第4話 なに喰ってんだおまえ
そいつは空から、音もなく落ちてきた。
ぎょっとするような勢いで落ちてきて、猿の氷獣にでかい頭をぶつけて木っ端みじんに粉砕。
そしてそのまま、そのまま地面にたたきつけられる。
大地が震撼し、衝撃波が氷獣達を吹き飛ばす。
落下点間近にいたおれも吹っ飛ばされ、地面を転がる。
「……なんだ!?」
眼を瞬かせ、改めて前を見る。
猿の氷獣を粉砕、小型の氷獣達を吹き飛ばした落下物。
それは巨大な、金の毛皮の狼だった。
氷獣とは別の生き物だ。
氷の体でできていないし、冷気も身に帯びていない。
吹き飛ばされた小型の氷獣たちも身の危険を感じたらしく、森の奥に引っ込んでいた。
狼というより竜などを思わせる巨体。地面に倒れ込んでいるので体高はわからないが、体長でいうと十メートル、尻尾を入れると十五メートルくらいあるだろう。
意識して下りてきたのではなく、高空から墜落してきたようだ。
地面に足を投げ出したまま、起き上がろうとしない。
いや、起き上がれないようだ。
キュゥン、と弱々しい声をあげ、体を小刻みに震わせている。
墜落の衝撃で骨や内臓をやったのかも知れない。
声がした。
「ごめん、なさい」
狼の声だが、体のサイズからは想像のつかない、少女めいたトーンの声だった。
おれに向けた声らしい。
青い眼が、おれの姿を見ている。
猛獣の目じゃない。
肉食の獣というより、涙目の子供を連想した。
「ケガ、してない?」
弱々しい、痛みをこらえるような声だ。
少なくとも、敵意のようなものは見えない。
「大丈夫だ。助けて、くれたのか……?」
「……ぐうぜん、落ちただけ、おなかが、痛くて……っ……」
巨大狼は発作でも起こしたように四肢と尻尾をぴんと伸ばし、金色の毛皮を逆立てた。
「……いたい……いたい、やだ、これ……いたい、いたい、いたいよう……」
その巨体、威容からは想像できない、いたたまれなくなるような声だった。
「おい……大丈夫か?」
そう声をかけたが、狼の耳には届かなかった。
「……いたい、たすけて、やだ……いたいぃぃぃっ」
巨大狼はそんな悲鳴をあげて苦悶し、転げ回り、最後は力尽きるように動かなくなった。
気を失ったようだ
「……なんなんだ、一体」
巨大狼の落下と大騒ぎに恐れをなしたらしく、氷獣たちは姿を消したが、よくわからない成り行きになってきた。
氷の森のただ中、腹痛に苦しむ巨大狼と二人きり。
放っておいて逃げるという選択肢はない。
氷獣たちはこの巨大狼を警戒し、距離を取っている。
こいつから離れたら死ぬと思うべきだろう。
それにこの狼は、氷獣や衛士たちより、話が通じそうだ。
息を吹き返してくれれば、助けになってくれるかもしれない。
このまま狼が命を落とせば、おれも衛士たちと同じ運命だろう。
そんなことを考えながら、巨大狼の姿を眺める。
妙なものが見えた。
意識がないまま身もだえをしている狼の腹部に、不気味なものが浮かび上がっている。
長さにして三メートルはありそうな、うごめく蛇のような輪郭。
血管かと思ったが、違う。
「……ハリガネ?」
もう少しスケールの小さなものなら、見たことがある。
ハリガネと呼ばれる、ミミズに似た薄緑色の寄生虫。
植物に卵を産み、それを食った草食生物の体内に寄生する。
火を通していない鳥や獣の肉を媒介に人の体に入り込むと、胃袋を食い破り、腹の中で這い回って地獄のような苦痛を与え、死に至らしめる。
ブレン王国では結構な数の人を殺している厄介な生き物だ。
体長三メートルもの大物となると、この巨大狼にとっても致命的なものなんだろう。
巨大狼に歩み寄り、うごめくハリガネの姿を観察する。
間違いなさそうだ。
サイズは違うが、五年ほど前、おれも腹を食い破られて死にかけたことがある。
普通なら死んでるところだったが、養父が助けてくれた。
おれの腹をハサミで割いてハリガネを取り出し、腹の穴を縫い合わせてくれた。
神業だったが、八十過ぎだった養父がこなしていい仕事じゃなかったんだろう。
それから一月もしないうちに、養父はこの世を去った。
だから、やり方を習ったりはしていない。
「やれるか……?」
狼の腹を切り開いて巨大ハリガネを引っ張り出し、胃袋に開いてるだろう穴を縫い合わせてやる。
やれるかどうかわからないし、それをやって狼が回復するかどうかもわからない。
そもそも腹を切り開いている最中に狼が眼を覚ましたりしたら、怒りを買って食い殺されかねない。
攻撃的な気性ではなさそうだが、いきなり腹を切り裂かれたらさすがに怒るだろう。
どうする?
やるべきか、やらざるべきか。
考えあぐねつつ、手の中の糸切りばさみを回す。
そこに、声が降ってきた。
「……まだ、いたの?」
「気が付いたか?」
「……うん」
ぼんやりした声。
気が付いたとは言っても、朦朧としているようだ。
「……かえったほうが、いいよ? ここ、あぶない……」
「わかっちゃいるが、帰るのも危ないんだよ。一人で動いたら氷獣に殺られる」
「……じゃあ、わたしの毛、すこしあげる……わたしは、
魔除けになるって話だろうか。
「親切だな、赤の他人に」
「……へん?」
また意識が途切れかけているようだ。
「……いや、変ってわけじゃ……」
いい返答の仕方がわからなかった。
純真というか、無邪気な言い草だ。
斜に構えて、皮肉っぽい受け答えをするのもばからしく思えた。
「腹の具合は?」
「……わからない、しびれてて」
感覚がなくなってきているのかもしれない。
「さわっていいか?」
返事は待たずに足を踏み出し、狼の腹に触れてみる。
「さわったの、わかるか?」
「……わからない……」
好都合かもしれない。
裁縫セットから金属板を一枚取り出す。
糸切りばさみじゃなく布切り用の携帯ばさみだ。パズルみたいに組み合わされた部品を組み替えることで、四角い金属板が小ぶりの布切りハサミに変形する。
「おまえの腹なんだが、ハリガネっていう寄生虫が潜り込んでるのが見える。鳥や獣の腹の中に住んでる、蛇やミミズみたいな寄生虫なんだが。なにか、変な物を食った覚えは?」
「……コカトリス」
毒の息を吐く上に、石化の魔力まで持った鶏と蛇の混血みたいな魔物だ。
そんなものに取りついてたハリガネなら、三メートルくらいまで成長してもおかしくない。
なに喰ってんだおまえ、と突っ込みたくなったが、今は呑み込んだ。
「たぶん原因はそれだろうな。おれも餓鬼の頃、露店の鳩にハリガネが入ってて死にかけたことがある」
「……たすかったの?」
「ああ、養父がおれの腹を切って、腹の中からハリガネを出してくれた」
「おいしゃさん?」
「いや、旅商人だ。元仕立屋って言ってたが」
糸や織物などを主に扱う行商人だったが、頼まれると服や靴なども作っていた。
「それで……変な提案なんだが、おまえの腹、切ってもいいか?」
我ながらひどい言い回しだ。
「きって……ハリガネを?」
「そうだ。胃袋にも穴が開いてるはずだからそっちもなんとかしたいが」
こっちのほうが難度が高いだろう。
ハリガネのほうは表皮近くに這い上がってきているので切開と縫合のイメージが頭にあるが、胃袋はどこに穴が開いているのかもわからない。
「……そっちは、へいき。もうなおってる」
「麻痺してるだけじゃないのか?」
「……おなかやぶれたの、はじめてじゃないから」
語り口がふわふわしてるわりに、物騒な暮らしをしていたんだろうか。
コカトリス食ってる時点で相当物騒な生活というか、生態なんだろうが。
「きっていいよ……でも……」
「でも」の続きは、聞けなかった。
「大丈夫か?」
そう聞いたが、返事は戻ってこない。
また気を失ったようだ。
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