第18話 猫の街でのお買い物
「レイさま! あぶない!」
ベラベッカの叫び声が中庭に響き渡った。僕はユキを飛んでくる矢からかばって抱き、目を閉じていた。大丈夫そうだったのでこわごわと目を開けると、いつの間に現れたのか長剣を持ったアイゼが仁王立ちしていた。矢は全て彼女の長剣で叩き落とされていた。
「ベラベッカ、ちょっとおとなげないよ。」
冷静なアイゼの指摘に我に返ったのか、ベラベッカは構えていたクロスボウを下ろし、深々と頭を下げた。
「院長、申し訳ございませんでした。わたくしとしたことが子供を相手につい冷静さを欠き、不徳の致すところです。自室で深く反省いたします。」
ベラベッカはうなだれたまま、武器をかかえて屋敷への扉に向かって歩きはじめた。すれ違う時、彼女は僕に何かを言いかけてやめて、アイゼの方を見た。
「ですが院長。本気で誰かを好きになったことがないあなたに、わたくしの気持ちはわかりませんわ。」
扉の向こうに消えたベラベッカを見送ったあと、アイゼは剣を乱暴に鞘に戻した。
「なにが本気で誰かを、よ。私だって…。」
僕は彼女を追いかけるべきか迷ったが、アイゼが僕の肩をたたいた。
「今はそっとしとこ。そのうち頭をひやすでしょ。それにしても子猫さん、君はなかなかやるね!」
ユキはくるりと俊敏に回転して立ち上がった。
「ユキはレイのためなら全力で戦うニャ!」
「おーおー、レイちゃんはもてるねえ。」
ユキの頭をなでていたアイゼはニヤニヤしながら言ったあと、僕たちを指さした。
「あとで三人で買い出しに行ってきて! 仲直りするまで、帰ってきちゃダメ!」
いつの間にか、レオパルトとユートはいなくなっていた。
(気まずいなあ。)
こねこの家に来てから初めての外出だから嬉しいはずなのに、今日はタイミングが悪かった。ずっと不機嫌顔のベラベッカの後を、僕とユキが手をつないであるいていた。
こねこの家はちいさな林に囲まれていて、猫の街の中心部からは外れた地区にあったが歩いて行けない距離ではなかった。
僕は何とかベラベッカの機嫌を直す方法はないかと考えたが、こういう時はどうすれば良いのか検討もつかなかった。悩みながら歩いているうちに、僕たちは商店が立ち並ぶ通りにやってきた。目指す食料品の市場はまだ先だが、ベラベッカが足をとめた。
彼女の視線の先には衣服の店らしき建物があり、新装開店なのか花もたくさん飾られていた。
「どうしたの?」
「い、いえ。なんでもありません。」
「わあ、綺麗な服ニャ!」
ユキはスキップしながら服屋さんに近づいていった。僕がベラベッカの着ている服を改めてよく見ると、綺麗に洗ってはあるものの古くてあちこちにはつぎはぎがあり、エプロンで隠しているような有様だった。
本当ならお洒落をしたいとしごろだろうに、彼女の美しさには全く不釣り合いだった。僕は閃いた。
「ベラベッカさん、中に入りましょう。気に入ったのがあったら買えばいいよ。」
「ですが、お金が足りるでしょうか。」
おそらくアイゼの言っていた臨時収入とはパルミエッラが置いていったお金のはずだった。あれだけあれば、食材を買っても十分に足りるはずだと僕は思った。
「大丈夫ですよ、さあ入ろう。ミルさんも。」
「わあい、お買い物、お買い物ニャ!」
ユキに引っ張られ、僕に背中を押されて戸惑いながらベラベッカは店に入った。店内には色とりどりの衣服が並べられており、人形に着せて陳列されている衣服もあった。
「わたくし、このようなお買い物は本当に久しぶりです。」
彼女は熱心に商品を見始めた。やはり本当は買いたかったのだろうと僕は思った。彼女が選んだのはシンプルなワンピースだった。
「もっと派手なのがあるけど?」
「はい。でもわたくしはこれが気に入りました。お店の方、試着をしてよろしいでしょうか。」
試着室から出てきた彼女を見た僕とユキは歓声をあげた。それくらい彼女に似合っていて、シンプルさがむしろ彼女の美しさを一層引き立てていた。
「とても似合っていますよ!」
「ベラベッカおねえちゃん、とっても綺麗ニャ!」
彼女は頰を朱に染めて微笑んでいた。僕は店の人にその服を買うことを伝え、ユキにも似合う服はないかと聞いた。
だが、店員は申し訳なさそうに首を振った。
「申し訳ございませんが、猫族の服はないのです。」
「え? 猫の街なのに?」
「はい、当店は人間族の移住者向けでございます。当初は猫族の服も扱うと占領軍に営業許可を申請したのですが、却下されてしまいました。申し訳ございません。当方も最近こちらに移住してきた者でして…。」
「ユキのはないのかニャ…。」
ユキはそれを聞くとしょげかえってしまい、尻尾が下がってしまった。ベラベッカはユキをなぐさめて、自分も買わないと言って店を出てしまった。
僕は彼女に謝った。
「レイさまのせいではありませんのでお気になさらないでください。猫族を差別する者が悪いのです。みんなでお買い物ができただけでわたくしは幸せです。」
彼女は笑顔でユキに手を差し出した。
「ユキさま、わたくしと後でカフェでケーキを食べましょうね。」
「わーい! ジュースもニャ!」
ユキはすっかり機嫌を直したようだった。僕はその様子を見て安心して、3人で手をつないで歩き出した。
食材の買い出しのあと、僕たちはベラベッカおすすめのカフェにやって来た。レンガづくりのお店は蔦に覆われていて趣があり、テラス席では猫や人間の客たちがお茶やお菓子を楽しんでいた。
ケーキセットを注文して待つ間、ユキは玩具のあるこどもコーナーへとんで行ってしまった。ベラベッカははずかしそうにしていた。
「子猫を相手に、本当におとなげがなかったですね。レイさまはわたくしに失望されたことでしょう。」
「そんなことないですよ。」
僕はこの機会にずっと疑問に思っていた事を聞いてみることにした。
「君は貴族の家柄なのに、どうしてこねこの家で働いているの?」
「わたくしの父は、猫の街に赴任した人間国の駐在武官でした。」
都市国家各国はお互いに、国家間の連絡や情報収集のために自国の武官を駐在させているらしい。
「わたくしが父と共にこの猫の街に来たのはまだ小さい頃でした。当時、父は母を病で亡くして落ち込んでいましたが、猫の街が気に入り、ボスコーネルン猫王家とも良好な関係を築いて元気をとりもどしておりました。」
紅茶とケーキが運ばれてきて、ベラベッカは話を中断した。
「ですが、あの忌まわしい日が来てしまいました。突然の、戦線布告なしでの人間国軍の侵攻です。父にも一切知らせはありませんでした。猫の王族から激しく糾弾され、責任を感じた父は占領軍本部へ抗議に行ったのですが、そのままスパイ容疑で逮捕されてしまいました。」
「そんな、ひどい…。」
「私は屋敷を追い出され、行くあてもありませんでした。貧民街で倒れそうになった時に偶然、前院長に出会ってこねこの家に来たのです。」
「前院長?」
「あの屋敷の持ち主、バウムクーネル卿です。」
僕は彼女がそんな苦労を味わっていたとは知らず、驚いていた。
「苦労してきたのですね…。」
「いえ。わたくしなどの経験は、侵略された猫たちに比べれば苦労と言うほどではありません。」
僕は少し迷ったが、もう一つ彼女に聞いてみたいことがあった。
「もうひとつ、聞いていい? 正直言ってわからなくて…。君みたいな高貴な人が、どうして僕なんかを?」
彼女は本当に意外そうな顔をして、紅茶をひとくち飲んだ。
「わからないのはわたくしの方です。レイさまはご自分の事をみくびっておられます。レイさまほどやさしく、強い方は他にはおられません。」
「そうかなあ?」
この異世界に来て、僕はまわりに流されるままに行動してきただけのような気がするが、彼女にはそんなに風に見えているのだろうか。
「今は亡きわたくしの母ががよく申しておりました。この世にやさしい者も強い者もたくさんいる。でも、やさしくて強い方は滅多にいないから、もしもそんな方を見つけたらつかまえて絶対に離すなと。わたくしは今、そうしているだけです。当家再興の為にも。」
「その再興って?」
僕がもう一つの質問をしようとした時、悲鳴が聞こえてきた。慌てて顔を上げると、ユキが店に入ってきた赤いシャツの兵士達に捕まえられてしまっていた。
「痛いニャ! 離すニャ! レイ、たすけてニャ~!」
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