚ました。

 いつもと同じように。

 いつもと違ったのは、耳慣れない声がしたことだ。


「大丈夫か?」


 ベッドの側に、見慣れない人影があった。

 銀色の髪に赤茶色の瞳、やや鋭い目つきの少年。

 身なりは地味だが、綺麗な金色の獣毛を編んだブレスレットをつけているのが印象的だった。


「……だれ?」


 かすれた声て訊ねると、またひどく咳き込んだ。


「水、いるか?」


 目つきほど怖い相手ではないようだ。

 少年はそばにあった吸い飲みを取り上げると、ルルに水を飲ませてくれた。

 人心地ついたルルの顔を見下ろして、少年はこう名乗った。


「おれはカルロ。エルバの……親父さんの手伝いをさせてもらってる」



 イベル山噴火の混乱に乗じて店から裁縫道具と金品を回収、ゴメルを脱出したおれはブレン王国西部のスルドという山村に潜伏していた。

 国外逃亡とまではいかなかったが、このあたりはゴメルの統治官ナスカではなく、ザンドール男爵という貴族の領地なので、追っ手がかかる心配が少ない。

 スルド村は人口五十人足らずの小集落。年に一回徴税官が来る程度で、常駐している役人はいない。

 はっきり言うと僻地。

 最初からここに逃げようと思っていたわけじゃないが、ザンドール男爵領に入ったところで、羊飼いのエルバという男に出くわした。

 ゴメルで古着屋をやっていた頃の取り引き相手で、程度が悪く、買い手のつかない毛糸、羊毛綿などを安く譲ってもらっていた。

 おれが捕まったって噂を聞いていたようで「匿ってやるから仕事を手伝え」と持ちかけてきた。

 エルバにはルルという八歳の娘がいる。

 このルルが病弱で、その上冬に流行った病で、エルバの奥さんが亡くなったらしい。

 羊飼いは外でやる仕事だ。

 ルルの側に居る時間を取るため、人手が必要だったんだろう。

 逃亡犯の弱みにつけ込み、都合良く利用するつもりかも知れないと思ったが、これが案外人間らしい生活だった。

 昼間は羊の番をして、夜は毛糸を紡いで過ごす。

 羊飼いは儲からない。

 手間賃は雀の涙だが、強請(ゆすり)まがいの苦情、商品泥棒、地回りのちんぴらおよび役人達のショバ代請求やらに消耗させられていた古着屋商売に比べると、羊と糸車相手の生活は穏やかで悪くなかった。

 潜伏先としちゃ上等なほうだろう。

 ルルがすっきり回復し、すっきり用済みになって出て行ければ一番いいんだが、そのあたりは予断を許さない状況だ。

 おれが来た時には、もうルルは寝たり起きたりの状態だった。

 まともに話もしていない。

 一度水を飲ませてやり、カルロと名乗ったのが、最初で最後だ。

 母親と同じ流行病にかかって、一命は取り留めたが、それから衰弱し続けているらしい。

 ここ十日ほどは熱も下がらなくなっている。

 おれができることいえば、針仕事だけだ。

 小さな村だから、エルバとルルの事情を知らない奴はいない。

 エルバが変なよそ者を連れてきたことを知らない奴もいない。

 村のあちこちで頭を下げて回って、売り物にならない羊毛綿(ようもうわた)と端布(はぎれ)を少しずつ分けてもらった。

 羊毛綿は風でとばないよう桶に入れ、網をかけて日にさらす。

 端布(はぎれ)は綺麗に洗って干してから、程度のいい部分を四角いタイル形に切り出し、羊の番の傍ら、大きな長方形になるよう縫い合わせていった。

 夕暮れが近づいてきた頃。


「なにしてるの?」


 という声がした。


「布団を縫おうと思ってな」


 そう答えてから、はっとして視線をあげる。

 金色の大狼が空中に浮かび、おれの手元をのぞき込んでいた。

 待て。

 確かに来るとは言っていた。

 手首に巻いている尻尾の毛のブレスレットの匂いを追ってきたんだろうが、間と場所が悪すぎる。

 こんなサイズの狼が飛んできたら羊がパニックに……なってないな。

 羊たちは体長十メートルの巨大狼の出現に気付かない様子で、のんびり牧草を食んでいる。

 声を掛けられるまで、おれもまったく気付いてなかった。

 気配を消しているとか、そういうアレだろうか。

 空中の大狼の姿が、ふっとゆらいで消える。

 入れ替わりに、二人の少女が姿を見せた。

 一人は金髪に青い瞳、金の尻尾を生やした裸の少女、ルフィオ。

 もうひとりは、はじめて見る顔だ。

 燕尾服のような衣装、白い手袋をはめ、黒いコートを身につけた、十五、六くらいの少女。

 紫がかった黒髪に同色の瞳。

 男装だが、ルフィオと同じく度外れた美少女だ。

 ルフィオと一緒に現れたことからみると、ルフィオ同様魔物の類とみるべきだろう。

 ただし、ルフィオと違って社会常識は心得ているようだ。


「突然お邪魔して申し訳ないであります。少々お待ちを」


 風変わりな口調でそう告げた少女は手にしていた旅行カバンから東方のユカタ風の白い布地の衣装を出し、全裸のルフィオに着せた。

 その後改めて、おれに向き直り、一礼をした。


「失礼いたしました。私の名はサヴォーカ。友人のルフィオを助けていただいたお礼かたがた、ご挨拶とお仕事のご相談に参上したであります」

「仕事?」

「はい」


 サヴォーカさんは首肯する。


「カルロ殿は震天狼(バスターウルフ)であるルフィオの腹を切り、縫い合わせたとうかがったであります。尋常ならぬ業前の持ち主とお見受けしているであります」


 どうにも唐突で、いまひとつ話の脈絡が読めないが、からかいに来たわけではないようだ。

 目も声も表情も、生真面目な雰囲気だ。


「なにか作れということでしょうか?」


 容姿でいうとおれの方が年上っぽいが、一応客ということになりそうだ。商売用の口調で言った。


「よろしければこの織物を見ていただきたいであります」


 サヴォーカさんはカバンから木の軸に巻いた黒の織物を取り出した。


「お預かりします」


 作業中の布地を足もとにおろし、織物を受け取る。

 なんだ、これ。

 雰囲気は絹に近いが、絹より繊維が細く、冗談みたいに軽い。

 恐ろしく薄いが、密度が異常に高く、太陽に向けても光を全く通さない。

 どう見ても高級生地だ。思い切り引っ張ってみる度胸はなかったが、強度も相当以上にあるだろう。


「これは?」


 一発で正体を見抜ければハッタリが効いてよかったんだが、さっぱりわからない。

 全く見たこともない、未知の繊維だった。


「アスガル大陸に棲息する吸血羊の毛織物であります」

「アスガルの、吸血羊?」


 魔物って言うんじゃないのか、それ。

 アスガル大陸といえば、魔物の大陸とも呼ばれる人外魔境。

 魔物の毛織物。

 とんでもない珍品だ。

 こんなものを持ってくるということは、二人ともアスガル出身ということだろうか。

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