第36話〜サーシャの事情〜

N

優志

優志の友人

サーシャ



以下、全てサーシャ


 ワタクシは魔王軍三幹部が一人、魔術師サーシャ。

 魔王ゴディーヴァの、一人娘ですわ。


 実はワタクシ……人間からする形で転生したのです。

 ウォークインとは——ある程度年齢を重ねた肉体に、別の魂が入り込む形で転生することを言うのですわ。


 ワタクシは、サーシャの魂と一体化したのですが、元々のサーシャとしての記憶を失ってしまったようなのです。少しずつ、思い出すことは出来るようなのですが……。

 


 ワタクシの前世は、ごく一般の人間の女性でした。

 前世のワタクシ——卜道うらみち美幸みゆき、22歳——は、夜に寝る時、何度も何度も同じ夢を見ておりました。

 

 その夢とは——。

 誰もいない映画館で、勇者が魔王を討伐する物語の映画を鑑賞する、というものです。

 その内容は、何度見ても全く同じものでした。


 映画の舞台は、ここグランアース……。

 世界を支配しようとする魔王ゴディーヴァを討伐すべく、勇者ミオンが現れます。

 

 勇者ミオンには既に3人の仲間がおりました。剣士ラデク、魔導士サラー、僧侶リュカ。そしてさらに勇者ミオンのパーティーに加わるのは、オトヨーク島を治める王【リベル】のご子息——王子【アルス】様。


 アルス様は……小柄ながらイケメンで声もよろしくて、何度も夢に見ているうち——ワタクシの全てを捧げても良いと思えるほどの“推し”になったのですわ。


 アルス様が加わったのち、さらに【ピア・チェーレ】という名の2人組のヒロイン——【アイネ】、【ユーリ】が、勇者ミオンのパーティーに加わります。


 人数も増え、力を増した勇者ミオンのパーティーの前に、魔王三幹部——ヴィット、サクビー、そして魔王の娘サーシャ——が立ちはだかります。

 三幹部は力を合わせて戦ったのですが……あっという間に、勇者ミオンたちに倒されてしまうのです。


 その後、さらに——【ネコツキ】、【アカツキ】、【アオゾラ】という名の、3人の勇者も加わり、総勢10人の勇者一行の前に……魔王ゴディーヴァ様も、あっけなく倒されてしまうのです。


 魔族が滅び、平和な世界が戻った後。

 王子アルス様は、“ピア・チェーレ”のうちの1人、アイネと結婚してしまうのです。これだけでもワタクシのメンタルはズタズタですのに、そこにさらなる不幸が訪れるのです。

 王子アルス様と、アイネとの幸せの時間も束の間。

 ある日突然、残された魔王ゴディーヴァ様の怨念によるいかずちが、アルス様を襲うのです。


 アルス様は即死——。


 いつもそこで、ワタクシはうなされて目覚めていたのですわ。


 繰り返し見せられるその夢のせいで、ワタクシはノイローゼになりました。


 分かりますか? 分からないでしょう。推しが結婚し、推しが死ぬのを何度も何度も見せられる悲しみ、苦しみなんて——。


 毎夜見せられるその夢が、トラウマになりました。

 前世のワタクシ——卜道美幸は、その夢によるノイローゼのせいで体調を崩した末、肺炎が悪化し、若くして命を落としました。


 ワタクシが転生した先は、幸か不幸か——何度も繰り返し見ていた夢に出てきた、映画の世界——夢の世界グランアースでした。

 しかしワタクシが転生した人物は——あろうことか魔王の娘であり魔王軍の幹部——魔術師サーシャだったのです。

 しかも、前世の卜道としての記憶を受け継いだ代わりに、現世のサーシャとしての記憶を失った状態での、ウォークインという形での転生でした。


 そういう訳で、前世からワタクシが愛していた王子アルス様と、どこかできっとお会い出来るのです!


 しかし、前世で見ていた夢の通りに事が進みますと、ワタクシはヴィット、サクビーと共に勇者ミオンのパーティーに殺されてしまいます。


 そのためにワタクシは、ヴィット、サクビーと共に出撃することを何度も拒んでいるのです——少しでも、運命を違った形へとために。


 運命を変えられなければ、お父様も、勇者一行に殺されてしまいます。

 そして王子アルス様は——2人組のヒロイン“ピア・チェーレ”のうちの1人、アイネと結婚してしまい、さらにお父様の怨念でアルス様は殺されてしまう。


 この世界に転生したワタクシは……そんな惨い運命を変え——王子アルス様と、結婚したいのです!

 そして王子アルス様を何としてもお守りし、王子アルス様と共に、いつまでも幸せに暮らしたいのです。

 そのためには何としても、を知り、実行しなければなりません。


 すでに、勇者ミオンが現れました。じきににっくきヒロイン“ピア・チェーレ”も現れることでしょう。

 何れにせよ早く、“ピア・チェーレ”が現れる前に、王子アルス様を見つけ、お会いせねばなりません。そしてアルス様をお父様のところへ連れて行き、晴れてワタクシはアルス様と結婚し、幸せになるのです。


 そのために、ワタクシはサーシャに転生してから、サーシャとしての記憶を思い出しつつ、色々と準備をして参りました。


 愛しき王子アルス様——待っていて下さいね。


 必ず、運命を変えて、貴方との幸せを勝ち取って見せますから……!


サーシャ以上

——————



N4月中旬——。

 新型ウイルスは、さらに猛威を振るい始めていた。


 4月初旬には国内の感染者は3000人ほどだったが、中旬になると感染者は10000人以上に急増。

 政府から日本全国に“緊急事態宣言”が発出され、ニュースでは「不要不急の外出は控えるように」というワードが、耳にタコが出来るほどに繰り返される。


 街を行く人々はマスクを着用し、建物の入り口には消毒用アルコールが常設されるようになっている。


 世の中が、すっかり変わってしまった——。




優志「嘘です……よね?」


N緊急事態宣言で外出する人口が減り、優志まさしが働いていた居酒屋は倒産。


「この先、どうすれば……」


N人とも会わず、SNSにも疎い優志は人々と疎遠になり、個人事業である作編曲の依頼も全く来なくなってしまった。


優志の友人『聞いて優志ー、俺感染してしもたー笑。今からホテル療養だー笑』


優志『いや、それは私とLINEなんかしてないでちゃんと休んでください!』


N優志の知り合いにもちらほら、新型ウイルスに罹患する人が出始めていた。

 40℃の熱が何日も続く、物が食べられないほどに喉が腫れる、呼吸困難になるなど、インフルエンザとはまた違った症状の数々を、知り合いから聞かされ——。

 さらに、“ブレインフォグ”という、熱が下がった後にも物事が思い出せない症状や、息苦しさ、痙攣、脱毛、味覚障害が1ヶ月以上続くなど、聞いたこともないような後遺症が残ること。そして若い世代にも重症化したり死亡する例が出始めたこと。

 それらをニュースで知り、新型ウイルスの恐ろしさを優志は目の当たりにしたのだった。


 “3密——密集、密閉、密室——を避ける”、“ソーシャルディスタンス”という言葉が流行り、人々と会うことすら難しくなった。

 外国へ旅行するのはおろか、県を跨ぐことすら危険だと言われるようになった。

 収入が途絶え、貯金もどんどん減っていく。


 健康を取り戻し元気な心身で、もっと沢山の人と出会いたい。

 何千人もの前で、コンサートをしてみたい。

 仲の良い友人と、世界の観光名所を旅したい。

 大きなログハウスを購入し、地下にスタジオを作って、作曲業に勤しみたい。

 

 将来に向けて積み重ねてきた物が、計画が、夢が、音を立てて崩れ去って行く——。


優志(折角健康に気を使い始めたのに、お金がなくなれば身体に良い食品は買えなくなるし、病院にも行けなくなるじゃないですか。政府からの給付金とか貸し付け政策を待つしかないのでしょうか……)


 金の無い者は、健康になる資格はないのか——。


 ふと鏡を見た優志は、明らかに肌のハリがなくなり、一目見て分かるほどに白髪が増えていたことに気付いたのだった。

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