第6話 天を震わす狼

 目が覚めると、大狼がおれを見下ろしていた。


「だいじょうぶ?」


 そんな声が降ってきた。

 おれが気を失っている間に目を覚ましたようだ。

 腕枕や膝枕ならぬ尻尾枕のような格好で、ふさふさした尻尾をおれの頭の下に回している。


「ああ」


 大丈夫だと言おうとすると、何か噛んだ。

 小さな石のようなものが、口の中にいくつも転がっている。

 口に手を当て、吐き出してみる。

 石のようなもの。

 その正体は、大量の人の歯だった。

 って……。

 おれの歯か、これ。

 ぞくりとしつつ口の中を探る。

 いや、ちゃんとあるな、おれの歯。

 綺麗に全部生えそろっている。

 いや待て。

 やっぱりおかしい。

 オルダたちに殴られて折れたはずの歯まで生えている。


「なにか、したのか?」

「なめた」


 狼は舌先をちょこんと出した。


「ケガしてたから」


 そう言われて、気が付いた。

 ズタズタになっていたはずの両手が綺麗になっている。

 唾液に薬効でもあるんだろうか。


「くさい?」

「……いや」


 変な匂いのようなものは感じない。


「口の中も?」

「うん」


 それで歯が生え替わったって話……なんだろうな。

 永久歯が全部生え替わったことになるが、そういうものと理解するしかなさそうだ。

『そのでかい舌をどうやっておれの口に入れた?』って疑問は、その場では頭には浮かばなかった。


「ありがとう、そっちの腹の具合は?」


 痛がったり、ぼうっとしていたりはしないようだが、やはり気になった。


「もうへいき、ありがとう」


 大狼は屈託ない調子で言うと、人なつっこい犬がするみたいに鼻先をこっちに近づけ、おれの額にくっつけた。

 懐かれたんだろうか。

 嫌な気分はしないが、和んでいられるような状況でもなさそうだ。

 日は大分傾いている。

 周囲の森には小型の氷獣はもちろん、新しい猿、猪、馬などの姿の大型氷獣が姿を見せていた。

 大狼に反応して集まってきたんだろう。


「飛んで逃げられたり、するか?」


 空を飛んでいる場面を見たわけじゃないが、大狼は空から落ちてきた。


「できるけど」


 大狼はおれを立ち上がらせるように尻尾を持ち上げ、起き上がる。


「やっつける。ここにいて」


 気負わない調子で言った大狼は金色の尻尾を一振りした。

 それに呼応するようなタイミングで、氷の森の奥、イベル山の向こうから巨大な氷獣が姿を現した。

 四足歩行。距離があるのでよくわからないが、頭の高さは五十メートルくらいありそうだ。

 広げた鳥の翼みたいな形の角を備えた、カモシカ型の大氷獣。

 対する狼の頭の高さは五メートルくらい。

 十倍以上の体格差があった。


「守護氷獣?」


 氷の森全体で千体程度存在すると言われる上位の氷獣だ。地域の管理者のようなもので、縄張り内に強力な外敵が現れた時に、それを迎撃する役割を担っている。

 人間にとっては死と破壊の神のような存在だ。

「いい子にしないと守護氷獣が来るよ」的な扱いである。

 なんにせよ、まずい。


「逃げろ!」


 大狼が強力な生物であることは想像に難くない。

 だが、おれたち人間にとっては、守護氷獣は死と破壊、破滅と絶望の象徴のようなものだ。

 あらがえる生物などいない。

 おれは、そう思っていた。

 そう思い込んでいた。

 だが大狼は、ためらわずに動いた。

 まっすぐ。

 おれの想像を遙かに超えた速度で氷獣達と氷霊樹をなぎ倒し、イベル山の中腹あたりに陣取る守護氷獣とすれちがう。

 金の尻尾がふわりと揺れる。

 大狼のスピードについていけなかったらしい。守護氷獣は後方に抜けた大狼に二呼吸遅れで向き直った。頭の角を氷の槍のように変形させて伸ばし、さらに口から猛烈な冷気を吐く。

 大狼を貫き、凍り付かせようとしたのだろうが、届かない。

 氷の角も、死の冷気も、大狼の体から立ち上る陽炎のようなものに触れると一瞬で蒸発し、消し去られる。

 全身に、太陽みたいな熱を帯びている。

 大狼は直接守護氷獣には触れていない。

 代わりにイベル山の山肌、守護氷獣のすぐそばに、足跡を一つ残していた。

 泡立ち、赤く、黄色く、白く輝く、岩漿マグマの足跡を。

 次の刹那。

 天を突くような火柱があがり、大地が激震した。

 巨塔みたいな、岩漿マグマの柱。

 それは大狼が、イベル山の地下に眠っていた岩漿マグマを引き寄せ、地表へと吹き上げさせたものだった。

 灼熱の暴風が荒れ狂い、火山弾と土石流が氷獣たちと氷霊樹の森を打ち据え、消滅させていく。

 山肌が隆起し、流れ出した岩漿マグマが氷の森を焼き、押しつぶして広がりはじめる。

 守護氷獣の半身が溶け、蒸発し、消えていく。

 ここまでくると、一瞬で完全消滅しなかったことを評価するべきかもしれない。

 他の氷獣達は、すでに消えてなくなっていた。

 守護氷獣は執念のように頭部を巨大な杭のように変える。

 大狼めがけて突進した。

 大狼はその場を動かない。

 代わりに金色の糸のような光線を口から放った。

 岩漿マグマすら蒸発させる、焦熱の光線。

 それは守護氷獣を正面からとらえて、貫通、一瞬で消滅させると、その後方の地面を貫いた。

 勢い余ったらしい。

 地表に触れた光線は、巨大な光熱のドームに変わり、大地にすり鉢状の大穴クレーターを作っていった。


「……なんなんだ、いったい」


 凍てついた死と恐怖の領域だったはずの氷の森が、今や黒煙と溶岩まみれの火炎地獄。

 普通ならおれも熱風やらガスやらで死んでいる場面だろうが、どういうわけかなんともない。

 大狼の唾の作用で、熱やらガスやらへの抵抗力が跳ね上がっていたと知ったのは、もう少し先の話だ。

 一帯を炎と溶岩の地獄に変え、敵対者を消滅させつくした大狼は、岩漿マグマの上をのんびり歩いておれの側に戻って来た。


「終わった。乗って」


 人なつっこい調子でそういうと、尻尾を振りながら体を低くした。



 おれを背中に乗せた大狼は、当たり前のように空中に駆け上がる。


「……なんだこれ」


 黒煙の届かない高空から、氷の森だったエリアを見下ろし、改めてそうつぶやいた。

 イベル山を覆っていた雪化粧は綺麗に溶け消え、山の形が変わっている。

 噴火が起こった場所が盛り上がって新しい火口ができあがり、そこから流れ出した岩漿マグマが扇状に広がり、周辺数キロの範囲を焦土に変えていた。

 氷獣を蹴散らす、氷の森を焼くところまではともかく、山肌から岩漿マグマを吹き上がらせて火口を増やす。

 斜め上すぎだ。


「加減したから、もう広がらないはず」

「逃げたほうが良かったんじゃないか?」


 この戦闘力なら逃げるのも簡単だっただろう。


「逃げると、ねらわれると思ったから。ええと……あなたが」


 言いたいことは、わからなくもない。

 氷の森は執念深い。

 森を怒らせて街に逃げ込んだやつが、結局街中で凍って死んでいた、なんて話は全然珍しくない。


「こんな真似したら余計狙われるんじゃないか?」

「これくらいしないと、あきらめてくれないから。あきらめないとまずいって思わせるの」


 怒らせないんじゃなくて、圧倒してねじ伏せるって発想らしい。


「……そうか」


 どっちにしても、やってしまったことだ。

 大狼の計算通りに行ってくれることを願うしかないだろう。

 この狼に出会わなければ、おれは氷獣に砕かれて、森の一部になっていたはずだ。

 それと。


「カルロだ」

「かる?」

「カルロ、名前だよ」


 名乗ってなかったはずだ。


「カルロ」


 大狼はおれの名前を繰り返したあと、自分も名乗った。


「わたしはルフィオ。震天狼バスターウルフのルフィオ」



 震天狼バスターウルフのルフィオは、おれを送る気満々だったが、さすがにこのサイズの送り狼が市街地委にやってくるのはまずい。

 ゴメル北側の町外れで背中から下ろしてもらう。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 金の尻尾を振ったルフィオは「そうだ」というと、こっちに尻尾を差し出してきた。


「わたしの毛を少し切って、もってて。あとで遊びに来やすいように」


 遊びに来る?


「おれのところに?」

「だめ?」


 大狼は首をかしげる。


「だめとはいわないが。でかいからな、おまえは」


 懐いたというか、好意を持って言ってくれていることはわかる。

 嫌な気分じゃないが、体長十メートルの巨大狼に押しかけてこられても対応は難しい。


「大きくなければ、へいき?」

「小さくなれるのか?」


 守護氷獣を瞬殺、一匹で氷の森を炎上させるどころか、噴火を起こして山の形を変えてしまうようなやつだ。体のサイズの調整もできるんだろうか。


変化ぽりもるふ


 震天狼バスターウルフの姿が揺らいで消える。

 代わりに、金色の髪と尻尾の少女が現れた。

 素っ裸で。


「これならへいき?」


 尻尾人間の姿になったルフィオは、青い目でおれを見上げる。


「待て」


 おれは自分の目元をおさえた。


「だめ?」

「服装、いや、服装以前だ。服を着てないのがダメだ」


 基本が狼だからか、裸はまずいという感覚がないらしい。

 とりあえずおれが着ていたシャツを羽織らせた。

 裸の少女に、オーバーサイズの白のシャツ。

 かえって危うげになった気もする。

 ため息をついたとき、ふと、気が付いた。

 氷獣たちに囲まれている時は気にしている余裕がなかったし、大した問題だとも思わなかったが、ひとつ、不可解なことがあった。


「おまえ、どうやって治した? おれの口の中」


 手の傷や顔の腫れは普通になめて治したんだろうが、口の中はそうもいかないはずだ。


「口の中?」


 小首を傾げて言ったルフィオはおれの側に歩み寄ると、ひょいと背伸びをした。

 小さな唇が、おれの唇に触れる。

 柔らかい感触が、舌先に触れていく。

 ルフィオの舌の感触。


「こんな感じ」


 特別なことをしたとは思っていないのだろう。

 絶句したおれから体を離し、ルフィオは屈託ゼロで尻尾を振った。

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