第3話 白猫少女との出会い

 湿気のある柔らかい地面の冷たい感触と、草と土の匂いがした。僕はゆっくりとまぶたを開いたが、眩しさにすぐ目を閉じた。


 そのままの姿勢で呼吸をしようとしたがうつ伏せで苦しくて、僕は手をついて体を起こそうとした。

 その途端に激しく咳き込んで、今度は仰向けに倒れてしまった。

 まばたきをしながら目を再び開くと、木漏れ日と共に僕の視界にいっぱいの緑色が飛び込んできた。


 僕の記憶は曖昧だった。


(ここはどこだろう…。)


 そして急に僕はあの修羅場を思いだした。


(そうだ、僕は黒猫に!)


 僕は上半身を起こすと、辺りを素早く見回して、自分の体を確かめた。迷彩服に防弾ジャケット、ゴーグル付きヘルメットは黒猫の襲撃時のままだった。僕のまわりには銃やナイフやバックパックが散乱していた。

 僕は立ち上がり、銃を拾って構えた。

 僕が立っているのはどう見ても森の中だった。樹々は大きく、何かの鳥や動物の鳴き声がひっきりなしに聞こえてきた。


(なぜこんな所に?)


 誰かに運ばれたにしては妙だった。体には怪我ひとつしていないし痛みもなかった。


(いったいここはどこなのだろう?)


 しばらくの間、僕は油断しないようにその姿勢を維持したが全く敵の気配はなかった。実は僕は夢を見ていて、目を覚ませば病院のベッドの上にいるのではないかと思った。

 でも、樹々の香り、感じる光、聞こえてくる動物や虫の鳴き声、あらゆるものが生々しくて現実としか感じられなかった。



 僕は自分が空腹である事に気付いたので、装備品をかき集めると近くの木の側に座って簡単な食事をとることにした。

 空気が澄んでいて気持ちが良かった。小鳥のさえずりが聞こえてきて、高い樹々のせいで空は狭いが雲ひとつない綺麗な青空だった。

 こんな深い森が都市近郊にまだ残っていたのがとても信じられず、逆にあの襲撃の方が何だか夢のように僕には思えてきた。

 でも、いつまでものんびりはしていられなかった。一刻も早く僕は応援を呼んで来島を助けに戻らなくてはならなかったが、携帯電話もトランシーバも全く作動しなかった。


 俺はため息をつくと、バックパックを背負って歩き始めた。方向の検討も全くつかないが、とにかくまずは道路に出て人を探そうと僕は思った。

 摘発員は煙たがられるが、この辺りがどこなのか場所を聞いて電話を借りるつもりだった。

 森には見たこともない昆虫が飛び交い、僕は名前も知らない花や果実を見つけた。 小動物の姿も見かけたが何だか微妙に僕が知っている姿形と違うような気がした。


 僕は草や木を刈り歩きながら考えた。あの美しいが凶暴な黒猫は僕の名を知っていたし、命を狙うほどに憎悪されていた。


(いったいなぜ?)


 僕は検討もつかなかったし、思い出しただけでも身震いがした。黒猫は僕への憎悪だけを力にしてオクタゴンにたったひとりで闘いを挑んでいたのだろうか。

 来島がいなければ間違いなく僕は死んでいた。命がけで僕を救ってくれた来島はたったひとりの親友だったが、今は無事を祈るしかなかった。


 それにしても僕の見通しは甘かった。歩いても歩いても深い森は全く途切れなかった。

 焦るほどに喉が乾き、水筒は空っぽになってしまった。

 ついには陽が傾き始めた。森の中で暗闇をあてもなく夜通し歩くわけにはいかないし、野生動物に襲われる危険性もあった。



 僕が途方にくれていると、いきなり悲鳴が聞こえてきた。銃を構えて僕は声がした方向に駆け出した。音を立てないように慎重に近づくと、急に森が開けた場所に出た。

 そこは緩い斜面になっていて、下の方に小道が通っていた。近くに大きな岩があったので、僕は隠れながらそっと首だけを出して様子を伺った。


 僕は思わず声を出しそうになり、慌てて口を押さえた。道から逸れて車輪が外れて壊れた馬車があり、いななき興奮している馬を宥めようとしている人がいた。

 馬車の向こうには倒れた人物が見えて、その人影を庇うようにすがる人は頭に変わったアクセサリーを付けているように見えた。

 そしてそれを囲む3人の人影は今まさに、倒れている人と側の人に襲いかかろうとしているように見えた。


 襲撃側は何れも髭面で、鉈のような武器を持ち、体は服の上から革製のような防具を身につけていた。


(相手は4人か…。)


 あの二人を助ければ話ができるかもしれないと思い、僕は銃を構えて飛び出した。

 普通のライフルなら遠距離から狙撃するが、ゴム弾なので僕は素早く接近することにした。


「全員動くな! 情報摘発センターだ!」


 僕が叫ぶと、武装集団は振り向いて鉈を振り上げて迫ってきた。近くで見ると、相手が外国人だとわかった。どこの国の人間かはわからないけど、おそらく欧米系で彫りの深い顔立ちだった。僕は落ち着いて標的に向かって連射した。

 まず胴体を撃って動きを止めてから、続けざまに頭部に命中させると三人の髭面はもんどりうって昏倒した。


「あぶない!」


 叫び声がしたかと思うと、最も大柄な敵が馬車の影から僕に飛びかかってきた。僕は大男を撃ったがそいつは木箱を盾にして突進してきた。振り下ろされた大鉈の一撃を僕は身を翻してかわした。


「妙な魔道具を使いやがって!」


 相手が意味不明なことを言ったが僕は気にせずに足を撃ち、大男は大きな悲鳴をあげた。僕が銃をつきつけると、髭面男は一目散に逃げていった。僕はホッとして構えていた銃をおろし、振り返った。

 倒れている3人の髭面を見下ろして、いったいこの人たちは何なんだろうと僕は不思議に思った。彼らはまるで古い外国映画に登場する山賊か野盗のようだった。

 襲われていた人が気になって、声をかけようとふりかえった。


「大丈夫ですか…?」


 驚きで僕の言葉が途切れた。何かが凄まじい勢いで抱きついてきたからだった。


(しまった、まだ敵がいたのか?)


 と思ったが、よく見るとそれはあの襲われていた人だった。その人はすごい力で僕に抱きついて離れようせず、密着した柔らかい体の感触が防弾ジャケットの上からでもわかり、初めての経験に僕は動けなくなってしまった。


「あ、あの、離れてもらえますか?」


 ところがその人は一向に僕から離れようとせず、逆にますます強く抱きしめてきた。僕はさすがに苦しくなってきて、無理やり引きはがそうとしたらその人は大声で叫んだ。


「いやニャ! このままがいいニャ!」


(…ニャ?)


 どうも相手の様子がおかしくて、よく見ると頭の変なアクセサリーだと思っていたものは耳で、女性の頭にはどう見ても動物の…猫の耳がついていた。

 僕は猫耳の相手の肩を持ち、体から引き離して凝視した。

 人だと思っていた目の前の生物の姿に僕は愕然として、そのまま固まってしまった。


 真っ白な毛に覆われた顔に同じく白いミディアムヘアで、宝石の様な大きくて綺麗な黄色い眼の上には何本もの細い眉毛がピンと立っていた。鼻の脇からも細い髭がたくさんはえていて、お尻には尻尾があった。

 服装は、不思議な装飾のある布製のゆったりとしたものだった。

 まるで彼女は僕が遊んでいたオンラインゲームの世界に登場する異種族のようだった。



「そんなに見つめられたら照れるニャ~。」


 彼女は手で顔を洗い、また僕に抱きつこうとした。咄嗟に僕は後ずさったが猫少女は間をつめてきた。


「かっこいいニャ!」


 彼女は顔をスリスリしてきて、まるで来島の実家で飼っていた猫のようだった。


「こらこらユキ、いいかげんにしなさい。困っておられるじゃないか。」


 起きあがってきた人物も猫みたいで、彼女よりも大きくて毛並は茶、白、黒の三毛だった。


(いったいこの人たち…いや、猫たちは何者なんだろう?


 僕の困惑をよそに、三毛猫は僕に頭をさげた。


「本当にありがとうございました! 山賊に殴られて気絶してしまい…。」


 僕は会話が頭に入ってこなくて、相手の言葉を遮ってしまった。


「あ、あの、それは特殊メイクですか?」


「は? なんて仰いましたか?」


 巨大三毛猫は不思議そうに首をかしげた。


「パパ、この人はきっと疲れてるのニャ! 奴らが味方をつれて戻ってきたら大変だし、早く移動した方がいいニャ!」


「確かにそうだ。」


 猫の親子は慌てて辺りを片付け始めた。僕は片付けを手伝って荷物を次々と馬車に詰め込んだ。三毛猫パパは手際よく車輪を修理して手綱をとった。僕が乗ると、馬車はすごい速さで走り出した。


 馬車の中では、猫少女が爛々と輝く目で僕を見つめていた。

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