第35話 軍医は語る


「あなたも黒猫に命を狙われていたのですか!?」


 来島軍医は目を閉じて、手で眼鏡を押さえていた。彼女の目の下にはひどいクマがあった。


「最初から話すわ。三毛神君は、あの大規模サイバー攻撃があった『暗黒の1日』を覚えてる?」



 僕は、元の世界での事件を思いだした。ラブクラフトというハッカー集団が起こしたサイバー攻撃によって大都市に広範囲な停電が発生し、それは僕が働いていた情報摘発センター設立のきっかけにもなった大事件だった。

 


「はい。あの時は電車がぜんぶ動かなくなって大変でした。」


「当時、私は病院で勤務医をしていました。その大停電の時、私はその病院の非常用電源をとめたんです。」


「なんですって!?」


 僕は自分の耳を疑った。たしか、あの事件の時は医療機関の電源も落ちて大変なことになったと聞いていた。


「あの頃は私はまだ研修医でした。言い訳かもしれないけど、その頃の私は異常な激務で心身が疲れきっていたの。そんな時、ある人から、ある指示に従えば、私を正式な医師にする上に楽で高給な大病院で勤務させてやるって言われたの。」


「待ってください。そのある人って…? あのサイバー攻撃をあらかじめ知っていた人物から、あなたはそそのかされたということですか?」


「そう。反政府ハッカー集団ラブクラフトなんて嘘よ。あれは企業政府の自作自演よ。有害情報摘発法案可決と、情報摘発センター設立のための口実づくりだったの。病院で被害者が出たらセンセーショナルで世間も納得すると考えたのね。」


 

 僕は来島軍医の話を聞きながら、激しい憤りを感じていた。彼女に対してではなくて、自己の利益のために他人を平気で傷つける連中に対してだった。

 


「まさか、その被害者って…?」


「当時、私がいた病院に入院していた幼児がいて、手術で確実に助かるはずだった。たしか、女児だったわ。でも、停電で処置ができなくて亡くなってしまったの…。」


 そこまで言うと、来島軍医はしゃがみ込んで嗚咽に肩を震わせはじめた。


「その子が、黒猫の子どもだったのよ…。」


「まさか…そんな…。」


「その当時は、彼女はごく普通の人だった。彼女の名前は藍染慶香。それが、自分の子が亡くなった本当の理由を執念で調べあげて真実を知り、司法に訴えることなく復讐する者、残酷な黒猫へと生まれ変わったの…。」



 僕はあまりの話に言葉を失ってしまったた。来島軍医は後悔と自責の念を目に浮かべていた。



「私は企業政府に保護を求めたわ。絶対に安全な場所があるからそこで働けと言われ、妙な装置でこの異世界に連れてこられたの。それからは連中の言いなりになっていたわ。」


 僕は最も知りたかったことを彼女に聞いておきたかった。


「あなたが黒猫に狙われた理由はわかりました。でもなぜ、黒猫は僕も殺そうとしたのですか?」


「黒猫は、三毛神君があのハッカー攻撃を指揮した張本人だと思いこんでいるのよ。思い当たることはない?」



 そう言われて初めて、僕は思い出した。高校に入学してすぐのことだった。先輩から、三毛神の名があるとハクがつくから名前だけを貸してくれと言われ、『電子情報網攻撃防御研究会』とかいうクラブの幽霊部長にされたのだった。

 僕はその意味を今ごろ理解して愕然とした。


「それが、あのサイバー攻撃の犯人、ハッカー集団ラブクラフトの正体なんですか!? まさか、高校のクラブに擬装していたなんて…。しかも、書類上は僕がリーダーなんだ!」


「そう、真犯人である構成メンバーを隠すため、三毛神君を目立つリーダーに仕立て上げたんだわ。」


「黒猫は書類上の記録を調べて、僕を真犯人だと勘違いしていたのか…。」



 僕は不思議なことに、黒猫に対しては恨みではなく同情心が湧いた。もしも時を戻すことができれば誤解を解けるのにと僕は思った。



「よく話してくれました。あなたも苦しんだのですね。」


 来島軍医は目を潤ませて、取りだしたハンカチの中に顔をうずめた。


「今でも夜は全く眠れないの。私には医者の資格なんかないわ…。」



 僕は彼女をなぐさめようとしたが、壁を激しく叩く音が響いてきた。



「ここを気づかれたわね。三毛神くん、反対側の壁に脱出口があるわ。ふたりを連れてはやく逃げて!」


「あなたもいっしょに!」


 来島軍医は激しく首を振った。


「いいから行きなさい! なるべく遠くまで、はやく離れて!」



 僕は迷ったが、時間がなかった。まだ気を失っている大佐をおんぶし、伍長をつれて隠し扉に飛び込み、僕は走りに走った。



 しばらくすると、大きな爆発音が聞こえてきて、熱風が僕たちの背中を押した。

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