第38話 アイドルの卵

N

優志

外園好次郎

悠木愛音

雪白友莉

ポンタ



N 胆石症が治りかけていることを知り、久しぶりにホッとした気持ちになった優志まさしは、アパートの自室へと帰り着いた。


 入念に手洗いをし着替えを済ませ、ベッドにごろんと横になると、いつもの癖でスマホのニュースサイトに目を通す。


 止まらぬ感染拡大——新規感染者数、15府県で過去最多


 ふと、2ヶ月前のことを思い出す。

 地底世界で、猫戦士たち——星猫戦隊コスモレンジャーと共に“邪竜パン=デ=ミール”と一戦を交えた——。


 星猫戦隊コスモレンジャーのリーダー、ソールが言うには——新型ウイルスが発生した原因は、地球に生きる生き物の遺伝子に方向性を持たせる役割を持つドラゴン——“パン=デ=ミール”が暴走し始めたためらしい。

 “パン=デ=ミール”が暴走、邪竜と化した原因は、魔王ゴディーヴァによる邪悪な力の影響だったらしい。“邪竜パン=デ=ミール”は、既存のウイルスを変異させ強毒化し、全世界に流行させ始めたというのだ。


優志(感染拡大が続いているということは、邪竜パン=デ=ミールは、きっとまだ暴走し続けています。星猫戦隊コスモレンジャーの皆さんは、大丈夫でしょうか。私は……魔王の手から世界を救う使命を持つ、“勇者ミオン”です。そろそろ私も、戦いに行かなくては……)


 そう思った瞬間——脳内に、小馬鹿にするような口調で、謎の声が聞こえてきた。


ポンタ『お前、見捨てられてるポンよ。戦いをサボっていたから、星猫戦隊コスモレンジャーからは呆れられて、もう歓迎されないポン』


 その声は——優志の幼少時に周囲の人間から繰り返し聞かされたネガティヴな言葉が、具現化した存在——。

 心の奥底に潜み、何か行動するたびにネガティヴな言葉を幻聴という形で言い聞かせる——いたずらタヌキ“ポンタ”が、またも優志の頭の中で囁き始めたのだ。


優志「……まだいたんですか。それでも、私は戦うんです。行かなきゃいけないんです!」


ポンタ『とか言いつつ、本当は不安なんだろポン? ほら、まだ病気の身体で行っても迷惑かけるだけだポン。それにお前は金もないポン。ほらほら、その歳で金が無いのはヤバいポン。家賃も払えなくなって病院にも行けなくなって、ホームレスになって、誰も助けてくれなくなって、病気も悪化して、お前は野垂れ死ぬポン。ポンポコリン……』


優志「う……」


 本当に、そうなるかも知れない——。

 ポンタの囁きに優志は恐怖を覚えたが、すぐに深呼吸をして冷静になった。


優志(折角治りかけているのに、下手に動くとまた悪化するかも知れません。手術をしない決断をした以上、しっかり治るまで我慢です。焦ってはいけませんね……)


 そう考え、フッと息を吐いて心を引き締めた。すると——。


ポンタ『……チッ。今回は騙せなかったか。つまんねえポン』


 脳内で囁く嫌な声は、ぱたりと聞こえなくなった。

 しかし優志は気を緩めず、この先のことを考える。


優志(仕事も得なければいけません。しかし毎日外に出続けるのは危険ですから、せめて部屋で出来る作編曲の案件を1つでも頂ければ……。そうだ! お世話になったライブハウス、“OFFBEATオフビート”のマスターに会いに行き、相談してみましょう。ライブハウスでも集団感染が出たりしてるから、早めに行かなきゃいけないですね。早速アポを取りましょう)


 優志は久々に、若い頃から世話になっていたライブハウス“OFFBEAT”へと出向くことにした。



 5月3日、ゴールデンウィーク初日の昼下がり。

 優志まさしは、お世話になったライブハウス、“OFFBEATオフビート”の扉の前に立っていた。もちろん、マスクを装着して。


 1階にコンビニのある小さなマンション。その地下1階にはスナックなどの店が並び、一番手前側の店が“OFFBEAT”だ。

 学生のイベントらしく昼間からライブが行われており、中からカラオケ伴奏の音と女の子2人の歌声が外に漏れている。

 1年以上ぶりに扉を開くと、途端に大音量の音楽が優志の鼓膜を震わせた。


外園「飛田とびたくん、久しぶりだね」


 音楽に埋もれながら辛うじて聞こえた声。声の主は、OFFBEATのマスター——【外園ほかぞの好次郎こうじろう】。


 優志は受付にあるアルコールで手指消毒をしながら、頭を下げる。

 財布から千円札2枚を外園に渡し、五百円玉を1枚とドリンクチケット、マンスリーペーパーを受け取った。


 90帖のフロアには、高校生ぐらいの男女が6人と、親御さんであろう年配の客が3人のみ。全員がマスクを着けている。

 マンスリーペーパーには、『5月3日の学生イベント“ウイルスに負けない! はじけろ高校生!”は、新型ウイルス対策として入場は20人までとし、午後7時には完パケします』と書かれている。

 新型ウイルスが流行する以前は、ライブハウスのフロアはオールスタンディングで人がいっぱいになり、ライブ中はモッシュ、ダイブ、コール&レスポンスが盛んに行われていた。

 もう、そのようなライブは出来ないんだなと、寂しさを感じたのは自分だけではないだろうと思いながら、優志はステージに目をやる。


 現在のステージは——派手な衣装を身に着けた高校生ぐらいの女の子2人組が、バックに軽快なカラオケ音楽を流し、歌って踊っていた。

 お世辞にも上手とはいえず、しかし初々しさとエネルギーに満ちた歌とダンスに、優志は思わず手拍子をする。


悠木「【悠木ゆうき愛音あいね】とー!」


雪白「【雪白ゆきしろ友莉ゆうり】でしたー!」


 パラパラと、まばらな拍手が起こる。


 白を基調とし桃色のリボンが所々あしらわれた衣装に身を包み、茶色がかった髪をサイドテールにした身長155センチメートルほどの女の子——悠木ゆうき愛音あいね

 白と水色を基調としたセーラー服に、水色の水兵帽、水色のネクタイがよく似合い、腰まで伸びた艶やかな黒髪の、身長165センチメートル足らずの女の子——雪白ゆきしろ友莉ゆうり


 2人は横に並び、ペコリとお辞儀をした。


 ♢


 すべての出演者のステージが終わり、お客さんに続いて出演者たちが続々と帰って行く中、優志はマスターの外園と話していた。


外園「飛田くん、飲まないのか」


優志「はい、お酒はやめてるんです。実は胆石やっちゃって」


外園「おいおい、大丈夫か。まあ俺も胃悪くしたからなあ。そうか、お前ももう無茶は出来ない歳になったかー」


優志「それより新型ウイルスの影響、大変ですね。OFFBEAT、存続して欲しいです……。あ、それでですね、マスターに相談がありまして……」


 外園に、本題である作編曲の案件の相談を持ちかけようとした時だった。


悠木「ぶべええ、マズダーあああああっ! 歌詞がじ間違まぢがえぢゃっだよおおおお」


雪白「こら、愛音あいね! 大声出さないの。ちゃんとマスクつけて」


 悠木愛音が駆け寄ってきて外園に泣きつき、それを雪白友莉が制止する。

 外園は、悠木と雪白の頭をポンポンと撫でた。


外園「愛ちゃん、ゆうちゃん、ステージ、良かったよ」


 外園にそう言われた悠木は、泣き顔を笑顔に一変させる。


悠木「えへへー、ありがとうマスター! なんてたって、私たちアイドルを目指してるからねッ!」


雪白「もう……愛音、はしゃぎすぎ」


 外園は電子タバコの煙をふかしてからマスクを着け直すと、2人の目を見ながら言った。


外園「君たちは偉いね。学業のさなか、新型ウイルス拡大でなかなかライブ活動ができずずっと悩んでた。それでも負けずに頑張ろうって気持ちが、今日のステージから伝わってきたよ。俺も、もっと頑張らなきゃな。新型ウイルスなんかに負けてはいられないさ」


 悠木、雪白は嬉しそうに向き合い、頷いた。その2人の目の輝きに心打たれる優志。悠木と雪白のステージを思い返し、思わず口にする。

 

優志「やりたいことやれるって、素敵ですね」


 満足気に頷く外園。

 そんなオジさんたちに見守られる少女たちは、未だにエネルギーを持て余している様子だ。


悠木「ユニット名を決めなくちゃね、友莉ゆうり! 推しにも来てもらいたいし……」


雪白「……うん」


外園「推し? 推しって何だ推しって」


 外園は苦笑いしながら、若き2人に口を挟む。


悠木「推しってゆうのはねー、誰かに薦めたいくらい好きな人のことだよ! んとねー、私の推しはあー、“ジョーカー&プリンセス”の、【北村きたむら修司しゅうじ】くん!」


雪白「……私の推しは、“埴輪男子はにわだんし”の、【宮元みやもと文矢ふみや】くん」


 悠木と雪白の推しの話に、「へぇぇ、聞いたこと無いな」と笑う外園。


優志(ん? 北村修司くんと言えば……)


 優志は、ふと“夢の世界グランアース”での一場面を思い出す。

 ラデク、サラーと共に繁華街“モヤマ”に初めて訪れた時に宿屋の食堂で見かけた、王子アルス——。

 彼は、北村修司にそっくりだった。


悠木「どーしたの? おじちゃん」


 突然悠木に話しかけられ、オレンジジュースが気管に入ってしまった優志。


優志「ごふっ! ……いや、何でもないです」


雪白「こら愛音、お兄さんって言わなきゃダメでしょ」


外園「飛田くんはもうおじさんでいいだろ、あっははは。あ、ほら2人とも、親御さんが迎えに来たよ」


 好き勝手に言う外園、悠木、雪白に、優志は「もう何でもいいですよ……」と返し、諦めムードであった。


 撤収時間が迫り、ホールに流れている音楽がフェイド・アウトする。


 ふと、優志はガサっと、背後で物音が聞こえたことに気付く。


優志(……ん? 何でしょう、今のは?)


 振り向いてみると、スピーカーの陰で——白いモフモフした何かと、黒いモフモフした何かが動いていた——気がしたのだった。

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