第19話 ユマ・サバーバン大佐
兵士はユキを大声で怒鳴りつけた。
「おとなしくしろ! このガキ、さっき人間と手をつないでいたな! 不遜罪で連行する!」
まわりの客が悲鳴をあげ、食器の割れる音がした。ハチワレの店主猫はオロオロするばかりだった。僕は立ち上がろうとしたが、ベラベッカが僕の腕にそっと触れて首を振った。
彼女は立ち上がると、驚いている客や猫店員たちの間を通って兵士の前に進みでた。
「占領軍兵士のみなさま。わたくしの連れが粗相し、申し訳ございませんでした。どうかこれでお許しください。」
彼女は兵士のひとりにそっと金貨を手渡した。兵士たちはベラベッカをジロジロと下品な目で見ていた。
「これでは足らんなあ。代わりに何か別のものを差し出してもらおうか。」
腕を兵士につかまれた彼女はじっと堪えているように見えた。
「おやめください。お金ならもっとさしあげますから、その子を離してください。」
僕はもう我慢ができず、席を立つと走り寄ってその兵士を突き飛ばした。
「やめて下さい! 手をつなぐ事が罪ですか! 私たちは孤児院の者です。占領軍のせいで行き場のなくなった子猫たちを毎日お世話しています。手も繋ぎますし、おしめも替えます。私たちを逮捕するというなら、占領軍が代わりに子猫たちの世話をしてくれるのですか!」
まわりの猫や人間の客からさえも一斉に歓声と拍手がわきおこった。
「だ、黙れ! 静まらんか! おのれ、栄光ある我が占領軍を侮辱しおって! 全員拘束して連行…」
この兵士は最後まで言えなかった。誰かに殴られてふっ飛んだからだった。殴ったのは僕ではなかった。
そこに立っていたのは、濃紺の詰襟の制服にロングコートをはおり、長身で腰に長いサーベルをさした人だった。その立ち姿のシルエットは美しく、革のロングブーツの脚先まで含めて抜群のプロポーションだった。
頭には制帽を被り、帽子からは栗色の長めの髪が伸びていてゆるいウエーブがかかっていた。顔の右半分は髪で隠れていたが、ベラベッカと勝るとも劣らないくらい整った美しい顔立ちの人だった。
その人物は右の拳を下ろすと、僕たちに深々と頭を下げた。
「部下の非礼を心よりお詫びする。」
はきはきとした、少しハスキーな声だった。兵士は見るからにおびえていた。
「サバーバン大佐! お許しを!」
「黙れッ! 占領下の治安維持が貴様らの任務であろう。逆に治安を乱す奴があるか! 後ほど厳罰に処す!」
一喝された兵士達はとぼとぼと去っていった。大佐と呼ばれた人物はベラベッカの前に優美にひざまずいた。
「お怪我はされませんでしたか。そちらの猫殿も。」
ベラベッカでさえ、大佐の堂々としたしぐさに少し押されているようだった。
「大丈夫です。お気遣いに感謝します。」
「大丈夫ニャ! おねえちゃん、ありがとうニャ!」
大佐はユキの頭を撫でてから、僕を真っ直ぐに見てきた。
「貴殿のふるまいはお見事でした。わが部下の蛮行はお恥ずかしい限りです。失礼、申し遅れました。私は占領軍参謀本部大佐、ユマ・サバーバンと申します。」
(この若さで将校!?)
僕は密かに驚いて、ベラベッカを見ると深刻な表情を浮かべていた。大佐が手袋を外して手を差し出してきたので僕はその手を握り返した。想像以上に握力が強かったが、柔らかな手だった。
「あ、僕は三毛神といいます。」
「ミケガミ…殿ですか。」
大佐は握手しながらじっと僕を見つめてきた。彼女はなかなか僕の手を離そうとしなかった。
「あの、もういいですか?」
大佐は慌てた様子で手を離した。その様子をベラベッカがじっと観察していた。
「失礼いたしました。貴殿は孤児院の方ですね。何か足りない物質がありますか? 軍から提供いたしますが。」
僕が口を開こうとすると、ベラベッカが横から遮った。
「結構です。さあ、帰りましょう、レイさま、ユキさま。子猫たちが待っています。」
「お待ちを。不躾な質問で恐縮だが、貴殿とそちらのお嬢さんのご関係は?」
(うわ、職質か?)
僕が答えに困っていると、ベラベッカは大佐にするどい視線を向けた。
「婚約者です。それでは失礼します。」
(こ、婚約者!?)
「そうでしたか。それは失礼を。どうかお幸せに。」
きびきびとした動作で回れ右した大佐は去って行こうとした。僕はホッとしたが、ユキは名残惜しそうにしていた。
「ユキもレイのコンヤクシャニャ! ユマおねえちゃん、またね!」
大佐はそれを聞くと立ち止まってふりかえり、笑顔で会釈すると去っていった。
「いい人だったね。」
僕の言葉に、ベラベッカは苛立ちを隠そうとしなかった。
「あんな方がいい人のはずがありません。」
こねこの家への帰り道で、彼女はずっと黙ったままだった。
「そりゃ大変だったね!」
地下会議室にアイゼの笑い声が響き渡った。子猫たちを寝かしつけて、洗い物を終えてからの夜の作戦会議だった。ユキは結局、アイゼの部屋で寝泊まりすることになった。
カフェでの事件を聞いたアイゼはしばらくの間、笑い続けた。
「ベラベッカに強力ライバル出現ね。でも、これは使えるかもよ。」
何かを思いついたのかアイゼはニヤニヤし始めた。こういう時の彼女は本当に楽しそうだった。ベラベッカは不服そうな顔をしてずっと口を閉じたままだった。
「上出来? 占領軍のしかも将校に目をつけられたのに?」
僕の疑問に、レオパルトは上機嫌だった。
「レイはん、そら逆やで。そいつを利用できたら、敵の機密情報を奪い放題やで! ようやったのう!」
レオパルトは僕の背中を豪快に叩いた。
(利用? そんなことをしたら、あの人は悲しむかも…。)
占領軍にあんな立派な人がいるなんて、僕は驚きだった。高潔で公正でしかもあんなに綺麗だった。先ほどから黙っていたベラベッカは険しい顔だった。
「レイさま。今、何を思い浮かべておられましたか。」
「い、いや別に。」
僕は慌てて取り繕ったが、彼女は気分を害したようだった。
「院長、今日は気分がすぐれませんので早めに失礼します。」
ベラベッカはそう言い残して部屋から出て行ってしまった。その様子をアイゼは楽しそうに見ていた。
「あ~あ、あのコ、えらくゴキゲン斜めね~。レイちゃん、あとでよろしくね。」
「わかったよ、ボス。で、次はどうするの?」
アイゼは姿勢を正した。
「新入りレイちゃんの為に、一から説明するね。まず、私たちの最終目的は?」
「人間の占領軍を猫の街から追い出すこと?」
「正解。では、その為にはどうすれば良いと思う?」
僕は腕を組んで考えた。
(駐留占領軍とパルミエッラの私兵を合わせた兵力に、たった6人では勝てない。)
「援軍を頼むとか?」
「ほぼ正解! 後はユートが説明してくれる?」
「ボスはめんどうくさくなるといつもボクに振るニャ。」
子猫らしくないため息をおおげさにつくと、ユートは説明してくれた。
以前、キャリアンにも聞いたがこの世界にはいろいろな種族の都市国家があるそうだ。国家間に何の取り決めも無ければ、世界は無秩序と混沌に陥ってしまう。そこで4年に一度、各国家の代表が集い、
「都市国家間会議」
が開催されて様々な事を協議するという。今年はその会議が開かれる年らしい。
「その会議に、人間軍の悪事の証拠を提出するニャ。」
「悪事? 子猫の誘拐のこと?」
「そのとおりニャ! 未成年者の組織的誘拐は都市国家間条約では禁止行為で制裁対象ニャ。」
会議が正式に戦争犯罪行為とみなせば都市国家連合軍が動き、人間族の占領軍を追い出せるという計画だった。
「今、人間軍が猫の街を占領していること自体は問題にならないの?」
「国家間の戦争行為は内政干渉になるから会議も口出しできないニャ。でも、犯罪行為は別ニャ。」
(なるほど、国際社会に訴えて国連軍を動かすようなものか…。)
「連合軍の動きと同時に、私たちは占領軍が本部を置いている城内に侵入して、収容所の猫たちを一斉に解放するの。そうすれば。」
アイゼは手を叩いて大きな音をたてた。
「内と外から人間の占領軍は崩壊というわけ。」
僕は彼女の計画に感心したが、レオパルトがしきりに考え込んでいるのが気になった。
「どうしたの?」
「いやな、そのサバーバンとかいう将校、どっかで会うたような気がするねんけどなあ。思い出されへんのや。」
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