第5話 気合いでなんとかやってみる
気を失った狼の腹では、まだハリガネがうごめいている。
三メートルくらいあったのが、少しずつ縮んでいっている。
体の深いところに潜ろうとしているようだ。
肉や内臓の奥に入り込まれると、手が出せなくなる。
裁縫セットから待ち針を一本抜き、指ではじくように飛ばした。
裁縫術で強化、誘導した待ち針は狼の腹の皮をぷすりと貫き、深く潜ろうとする寄生虫の尻尾に突き刺さる。
待ち針の長さは五センチ足らず。
三メートルの巨大寄生虫を縫い止めるにはサイズ不足だが、魔力を込め、貫通力と
待ち針は返しのついた銛みたいにハリガネに食い込んで、動きを封じ込めた。
とはいえ相手はミミズまがいの寄生虫だ。
尻尾を捕まえても、その尻尾を切り離して逃げかねない。
さっさと引きずり出すしかない。
意識がないせいか、麻痺しているせいかはわからないが、狼は痛みを感じていないようだ。
待ち針が突き刺さったときも、尻尾を仮止めされた寄生虫がもがいている今も、反応を示していない。
二本の縫い針を空中に浮き上がらせ、別に制御した長い糸を通す。
布切りバサミの刃を開き、投げた。
のんびりした蝶みたいな速さで飛んだ布切りバサミが狼の腹の上を滑り、その皮を切っていく。
取り出さなきゃいけないハリガネの長さは三メートルほど、だが、三メートルも切る必要は無い。
狼の腹の皮を五十センチほど切り裂き、薄緑色の線虫の姿を露出させたところで、ハサミを手元へと引き戻す。
糸を通した二本の縫い針を飛ばし、ハリガネの体内に潜り込ませた。
体をちぎって逃げられないよう、糸で背骨を作るように針を通し、捕まえる。
コカトリスや巨大狼に寄生する生き物だけあって、生命力は相当のもののようだ。
体の中を縫われた状態でも、ハリガネは激しくもがき、暴れる。
あとは気合いと根性だ。
手元に残した二本の糸を左右の手に巻き付ける。
裁縫セットに常備している糸はごく普通の木綿糸だ。三メートルの巨大寄生虫との綱引きに耐えられるような強度はない。
糸に魔力を通して強度を上げる。
両足を踏ん張り、力の限り糸を引いた。
○
どれだけかかっただろうか。
体感的には二、三時間は格闘していたように思えたが、日の傾き方からみると、一時間もかかってないかも知れない。
ともかく、どうにか、やり遂げた。
力尽きたハリガネの体が狼の体から抜け落ちる。
絶命したようだ。
草原に落ちた巨大ハリガネは、それ以上動くことはなかった。
体がちぎれて一部が狼の中に残ったりもしていないようだ。
息をつき、握りしめた拳を開く。
強化した糸を直接手に巻き付け、巨大ハリガネと引っ張り合いをやったせいで、ズタズタで血みどろだ。
肉どころか骨までみえていた。
しばらく物は持ちたくない。
と、他人事みたいに言ってみたが、正直かなり深刻に痛い。
手だけじゃなく頭まで、鼓動に合わせてずきずき痛む。
だが、やるべきことはまだ終わっていない。
裁縫術で三本目の針を浮かべ、糸を通して飛ばした。
まだ意識の戻っていない狼の腹の傷口を縫い合わせてふさぐ。
それで完全に、気力と魔力が尽きる。
裁縫術はあまり魔力を使わない魔術なんだが、おれの魔力は一般人の平均くらいらしい。
ちゃんとした魔法使いの一割もない。
手と頭は痛いし、悪寒と虚脱感がひどい。
最後の力を振り絞って巨大ハリガネを蹴り飛ばし、狼の側に座り込む。
あとは、狼が目覚めるのを待つだけだ。
狼が動かないと気付いているようだ。氷獣たちはまだ積極的に近づいては来ないが、ちらちらと姿を見せるようになっていた。
まずい状況だが、これ以上できることはない。
じたばたしても仕方がない。
とにかく手と頭が痛い。
休憩だ。
草原に寝転がり、両手を広げた。
○
軽い痛みと、引きつったような感覚がある。
だが、あの滅茶苦茶な食あたりの痛みに比べれば、大した痛みではない。
あそこまで痛い思いをさせられたのは、猛毒を持った地の
もう二度とコカトリスは食べるまいと心に誓う。
その
両手は血みどろ、殴られていたのか顔が腫れ、口から血が出ている。
この人間が
――なにそれ。
寄生虫の死体と人間、それと腹の縫合跡を再度見比べて、
体を切られたのは、これが初めての経験だった。
今回の寄生虫にしても、柔らかい内臓を傷つけることはできても、強度のある腹の皮は食い破れなかった。
だがこの人間は、
この人間が「切っていいか?」と言ったことは覚えている。
「きっていい」と答えたことも。
だが、刃物では
そう言おうとしたところで、気を失っていた。
「すごい」
凄い人間だと
だが、凄い人間は弱り、気を失っているようだ。
魔力を使いすぎているようだし、両手はぼろぼろに傷ついている。顔にも腫れやあざがある。
治すことにした。
凄い人間は
治すのは簡単だ。
具体的にいうと「元気になれ」「治れ治れ」と思ってなめてやると、普通の傷はすぐに治ってしまう。
ハリガネに食い破られた内臓は、既に自己治癒している。
――まずい?
あまり意識していなかったが、氷獣の群に囲まれている。
凄い人間と、自分を狙っているようだ。
氷獣に話は通じない。
蒸発させたほうがよさそうだが、後回しにすることにした。
この一帯のボスである守護氷獣がまだ出てきていない。
あとでまとめて潰したほうが簡単だろう。
近くに水場はないようだ。うがいの代わりに軽く火を噴いて口の中を消毒する。少し冷えるのを待ってから、凄い人間の右手に鼻先を近づけた。
ボロボロの手や指をなめ、血の汚れを清めていく。
すぐ、綺麗になった。
血の汚れがなくなり、肉や骨が覗いていた皮膚も元に戻る。
同じようにして左手も癒やしていく。
頬もなめて腫れを取る。
あとは。
――口の中。
切れているし、歯も折れているようだ。
治さなければならないが、体のサイズが違いすぎるので狼の舌はとどかない。
小さくなることにした。
「
入れ替わりに、一人の少女が現れた。
年の頃は十二、三ほど。
黄金の髪、青い瞳に白い肌。
服は着ていない。
上から下まで素裸だった。
金色の尻尾をゆらして足を踏み出した少女は、まだ意識の戻っていない人間の上に、静かにおおいかぶさる。
腰まである髪を片手で掻き上げ、ピンク色の舌を少し出す。
顔を近づけ、唇を重ねた。
そのまま深く舌を差し入れ、口の中の傷、折れた歯などに舌先を触れさせて、癒やしていった。
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